先日、再建を確認したばかりの奈良県橿原市の今井町道路元標、その時はケータイのカメラしたなかったので、大和高田への所要の途中立ち寄ってみました。 なんと回りに支柱が建てられ鎖が邪魔に、おかげでケータイで撮った写真が貴重になってしまいました。 ところが良く見ると「今井町道路元標」の文字が…
なんと西を向いていたものが北向きに建て直されています、それなりの重量の石柱で地下には80cm程が埋っていますから、ご苦労な事ですが、わざわざ建て直したこの向きになんらかの根拠があるのでしょうか。
2009年春まで「今井町~」の面を北東に向けて埋っており、写真は道路側から「奈良縣」と彫られた面を写しています。 ただ上田倖弘著「道路元標を尋ねて」によると、過去蘇武橋は三度流されているそうで、元標も2009年の時点で大正時代の位置や向きとは異なっている可能性が大きい様です。
なお元奈良県報号外(大正9年4月1日発行)に拠ると「奈良県高市郡今井村大字今井蘇武橋西詰」とありますが、設置当時の道路状況を調べてみるのも面白そうです。