今日が有効期限最終日の青春18きっぷの最後の1回、桜井駅を0543発奈良行きに乗車、木津からは学研都市線(片町線)~東西線~福知山線経由の新三田行きに、大阪市内を通勤時間帯の混雑の中での乗換を避けてワープできるのですが、新三田で反対の上りホームに入ってしまうので、階段の昇り降りをさせられるのが難点。 先月の豪雨禍からの復旧工事とかで徐行運転でダイヤの乱れていた区間も解消し、福知山1024定刻着、忘れ物もなく11時には無事、出発準備完了。
コンビニ補給の後、R9を避けて一旦由良川対岸へ出て北上しR175からR176へ入ります。 京都府下の道路元標は京都府公報第783号(大正9年3月30日発行)として設置当時の住所地番が記録されていますので、未発見の道路元標を求めて金山村、雲原村と探索してみましたが不発。 まあそんなものよと与謝峠への旧道をのんびりと登って行きます。
標高320m程の与謝トンネルの入り口まできました、斜度そのものはずっと下の坂浦トンネルの手前の方がキツかった様な。 旧道峠は標高差で40m程、たとえ通れなくて引き返してもたかが知れていますので、時間もありますし突っ込む事に。
例によって国道の旧道峠とは思えない狭さに、大量の水と泥が出ていますが、ツーリング車の強み、なんなく突破、しかし与謝野町側は相当の急坂の連続です。 以前、与謝野町側からKHSで登ろうとした事が、天気が悪くなりそうでやめたのは大正解でした。
与謝村道路元標があっただろう場所を通過して加悦SL広場へ、今は無き加悦鉄道の車両をメインに直接関係はありませんが国鉄のSLや京都市電が保存されています、2度目ですが元鉄としてはここは外せません、入場料400円を払って入ります。 あいにく水曜でパン屋とカフェは休業日ですが、食事はできますので遅めのお昼にうどんを頂きます。
このレトロな建物は旧加悦町役場、平成14年まで使用されていました。 現在は観光案内所とかになっています。 信号をはさんで向かい側には加悦町道路元標も現存しています、かなり埋ってしまっているのが残念ですが。
観光案内所で貰ったパンフレットをもとに古い街並みを少しポタってみます、「ちりめん街道」として売り出している様ですが、こじんまりしたものです、ただあちこちから今も機織の機械の音が聞こえてきます。
おっさんには縁がなさそうですが、ちょっとした小物を扱っているお店もある様です。
加悦鉄道の廃線跡は岩滝加悦自転車道として整備されていて、北近畿タンゴ鉄道の野田川駅近くを通り岩滝まで行ってますが、そちらの方は判りにくかった様な。 また路面が良くないのと、交差する道路が多いのでロードにはわずらわしいかも。
北近畿タンゴ鉄道野田川駅、元の国鉄宮津線丹後山田駅ですが、ここも鉄な人には外せません。 駅舎内には丹後山田駅資料室と云うのがあります。 加悦鉄道が接続していた時代のジオラマは必見です。
R312に入り今夜の宿のある京丹後市大宮町を目指します。 水戸谷峠と云う小さな峠がありますが、標高も100mに届きませんし、横を北近畿タンゴ鉄道がトンネルなしで越えている位ですから大した事はありません。
17時丁度に一度も降られる様な事もなく、丹後大宮駅前の旅館「なかむらや」に到着。 日頃はビジネスホテルを利用する事が多いですし、次の峰山まで行くと2軒程ビジホがあるのですが、ネットで探すと素泊まり4,100円とリーズナブルなここを見つけたので、加悦SL広場まで来た処で電話を入れました。 部屋こそ広くはないですが、大きな湯船にゆったり浸かれて、洋室だけの生活をしているので久しぶりの畳にゆっくりできました、自転車は鍵のかかるガレージに入れさせて貰えました。 冷房がコイン式なので夏はちょっとネ。 お風呂で気持ち良くなって缶ビール解禁、11ヶ月ぶりのアルコールです。 桜井0543→0616奈良0622→0630木津0640~0849新三田0854~1024福知山 青春18きっぷ3,350円分乗車。 本日の走行 56.8キロ
「道路元標」カテゴリーアーカイブ
道路元標蒐集サイク(但馬編)
9月に入っても落ち着かない天気予報が続きますね、9月10日までが有効期間の青春18きっぷ、後2回分を残していて、知多半島と但馬方面を予定しているのですが、知多半島は列車ダイヤと混雑の関係から土日でと考えているので、今日はいわゆる但馬地方、兵庫県城崎郡と出石郡に残っている未踏の道路元標を巡る事にします。

まずは城崎郡の三方村と西気村へ向かいます。 ただ西気村は標高350m程の神鍋高原の上にあり、KHSでは結構辛いものがあります、ただ登るにつれて霧雨っぽい天候で涼しかったのが幸いして足を止める事なく登りきってしまいました。

道の駅で暫し休憩の後、快調に江原駅近くまで下って来たのですが、後輪に違和感がと思ったらパンク、幸いと云うかコンビニが目の前、建物の影に入って早速チューブ交換です、しかしタイヤそのもののサイドにかなりダメージが、ここまで気付かなかったのは不注意、まだ50km以上走らなくてはならないのにこの状態、不安を抱えて走る事になります。

出石郡の高橋村道路元標は日本モンゴル民族博物館の入り口に保存されていると云う情報なのですが見当たりません。 一体どういう経緯の博物館なのか知りませんが一応豊岡市立です、受付で恐る恐る尋ねてみると、それらしきものが裏にあると云う事で、案内して頂きました、感謝。
そこには倒置された高橋村道路元標と共に次の予定の資母村道路元標も再建されています、以前の場所が立ち退きになったとの事です。 これで今日の予定は片付いたと思う反面、道路元標は元の位置に建っていてほしいなと云う気持ちも。 なお日本モンゴル博物館のある但東町中山は旧資母村村域で高橋村は帰途に通る登尾峠への途中にあたります。


17時半、山陰本線の上川口駅まで下ってきました。 福知山駅まで後1駅なんですが、パンクの不安を抱えて国道9号を10km走る気にはなれませんし、例え福知山まで行っても帰る時間には差がありません。 輪行支度を済ませ朝買っておいたおにぎりをほおばり1842発まで山峡の駅でのんびりと過ごします、つくつくぼうしの鳴き声が夏の終わりを感じさせてくれました。
奈良0522→0625京都0637→0837福知山0839→0938江原/上川口1842→1849福知山1858→2119大阪2125→2222奈良2252→2320桜井 6.700円分乗車
走行116.7キロ
【1005】 兵庫県 城崎郡 三方村 (現 豊岡市)
【1006】 兵庫県 城崎郡 西気村 (現 豊岡市)
【1007】 兵庫県 出石郡 室埴村 (現 豊岡市)
【1008】 兵庫県 出石郡 高橋村 (現 豊岡市)
【1009】 兵庫県 出石郡 資母村 (現 豊岡市)
木ノ本村道路元標へ
今まで未踏の道路元標の位置はカシミールで管理しGARMINに落して利用していましたが、最近GoogleMapのMyMapにも登録したので、今回はスマホでナビしてみました。 ただスマホのバッテリ消費量がバカにならないのが欠点、エネループは必携ですが、訪れる場所が多いと追っつかないかも。
和歌山県16基目、残すは難関の東牟婁郡色川村です、過去に何度も横を通っているのですがねぇ。
馬見村道路元標(奈良県北葛城郡)
道路元標フリークにはちょっとショッキングな画像(^_^) 奈良県は北葛城郡の馬見(うまみ)村道路元標の現況です、さて何処にいるのでしょう。
奈良県の道路元標探索のバイブルとも云える上田倖弘著「道路元標」を尋ねてによると昭和63年(1988年)の時点で、折損していて頭部が元の設置場所近くに放置とあるが、2006年9月に私が訪れた時には既に無かった。 それが昨年になってネット上で再発見された情報がでてきた。 自宅から15キロ足らずの広陵町、元の設置場所から西へ300m程、祐福寺の墓地に他の墓石や石仏と一緒に保管?されているとある。 その窮状を見るに偲びないので、ついつい後回しにしていたが、いつまでもあると思うな何とかと道路元標、朝和村道路元標の例もあるので、今になって向かう事に。
「馬見」の文字を残して頭部40cm程、前出の「道路元標を尋ねて」掲載の写真と変わりはないが、その記録を知らなければ道路元標だったと云う事は忘れ去られてしまっている。 どうやらここが終の棲家となってしまいそうである。
元は広陵町疋相のこの辻に建っていたされる(2006年9月撮影)。 馬見村は昭和28年に町制を施いた後、昭和30年いわゆる昭和の大合併で百済村、瀬南村と合併し広陵町となり現在に至る、馬見の地名はその後、香芝市に跨る真美が丘ニュータウンの語源ともなった。
本日の収穫 【1003】 奈良県 北葛城郡 馬見村 (現 広陵町)
道路元標1000基達成サイク
2006年8月27日に奈良県吉野郡の吉野村道路元標を皮切りに8年、道路元標フリークはいよいよ1000基を迎えるに至りました。 1000基目は淡路島北部の淡路市に残る多賀村道路元標でと、500基目の奈良県下北山村の折にもご一緒頂いたDさん、Nちゃん、T御大を介添え役に淡路島へ向かう事となりました。 台風やら集中豪雨やらと不穏な天候の続く今月、8月17日と決めたものの前日になってもはっきりしない空模様、どうにか日中の淡路島は酷い降りにはならないだろうと、雨具を準備した上で決行と云う事になりました。
集合は明石駅8時、ところが朝から財布を洗濯してしまったり、お腹の具合が悪かったりと、T御大と約束の電車には間に合わず、どうにか1本遅れの急行に乗車する事ができ、約束の時間に16分遅れで明石駅に到着、無事に皆さんと合流できて、予定していた淡路島への船便に乗る事ができました。
淡路島への航路は今では明石~岩屋間を結ぶジェノバラインの高速艇のみで、自転車は別途220円で乗せて貰えます。 天気も良くなってきて0900発の便のデッキは10数台の自転車で一杯です。
こんなもの誰も作ってくれませんので、記念の横断幕を作ってきました。淡路一宮の伊弉諾神宮前に残る多賀村道路元標へは西海岸の県道31号経由が最短なのですが折角ですので東海岸の国道28号を津名付近まで南下してから内陸部へ入り、帰途に西海岸沿いに残る尾崎村道路元標と室津村道路元標も回る、60キロ弱の淡路島半周コースを走る事にしました。
天気は良くなってきたものの海岸沿いは結構な向かい風です。 走る距離は知れていますが、10キロ位おきに休憩するのんびりペースです。
多賀村道路元標に到着、道路元標1000基達成です。 北は会津から南は宮崎までお供をしてくれたKHSと記念撮影です。そして過去に道路元標巡りにもご一緒いただいた事がある、Nちゃん、Dさん、T御大と一緒に記念撮影です、ありがとうございました。
せっかくですから伊弉諾神宮にお参りして、未知の元標との出会いを祈念して、西海岸に向かいます。 郡家でシーサイドビューの素晴らしいお店を見つけたので、お昼をする事に。 皆さんはしらす丼、私はシーフードカレーを頂きました。
道路元標巡りはまだ続きます、写真は尾崎村、続いて室津村と辿りながら西海岸沿いの県道31号を北上します。 合わせて1002基となりました。
明石大橋が見えてきました、距離は1/3ですが、天気に恵まれて一度も降られたりする事なく、海の無い奈良県の私とT御大はなかなか機会のない潮風を受けながらのランを満喫、ちょっとアワイチ、プチアワイチしてきた気分です。 どうやら財布が身代わりに水難にあってくれたのかも知れません。
岩屋16時の便に乗船し明石に戻ってきて、明石名物のたまご焼きで打ち上げです。 みなさんありがとうございました。
道路元標はネット上の情報では全国に1,800基程現存が確認されています、離島もありますし、車や単車と云った移動手段を持たない私に制覇は難しいですが、自転車ツーリングにしても18きっぷの旅にしても、道路元標がなかったら訪れる事のなかっただろう町や村にも訪れる機会があり、かつて10,000以上も存在した町村の過疎化に思いをはせる事もあります。 道路元標巡りはこれからもぼちぼち続けて行きたいと思います。
近鉄、阪神、神戸高速、山陽、するっとKANSAI3dayチケット 3,380円分乗車
本日の収穫
【1000】 兵庫県 津名郡 多賀村 (現 淡路市)
【1001】 兵庫県 津名郡 尾崎村 (現 淡路市)
【1002】 兵庫県 津名郡 室津村 (現 淡路市)
道路元標999基目
早速スルッとKANSAI3dayチケットで道路元標蒐集の旅です。
とは云っても午後から仕事なので、始発に乗って、朝のうちに兵庫県で取りこぼしている川辺郡の東谷村道路元標へ往復する計画。
最寄り駅は能勢電鉄山下駅、初めて降り立つ駅です。
道路元標まで歩いて5分足らず、無事に発見。
それでもまだ9時前、駅前のパン屋さんの喫茶コーナーでモーニングにします、しかし喫茶店のモーニングって何年ぶりだろう。

1000基目は17日に淡路島北部で達成する予定です。
近鉄電車、大阪市営地下鉄、阪急電鉄、能勢電鉄、京都市営地下鉄、計3.490円分乗車。
本日の収穫
【999】兵庫県 川辺郡 東谷村 (現 川西市)
「18きっぷ」道路元標蒐集の旅(丸亀篇)

丸亀市資料館は丸亀駅から歩いて10分程、丸亀城のお堀の中にあります。
綾歌郡飯野村、仲多度郡南村、同垂水村の3基の道路元標が色々な石碑に混じって保存されています。

4年ぶりの四国、他に行くところも無く、勿体無い様な気もしますが、ただただ暑いだけなので、1時間余りの滞在で帰途に就きます。
桜井0552→0625王寺0635→0659新今宮0700→0718大阪0746→0850姫路0910→0929相生0933→1039岡山1053→1134坂出1138→1151丸亀1308→1315坂出1324→1402岡山1412→1516相生1519→1538姫路1541→1643大阪1647→新今宮→1736王寺1800→1836桜井 10.440円分乗車
本日の収穫
【996】香川県 仲多度郡 垂水村 (現 丸亀市)
【997】香川県 綾歌郡 飯野村 (現 丸亀市)
【998】香川県 仲多度郡 南村 (現 丸亀市)
「18きっぷ」道路元標蒐集の旅(島根編2日目)
今日は午前中に山陰本線沿いの静間村、田岐村、知井宮村道路元標を巡って帰途に就きます。
今回も東横インの朝食サービス(そんな大したものでもない)はパスして、出雲市駅0554発に乗車して静間駅へ、静間村道路元標は駅から20分程の処に倒置されたままで、左側面に昭和13年3月建設とあります。 なんとコンクリート製で切断面から鉄筋が露出しています。
小田駅へ移動して田岐村道路元標へ、ネット情報では山陰本線の踏切脇に倒置されていた様ですが、GoogleStreetViewでは確認できず、車中からも確認できなくて不安がありましたが、踏切に行く手前の小田町会館前に再建されているのを発見できました。
3基目の知井宮村道路元標は西出雲駅がもよりで10分程の距離の「出雲民芸館」にあるとなっていますが、門内なのか門外なのか判りませんし、よりによって休館日にあたります、不安を抱えて出雲民芸館へ向かいます。 道路からは見えませんが入り口への木塀沿いに保存されていて、見る事ができました。
西出雲駅を最後に帰途に就きます、山陰本線経由ですが往路同様12時間の長丁場です,伯耆大山~倉吉、鳥取~餘部間は40数年ぶりの乗車です、それに新しくなった餘部橋梁(今は鉄橋やないです)を初めて渡ります。
写真は鳥取駅にて、姫新線塗装のキハ47が健在でした。福知山で大阪経由か京都経由にするかの選択になりますが、京都駅での山陰本線ホームから奈良線ホームへの5分乗換は輪行袋がなくてもきわどいですし、山陰本線で遅れがでると大変なので大阪経由に、奈良までくると近鉄大阪線が信号トラブルで振替輸送を行っている旨の案内が、早く帰れると横着して鶴橋経由をしないで大正解でした。
出雲市0554→0638静間0755→0832小田1009→1023西出雲1115→1120出雲市1138→1256米子1309→1442鳥取1514→1558浜坂1603→1717豊岡1733→1849福知山1858→2119大阪2125→2222奈良2252→2320桜井 8,880円分乗車
本日の収穫
【993】 島根県 邇摩郡 静間村 (現 大田市)
【994】 島根県 簸川郡 田岐村 (現 出雲市)
【995】 島根県 簸川郡 知井宮村 (現 出雲市)
「18きっぷ」道路元標蒐集の旅(島根編1日目)
今回は島根県下で残る6基の内、駅から歩いて行ける範囲の4基を巡る1泊2日の旅です。 って事で自転車はなしです。 しかし2010年8月に900基を超えながら、2011年は56基、2012年は15基、2013年は7基と、節目の1000基達成を目の前にしながらペースダウン、確かに近場では少なくなってきている事は事実なんですが。
桜井を始発0552に乗車し、桜井線~関西本線~大阪環状線~山陽本線で岡山へ、この後伯備線~芸備線~木次線で加茂中駅を目指す、12時間近い行程です。 相生駅での乗換岡山行きは7両編成になって以前の様な混雑ではなくなっています、18きっぷ期間のみの対応なのでしょうか。
備後落合にて、木次線への接続駅で、ここは広島県になります。 2007年10月に来て以来7年ぶりです。 その時は新見泊で輪行でここまで来て、木次線沿いに北上しました。 しかし18きっぷのシーズンとあってか芸備線と木次線では鉄ちゃんの多い事。
木次駅にて、木次線の一部のキハ120が首都圏色に塗り替えられています。 順次塗り替えられて行くのでしょうか。
本日の目的地、加茂中へ1719着です。 ここで下り列車と交換、早そうな米子経由していても宍道で待たされたあげく、この列車になってしまいます。 5時過ぎとは云えこの季節、道路元標の撮影には余裕の明るさです。
さて加茂村道路元標は駅から歩いて10分足らず、元の公民館でしょうか、加茂交流センター北側の民族資料館軒先に保存されています、外からはちょっと判らないです。
加茂中で列車を待つ間、今夏初めてヒグラシの声を聴きました、今夜は出雲市駅前の東横イン泊です。
桜井0552→0626王寺0630→0712大阪→新大阪0755→0929相生0933→1039岡山1115→1244新見1300→1424備後落合1444→1719加茂中→木次→1918宍道1931→1946出雲市 7,560円分乗車
本日の収穫 【992】島根県 大原郡 加茂村 (現 雲南市)