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東吉野サイク

久しぶりに皆さんと一緒に走ってきました。 最近なかなか音頭取りする元気がなくて、T御大に仕切って貰いました(^_^;) ちゃんと参加表明をしていたのは天五さんだけ、あとはドタ参で都合6名。

明日香村石舞台に集合して芋峠をめざしますが、稲渕で毎年恒例の「案山子コンテスト」(昨年は)が行われているので、寄り道して行きます。 休日で見物客やアマチュアカメラマンで一杯なので、時間がとれたら平日に改めて写真を撮りに行こうかと。




お馴染み芋峠への道、SORAさんが問題のGPSのファームのバージョンアップをしたので、その結果の程は…








津風呂湖で昼食休憩の後、湖畔から入野峠を経て東吉野をめざします。









木津(こつ)にできた新しい道を初めて通ります、正面に見えるのは高見山。









投石の滝にて(photo:天神橋五丁目さん
染谷峠から榛原へ下り、帰途に。
本日の走行92.4キロ

 

道路元標蒐集の旅(西日本編)

倉敷から笠岡まで輪行、ここから井笠鉄道廃線跡を辿りながら木之子村道路元標へ向かいます。     資料を持ってきていなかったので、ちゃんとトレ-スできてはいないのですが、井笠鉄道廃線跡は通勤通学に生活道路として有効に利用されている様です。 山陽道をくぐるあたりから少しダートになり県道に吸収されてしまいます。 井笠鉄道記念館、朝早いので開いてませんでした。 井原鉄道矢掛駅、井原鉄道には初めて乗車します。 清音で伯備線に乗り換えて次の目的地邑久郡美和村道路元標の最寄り駅、赤穂線の長船へ向かいます。 所在のはっきりしていなかった美和村道路元標もi意外と簡単に見つかってしまったので、お昼過ぎには長船駅に戻ってきてしまいました。 一応履修済みですが赤穂市民俗資料館中庭に保存されている赤穂町道路元標の撮り直しとか加里屋元標跡へも寄ってみたかったのですが、さすがに船中泊とかで疲れもたまってきているので、素直へ帰途に就く事にしました。 本日の走行41.8キロ、1日抜けていますが5日で284キロ。 【756】 香川県 香川郡 仏生山町  (現 高松市) 【757】 香川県 木田郡 川島町  (現 高松市) 【758】 愛媛県 宇摩郡 妻鳥村  (現 四国中央市) 【759】 愛媛県 北宇和郡 泉村  (現 鬼北町) 【760】 愛媛県 北宇和郡 三島村 (現 鬼北町) 【761】 高知県 幡多郡 大川筋村  (現 四万十市) 【762】 高知県 高岡郡 興津村  (現 四万十町) 【763】 佐賀県 佐賀郡 新北村  (現 佐賀市) 【764】 佐賀県 杵島郡 山口村  (現 江北町) 【765】 佐賀県 杵島郡 錦江村  (現 白石町) 【766】 佐賀県 杵島郡 須古村 (現 白石町) 【767】 佐賀県 杵島郡 福富村 (現 白石町) 【768】 広島県 豊田郡 幸崎町 (現 三原市) 【769】 岡山県 後月郡 木之子村 (現 井原市) 【770】 岡山県 邑久郡 美和村 (現 瀬戸内市)

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0906a.jpg八幡浜0:20分発の宇和島運輸フェリーで別府へ、この便は到着後もそのまま朝5時まで船内で仮眠ができます、但し到着後すぐに下船しないと5時まで下船できなくなります。 しかし昨日の爆走の疲れで船内放送があるまで良く寝ていました。
←別府駅前のレトロな建物の別府高等温泉、24時間営業なのでここでゆっくりする手もあるのですが。

Image0906b.jpg大分06:19の久大線で久留米へ向かいます。 昨年から大分駅は工事中で久大線と豊肥線が高架ホームになって地上ホームの日豊線との乗り換えが大変です、勝手が判らないとか輪行袋を担いでいると10分は見ておかなくては危ないです。

Image0906c.jpg久留米から筑後川沿いに下り、前回渡れなかった昇開橋を福岡県側から渡ろうとしたのですが、自転車は押してもダメだと云う事でした。 wikiや一部のBlogでは押して渡れるとか、渡っている旨の記載があるのですが。 係りのおっちゃんは頑として通してくれません、保存財団の正式の対応と云うので、引き下がるしかありません、輪行袋に入れて意地でも渡る手もありますが、大川橋まで迂回する事にしました。

Image0906d.jpg皮肉な事に昇開橋の佐賀県側は良く整備された桜並木のサイクリングロードが続いています。 これらは昇開橋を含めて元国鉄佐賀線の廃線跡です。
 今夜は佐賀駅前の東横イン伯、日曜なので会員は30%割引中、しかしチェックインには早いので、サイクリングロード沿いにあったコインランドリーで洗濯と休憩を。

Image0906e.jpgサイクリングロードは東佐賀駅跡で終わります。 この後佐賀市街を少し走り、荷物を預けて佐賀駅から肥前山口駅で下車、輪行袋を駅前の自転車置き場に括り付けて、歩いて200m程の道路元標が建つとされる処へ向かいます。 

090909x.jpg実はこれは佐賀市在住の方が見つけておられたのですが、場所や様式的に「道路元標」に間違いなさそうなものの、表面が隔離していて全く読めなくなっています。 丁度建っている処の民家から年配の方が出てこられてので、尋ねてみると間違いなさそうで、ウラがとれたと云う事で山口村道路元標と。 再び肥前竜王駅まで 輪行して杵島郡の道路元標4基を夕方まで巡りました。 本日の走行67.1キロ

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0905a.jpg予土線の始発で近永駅まで輪行します。 ところで過去輪行での四国入りはいずれもKHSですが、徳島県、高知県、香川県とパンクしていますので、次は愛媛県か… 慎重に走る事に。





Image0905b.jpg近永駅近くで、キハ32とキハ54の2連、軽量化で全長16mのキハ32と2エンジン搭載で21mのキハ54の差がよく分かりますが、どこかJRらしくないです。 ここでのんびりと鉄ちゃんしていたのが、後に響く事に。
 この後、愛媛県北宇和郡の泉村道路元標三島村道路元標を回り、四万十川沿いに中村まで下り、土佐くろしお鉄道12:03の列車で窪川へ向かう計画なのですが、迂闊にも中村まで結構距離があって平均20キロ前後で走って行かなければ間に合いません、四万十川沿いの下り基調とは云え、標高差も大してありませんし、結構アップダウンがあったりするのです。 その上、中村から窪川はJRではないので切符を買わなくてはならない上に小銭も千円札も無いと、条件が整うものです、こんな時には。

Image0905c.jpgR381出目(いずめ)峠、バス停さえなければ気づかずに通過しているのですが、峠おやじナワさんの足跡のない峠ゲット!!




Image0905d.jpg江川崎もノンストップで通過し四万十川畔に、ようやく岩間の沈下橋に見える処で一旦停まります。 前回はマラソン大会とかち合ったので、次はのんびり写真を撮りながら走ろうと思っていたのですがネ。 実は今回は LUMIX G1と交換レンズ は持たずにDIMAGE A2を持って来ているのです、やはり14-140mmを買って普通は一本でまかなえるまで、無理に持って来るのはやめました。 と云っても道路元標撮影用にDIMAGE A2でワイヤレスシンクロのできる外部ストロボを持ってきているので、荷物は減っていないのですが。

Image0905e.jpg 
大川筋道路元標、道端のこんな場所なのに前回通った時には全く気が付きませんでした、まだまだ修業が足りませんネェ…
 無事パンクもせず、平均速度を20キロ以下にする事なく、旧中村市街は前回迷ったのが幸いしたのか、今回はどうにか15分前に到着、KHSなら余裕のある時間です。

Image0905f.jpg中村から窪川へ、次の目的地は興津村道路元標、そこは標高350mの峠の向こうの海沿いの村で、一日5往復のバスが通っています。 その高南観光自動車の営業所が窪川駅前にあるので尋ねてみると、輪行させて貰える様なので、標高差350mの劇坂の帰途の心配もなく向かう事に。
 途中の道の駅「あぐり窪川」で補給に立ち寄ると3台の揃いのALPSのバッグで4サイドが、3台とも「YAMANE」ブランドですが、これは地元高知のヤマネなんでしょうが、キャンピング車健在です。
 

Image0905g.jpg現在はトンネルが開通していますが、旧道の興津峠も健在です。 話に違わず素晴らしい展望の峠ですが、興津へはこの道しかなく、自転車ツーリングのコースにはしにくいですよね。 ナワさんはどうしたんでしょうかね、きっと中腹からトンネルで戻ったのかなぁ…

 興津村道路元標の写真を撮っていると一台の小径車が、緑色のBD-1ではありませんか、高知から来られていて、やはり夕方のバスで戻る様です。 私は今夜八幡浜まで輪行しフェリーで別府へ渡るので、窪川へ戻っても時間が余りあるので、最終のバスまで海水浴場のある浜辺でのんびりする事にし、午前中の爆走の疲れを、のんびりと癒します。 本日の走行124.5キロ、平均速度もまだ19.8キロになっています。

「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (4日目)

 今日は御坊まで走り輪行で帰途に就く予定です、明るくなりだしたらさっさと起き出して食事を済ませ撤収にかかります。 できる事ならテントを乾かしたい処なのですが、真夏のキャンプツーリングでは日差しが入って気温が上がりだす前に走り出す準備を済ませておかないと、暑さに走る前にくたびれてしまいます。

7時には出発する事ができました、最高に気持ちの良い朝です、基本的に日高川沿いに下り基調の道ですし。

← 県道735号から「丹生ヤマセミの郷」を見下ろす。

丹生川沿いに下ってきて殿原地区、山深い紀伊半島の山中にあって由緒ある晴明神社や、撃墜されたB29搭乗員の慰霊碑があります。 搭乗員7名死亡4名生存、この話には色々な後日談もある様ですが、POW研究会の近年の調査によると4名の生存者は信太山演習場と真田山陸軍墓地で処刑されているそうです。

せっかくですから未知の道路元標の探索も行います、平成の大合併で田辺市となる前の龍神村は旧道路法施行時は龍神村、上山路村、中山路村、下山路村でした。

← この付近に上山路村道路元標が建っていたはずなんですが。

日高川沿いにR425を走り、椿山ダム上流の金比羅橋から対岸路を走ります、車が殆ど入ってこない快適な道です。 この後再びR425に戻り県道26号御坊美山線~県道25号御坊中津線と継いでかまきりトンネルを抜けて日高川左岸の県道193号船津和佐線を走りJR和佐駅を経て御坊市街へ、少し遠回りになりますが、自転車にとっては快適に御坊市へ出る事ができるルートです。

4つのサイドバッグをひきずって輪行する訳にも行きませんのでサイドバッグは宅急便にして送ります。 平日なら龍神村の郵便局で「ゆうパック」にすれば良いのですが、あいにく土曜日で郵便局が使えません、取り次ぎ店で空箱が貰えればそれでも良いのですが、クロネコヤマトの営業所のある御坊まで走る事にしました。 いつも箱を買うのですが、使い古しのハコを分けて貰えました。 某A産業のタコなサイドバッグと汗だくになって格闘、バッグ4つを2つの箱に入れて奈良まで2340円、輪行は「18きっぷ」を使うのでこれが一番の出費だったりして。

紀州鉄道のキハ603もそろそろ引退とかで、西御坊駅に立ち寄ったらお盆休みに週末とあって’鉄ちゃん’の姿がチラホラと思っていると、丁度やってきました。


しかし荷物を降ろすと羽根が生えたように軽くなって快調に県道24号御坊由良線を飛ばして、父方の実家へ向かいます。

 本日の走行101.4キロ

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「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (3日目)

 私はここ「丹生ヤマセミの郷」に2泊の予定ですが、みなさんそれぞれの目的地へ。 折につけご一緒するメンバーですが、再びキャンプでの再会を約束してお別れします。


 akutaさんは阪泰林道から中辺路経由でデポ地の本宮へ、山内さん虎ヶ峰経由で田辺へ向かいます。














ぶらっと走りに出ても良かったのですが、テントサイトを移動したり、温泉に浸かったりしながら、一日を過ごしてしまいました。

本日の走行0.0キロ。

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「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (2日目)

 例によって4時頃には目を覚ましますが、寒さに寝袋を引っ張り出す事もなく、十津川で買っておいたパンをかじったら、他に何もする事が無いので、少し明るくなってきた頃にバス待合所を出発する事に、沢を流れる水音で気がつかなかったのですが、シトシト雨が、携帯も繋がらないので今日の予報の変化も掴めません、小型ラジオも持ってくるべきだったと反省。 とにかく明るくなるにつけて止むだろうと踏んで雨支度をして出発。

 少し走ると、昨日から気になっていた「公衆便所」まで後何キロの案内板、昔はなかったこんなものができていました、反対側に舗装された駐車スペースも。 昨夜「駅寝」でなかったら、ここでゲリキャンだったでしょうが、こちら側には民家があるのが難点、しかし「駅寝」のお陰でテントを濡らさずに済んで大正解でした。

 雨は強くなったり弱くなったり, 時々青空が少し見えたりもするのすが、一向に止む気配はありません。 時々雨宿りしたりしながら引牛越への最後の集落、上垣内の手前の「垣内地待合所」に到着、今さっき回送で登っていった始発のバスが下ってきます、って1日2往復ですが。

 ここまで来ると引牛越が見えます、まだ標高差が250m程ありますが、クネクネ度は最高、登り返しがあったりと、それなりの距離があるので斜度はここまでの方がキツい様な気がします。

 早く行っても仕方がないので、のんびりと走りながらも9時過ぎに引牛越に到着、晴れていたらのんびりしたいところですが、峠の切り通しは雨風が強くて長居はできませんので、さっさと下るしかありません。
 ところで引牛越の県道735号龍神十津川線ですが、十津川側の最後の自販機は以前は小原口の民宿「かわうそ」の前でしたが、現在は上湯温泉つるつる乃湯が最後です。 以前は大檜曾に商店がありましたが、今回は早朝で確認できませんでした。 ちなみに湧水の類には事欠きませんが。

 引牛越の西側はかなりの激坂、慎重に下って県境に到着、十津川村大字上湯川字河俣(こうまた)、越えると現在は田辺市丹生の川字菅野、民家が建っていますが、今では無住の様です。
 実は「丹生ヤマセミの郷」まで後少しの処で、ポンチョを直そうとして、ハンドルを掴み損ねて転倒していましました。 殆ど横倒し状態で膝を少しすりむいていた程度、
デジカメが身体と地面との間に挟まれてしまいましたが、たっぷりの脇腹のお肉のお陰か無事でした。 しかし久しぶりの転倒でした。

 引牛越「丹生ヤマセミの郷」に到着、なんぼなんでも早いので幹事役のLibertyさんの姿は見えませんので、温泉に浸かってのんびり待つ事にします。 しかし雨は止んで、地面もすっかり乾いてしまいました。 ところで「丹生ヤマセミの郷」田辺市になってから他の施設とともに指定管理者制度が導入された様ですが、お盆休みこそキャンプ客で賑わっていますが、温泉は700円に値上がりして、食堂も休業しています。 やはり国道筋から離れている事もあって集客はなかなか大変なんでしょう。

 温泉での休憩室であまり見たくもない高校野球を見ながら畳の上でウトウトゴロゴロ、この上もなく快適は快適ですが15時も回っても誰も現れませんし、携帯も使えません(なぜかAUは使える様な)ので、テントサイトだけ教えて貰って設営する事に、お盆休みだけに周りは家族連ればかりで賑やかな事。
 暫くしてLibertyさんが到着、もう一つのキャンプ候補地の「加庄口」と此処の間をウロウロしていたとか、ですが私の自転車に気がつかなかったとの事。

 Libertyさんと2人でタープと格闘、そうこうしているとデポ地の本宮から走ってきたakutaさんと、大阪から一泊で走ってきた山内さんが到着、お二人は引牛越に入ったあたりで合流した様ですが、akutaさんが転倒、デジカメを壊してしまった様です、4サイドでの走行実績はもちろんベテランのakutaさんが転倒とは、コンパクトとは云えデジカメが壊れたのがかなりショックのご様子です。

 ここでUG兄さんが登場、世間並みのお盆休みのない仕事なのですが、キャンプの夜の愉しさには勝てず、奥さんの新車を駆ってやってきてくれました、飲めない(飲まない)ので山内さんと形だけの乾杯。
 akutaさんが運んできてくれた鈴鹿市はセナ御用達の「みさき屋」の焼肉を囲んで。 小型焼き肉グリルまでご持参です。 大阪から自走の山内さんは抗全町ワインを担いで、車とは云えLibertyさんの荷物からはドラエもんの四次元ポケットの様に色々なもが出てきます、もやし、しいたけ、豆腐… さすがにキャンプで湯豆腐食ったのは始めてです。 とどめはUG兄さんの持ってきてくれたスイカとフルーツケーキ、もちろんコレールの食器でのコーヒー付き。 ちなみに私はこれらを見越して食器とソロの時の食料しか持ってきていませんので、ありがたくご馳走になります(^_^;)
 
本日の走行20.7キロ、昨日の分を補って余りあるカロリーオーバーです。

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「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (1日目)

 ここ数年、キャンプツーリングと云っても五条市阿太の「カルディア」とか「笠置キャンプ場」とか近場での1泊2日で、そこそこの距離を走る2泊以上は久しぶり、和歌山県旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷」までは十津川経由で150キロ近い行程になり、桜井からだと少なくとも3つの峠を越えなければいけません。 野迫川村や高野山から高野龍神スカイラインとか、粉河からR424経由とかR42とかも考えられなくもないのですが、交通量や、日陰、気温、信号(4サイドにとってスタートストップの繰り返しは大変)と総合的に考えるやはり押してでも天辻を越えるのがどう考えても一番良い様です。 大阪からの山内さんは出発が遅くなるので、今日は五条火打口から富貴を経て出屋敷峠を越え十津川村谷瀬まで走る計画、私は明日の天気も考えて、とにかく走るだけ走って適当な処でゲリキャンを決めこむ事に。 出発前日の11日はフリーだったのですが、仕事の電話やらホームセンターまで買物に出掛けたりとグズグズしていたら、すっかり準備が遅くなってしまい、寝たのか寝てないのか判らない様な感じのまま起き出して、朝4時前には出発する事に。
 標高差を考えると芦原トンネルや重阪峠より不利ですが、最近走りつけている芋峠を越える事に、まずは月夜のナイトラン、栢森ではまだ真っ暗、「役の行者」あたりで空は少し明るくなりますが、場所が場所だけに真っ暗な事には、芋を越えて見えた吉野側は雲の下。

 鉄人児玉さんがいつも水汲みに来ていた下市千石荘近くの名水にて、吉野川は川霧の中。



 丁度7時に樺の木峠を越えます、五条を経由する事を考えると余計な峠ですが。 峠にあった民家は立ち退きここも拡幅まじかですね。 城戸から宗川野までR168を走りますが、案の定交通量はいつもより多いようです。
 宗川野から立川渡を経て旧道へ、さすがにここでは押しが入ります、久しぶりの西吉野大滝で休憩と思っていたのですが、先日からの雨で尋常ではない水量、水しぶきで周りはビショビショ、座る場所がありません。 しかしマイナスイオンたっぷり涼しい思いをさせて貰いました。 西野トンネルの出口でR168現道と合流、永谷の「茶屋」がもう開いていたので、うどんを戴く事に。  

 大滝で写真を撮っていたり、うどん食ったりしたりしていたので、新天辻トンネルに辿り着いたのは10時20分、予定より遅くなりましたが、ここまで来れば後は十津川温泉までは下り基調、安堵感が違います。 ただ新と云えない新天辻トンネル、路面は濡れていて鉄板がひかれていたり、交通量も多いので、1キロ余りのトンネルを押して抜ける事に。 旧大塔村での大規模な崩落で不通になった区間は谷側に高架橋を架ける様な形で復旧していました。 
 ところで猿谷ダムの休憩所からは自販機が無くなっていました。


 11時半頃に十津川村域に入り、一昨年から供用されている宇宮原バイパスと谷瀬をパスし上野地トンネルを抜け一路南へ向かいますが、炎天下を日陰の少ない時間帯無理して走るのは避けて、風屋ダムで15時過ぎまでのんびりと昼寝をする事に、ダム湖とは云え湖面を渡る風が心地よいです。

 最悪は温泉地温泉近くのキャンプ場も考えていたのですが、道の駅の足湯で休憩しながら、さて明日の事を考えると、少しでも先へ進んでいた方が懸命です、しかしこの先は西川出合のキャンプ場が今は無いので、そうなると今夜はゲリキャン必須です。

 17時過ぎに西川出合、トンネルをくぐると「昴の郷」でR425で牛廻越で龍神温泉、左に行くと県道735号線引牛越です。 いずれも工事で規制がある様ですが、問題は無さそうです。
 引牛越も久しぶりですが、曖昧な記憶ながら適当なゲリキャンポイントはピーク近くまで思い当たりません、全線舗装で強力なライト装備でも、真っ暗になってからも走り続けるのもやはり不安が…


 さて十津川村営バスのバス停は北国の様に待合所があって扉が付いている処が多く、いわゆる「駅寝」にピッタリ、見つけたのはまだ木の香りのする新築、うまく自転車ごともぐりこむ事ができました。 唯一の欠点は待合所そのものが沢に迫り出すように建てられていて、沢を流れる水の音の凄まじかった事。 しかし昼間のつかれが効いて良く寝ていましたが、夜が更けてからは一台の車も通らなかった様な。
 本日の走行124.2キロ、しかしこれから厳しくなるとは云え引牛越のピークまであと10キロ余りの処までやってきました。

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明日香まで

梅雨入り後も、幸いにも弐千峠サイク、北陸遠征と2週続けて天候に恵まれた週末、さすがに今週はないだろうと仕事に予定を入れていたら、見事に外れてしまった。

Image118.jpg午後も4時をまわってから明日香村へ、さすがに芋峠まで登る元気もありませんが、栢森まで往復してきました。 休日とあってこの時間になる芋を下ってくるロードが多いですね、この時間に「芋練」もないでしょうから、吉野あたりからの帰りに越えてきたのでしょうね。 そう云えば暫く芋峠を南から越えていませんねぇ、壺阪ルートが定着してからは、もっぱらそちらばかりです。

Image119.jpgi稲渕の棚田をぐるっとまわってきましたが、こちらはこちらでアマチュアカメラマンがウロウロ。

走行26.6キロ

道路元標蒐集サイク (北陸篇3日目)

3日目の日曜、予報では雨のち曇、午前中の降水確率は60%との事。 駅までポンチョを被って走り、輪行でのんびり帰途に就く予定でいたのですが。 夜中に降っていた雨も朝9時頃にはすっかりあがり日差しが、あっと云う間に路面も乾き、暑い上に蒸せてくる始末です。

 

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せっかくなので金沢港近くの大野町の古い街並みと「からくり記念館」を見学したりして、金沢市周辺の道路元標を回り走行36.6キロ、北陸本線美川駅から帰途に就きました、結局3日間で350キロ程走った事に。