明日は峠おやじナワールドさんの「弐千峠達成サイク」、幹事役を買ってでたものの、日取りやコースの設定から天気の心配まで、日程的に服部緑地での「シクロジャンブル」、信州杖突峠での「今井ディ」、おまけに「大台ヶ原ヒルクライム」にまでかちあってしまったのですがナワさん本人を含め16名の方とご一緒できる事になりました。 千峠の時は新潟長野県境の乙見山峠でしたが2000峠ともなると殆どの峠は踏破済、なぜか大阪和歌山県境の幾つかの峠が未踏で、関東方面の方には申し訳なかったのですが、蔵王峠~七越峠~鍋谷峠の和泉山脈縦走ルートで2000峠を達成して頂く事にしました。 近畿圏からは充分に日帰り可能な場所なのですが、前夜は和歌山県橋本市の「やどり青少年旅行村」に宿を取る事にしました。 幹事役を私一人では荷が重いので、幹事団として宿泊と食事の段取りに地元の9さん、コース設定ではRさんのお世話に、記念の「横断幕」作成ではDさんのお世話にもなりました。 有難うございました。
参加の皆さん走り慣れている方々ばかりですので、今日は「やどり青少年旅行村」へ三々五々個々に集まって貰う事にして、私は遠来の方々からの連絡が入る事も考えて朝8時過ぎに桜井を出発、重阪峠越えで橋本を目指しました。 橋本橋の手前で南海「こうや」号の写真でも撮ろうと時刻を確認すると臨時特急が走っている様な、待っているとやってきたのは濃い緑色に塗られた22000系が??? 後で調べると「天空」と云う観光列車がプレ運行中だそうで、反対側は色々と展望のための仕掛けがある様です。
R371狼頭峠越えで「やどり」入りするにはまだ早いので九度山町へ向かい真田庵で9さんとDさんに合流、写真は松山常次郎記念館(平山郁夫伯の夫人の父、郷土出身の政治家)
柿の葉寿司の工場にてDさん。 この後玉川峡で頂きましたが、奈良の「柿の葉寿司」より濃く甘い味付けです。
案内の貼り紙をしながら「やどり」に向かいます。
「やどり青少年旅行村」、川べりでキャンプもできるので名前こそ「青少年旅行村」ですが。 しかし山峡に怪しげな集団が終結する事に(^_^;)
私たちが到着した3時には既に主賓の峠おやじNさん、鉄人Kさん、ノコ魔女が到着済み。
「やどり温泉」
T御大は狼頭峠の土砂崩れ区間をフロント2サイド装備で強行突破してきたとか、ちゃんと案内していたのに。 しかし幹事団の一人Rさんだけが6時近くになっても到着しません、3時過ぎから度々連絡を入れているのに圏外が続いたまま、いよいよ事故や遭難の心配をしだしていた頃にやっと到着、早めにやってきたので、北又経由のコースを選んだら峠を越えてから全面通行止で再び峠を越えて引き返したとか、お疲れさまでした。
ようやく宴の始まりです。
ノコ魔女も記念の寄せ書きを…
県報に拠ると’藤井2077番地先’なっており、現在地は和歌山県御坊市藤田町藤井2077の専念寺の南東角、高さや向きは建て直されたもののほぼ位置は変わってない様です。
この交差点を北に行くと「安珍清姫」で有名な道成寺に突き当たります。
和歌山県では9基目になりますが、形状が内務省令と異なる頂部が扁平なものは始めてです。
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今日は往路自走で和歌山県北部へ、今日はAsukaCrossのガードを外して出動です。
まずは先週末にスイッチバックが廃止にになったJR和歌山線北宇智駅(奈良県五條市)へ立ち寄りましたが、既にポイントは取り外されていました。
五條市犬飼からいつもの様にR24を離れ御蔵橋を渡り紀の川南岸の県道を走ります。 伊都郡学文路村(現橋本市)、同郡見好村(現かつらぎ町)、那賀郡龍門村(現紀の川市)と県報告示の番地まで特定できましたが元標の所在は確認できませんでした。
←かつらぎ町東渋田、現在のR480から少し西に寄った処に、かつては西高野街道の宿場町として賑わったのでしょうが、ここだけ時間が止まってしまった様です。 「おほはし」と書かれた橋は大正12年とあります、橋の東詰から西高野街道への三叉路にかけて道路元標の建っていそうな匂いがプンプンとするのですが…
紀の川市那賀町北湧で麻生津村道路元標を発見、和歌山県下で7基目の現存を確認できました。 ここも麻生津峠を越えて高野山へ向かうルートの一つです。
9さんに教えて頂いた安楽川村道路元標(現紀の川市)を撮影した後、廃止騒ぎから一転して「和歌山電鐡」として継続した南海貴志川線の終点貴志駅へ、ここは無人駅となりましたが売店の猫が駅長を委嘱されています。
駅長さんの’たま’、しかし有名になりすぎて愛想を振りまくのにも疲れきってしまったのか無愛想な老猫になってしまいました。
貴志川線沿いに西へ県道13号の旧道をたどります。 貴志川線には「いちご電車」と云うド派手な塗色の車両があるのですが、今日は従来の南海色の車両しか見る事ができませんでした。
車にぶつけられたり、ごみに埋まっていたり、朝な夕なに散歩の犬にマーキングされたりしている不遇な道路元標の中で、桜でも有名な名刹紀三井寺門前の紀三井寺村道路元標は八朔に囲まれて余生を過ごしています。
門前に並ぶ土産物や食堂、あまりに「焼き鳥」の匂いが美味しそうだったので3本ばかり立ち食いしました。
某氏に教えて頂いた西山東村、紀三井寺村、黒江町道路元標を回った後R42を南下、幾らかは車に追われながら走らなければなりませんが、海南の町や紀勢線を見下ろす事のできる旧道があります。
加茂郷から下津にかけて未収の和歌山県道ヘキサをGET、残り僅かです。
海南市大崎、万葉集にも詠われたとか、「和歌山県朝日夕陽百選」のひとつとか、そんなんあったの(^_^;) でも淡路島も見えてとても良い処でした。
走行118キロ、下津駅から輪行で帰途に就きましたが、運賃を換算すると\1890、でも既に十分に元はとっていますが。
貴志川線沿いに西へ県道13号の旧道をたどります。 貴志川線には「いちご電車」と云うド派手な塗色の車両があるのですが、今日は従来の南海色の車両しか見る事ができませんでした。
車にぶつけられたり、ごみに埋まっていたり、朝な夕なに散歩の犬にマーキングされたりしている不遇な道路元標の中で、桜でも有名な名刹紀三井寺門前の紀三井寺村道路元標は八朔に囲まれて余生を過ごしています。
門前に並ぶ土産物や食堂、あまりに「焼き鳥」の匂いが美味しそうだったので3本ばかり立ち食いしました。
某氏に教えて頂いた西山東村、紀三井寺村、黒江町道路元標を回った後R42を南下、幾らかは車に追われながら走らなければなりませんが、海南の町や紀勢線を見下ろす事のできる旧道があります。
加茂郷から下津にかけて未収の和歌山県道ヘキサをGET、残り僅かです。
海南市大崎、万葉集にも詠われたとか、「和歌山県朝日夕陽百選」のひとつとか、そんなんあったの(^_^;) でも淡路島も見えてとても良い処でした。
走行118キロ、下津駅から輪行で帰途に就きましたが、運賃を換算すると\1890、でも既に十分に元はとっていますが。
昨日のツーリングで父親の郷里に立ち寄った事の報告がてら実家に電話したついでに長年の疑問を聞いてみた。
戦後暫くしてから船場で商売をしていた父親が始めて買った自動車、と云ってもマツダの3輪トラックK360だが、それに乗って父親の郷里へ帰ったのは昭和30年代後半の事で煉瓦造りの対向困難な小さなトンネルを通った事だけを幼心にも鮮明に記憶している。 ただ当時も湯浅町から郷里のある日高町には幾つかのルートがあってどのルートをとってどのトンネルが記憶に残っているのか良く判らない。
昭和41年に現在の水越峠が開通するまでR42は津木廻りの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートで原坂峠鹿ヶ瀬隧道を越えていた、昨日越えた切貫峠由良洞隧道はもちろんあったが由良以北はあの狭い離合困難な<177>南金屋由良線で水越峠を越えていたのかと思ってしまうのだが、よくよく地図を眺めて見ると水越峠の北側へは現在のR42を挟んで<177>南金屋由良線の反対側(南側)に黒線道があり、これで谷を詰めるだけ詰めて水越峠へ取り付くコースも存在している。
しかし電話で話しをしていると津木廻りルートは知っていたが、衣奈を経由する海沿いの話がしきりにでてくる、しかし白崎海岸の記憶がない様で、その上当時はそのルートは存在しなかったと思われる、そうなると湯浅から海沿いに南下し衣奈から衣奈隧道で山越えし由良へ入ったのだろうか... 逆に謎は深まってしまった。 由良、日高町史か古い地形図をあたって見なければ...
←原坂峠鹿ヶ瀬隧道、但し熊野古道の鹿ヶ瀬峠の位置とはかけ離れている、現在は新しい新鹿ヶ瀬トンネルが開通している。 私の記憶では由良洞隧道の方がそれらしく思えるのだが...
←現在のR42水越隧道の真上にある水越峠、しかし前後の<177>南金屋由良線には全くと云って云い程離合できる場所がなく、車の少なかった時代とは云え湯浅?由良を結ぶ主要ルートだったとはとても考えにくい。
かねてよりD女史から紀伊半島の山中、小広和田川林道と大塔安川林道に川湯温泉の仙人風呂に連れてけと云うお達しが出ていたののだが、小広和田川林道は小広峠側から入ると全体的には標高で300m程の下りになるのだが、途中三日森山山頂近くまで登らなくてはならないし第一私自身未踏区間なのである。 一泊二日とは云え正味半日ずつしか走れない行程で泊りは川湯温泉となればどうしようもない、見晴らしはよいだろうがさして雰囲気が良いとは思えない新設林道はパスし、お昼に近露に集合して県道<217>近露平瀬線で旧大塔村下川下まで日置川沿いに下り、大塔安川林道を川湯温泉へ越える行程だけは考えてみたのだが...
もとより私が積んで行く訳でもないのので、U兄氏とL氏と両巨頭に声を掛けたもののふられてしまい、アッシー君役を五十肩に苦しむS翁に押しつけ、峠おやじN氏を誘いだし岐阜から桜井経由してもらう事になるのだが、しかしながら諸般の事情で私以外は誰一人として欠けると頓挫してしまう企画だった。
宿の予約も済ませ天候もまずまずの様でいよいよ決行となり、土曜1日だけ参加のM氏とら氏を加え、総勢7名が中辺路町近露(現田辺市)に集合する事になった。 兵庫、大阪組は阪和道経由で近露入りし、京都、奈良、岐阜組はR168(十津川筋)を南下し川湯温泉にデポした後、R311で小広峠を越え近露に向かった。
← 改良が進み交通量の多くなったR311、距離と勾配でロスの大きい皆地と武住トンネルだけは我慢し後は快適な旧道を小広峠へ向かいます。
予定時刻に少し遅れて熊野古道で有名な旧中辺路町野中の「とがのき茶屋」に全員が集合、この季節さすがに行楽客やハイカーもまばら。
暖かな日差しの心地よい縁側で借りて軽く昼食と「古代だんご」を頂き、温泉三昧と車で川湯へ向かうS翁と別れ6名で近露へ下り<217>近露平瀬線に入るが下川下へは全面通行止めとの案内が、迂回路は一旦富田川水系へ出て戻る峠越え2つとなっている、それだけでも今日1日潰れてしまう、可能なら強行突破、最悪S翁に救援に来て貰わなければならない事に、全面通行止と云っても自転車なら越えられる場合が多いのだが、日置川沿いの深い谷を走る道でかなり無理っぽい、とにかく林道日裏谷線和田峠の入り口までは来られたので、峠おやじN氏の1500何番目になるだろう和田峠を皆んなで越えて小広和田川林道側へでてさしてロスもなく大塔安川林道へ抜けられる目処はついた、ただ自販機等とJA出張所のある下川下を迂回してしまったので補給ができなかったが夏場でもないのでどうにかなりそうだった。
下川上の集落で一軒の商店を発見、さすがに自販機こそないものの缶飲料を補給して安川渓谷を経ていよいよ大塔安川林道へ、かつては林道区間の殆どがダートだったが現在は旧大塔村側は舗装されてしまっている。
ピークの大杉隧道まで四辻峠からの林道が開削中なのが見上げられるので、事情を知らない人はかなりのプレッシャーになったかも知れないが、和田川と安川の出合から何度かの休憩込で2時間弱で大杉隧道に辿り着いた。
旧本宮町側も大塔川の沢を詰める辺りまで舗装されていたが、その後ホイホイ坂の分岐までは10キロ程のダートが続きいくつかの素堀りのトンネルがあり、紀伊半島でも数少ない良い雰囲気の残る道です。 今回スカルベルを駆ってやってきたM氏はブッとんで行きました(^O^)
17時に県道<241>静川請川線となる静川に到着、予定していた時間より少し遅れて川湯温泉に到着、川湯発組で走行約75キロでした。
D女史が探してとってくれた「まつや」、外観は少しくたびれたビジホと云う感じがしないでもないが、中はとても綺麗で食事は100m程離れた豪華な本館「みどりや」(旧山水館)でとり、大浴場は両方が利用できる、仙人風呂から一番遠いし家族連れなら不自由するかも知れないが、シングル室もあるのでソロツーリングで利用するにも気兼ねが要らないのでこれからも重宝するかも。
本館「みどりや」の露天風呂は川原に掘られた混浴、女性には検査着の様なものが貸して貰えます。
お目当ての仙人風呂は... こちらは原則水着着用です、女性用更衣室がありますが、男性用は道路側から見えない様に柵があるだけです。 季節によって週末は’湯煙灯籠’のサービスが...
Blogで公開する写真はここまでネ(^_^)
高温多湿でDIMAGEのCCD欠陥が発生しないかと秘かな期待をしたのですが...
←美山村猪谷「猪谷川水辺公園キャンプ場」、この場所は本来はデイキャンプ用のバーベキュー等をする場所でキャンプサイトではないが、管理人が帰った後でキャンプでは初めての先行組が陣取ってしまったお陰で快適に過ごせた。
このキャンプ場は村から管理を委託されていた隣の猪谷パークのレストランが営業を辞めたために当初今年の運営が危ぶまれていたが、7月中旬から8月一杯は利用できる事となった、夏休み最初の週末ながら他の利用者は1組だけ、でも温泉も目の前で静かでとても良い処です。
2日目の走行コースは椿山ダム湖畔から寒川?川合峠?龍神温泉と30km程の行程だが、川合峠手前の上小薮川手前で凄まじい雷雨に遭遇、足止めを食らってしまった、雷雨は15時に高野山で30mmを観測し警報も出ていたとか、幸いにも写真の休憩所のお陰で全くと云って良いほど濡れなかった。 ここは「不老長寿の水」とかで水車などもあって、地元の人の素朴な手作りだか綺麗に整備されている。
龍神田辺線を経て川合湯の又林道のルートはほぼ10年ぶり、民家の軒先や縁側をかすめる1車線路だが、自転車ツーリングには最高のコース。 おまけに現在では集落のある区間は名前こそ林道だが立派なバイパス路ができて県道は地元車しか通らなくなったので快適、そして川合峠前後の区間は舗装はしてあるものの陥没と落石が酷く交通量は皆無。
ド付きで走りたいと云う事もあって先月新調した PanaracerTserv700×32C を履いて出発、実質28mm程しか幅のないこのタイヤで4サイドは厳しく走り出した直後から不安になってくる、以前に僅かに広いだけのミシュランのアクシアルスポーツで阪泰林道のダートや百数十キロを走っていたのだか….
←極力荷物は減らしたが、食料の現地調達が難しいのでリアキャリアの上には折り畳みのクーラーバッグ、氷や保冷剤も入って3kg近くは重たかった。
写真の後3度のパンクと雷雨とブレーキトラブルに祟られ、八斗蒔峠?妹尾林道のダート路をパスして10km程迂回して初湯川沿いの舗装路を下り、美山村猪谷パークキャンプ場に着いたのは先行組が18:15、私は19:15になってしまった。 30km少しを3時間で楽勝に走る予定は6時間以上かかってしまった。 幸い先行組の交渉で温泉には入れたが私には散々のキャンプツーリングになってしまった。
古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。