「地域別」カテゴリーアーカイブ

久しぶりの雪上サイク

 昔は雪が積ると喜び勇んでMTBで良く山へ行ったものですが、最近は歳のせいか転倒するのが怖くなって遠のいてしまいました。 でも今日は日差しもあるので東吉野目指して行ける処まで行こうとまず芋峠へ向かいます。
 関西のマッターホルン(^o^)高見山、登山客を迎えに行くのか奈良交通の回送バスが何台も走って行きました。

 明日香村稲渕の棚田付近、ロードとMTBが1台ずつ下ってきましtが、MTBはともかくロードは越えてきたのかなぁ...

 栢森までは路面も乾いてましたがその先は... 追い越していったジムニーがチェーンを巻いていました。 役の行者の手前から橋の上は凍結していますし、急坂はとても登れません。 今日は単独行なので無理せず急がず、安全運転。

 芋峠を越えるまで、結構押すことに。 むかし津風呂湖で輪童さんと合流するために雪の芋峠を越えた直後に見事に転倒した事がありましたねぇ。 今日は日差しもあるので南斜面は少し下ると十分乗れる路面状態に。 出掛けるのが遅かった事もあって吉野側へ下ったのは13時になってしまいました。

 時間も押してしまったので津風呂湖経由は避けて、吉野川の対岸路から中山トンネルでショートカットし先を急ぎます。 ニホンオオカミ像の写真の様に、東吉野村小川までは路肩にも殆ど雪はありません。 この先もいつもの蟻通経由ではなく鷲家経由とします。 後から判ったのですが小村木津線も一部工事通行止になっている様です。

 R166旧道から谷尻木津線へ、この辺からやばいかなと思っていたのですが、700×32なら問題なく走れます、と云っても朝は凍結しているでしょうが。

 谷尻の三叉路から先は雪が路面を覆っています、10cm位ですので十分漕いで行けるのですが、一昨日の雪の下にそれまでの凍った轍が隠れているので要注意です。 ところで「月うさぎ」は道路がこんな状態なので休業中、表の犬達は相も変わらず吠えてくれます。 チロも中から鳴いていますが、どうやらお留守の様です。 カレンダーをポストに入れて引き上げる事にします。

 もう15時も回っているのでゆっくりもできませんが、三脚も持ってきているので、折角ですからセルフタイマーで、4往復しましたが走るのも大変なのでなかなか思う様には撮れません、車も来ないしなかなかのロケーションなんですが。  

 一谷峠、下り始めると向こうから車が、ハンドルも思う様にきれないので路肩へ逃げると、「月うさぎ」のオーナー夫妻、買い出しに行った帰りだそうです、しかし車でもここを登り下りするのも大変です。 登りの急坂部分は難しいかも知れませんがMTBなら結構愉しめそうです。

 20分程かかって、無事岩端まで滑り下りてきました。 ここからは雪もなく路面も乾いています。

 もう一つの目的地、宇陀市野依の「おごぽご」へ、既に5時を回ってしまって暗い女寄峠を下るのは危険なので、カレンダーだけお渡しして早々に引き上げます。 案の定女寄峠には除雪した雪が路肩に残っていて、明るいうちに下る事にして正解。 定番コースですが今日はショートカットしたので本日の走行80.3キロ。  

初芋

 明日香大官大寺跡にて、天気は悪くないのですが、花粉が飛んでいるのでしょうか、かなり霞んでいます。

 標高が高くなると路面にもう少し残っているのかと思っていたのですが、殆ど雪はありません。

 今年初めての「芋」へ、ロードやクロスが4~5台下ってきました、暖かくなりましたからね。

 芋峠で折り返し、お馴染みの「よろづ」へ寄って、お昼を戴いて帰ってきました。 走行37.3キロ也。

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 4日目)

 18きっぷは昨日で終わったのですが、今夜の南港行きフェリーに乗船するまで、今日の移動には「宮崎交通路線バス1日のり放題乗車券」を利用する事にしました。 1800円で宮崎交通の路線バスが1日乗り放題で当日でもローソンやファミマ等のコンビニの端末で購入できます。 高速バス等でよく採用されている仕組みですが、この様なフリーきっぷではあまり聞きません。 北近畿たんご鉄道や松浦鉄道等の乗り放題切符は限られた駅の窓口でしか買えず、結果早朝からフルに利用する事が難しい事を思えば非常に便利で、昨夜遅く宮崎に到着してからローソンまで買いに行きました。 ところで宮崎県下で未踏の道路元標は後4基、いずれもこのチケットのエリアに入りはするのでですが、4つの郡に分散していて1日で回る事は不可能どころか、どう考えても2つを回る事すら困難で、時間を見比べながら勿体ないですが並行するJRも利用せざる得ませんでした。 ただ1800円分の元を取るだけ宮崎交通バスには乗車してきました。

 宮崎0651発の日南線で飫肥(おび)へ、飫肥は現在の日南市に属する城下町、南那珂郡の市木村道路元標へ向かうために、ここから1日5往復の宮崎交通バス乗り継ぎます、1時間半待ちと接続が目茶苦茶悪いのですが、市街と離れているJR飫肥駅と宮崎交通の飫肥とは歩いて15~20分の距離があります。 土地勘が無いので最初判らなかったのですが、市木方面のバスはJR駅の近くを通っているものの、バス停の名も全く違っていて案内もなく、観光化されている割りには判りにくい処です。 街の真ん中を国道222号が貫いていて、なぜか「厚焼き卵」と「おび天」と云う名の練り物を揚げたものが名物です。

 とにかく時間はたっぷりありますので、あるかも知れない、かつてはきっとあっただろう飫肥町道路元標を求めて市街をウロウロします、残念ながら新たな発見はありませんでしたが。 飫肥城は大手門が再建されていますが、一応「日本の100名城」に名を連ねるお城だそうです。   

 宮崎交通の飫肥営業所を0930発のバスに乗車します。 宮崎市内からここ飫肥まで宮崎交通のバスも10数往復走っていますが、所要時間は若干長めで伊比井から南は日南線と離れて海岸線を走り日南市街に入ります、従って飫肥~油津間はそれぞれ宮崎へ向かう方向が逆になっています、日南線と宮崎交通を乗り継ぐにはこの点を理解していないととんでもない事に、結果的に日南駅か油津駅が乗り継ぐには丁度良い様ですが、同じ路線でも油津駅では駅前まで入るバスがあったりなかったりするので注意、とにかく路線バスは他所者には大変です。  

 南郷までほぼ日南線と並行して走り、山越えで串間市域へ入ります、自転車を持ってきたら越えただろう峠道を走り古都(ふると)停留所で下車、折り返しのバスまで半時間ですが、市木村道路元標は目の前、現在確認されている本土最南端の道路元標です。  

 折り返しのバスでそのまま飫肥へ戻るつもりでしたが、バスの時刻を調べていると、日南線沿線で有名な撮影ポイントである大堂津駅付近で途中下車し、日南線の列車を撮影して、再びバスで日南市まで戻っても宮崎へ戻るのは同じなので、急きょ予定を変更。 バスの運転手さんに尋ねる山王の停留所あたりが丁度良いとの事です、しかし熊本の九州産交にしても九州の路線バスの運転者さんはどこも親切です。 国道沿いに場所探しをしている内は日差しもあったのですが、列車の来る頃には陰ってしまったのが残念。

 日南駅からJRに乗換え、次の目的地高鍋に向かいますが、高鍋駅から目的の上江村道路元標までゆうに往復7キロはありますし、宮崎駅に1750までに戻ってこなくてはなりませんので、南宮崎~高鍋間を特急「にちりん」を利用する事に、「18きっぷ」なら乗車券分が無駄になるので、どうしても敬遠してしまうのですが。
 実は「にちりん」等で利用されている485系、3月のダイヤ改正で定期運用から外れる事に、まあ「くびき野」等で今ではタダで乗れる元特急車両なので、あまり有り難みもないのですがね。 独自のカラーリングのJR九州の中で国鉄時代を思い起こさせる塗色は貴重でしたが。
 高鍋駅から上江村道路元標のある高鍋西小学校前までも路線バスは走っているのですが、駅前から高鍋町中心部へのバスさえ上手く時間が合いません、結局往復歩く事になってしまいました。

 宮崎駅前1750発のバスで宮崎港へ、ここでも宮崎交通のチケットが利用できます。 宮崎港1900発の大阪南港行きフェリーに乗船、バースデー割引で半額。 1700円高いですが2等寝台を予約しています、それでも6700円です。 瀬戸内航路と違い外洋に出るのでモバイル接続は殆ど使えませんが寝台毎にACコンセントがあるのが有難いです。 大して旨いものでもありませんが1300円の夕食バイキングをたらふく食ったら、4日間の疲れがでたのか風呂にも入らず寝てしまいました。 なお船内の飲料自販機は割高ですよ。  

宮崎0651~0802飫肥 910円(JR)
飫肥0930~1034古都1104~1137山王1222~日南駅前 1110+720+370円(宮崎交通)
日南1259~1412南宮崎1413~1436高鍋1626~1700宮崎 1430+600+540円(JR)
宮崎駅前1750~宮崎港 260円(宮崎交通)

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 3日目)

 在来線の新八代駅前から100円均一料金の「みなバス」と云う名の市内循環バスに乗って八代市街へ。 八代駅は何度も来ていますが、市の中心部へ来るのは初めてです、思っていた以上に大きな町で、確かに熊本県第二の都市には違いないのですが。 休日の早朝とあって閑散としていますが、八代町道路元標は大きな商店街と八代城址大手門からの道の交差する処にあります。 この一等地にしっかり建っているのですが、最近まで知られてなかったのは、道路元標の認知度の低さを表している様です。  

 八代町道路元標の後、今日は「18きっぷ」最後の1日を利用して宮崎へ移動します。 肥薩線経由で吉松、都城とでるのを一応は最短ですが、「いさぶろう・しんぺい」を加えても5往復の矢岳越えを通るので1日掛かりです。 どうせならと未収の宮地町道路元標を拾って大分経由のコースをとる事に、しかしこちらも1日5往復の豊肥線宮地~豊後竹田間と3往復の日豊本線宗太郎越えを経由しなければなりません、宮崎着は22時半です。 八代、熊本と決して天気は良くなかったので阿蘇はもっと悪いかと思っていたのですが、阿蘇外輪山を越える立野は晴れています。 雄大なスイッチバックも健在です。  

 宮地町道路元標は菓舗「さとう」の前に、実は宮地へは2008年にも訪れて乗り継ぎ待ちの間に道路元標を探してみたのですが、その時は見つける事はできませんでした。 今は町史跡「宮地道路元標」として案内板にも記されています。 大分方面への乗り継ぎへはまだ時間がありますので、甘味処でもある菓舗「さとう」でぜんさいを頂く事に、時々雪まじりの雨の降ってくる中で暖かいせんざいは格別です。    

 駅への帰途に阿蘇神社がありますので、今年は初詣に行っていなかったので、ここでお参りさせて貰う事に、「今年も未知の道路元標にご縁があります様に…」

 宮地1310発豊後高田行きに乗車、阿蘇外輪山の坂の上トンネルを抜けると回りは雪景色、波野駅は標高754m九州で一番高い駅との案内標が立っている。 分水嶺を超えているのですが、次の滝水駅まで熊本県です。

 大分県道路元標、いわゆる大正道路元標と同様の様式で、裏面に「位置大分県大字大分一番地 東経一三一度三九分 北緯三三度一四分」とあります。 山梨県道路元標とともにこの大分県の県道路元標と云うのは、大正の道路法に依って建てられた市町村の道路元標とはある意味矛盾すると云うか根拠に欠ける点があるので、私としては番外と云う事にしました。 そうなると東京日本橋の日本国道路元標も番外となるかも知れないのですが。

新八代駅前~市役所前~八代駅前
八代0842~0927熊本0957~1034肥後大津1040~1145宮地1310~1353豊後高田1357~1624大分~佐伯1924~2056南延岡2101~2229宮崎 7040円分乗車

No tags for this post.

道路元標蒐集の旅(2011九州篇 2日目)

 今日は午前中に伊万里周辺で駅から徒歩圏内、西松浦郡の3基の元標を回り、熊本県へ移動の計画。 まず唐津線と筑肥線で伊万里へ向かいます。
← 唐津駅、左は筑肥線の博多方面、JR九州ですが直流電化されています、4つの両開き扉だけが真っ赤なJR九州らしいカラーリングですが103系です。  

 松浦鉄道で里まで往復し東山代村道路元標をGETして伊万里駅へ戻りますが、休日の朝にしては人が多いなと思っていたら、今日は「新春古伊万里ロードレース」と云うマラソン大会が行われる様です。  

 牧嶋村道路元標の保存展示されている伊万里市歴史民族資料館へ向かうと、こちらでは消防出初め式が。

 伊万里駅はかつて国鉄筑肥線と松浦線の接続駅で、博多~佐世保のDC急行「平戸」とかも走っていたのですが、民営化後松浦線が松浦鉄道となった今、両線は完全に分断され、道路が貫通しています。
 再び松浦鉄道で大木駅まで往復し大山村道路元標をGET、三度伊万里駅に戻り、筑肥線経由で佐賀に戻ります。 佐賀駅で佐賀市在住の道路元標ウォチャーのそーつく氏にお目にかかり40分程の短い時間でしたが、お昼をご一緒しながら元標談義。 佐賀県下にはまだ未踏の道路元標を残しています、再びお目にかかれる事を願って熊本へ向かいます。

 熊本県に入り玉名駅周辺の元標を巡りますが、結構離れているので路線バスを利用して伊倉町道路元標まで、帰りもそう上手い具合にバスはありませんので、帰路は歩いて豊水村道路元標弥富村道路元標と巡りましたが、5~6キロは歩いた様な。

← 弥富村道路元標は42cmは常識外れの巨大サイズ。

20110109f.jpg今夜は東横イン新八代駅前店泊、通常料金4480円にメンバー日祝割引で3136円、ただ九州新幹線の駅として開業した新八代駅周辺は八代市街から離れている上に駅周辺に食事のできる処やコンビニすらありませんので、熊本で途中下車して補給後、新八代に向かいます。

佐賀0525~山本~0734伊万里0743~0750里0805~0811伊万里0945~0959大木1035~1047伊万里1105~1143山本1144~1240佐賀1320~1348鳥栖1355~1521玉名1748~1816熊本~新八代  5130円分乗車(JRのみ)

No tags for this post.

小匠ダムツーリング②

今日のツーリングは神保館を朝7時出発の予定でしたので各自朝食持参のお願いをしていたのですが、Dさんが人数追加の折りに朝食をお願いしてみたところ、準備して頂ける事になり、ご覧の様に500円でボリュームたっぷりの朝食が、お陰で小匠ダムまで走り抜けお昼にする事ができました。

暗いうちは少し雨が降っていたのですが、出発する頃には雨も止み予報では快方に向かうとの事。 古座川沿いの道を走り<38>すさみ古座川線を遡ります。

 

明神橋で古座川本流と離れ支流の小川に沿って県道<43>那智勝浦古座川線で奇勝「滝の拝」へ向かいます。 清流古座川と云われますが本流には七川ダムがあります、しかしこの小川の水は格段の美しさ、滝の拝はその小川にできた甌穴(おうけつ)群です。
 滝の拝までは道路の拡幅や付け替えが進んでいるものの、以北は鄙びた1.5車線路が続く私のお奨めルートです。

小森川で県道と別れて、県道より立派な林道小匠小森川線に入り1250mもある高野小森川トンネルまで登ります。 しかし和歌山の奥地では高規格なこの「ふるさと林道」とやらが断続的に建設されていて、まるで隠れて公共工事をやっている様な、一日一体何台の車が通るのでしょうか。 まぁ私たちもその恩恵を受けて今日の様なコ-ス取りもできるのですが。

 

トンネルから標高で150m程下ると昔からあった那智勝浦町篭から下ってくる高野林道と合流します。 10年前はダートだったのですが、トンネルの供用に併せて舗装されました。 今では篭から古座川へは先の県道経由より此処を経由するのがメインになってしまっている様で、お陰で県道は荒れ放題、しかし自転車にとってはここからの登り返しが大変です。

合流点から2キロ程下ると、以前は建物があったのですが、今では気づかず通りすぎてしまいそうな分岐が左へ下っています。 ここで小匠小森川線は橋を渡って山越えで小匠集落へ向かい、高野林道は橋の下をくぐって川沿いに小匠ダム上流へ行きます、小匠小森川線の開通で、冠水すると通れなくなる川沿いルートの役目は終わっているのです。

ここからが今回のツーリングのメインで、どうやら問題の区間も軽4の轍が残っているので通行は可能な様です。 写真は私たちの間で有名な冠水した素掘りトンネルですが、幸いと云うべきか今日は水びたしではありませんでした。 替えの靴下も用意していたのですがネ。

11時半には無事に高野川が小匠川に合流する処に架かる橋までやってきました。 樫山方面へ向かう樫山小匠林道にも轍が残っているので、樫山へ抜ける事も問題なさそうです、ここから小匠ダムまで往復する事にします、丁度時間もお昼時です。 久しぶりに来て気がついた事は南紀特有の蜂蜜採集用の’ごうら’が目に見えて増えている事です、もしかするとにほんみつばちの不足による蜂蜜の高騰が、この林道の廃道化を防いでくれているのかも知れません。

 

分岐から暫く行くと昔S翁が「回廊の様な」と呼んだ風景が目の前に拡がります。 防災用として建設された小匠ダムが、平常時には貯水せず、ダム堰堤の高さに道を付け替えずに、敢えて冠水する事を承知の道が、この風景を見せてくれています。 戦後まもなくの貧しい時代に、下流の太田川流域の洪水対策に作られたダムは、この谷を流入土砂で埋めてしまう事もなく、今となっては環境と財政に優しいダムの様な気もするのですが。

正式名「小匠防災堰堤」、車も通れるトンネルのあいたダムから上流を望みます。

小匠ダムにはベンチもトイレもありませんが、桜の木のうわった広場で思い思い持参のお昼にしますが、Dさんのバッグから出てきたのは、サンマの干物と魚焼きの網。
(Photo : UG兄さん)

 

 

そして U兄持参のセットでお茶にします。 今は廃番モデルのコレールのセットで黒門丸福のコーヒーを頂きます。

集合写真の後、再び右奥のトンネルをくぐって上流側へ戻ります。

 

小匠ダム上流の橋を再び渡り、今度は古座川町に属する樫山への道をとります。 軽四の轍のあるいる道ですから、MTBなら100%乗車可能なコースでしょうが、ガードレールは全く整備されておらず、路肩も不安な箇所が多く、と云って山側は落ち葉に隠れた石も多く、私の様な700x32cでは無論ですが、かなりデンジャラスなコースです。 ただここを抜けないと海岸沿いのR42まで出て大回りして古座へ戻らなくてはなりません。  

今回は誰もパンクしないなぁと思っていたら、なんと   チェーン切れが、私もツーリング中に遭遇するのは2度目、その時も南紀の林道でしたが、ちゃんとチェーンカッター持ってるんですね、皆さん。

延々と続く暗い渓谷の道から最後の切り通しを抜けると視界がパッと開けて14時半過ぎに樫山に到着。 写真を撮りながら走っていた事もあって、思っていたより時間がかかり、すっかり陽も傾き始めていますが、ここからは舗装の樫山林道となります、樫山は大田川水系なのですが古座川町に属しています、と云っても既に廃村となり今では廃屋が残るのみです。

車を置かせて貰っている神保館までは後舗装路で20キロ足らずですが、これから標高差で200mと100mの2つのピークを越えなくてはなりません、ダートを踏ん張って走ってきた身には少々堪えます。 登った分だけ下りもある訳で元気にブッ飛んで行ったご仁もおられましたが。
 16時半に神保館に帰着、走行63.6キロ。

帰途は京都方面へ帰るMさんの車に私は便乗させて貰う事にして、それぞれの帰途に就き、時間的には信州より遠いと云われる南紀ですが、皆さん無事に日の変わらないうちに帰宅された様です。 言い出しっぺのU兄さん、旅館の手配など幹事役を丸投げしてしまったDさん、そしてご一緒して頂いた皆さん有難うございました。 事故や怪我もなくそれなりに満足して頂けた様で案内役としてはホッとしております。 まだ違った季節の訪れてみたいと思うこの頃です。

 今回ご一緒して頂いたランドナー達、DさんはMTB、私とてっちゃんはぬかるみを警戒してガードを外して行きました。 (Photo : てっちゃん)

自身かつて一人で行ってながら人に云うのも何ですが、小匠ダム周辺林道は結構危険な箇所もあります、いつも予定通りに通行できるとは限りませんし、標高こそ低いものの人里離れた処です、プ~さんも出るかも知れません。 今回は滝の拝の自販機が動いていなっかったので50キロ以上行程上には自販機すらありませんし、滝の拝から池野山までの間で出逢った車は僅か4台です。 その辺を承知の上で訪れる事もお奨めします、太地下里方面から往復するのが比較的安心かと思います。

No tags for this post.

小匠ダムツーリング①

 和歌山県那智勝浦町の山間部にある小匠(こだくみ)ダムは、堰堤に車両通行用のトンネルが設置されている事と、常時貯水されていない事で、一部のダムマニアや上流のダート林道がオフロードバイク乗りの間に知られているものの、なにしろアクセスの不便な南紀の、そのまた奥地とあって訪れる人も少なく情報も決して多くはありません。 私が始めて訪れたのは曖昧な記憶では1998年夏、紀伊半島縦断ツーリングの最終日、那智勝浦町篭の田村商店で余分なキャンプ道具等を宅急便にして、地形図だけを頼りに高野林道を下りました。 翌1999年の夏にはS翁他を誘って今や伝説となったツーリング(要認証)で訪れる事に、その頃までは高野小森川トンネルが供用前で高野林道も直柱以南はダートでした。 その後2004年7月には9さん、Dさんと3人で串本スタートで滝の拝から開通した小森川高野トンネルを経て、小匠ダム上流まで行きましたが、廃道寸前の道に恐れをなして、山越えで小匠集落へ抜けてしまいました。
 このとんでもない処へ行こうとUG兄のお誘い。 正直最近は訳あってダートは遠慮させて貰っているのですが、小匠ダム上流のあの風景を目にしたくて案内役を引き受ける事に。 予定のコースは古座川から滝の拝を経て高野小森川トンネルで高野林道へ、小匠ダムへ高野川沿いに抜けるルートは最近は情報がなく、山越えで一旦小匠集落に入り下流側から小匠ダムへ向かい、ダム上流の分岐を西へ向って今では廃村となった樫山集落へ抜けて古座川へ戻る約60キロのプランを考えてみました。 しかしわざわざ南紀まで行って海も見ずに山中を彷徨うこのツーリング、顰蹙を受けても何なので積極的に誰彼をお誘いする事もなかったのですが、世の中物好きはいるもので私を含め7名の参加者が集う事になってしまいました。 当初は古座一枚岩をデポ地として、前夜から車中泊とテント泊の計画でしたが、旧知のカヌー乗りで且つ変な自転車乗りL氏のアドバイスで古座の旅館神保館に宿泊する事となりました。
朝、UG兄氏に迎えに来て戴き、阪和道を南下しR42へ、串本でDさん一行3人と合流します。 丁度お昼時なので、古座の有名店「ひがし」の串本店で「鰻丼」を戴く事に(^_^)
(Photo : U兄さん)

20111113b.jpg食事の後、古座川沿いに遡って一枚岩へ、あまりに大きすぎて全貌は上手く写し込めません。
 せっかくですからここで自転車を下ろして貰い、Dさん、Bさんと3人で温泉「ゆうや」に立ち寄り神保館まで走る事に、UG兄氏は京都から輪行のEさんを迎えに戻ります。

20111113c.jpg一枚岩からR371旧道に入ります、私が始めてR371を橋本から辿った時はまだこの道がR371現道でした。 集落があるので町営バスは今もこちらを走っている様です。

 

20111113d.jpgヤラセですが明神の沈下橋を渡って貰います、もちろん吊橋と沈下橋と云えばモデルはこの人しかいません。 ただ天気が悪くて日暮れ近いので写真しては厳しいですが。

 

こちらが話題の温泉「ゆうや」です、何度か前を通ってますが私は入るのは初めてです。 ぬるめなのでこの時期はちょっと気をつけないと。

 

20111113e.jpg旅館「雑賀屋神保館」は古座川に面した昭和レトロな旅館です、敷地や建物も結構大きいのですが、今は川に面した3部屋を提供している様です。 JR紀勢線の古座川橋梁も見えて鉄な方にもお薦め。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

夕食もお昼に続いて古座のもう一軒のうなぎ屋「古座川」でまたまたウナギを戴くつもりでしちあが、臨時休業でしたので夕食は再び串本へ、駅前のまぐろ料理とくじら料理の店「ゆりかご」へ。 まぐろユッケ丼を戴きました、私としてはウナギのはしごより、こちらで大満足でした。
(Photo : 大黒屋さん)

宿泊客は私たちのグループだけでしたので、自転車も玄関に入れさせて貰いました。
(Photo : てっちゃん)

神保館では大きな炬燵に全員集合。 深夜に車で来て一枚岩で車中泊の予定だったMさんも22時過ぎに到着するとの事で、急遽神保館で1名追加して貰い、明日のメンバー7名が全員揃いました。
(Photo : U兄さん)

本日の走行約17キロ也 (つづく)

高取城址から芋峠

20101103d.jpg 決して頚の具合は良くもないのですが、Rさんが高取城址へ行くと云う事なので、ネタ不足のカレンダー用の写真を狙って、しっかり冬支度で出かける事に。 壷阪寺へのバイパスでRさんと合流し、壷阪峠で9さんを待ってますと、まず登ってきたのはEさん、続いて9さんが。
日本三大山城と云われる高取城、最近までハイカーも殆ど訪れる事のない処でしたが、町も「たかとり城まつり」とかで力を入れているせいか、今日は次々と訪れるハイカーとかで結構賑わっています。 四阿でお湯を沸かしてお昼に、Eさんと入れ替わりに鉄人Kさんがやってきました。

今日はRさんも重くてデカいSIGMAを担いできたので撮影会です。
 帰途は芋峠へ向かおうと云うRさんに、悪い予感がしたのか壷阪峠へ引き帰すと云う9さんと別れ高取城址を後にします。

 

Rさんの案内で芋峠へのルートへ、上子嶋や栢森へのシングルトラックは昔走って?いますが、このルートは未踏です。 案の定、押し担ぎの世界、思っていた以上に押し上げる事に、ガード付きと小径車の踏み込む処では… MTBなら結構走れるかも。 でも結構危険な箇所もあるので、あえてお薦めはしませんし一人では行かない方が良いかと。

 

でも林道に出てからは路面状態も良く、久しぶりにダートを愉しまさせて貰いましたよ。

吉野側の展望が開けます、春には吉野山の桜を遥かに見下ろす事もできるとか。

 

2キロ余りの林道を走り、無事に芋峠に到着。 丁度休憩されていた高田からこられたロードの方と歓談して明日香へ下りました。 Rさんは朝風峠経由で帰途に、案山子コンテストの展示期間は既に終わっていますが結構賑わっています。 本日の走行38キロ、距離は知れていますが、結構愉しまさせてもらいました。  

「案山子ポタ」

 明日香村稲渕で行われている「案山子コンテスト」、投票は9月19日に行われてすが、展示はまだ行われて、昨年に続いて天五さんが鉄人Kさんと走ってくるとの事で、急遽迎撃に。
 平日なので、他には誰も来ないだろうと思っていたら、9さんSさん、大阪からMさんと6人も集まってしまいました。
 平日とは思えない人出です。
 自転車を押していないと、何者かと…
 今年の「最優秀賞」はこちら、私は9月の始めに一度来ているので、他の作品はこちらをご覧ください。
 私の一押しはこれ、「優秀賞」でした。 (Photo : 9さん)
 集合写真をば… 大きなサイズ(1024×768)をこちらに置いておきます(要認証) 
 お昼を毎年暮れの「あすか鍋」でお馴染みの「めんどや」さんで頂く事にしたのですが、こちらも大忙しのご様子。 お昼から「あすか鍋」と云うのもネ、隣で注文されている女性客がおられましたが、持ってこられた量に唖然としていた様な。
 こちらは「具だくさんにゅう麺と柿の葉寿司のセット」、最近は「飛鳥路コース」とやらの名前がついている様です。
 まだまだ時間は早いですが、この後「めんどや」前で解散しそれぞれのコースへ向かって行きました。

No tags for this post.

伝説のツーリング再び

 長いこと自転車遊びをやっていると、色々と思い出深いツーリングがあります、大抵は雨とか雪でとんでもない目にあったとか、メカトラブルとかの失敗談とか苦労話なんですが、艱難辛苦も喉元過ぎれば何とやら、折々に思い出話や笑い話となっています。
 1999年8月、当時BBS「ランドナー補完計画」に集っていた仲間4名で走りに行く事となり、前夜からIさん運転の車でR168をひたすら南下、熊野川町からはよりよって真夜中に山間挟路の<44>那智勝浦熊野川線~<45>那智勝浦本宮線を継いで走り、那智勝浦町田垣内篭にデポして走り出す事となりました。

標高400m、遥かに太平洋を望む廃校跡の空き地、2人は車内で、2人は車外にシートをひいて仮眠、明るくなるのを待ちます。 そしてツーリングコースは高野林道からあの小匠ダムを抜け、一旦R42に出て、古座川から滝の拝を経由して戻ってくる約90キロのコースです。 詳しくはS翁のHPにこの時のレポートが今も残っています。 (認証が必要ですが、私の「ツーリングの記録」にも写真があります。 )
 この紀伊半島の秘境とも云える小匠ダムと周辺林道、その後ふるさと林道小匠小森川線と高野小森川トンネルの開通で状況は変わりましたが、2004年7月に近くまで行ったものの踏み込む事はありませんでした。

 2004年7月、小匠小森川林道が高野川を渡る橋から高野林道を見下ろす、この先の水の溜まった素堀りトンネル、今も通れるのでしょうか。
 小匠ダムと背後の林道にご執心のU兄氏のお誘い、私なりのプランを考えてみたのですが… さて。
 昨年秋の「南紀ツーリング」同様、古座川町の一枚岩付近にデポし、滝の拝から小森川、高野小森川トンネルで高野川沿いに入り、写真の林道が抜けられれば良し、駄目ならば小匠集落を経て下流側から小匠ダムを目指し、さらに可能なら樫山林道を経て古座川へ戻ると云うもの、明神橋起終点で約60キロ、最悪はR42まで出なければならないので約80キロの行程となりますが、山越えがないのでかえって楽かも、でも廃村樫山を再び訪れたい気持ちもあります。

No tags for this post.