今日は絶好のサイクリング日和、
天五さん やMikeさんやらと色々と企画がある様なのですが、仕事の都合で奈良市近辺から離れられないので、京都府南部から奈良県北部にかけてに未収の’道路元標’と’県道ヘキサ’を漁りに行く事に...
上街道を北上、天理から筒井まで西進してから奈良から木津へ、木津川自転車道や旧街道をぬって宇治から淀、八幡と走り、本日の収穫14基(^o^)/
これで計77基になりましたが、往路自走でたどり着けそうな処だけでは100基達成には届かない様です。
京都府南部では旧国道24号線、現在の府道70号上狛城陽線沿いに未知の道路元標を探索しますが今回も見つける事はできませんでした。
←山城町域では上狛村、高麗村、棚倉村の役場跡であった事を示す標柱がありました。
これらは昭和50年頃に山城町によって建てられたものの様です。
未収の奈良県道ヘキサは4基、実は京都府道も幾つか撮っているのですが京都、滋賀とやりだすとキリがないので...(^_^;)
八幡村道路元標をGETした後、木津川自転車道へ入り流れ橋を渡り城陽市で用事を済ませてから木津川右岸を南下、8月には工事中だった区間も通れる様になっていて山城大橋まで南下し再び左岸へ渡り玉水橋へ...
これから所用で’あやめ池’近辺まで行かなくてはならないので玉水橋を渡った処で地図を確認していたら、信楽?上野ツーリングから帰りの
天五さん とばったり遭遇します、これから御幸橋をまわって大阪まで帰るそうで170キロ越えにはなる様で、しかしタフですわ(^o^)
木津川自転車道を離れ祝園?山田川?登美丘と走りあやめ池へ、用事を済ませ’ちゃんこ鍋’を頂いてから帰途に、輪行袋も携行していたのですが月も明るい事ですし夜道を走って桜井へ帰り着いたのは23時前でした(^_^;) 本日の走行152.1キロ。
丹波市町は現在の天理市の前身になるのだが、近鉄やJRの天理駅や商店街がある現在の天理市の中心部からはやや南へ離れた上街道に沿った位置に丹波市町道路元標はあり、現在も地名や郵便局に’丹波市’の名は残っている。
昭和29年に丹波市町は近隣の5村を合併して天理市となったが、JR桜井線の駅は丹波市駅と称したまま現在地よりやや南東の場所にあった、桜井線の高架化と近鉄天理駅との統合で現在の形となり、名称も天理駅となった。
天理教のまちとして発展して中心が北側へ移動してしまった訳である。
元標は元は上街道に面して建っていた様だが、現在は丹波市郵便局向かいの市座神社の奥まった処にある。
昔、上街道が布留川南流に架かっていたと言われる青石橋と並んで建っている。
本来の場所ではないですが、元標は神社の境内と云う恵まれた場所に未来永劫に建っている事でしょう(^_^)
大安寺村は昭和26年に奈良市に編入されている。
元の大安寺村役場のあった場所には長らく奈良市大安寺支所があったのだが、現在は史跡として保存されている。
奥に見えるのは大安寺小学校。
県道<122>京終停車場薬師寺線沿い、大安寺役場跡の北向かいの生け垣の中に元標はある。
県庁所在地でありながら明治22年の町村制施行時は人口が満たないために奈良町として発足し、明治31年に市制をしいた。
元標は三条通り、猿沢池の少し西のサークルK前に建っている。
宇治郡宇治村は昭和17年に笠取村と合併し東宇治村となり、昭和26年に宇治町他3村と合併し宇治市となった。
なお同じ名前の’町’と’村’が同時期に隣接して存在する事は珍しくなかった。
岸和田町と岸和田村や、明治22年の町村制以前だが相楽郡木津村から木津町が派生した例もある。
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道路元標漁りは色々と下調べが必要なので大変です、資料をまとめていったらファイルが2冊目になってしまった。
調べものに図書館へも行かなきゃならないし... しかし自転車ってのは道路元標探索には最も相応しい足だと思いますネ、地域によっては街中で小回りが効いて輪行のしやすいミニベロが1台欲しいのだけどネ。
現在、63本?、年内には100本を達成したいのだけど。
OyaziさんのBlog「角瓶党」でボチボチと続いているタイトルの企画「JAZZで しりとり遊び」に折々参加させて貰っています、「ム」の後をついで66曲目はヴァン・ヒューゼンのバラード「Moonlight Becomes You」
↑Curtis Fuller With Red Garland NewJazz(Prestige)8277
但し「Moonlight Becomes You」 はリーダーのCurtis Fuller が殆ど顔(音)を出さない、どうって事のないパーカー系アルトの Sonny Red がこの曲だけは素晴らしい、それにも増して Red Garland が...
當麻村は昭和31年に磐城村を編入、昭和41年に町制、平成16年に新庄町と合併し葛城市となった。
元標は名刹當麻寺の門前という恵まれた環境に建てられたのだが、車にぶつけられたのだろうか破損し今では「路元標」しか読めない。
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