「道路元標」カテゴリーアーカイブ

伊勢まで、道路元標。

 日帰り範囲で未踏の道路元標が殆んどなくなってしまったとボヤいていたら三重県伊勢市周辺で新たに5基の現存情報が、近鉄電車にKHSを担いで乗って行けば楽勝なんですが、暫く伊勢方面に走っていない事ですし、久しぶりに高見越えで向かう事にしました。

 朝4時過ぎ暗いうちに出発し、R165西峠経由で榛原に下り、朝もやの芳野川沿いに菟田野へ、今まで高見越えの場合、菟田野からは佐倉峠~木津峠と素直にR166を走っていたのですが、最近「月うさぎ」行きで走り慣れている一谷峠経由で東吉野入りする事に、距離的には3キロ程遠くなりますが、なにより車が来ないし、谷尻からは快適な林間コースです。  

 高見登山口のバス停で少し休憩、今日は旧高見峠へ登るつもりはありませんので気楽なもんです、2470mの高見トンネルを抜けると三重県、以前は飯高町だったのですが、平成の大合併で松阪市になってしまったのは、ちょっとね。  

 高見ループを下り、後は宮本まで下り基調のR166を走って行けば良いのですが、時間の余裕もあるので久しぶりに加杖坂峠から蓮ダム経由を走ってみる事にしました。 以前2003年に加杖坂峠を越えた時はSORAさんとダートの旧道を越えたのですが、今回はトンネルを。 ところでこのお地蔵さんの祠、旧道峠から移設されたとあり、帰って古い写真を見てみると、確かに祠は旧道峠にあり、トンネル脇には祠はありません、そう思うと先週のサンギリ林道と云い、自転車遊びにも年季が入ってきたもんです。  

 奥香肌湖に架かる現在の辻堂橋、このダム湖に沈んだ飯南郡森村の道路元標は辻堂橋東詰に設置した旨の記録がありますが、今も沈んでいるのでしょうかね。
 辻堂橋から先は県道<569>蓮峡線に入りますが、辻堂橋より上には廃村しかありません。
 

 蓮(はちす)ダム

 R422に入り湯谷峠へ、そろそろ暑くなってきたし湯谷トンネルで涼みながら休憩しようかと思っていたのですが、トンネルは何か工事をしていて交互通行になっていて、少し下ったいつもの不動明王の水場で一服。  

 大台宮川線を西へ、R42に出る少し手前、以前の宮川村に入り口にあたる処にあるふるさとプラザ「もみじ館」で軽く昼食、伊勢うどんを戴きます、別に専門店でもないのですが、ここの太めでしっかりしたうどんの伊勢うどんが好きです。

 三瀬谷ダム、手前が紀勢本線です。 妙な感じの風景ですが、三瀬谷ダムの堰堤の下流側200m程の処で紀勢本線が宮川を渡っています。 

 宮川右岸の県道<747>打見大台線を行きます、前後から徐々に拡幅工事が進んできていますが、木々の間から宮川を垣間見ながら、自転車にとってとても快適なコースです。

大宮町に入ったあたりで急に雲行きが怪しくなってきて、JAショップでアイスキャンデーを買ってかじりながら軒先で様子見をしていると、雷が鳴り出して本降りに、そのうちに店や自販機はもちろん、信号まで停電してしまいます、しかし良いタイミングで、濡れずにはすみました。
 ところで今日はM氏も吉野から尾鷲まで走る予定にしていたはず、雨雲レーダーによると三重県南部でもこちらと同様に相当降っている様子、実は昔、輪行で紀勢線の多気行き最終に乗り、沿線の大雨でダイヤが乱れ、そうなるとJRは乗客の多い下りと、払い戻しの発生する特急、はて貨物列車まで優先させ、私の乗る上り最終は2時間以上遅れて松阪へ、接続の近鉄に乗れなくなってしまって松阪泊まりになった事があります。 さて氏は帰ってこれたのでしょうか。

 雷雨もどうやらおさまり、雷も遠くへ行ってしまった様です、、そろそろ時間も押してくるので、ポンチョをかぶって出発、再び宮川右岸を進みます。 ところが麻加江で再び雷雨に、今度は無人精米所にもぐりこんで雨宿り、しかし二度目の雨宿りをしている内に時間は16時半に。  

 どうにか度会大橋まで下ってきたものの、2度の雨宿りが響いて、伊勢市域の4基を巡る事は諦めて玉城町に残る田丸町道路元標へ、それでも18時を回ってしまいました。
 その後、旧街道を走ったりしながら松阪へ、途中の参宮線の踏み切りでは遮断機が降りたままで大渋滞、やはりJRもおかしくなっている様です。 陽が長いとは云え19時を回り真っ暗にになってしまったので、近鉄松阪駅の2sつ手前の櫛田駅から輪行で帰途に就く事にしました。 本日の走行156.2キロ、センチュリーランに後一歩だったのですが。

【943】 三重県 度会郡 田丸町 (現 玉城町)

鴨池キャンプ乱入

 今日はakutaさん主催で行われる「鴨池キャンプ」に今日1日だけですが、顔を出させて貰う事にしました。 ゲストに’98年~09年にかけて11年間130ケ国訪問15万km走行、世界2周ツーリングの中西大輔さんを呼んで頂いているそうです。
 せっかくですのでキャンプ乱入の前に、例によって課題消化、未踏の道路元標を4基ばかり巡る事にします。 朝4時過ぎに出発し奈良駅まで21.2キロを自走、輪行で福知山線篠山口駅へ向かう事にします。 写真は木津駅、ここから東西線~福知山線直通の学研都市線(片町線)の新三田行に乗車します。 実は近鉄大阪線利用で鶴橋を経由すれば、なにも奈良まで走る必要もないのですが、輪行袋を担いで改札や混雑する大阪駅コンコ-スと通らなくても済むのです。 ただ誤算が新三田で福知山行きに追いつくこの快速、新三田駅で折り返しの為に上り3番ホームに入ってしまい、乗換えの2分で階段を登り下りする事に、ちょっと焦ってしまいました。
 さて今日はAsukaCross ガードなし仕様、一番でかいTIOGAの輪行袋の出動です。 4両目と5両目の編成の継ぎ目、運転台の後ろにちゃっかり陣取、手すりにショックコードで固定、至って普通のアウトドア用品で20年以上愛用しています。 これで安心して居眠りできます。
 多紀郡篠山町は明治の里程標の現存は従来から確認されていましたが、大正の篠山町道路元標の現存は知られていませんでした、ところがはづきの伊集院さんがたまたま篠山歴史美術館門内に保存されているのを発見されてお知らせ頂きました。 私の知る限りネット上では初めて現存情報となるはずです。 なお篠山歴史美術館は元篠山地方裁判所の建物で見学は有料ですが、開門していれば道路元標の建つ処へは行けます。
 篠山と云えば小西パンの黒豆パン、差し入れにと3個入り2袋を買って行きます、2006年の「鴨池キャンプ」はなべちゃんと一緒で、季節も秋でしたので、加えて丹波黒豆も担いで貰って走ったものです。 しかし小西パンにはこの「黒豆パン」しか置いていません、そこが凄いと云うか。
 次の課題は有馬郡の長尾村道路元標大沢村道路元標、福知山線に沿ってできるだけ旧道を利用しながら南下し、相野駅前から新興住宅地のウッディタウン内を抜けるつもりですが、地形図もGPS搭載の地図も古くて、軌跡は何もないところさまようばかり、ニュータウンの中を登ったり下りたり、いつのまに方向を見失ってしまう始末。 最後はスマホ+GoogleMapで現在地と周辺地図を確認する始末、無駄な登り返しもあってかなり消耗してしまいました。
 どうにか長尾村と大沢村と巡り、北六甲ゴルフ場の間を抜けて、今日のコースのピークを越えます、と云っても標高300m足らずでしょうが。 今日最後の課題、美濃郡は淡河村道路元標に到着、この時点で予定の時間よりは遅れているので、鴨池キャンプ参加者との合流は諦めて、道の駅淡河でゆっくりします。 さて道の駅淡河を出発しようかとする頃に、キャンプ組とようやく連絡が取れて、まだ電鉄志染駅付近にいると云う事で、とにかく時間を見ながら三木方面を目指して走り、どうにか追いつけそうなので、志染駅へ方向転換、ただ付近の地図を準備していなかったので、またまた迷走して余計な坂を登る事に。 幸いキャンプ組とも合流し、鴨池キャンプ場まで一緒に走る事ができました。
 鴨池キャンプ場には子囃子さん他が待ち構えておられて、暫し歓談し記念撮影を。 その後こちらは世界1周の待井さんも駆けつけられて宴もたけなわとなるのですが、私とダイバーてっちゃんは翌日の予定があるので、ここでお別れ。 ダイバーてっちゃんのお世話になって桜井まで帰ってきました。 本日の走行、奈良まで自走を含め114.3キロ。
 なお大きなサイズの集合写真をダウンロードできます。 (要認証)

細野村道路元標まで

 気候も良くなって陽も長くなって、これから梅雨までの間はロングライドのシーズン。 後輪を夏支度(ツアラー700x28c 32h 11-27t)、あえて暫くはガードを付けずに、走るだけ走って気軽に輪行で帰ってこれるスタイルに。 ところがここ数日は待機モードが続いてあまり遠くへ行けなかったが、とにかく土曜日までは大丈夫そうので、まずは課題消化と云う事で、京都府北桑田郡にあった細野村道路元標まで走って行く事にしました。 実は昨年7月にあまり走りたくもない周山街道沿いの弓削村と小野郷村へようやく行ったばかり、細野村もその時に傍を通っていたものの気づく事なく、それが最近になって現存が確認されたのです。 しかしいくら自動車に乗らないとは云え1基の道路元標のために100キロも走って行くのも、ただ県道走破とか県道ヘキサとか何か目的がないと走り出せない性格なもので。

 いつもの様に上街道を北上、ならまち、猿沢池、興福寺境内を抜けて0630県庁前西交差点へ、いつもウロウロしている鹿どももまだこの付近には出勤前、鹿せんべい屋が屋台を出す頃にはどこからともなく集まってきます。 

 写真は奈良阪を登った処にある奈良少年刑務所正門、あの山下洋輔のおじいさんの設計だそうで、一昨年の矯正展では洋輔が所内でコンサートを開きました。

 細野村道路元標に行くだけなら高雄経由が最短なのですが、なにもわざわざ京都市内を抜けて交通量の多い国道を走る気は毛頭ないので、ひたすら自転車道を北上、流れ橋と松尾大社前のファミマで休憩しただけで嵐山に到着。 

 平日とは云え9時を回ると渡月橋界隈は観光客がゾロゾロ、化野から六丁峠を目指します。

 途中のコーナーを過ぎた辺りまでは乗って行けたのですが、嵐山まででちょっと調子に乗りすぎたのか、峠が見えているものの最後の100mが登れず押してしまいました、後ろからロードが1台、「もうちょっと」とあえぎながらスタンディングで漕ぎ上がってきました。 

 六丁峠を下るとJR保津峡駅を見下ろす辺りまでお気に入りコースです、運が良ければトロッコ列車や保津峡下りの船も見下ろせます。 とにかく新緑の緑が鮮やかです。

 保津峡駅への分岐を過ぎ、水尾、神明峠、樒原とひたすら登ります、昨夏は夏の盛りだった事もありますが結構堪えた印象が残っていて無理せずぼちぼちと行く事にします。

 神吉からR477を下り途中から府道<363>宮の下神吉線に入ります、細野川に沿った道ですが全く未踏区間で、R162に突き当たった処に細野村道路元標があるとの事。

 まえださん判ります? 笠トンネルから下ってきて信号に引っかかれば気が付くかも知れませんね。 とにかく細野村道路元標を無事GET、938基目になります。
 この後、笠トンネルが交互通行になっていて、車に追われるように抜けるのが怖かったですが、トンネルを抜けた処で一気に抜かれると、後は雁行状態なので車は暫くやってきません、中山橋まで一人旅、車さえなけれな周山街道は快走路なんですね。

 京見峠への府道<31>西陣杉坂線に入ります、実は昨夏R162が大雨で高雄付近で暫く通行止めになっていた時に来たので、迂回路になった京見峠は大渋滞。 今日は平和なものです、たた平日にもかかわらず学生の多い京都だけあってかロードがどんどん下ってきます。 ところで京見峠茶屋のところまで終えてくるとお休み、どうやら休日のみの営業だった様です。 後で調べるとHPもあって季節によって金曜も営業しているようです。

 おまけ、京見峠の下りでこんな光景が、どうやったらこう云う風にこけるんでしょうね。
 昨夏は不案内な京都市内を迷走した上やっとの思いで自転車道に出て、もう輪行するのも邪魔くさくなって日没後も走り続けて、桜井まで走って帰ったのですが。 今回は夕方の混雑する時間帯までに下って来れたので、近鉄と相互乗り入れしている地下鉄の国際会館駅に見当を付けて走って行ったら、松ヶ崎と云う駅に出たので、そこから輪行で帰途に就く事に、でも後で調べると北山駅か北大路駅の方が近かったのですね、やはり京都は良く判りません。 竹田駅で少し待って橿原神宮行き急行に乗り換えて17時には桜井まで帰ってきました。 走行126.8キロ、ちょっと走り足りないかなと云う感じでしたが、爽やかな空気と目に眩しい新緑の中を機嫌よく走ってきたのですから、信号の多い京都市内をウロウロしても興ざめなだけですので、これで良しと云う事で。

大庄村道路元標

 するっとKANSAI3dayの期限がきてしまったので消化しに、最初はKHSを担いで三田近辺に残している道路元標を拾いに行こうと思っていたのですが、どうも体調がすっきりにしないので、身一つで出掛ける事に。 まずは近鉄なんば線経由で阪神から神戸電鉄へ、小野まで往復してコロプラの三木地区、小野地区をGET、新開地に戻り山陽電車で高砂駅へ、先月も来ていたのですが、うっかり取りこぼしていたので、ここで高砂地区GETして兵庫県制覇です。

  阪神電車尼崎センタープール前駅で下車、大庄小学校内にある武庫郡大庄村道路元標へ、学校内に移設されていると厄介なのだが、幸いここは校門越しに外から見えてるし、歩道橋からも撮影可能で正面でなければあえて敷地内に入る必要はない。
 この後、混雑する梅田となんばを経て南海で泉南へ、尾崎駅付近でコロプラ阪南地区をGETする予定だったがWi-FiルータBF-01Bのバッテリがあがってしまった、その上充電用のエネループのミニUSBケーブルを持ってきていなくて充電不能。 せっかくここまできたので和歌山市まで行きdocomoショップで30分程充電して貰う事に。
  充電待ちの間、初めてでもないのですが和歌山市道路元標の建つ県庁前へ、もちろんかっては大正道路元標の様式に沿った和歌山市道路元標があったのでしょうが、現在はこのような近代的なモニュメントが和歌山市道路元標となっています、従ってこれは番外と云う事に。
 満タンと云う訳には行きませんが、どうにか使える程度に充電ができたので、再び南海電車で尾崎へ、阪南地区をGETしてこれで大阪府制覇。 そんなに熱が入っている訳でもないのですが、奈良県、島根県、今日の兵庫県に続いて4府県目制覇です。

【937】 兵庫県 武庫郡 大庄村 (現 尼崎市)

道路元標蒐集サイク

 3月になっても相変わらず寒いし天気回りと仕事の予定が上手くかみ合わなくて今シーズンはついに18きっぷを買わず仕舞い。 ところがまる一日予定が空いてしまったので、丹波方面でも行こうかと考え、18きっぷがないものかと近くの金券ショップを覗いてみましたが、奈良の田舎ではそうは都合よく売ってはいません。 ならば発売中の「するっとKANSAI3day」で姫路方面へ向かう事に。 なにしろ関西の私鉄(近鉄は青山町以西)が1日あたり1,667円で乗り放題、エリアの端っこに暮らす人間には非常にお得で、京都市内まで往復するだけで元が取れるので余らせる事もありません。 で今日も修理中のG1に代わりDIMAGE A2の出動です。

阪神なんば線の開通のおかげで、近鉄桜井駅を乗車してから山陽網干駅を下車するまで、鶴橋、尼崎、飾磨での乗換えは改札なし階段なしと楽チン、片道2,010円で既に元をとってしまう、ただ姫路へ行くにはJRの新快速の方が圧倒的に早いですが。

 兵庫県下で未収の道路元標は散在していて、なかなか効率良く回れなくなってしまってのが大変。 山陽網干駅をスタートし揖保郡の龍田村道路元標から飾磨郡の菅野村道路元標へと北上します。 途中で姫新線余部駅と大市駅の間にある姫路鉄道部を覗いて行きますが、キハ40系は1両だけ、ハバタン塗装の車両も見かけません、予備車を除いて新型車両に置き換えられてしまったのでしょうか。

 菅野村道路元標に向かって、菅生川沿いの県道を北上していると、左手の山の上にまるでノイスバンシュタイン城の様な巨大な中世のお城が、一体何なんでしょ。 帰宅後調べると「太陽公園 白鳥城」と云うテーマパークの様なものみたいですが。

 菅野村の後さらに北上し、中国道に沿って東へ福崎から北条町方面へ、加西郡の富田村道路元標を、ここへは2007年にも訪れているのですが、その時は見つけられず、その後富田小学校内に移転保存されていると云う情報を得ました。 外側から確認する事ができませんので、職員室を尋ねて教えて戴く事に。 本来の場所から離れてしまうのも残念ですが、早いものの桜の木と二宮金次郎像の傍に富田村道路元標は安住の地を得ています。

 さて今日は地元のDさんに声を掛けた処、午後からご一緒して頂けると云う事になり、北条町付近で合流しようと云う事に。 左は廃止された三木鉄道の車両を譲り受けたもので塗装もそのままです。 北条鉄道は廃天ぷら油を燃料にしたり、猿の駅長とか、維持存続に色々と工夫している様ですがなかなか厳しい様です。

 法華口駅は北条鉄道の中でもレトロな木造駅舎が人気なので立ち寄ってみました、平日にもかかわらず撮り鉄の姿もちらほら。 残念ながら線路脇の桜はまだ早い様でした。 にわか鉄女発見、実は本物の鉄女もいたのです、八尾から来られ粟生からレンタサイクルでここへ、私たちが自転車で来ていたので少しお話して、折り畳み自転車に興味があるそうでKHSを少し試乗して貰いました。

 法華口駅を後にし、Dさんの案内で権現湖畔を経由して加古川河畔を走ります。 ケルビムのスポルテーフで出動のDさんにKHSで付いて行くのはなかなか大変です、劇坂がないのがせめても救い。 最後に尾上村道路元標に立ち寄り、これが936基目の道路元標となります。 しかしもう近場でまとまって稼げないので1000基達成にはまだ少々時間がかかりそうです。

 ポタの後はDさんが「かつめし」に案内してくれると0云う事だったのですが、お目当てのお店は定休日、では「たまご焼き」(大阪で云うところの明石焼き)にしようと東二見まで走りますがここでも予定していた店が定休日、で近所のお店に変更し、久しぶりに明石焼きにありつく事ができました。 本日の走行96.6キロ、帰路は山陽電車東二見から輪行で1,820円分乗車、ただ平日の夜は鶴橋の乗換が混むので、なんばから500円奮発して近鉄特急で帰ってきました。 なお「するっとKANSAi」は18きっぷとは違い有料特急も利用できます。

【933】 兵庫県 揖保郡 龍田村 (現 太子町) 
【934】 兵庫県 飾磨郡 菅野村 (現 姫路市)
【935】 兵庫県 加西郡 富田村 (現 加西市)
【936】 兵庫県 加古郡 尾上村 (現 加古川市)

「月うさぎ」から室生村道路元標へ

  奈良県宇陀郡曽爾村山粕の山粕郵便局前に昨年、再建された「室生村道路元標」、近いと云えば近いのですが、桜井から自転車でそれだけに往復するのも芸がないので、気候が良くなったら東吉野の「月うさぎ」経由で回ろうかと企んでいたところ。 たまたま昨日TwitterでSORAさんも走りに出ると云う事なので、11時頃に菟田野界隈で合流して一緒に走ろうと云う事に。

 東吉野へは遠回りなものの芋峠を越え、吉野川から高見川沿いに遡上するのが定番コースですが、今日は多武峰から大峠トンネル経由で宮奥へ下るルートをとる事に。 多武峰まで県道桜井吉野線も新鹿路トンネルが開通でずいぶん交通量が増えてしまったのが、とにかく脇道の使える処はそちらを走りますが、急坂の下居から百市あたりは他にルートのないのが。

 時間の余裕はあったのですが、電話があったりヘッドランプの電池交換にてこずったりと1800mの大峠トンネルを抜ける頃には10時半になってしまいました。

 「月うさぎ」は食事は予約制(その上不定休)なので、大宇陀の「アナンダ」でパンを買って行きます、「アナンダ」と「のら」のパンは持ち込みOK。 ところでSORAさんは既に菟田野へ入っている由、別に場所を決めている訳ではありませんが、 古い付き合いですので暗黙の了解で、松井橋のローソンへR166新道を直行、ところが姿が見えません。 どうやら水分神社でグローブがなくして探しているとの事。

 岩端で少し休憩の後、一谷峠を越え「月うさぎ」へ、相変わらず犬たちの歓迎?。 猫たちも暖かくなったので庭をウロウロ。 昨日奈良テレビの番組で紹介された事もあって、いくらか問い合わせの電話もあるそうです。  

 昨秋にテントを張ったスペースが整備されて、バーベキューコンロができていました。

 滝野へ一旦下り、染谷峠から大内峠を経てR369に入ります。 「室生村道路元標」は現在の曽爾村山粕の郵便局前に案内付きで昨年再建されました。 伊勢本街道の宿場山粕は、かつて室生村に属していたのですが、昭和29年に曽爾村に編入され、翌年に残る室生村域と三本松村に山辺郡東里村が合併し宇陀市となるまでの室生村となりました。 道路元標は伊勢湾台風禍で流され、その後発見されたものの元郵便局長宅に保管されていたと云う経緯があります。

 曽爾村掛から名張曽爾線へ、赤目掛線との分岐から北、三重県側はずいぶん久しぶりです。 SORAさんの案内で青蓮寺川右岸の道へ入ったりしながら北上します。 真正面に鎧岳を見上げるこちらの道はなかなかお奨めです。 ダム堰堤までは下らずに青蓮寺橋を渡り赤目口駅方面へ越えます。 こちらも私には未知のルートでなかなか新鮮です、なによりR165の夏見へ下らずに済むのが良いです。 赤目を過ぎてから少しはR165を走らざる得ませんが、三本松からは海老坂峠への旧街道に入り、大野寺に車をデポしているSORAさんとは室生口大野駅を見下ろす辺りでお別れします。 室生ダムから湖畔を走れば100キロ越えが確実なのですが、曽爾からずっと向かい風で少々くたびれてきたので、榛原までは素直にR165を走り、篠楽から女寄辻経由で暗くならないうちに無事帰ってきました。

本日の走行97.8キロ
【932】 奈良県 宇陀郡 室生村 (現 曽爾村)

灯台下暗し

 今日は久しぶりに大阪まで、例によってお昼はS翁と会食、って梅田の地下街でビジネスマン向けのお昼の定食を喰らうだけなんですがネ。

 実はS翁も REGZA Phone T-01C を買ってたりして、色はブラック、やはり黒の方がいいなぁ… と云う訳で揃い踏み。 もっぱら話題は通信コスト。 もちろん非公式ですがデザリングの方法もあるそうです、まぁ私の場合は、だからと云ってどうしようもないのですがネ。

 梅田での用事を済ませてから、今度は天下茶屋経由で南海本線へ。 実は最近、老舗道路元標サイト「国道901号~道路元標は行く~」で大阪府西成郡の粉浜村道路元標の報告があったのです。 大阪府下の道路元標設置場所の資料は昭和28年の「大阪府例規集」に頼らざるえないのですが、これは昭和4年以降の大阪府告示を元にしているとの事ですが、昭和4年には既に現在の大阪市の形がほぼできあがっており、道路元標の根拠法である大正の道路法施行当時に存在していた西成郡、東成郡、住吉郡の各町村は大正14年には大阪市に編入されています。 もとより大阪府下の道路元標は旧知の岸和田市道路元標と、2006年に私が見つけた泉南郡の熊取村道路元標の2基しか確認されておらず、まして根拠法が有効なうちに廃止された町村の道路元標が生き延びているとは考えもしませんでした。 道路元標は粉浜小学校の東側、商店街に面して、目立った欠損も深く埋没する事もなく、本来の位置とは思えませんが、さして離れていないだろう場所に良好な状態で建っており、恐らくは紆余曲折を経てこの場所に意図的に残されたのでしょう。
 しかし南海電車の粉浜とは… 関西在住のサイクリストなら知らない人はいない某有名店の近くとは、「灯台下暗し」と云いますか、お恥ずかしい次第です。

 粉浜村道路元標の後は、日本橋の電気屋街へ無核予定ですので、久しぶりに阪堺電車に乗る事にします。 いわゆるDOS/Vショップ(死語)はなんば寄りにシフトしてしまったものの、一本で恵美須町まで行けて昼間でも10分置きでやってくるので結構便利です。

 天神の森、聖天坂と下町の懐かしい駅名を思い出しながら、今はなき南海天王寺線へのオーバークロスの勾配を登って行きます。

 別にまとまった買い物がある訳でもないのですが、小物を漁りながらオタロードへ、平日なのに人が多いなと思ったらもう春休みなんですね。
 ビッグカメラでポイントをケータイからスマホへ乗せ替える手続きをしてもらって、ミナミのいつも店に少し顔をだして早々に帰ってきました。  

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道路元標蒐集サイク

 いつも愛知県下に残る道路元標の情報を頂いているはづきサイクリストクラブのIさん。 教えて頂いた現存情報を昨年から溜めてしまっているので、暖かくなったら一回りしようと企んでいた処、13日(日)に予定されていた「クラシックロード走行会」に参加のために名古屋から戻ってくるT御大の車に便乗させて貰おうと、昨夜連絡を入れてみると、KHSを担いでくるつもりならBSMを奈良へ積んで帰る予定なので、そちらを貸して貰える事になった。 お陰で手ぶらで出掛ける事に。 近鉄蟹江駅にて待ち合わせてBSMを一日お借りする事に。 まずは海部郡の蟹江町道路元標南陽村道路元標を回ります。   南陽村の後は名古屋市西区に残る、庄内村道路元標に向かって、新川沿いに北上します。 決して土地勘がある訳でもないのですが、右岸の水路(萱津用水)沿いの道を見つけて走ります、堤防の下なので風もなく信号も殆どなくて快適です。 砂子橋と云う橋で左岸に渡り再び北上を続けますが、この付近はなぜか高い建物がなく、川沿いのその風景は昔の大阪市の西区や大正区辺りにタイムスリップしてしまった様な懐かしい感覚です。 庄内村道路元標の後、Iさんから頂いている情報には東春日井郡の坂下村道路元標もあるのですが、そこまで足を伸ばすと、とても戻ってこれませんので、中島郡の朝日村道路元標へ向かう事にします。 ただ庄内村から朝日村までは直線距離では15キロ程なものですが、真っ直ぐなルートがないのでかなり迷走する事に、結果的には津島街道から名古屋市水道幹線上の自転車道に入るコースに、しかしもろに向かい風を受けてなかなか前に進みません、実はこのころ東北太平洋沖地震があって名古屋でも相当揺れていたそうなのですが、全く気がつかなかったのです。  尾張サイクリングロードとも云われている様なのですが、路面状態もあまり良くありませんし、交差する道路が非常に多くて、お世辞にも快適とは云えません。 それに日光川で分断されていて案内もありませんでした。 地震を知ったのはT御大からの「地震で携帯が使えないので、6時10分に●●で…」と云うPCメールでした。 最初は状況が理解できなかったのですが、ツィッターへの書き込みで気がついた次第、その時点ではdocomoへは繋がるのにsoftbankには全く繋がりませんでした、エリアの狭さ以外でもこう云った時に弱体なのは頂けませんね。 本日の走行、メーターがついていないのでGPS計測で65.7キロでした。

2011-2-26

 今日は天気も良いので最近、現存の報告があった京都市伏見区jの醍醐村道路元標を目指すことにします。 京都市方面は自転車道を嵐山まで往復する以外は、殆どと云って良いほど自転車で走る事はありません。 とにかく上街道から猿沢池、県庁前、奈良阪を越えて京都府へ入り井関川沿いに木津川沿いの自転車道に入るいつものコースを北上する事にします。 今一つペースが上がらないのと、少し向かい風で1時間半程かかって県庁西の交差点へ、土曜日とあって9時をまわると興福寺境内や奈良公園も観光客が多くなってきます。 鹿たちも良く知ったもので、鹿せんべいの店の出るこの角へ集まってきます。   自転車道を北上して行くとかなり西側にふってしまいますが、木津川大橋まで走り国道1号線へ、京滋バイパスに沿って走り隠元橋から六地蔵駅へ抜けます。 この付近は鉄道や道路が錯綜していて、街道の変遷や巨椋池の干拓なども含めて考えると興味深い地域です、しかし不案内な人間にとっては自転車では走りににくい処です。 醍醐村道路元標を後に元来た道を折り返します、六地蔵からはJRと京阪の間の旧街道とおぼしき道を南へ、宇治村道路元標の処まで来ました。 既に2006年に履修済みですが、写真を撮っていると「天五さんの…」云々と声を掛けられました、お話とするとくろださんとお知り合いの方で凛凛さんと云う方でした。 なお宇治橋の西詰めにあるのは久世郡の宇治町道路元標で、郡は異なりますが宇治の名を関した町と村が同時に存在しました、その後宇治郡宇治村は笠取村と合併して東宇治村となり戦後宇治市となります。 また乙訓郡に淀村、久世郡に淀町が、こちらは桂川を挟んで存在していました。 帰路は少し賢くなって巨椋池排水幹線沿いの道を走り大久保バイパスへ、旧知のY氏のお店へ立ち寄って自転車談義、その後城陽市の客先へ少し顔をだして自転車道へ、木津までかなりハイペースで走り、あとはのんびりと。 ところで朝出てからはカロリーメイト1箱で済ませていたので、さすがに腹がへってきて、天理市内のコンビニで缶コーヒーとあんパンを買い食いして一息、桜井に辿り着く頃にはすっかり暗くなってしまいました。 本日の走行126.2キロ、2月としては異例の500キロ越えとなりました。

北北西へ進路を…

 結局午前中はぐずぐずと出掛けそびれる事に、明日になると天気は下り坂との事、遠くへは行けないがとにかく走り出す事に、目標は榁木(むろのき)峠と南生駒と云う事で。 三輪まで走り大和川沿いへと。 サイクリストにとって我が町は恵まれたローケション、南は吉野、東は宇陀と、あまり車に悩まされる事なく、少し走れば快適なコースに入る事ができます、京都方面へ向かう時は上街道、大阪方面へ伊勢街道と旧街道にも事欠きませんので、あえて法隆寺や生駒方面へ足を向ける事がありませんし、どちらかと云うと不案内な方角です。 しかし走っていると気持ちの良い日和です、大和川河畔を振り返ると三輪山が… 自転車道ではありませんし、土手上を強引に進むと少しダートもありますが、 休憩ポイントもあってなかなか快適なコースです。 この付近はSORA氏の方が詳しいと云うか縄張りですな。 佐保川と合流し川幅も増した辺りで北上し関西本線を跨いで富雄川沿いの自転車道に入り北上、少し寄り道して庚申堂金輪院前の生駒郡の片桐村道路元標へ立ち寄ります。 ところで金輪があるならどこかに銀輪はないのかな。 再び富雄川沿いに北上し同じく生駒郡の富雄村道路元標へ、こちらも健在ですが暗越奈良街道に面した表面が電信柱に隠れてしまっているのが。 ここから奈良街道を西へ向かいます。 第2阪奈が国道308号となっていても、こちらも立派な国道308号です。 ただ「おにぎり」どころか通行困難と書かれた看板以外は国道である事を示すものはありません。 追分本陣、大阪から来ると奈良と郡山への分岐点となります。 短いとは云え暗峠とエエ勝負のとんでもない劇阪の連続で榁木(むろのき)峠にやっと到着、残り少ない奈良県下での未踏の峠をGET。 しかし生駒側も前転しそうな位の劇阪が… 滑落する事なく無事に下って国道168号との合流点へ。  奈良県の道路元標探索のバイブルとも云える上田倖弘著「道路元標を尋ねて」、出版されて既に20年近く、その後発見されたものもありますが、その後行方知れずとなってしまった元標もあります。 竜田川に架かる小瀬橋の西詰、植田医院の庭先に倒置されていたと云う「南生駒村道路元標」は、やはり見つける事はかないませんでした。 と云うより調査された昭和63年3月とは小瀬橋周辺も件の植田医院もすっかり様変わりしている様です。 竜田川沿いを南下し大和川に入り、御幸大橋を渡り後は訳の判らないの奈良盆地の自転車道を縫って帰ってきました。 本日の走行65.1キロ。