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黎明期の国産ツーリング車観賞会

(写真 : UG兄さん)

 市内のコンビニで買い物して10時少し前にはヒルホテルサンピア伊賀に到着。駐車場では到着した皆さんが運び込む自転車を囲んで既に自転車談義が始まっています。サンピアと云うのは以前は厚生年金事業振興団が運営していた施設ですが、今は地方自治体の外郭団体が運営してたりします。2015年10月の「ヴィンテージレーサー鑑賞会」以来毎年使わせて貰っていて、昨年は「イリベオーナーズミーティング」も行われました。伊賀市は2004年に上野市と周辺町村が合併した人口10万人に満たない小都市、合併して15年過ぎましたが今も伊賀上野と云った方が通じやすいかと、忍者で有名ですね。大阪と名古屋の丁度中間にあたり名阪国道のインターが近くて、大都市の施設に比べると会場代もリーズナブルかと。特別の施設がある訳でもなく、ロビーからフロントの前を通ってそのまま宴会場に運び込ませて貰ってます。まぁもっこりパンツにクリートをカチカチ云わせて闊歩する輩と比べると至って普通のいでたちの集団なんで。
 今回は50~60年代の国産ツーリング車がテーマ、正月の「新春ラン」の帰りの車の中で10台集まるかどうかなんて話も出ていて、その上日程がマッドガード付き自転車の愛好者の間では良く知られた「御前崎オフ」とバッティングしている始末。ただ蓋を開ければ参加43名に30台と大盛況で、会場代で赤字にならずに済んだと主催者は一安心、午後からのプレゼンテーションの時間が足らないとの事で16時までと1時間延長となりました。
 さて私の方はもとよりそないな年代の自転車の持ち合わせはありませんので、せめてうちで一番古いので参じようと先日やってきたばかりのデモンタ(1976年~)で走ってきたのですが、50~60年代縛りですので人と自転車で満杯の中には入れて貰えません(^_^;)
 次々と往年の名車やら曰く付きの車やらが会場に運び込まれますが、人の方も輪界の著名人が続々と。
 台数的にはさすがに東叡社が多いですが5台のアルプスが目を引きますし、関西圏とあって城東輪業のワンゲルも数台。
 自転車そのもの以外のグッズや資料も。
 純正?展示スタンド付きの片倉シルク、七宝のヘッドバッチが。
 午後のプレゼンはUG兄さんのキングスピードから。
 1961年のワンゲルを前に熱弁を奮う京都のBLKさんと、奈良の伊藤さんが高校の時に買って貰ったTOEIも還暦。
 プルベな人にもお馴染みのKさんも今日は、ある自転車との因縁話を披露。

 



 個々の自転車の解説は不勉強な私がどうのこうの云えませんので、そのうちMさんがやってくれると思います。
 私の任務は例によって集合写真、なお大きなサイズの画像は例によって「サイクリングの記録」(要認証)の方にアップしてあります。
  予定通り16時前には全てのプレゼンも終わって無事に「黎明期の国産ツーリング車観賞会」は終了。この季節ですので桜井まで自走で帰るのは厳しいので日没までに15キロばかし走って名張市域に入り近鉄美旗駅から些か手こずりながらデモンタでの初輪行で帰ってきました。

伊賀上野へ

上津ダム(奈良県山辺郡山添村)にて

 今日は伊賀上野(三重県伊賀市)のヒルホテルサンピア伊賀で行われるUG兄さん主催の「黎明期の国産ツーリング車観賞会」に参加する為に暗いうちから自走で向かう事に。時間的に帰途は輪行になりますので、昨日ブレーキを入れ替えたばかりのデモンタで向かいます、別にロードでも延陽伯号でも構わないのですが、会が1950~60年台のマッドガード付きツーリング車がテーマですので、一応うちで一番古い(1976年~)を。
 0510桜井を出発、伊賀市までのルートは幾つかあって、往路は大和高原を経由する事が多いですが、今日は主にR25旧道を辿る事にします、概ね併行する名阪国道の騒音が鬱陶しいとはいえるのですが。まずはR165を長谷寺まで走り県道38号桜井都祁線で針へ向かいます。深夜も含め走り慣れた道で不安はありませんが、難所の初瀬ダムへの登り、この気温で汗をかきたくないので中程でさっさと諦めて押す事にします。小夫(おぶ)辺りまできてようやく明るくなり暫くで奈良市域となる旧都祁村へ、ミモザ・ガーデンの前の並松池は凍っていました。標高500m近い針インターの中のファミマで小休止、後30キロ余りですから予定の10時には余裕ですね。
 針からは自動車専用道の名阪国道を縫うように走るR25旧道を、このままでも伊賀上野へ行けるのですが、山添村勝原から上津ダムへ入ります、少し判り難い処もありますが、こちらの方が無駄な登り返しが少ないかと、上津ダムで用を済ませて下ります、県道80号奈良名張線と交差し県道181号遅瀬西波多線に入り五月橋へと下ります。
 まだ供用はされていませんが新しい五月橋はほぼ完成しています、1928年に供用された五月橋が姿を消すのは残念です。
 五月橋の手前でR25に戻り名張川を渡ると伊賀市。しかしサイクリングには最高のお天気になってきました、伊賀盆地からは三重県と滋賀県との境界になる山々と御斉(おとぎ)峠を望む事ができます。大野木橋では上野城が出迎えてくれました。桜井から4時間半あまり56キロばかり走ってサンピア伊賀に到着です、正直云ってもう少し走りたいのですが。(つづく)

デモンタあれやこれや


 うちにやってきてから既に100キロばかり走ったデモンタですが、思う処あってせっかく新たに買ってまで付けたサブレバー仕様のブレーキ回りをセフティレバーに変更する事にしました。デモンタの場合は分解時にリアブレーキのインナーケーブルが緩むために、現在入手できるダイアコンペの復刻版セフティレバーはクイックレリーズになっていない為、ブレーキレバーの割りの入ったタイコ故に外れると結構出先では少々難儀な事になるのです。延陽伯号こと片倉シルクグロワール24に付けているのは浅麓堂のN氏から頂戴したセフティレバーはクイックレリーズになっているのです、ヘッド抜き輪行のできる延陽伯号からは同様の理由で外したくなかったのです。各々の使い道とか考えてみたら延陽伯号には元々デモンタに付いていたギドネットでも良いかもと云う結論に至ったのです。即ちデモンタと延陽伯号のブレーキを入れ替えるだけの話、最初からこうしておけばムダな買い物をせずに済んだものをと後悔しきり。まあ延陽伯号にブルホーンと云う訳にも行きませんのでダイアコンペのハンドレストを手配する事にしたのですが。

 フロントバッグの固定方法ですが、とりあえずはリクセンカールのアタッチメントを付けてありますが、リーズナブルでこやつに似合う方法がないものでしょうかね。あとサドルバッグも、前後輪を金具でジョイントする形だとハンドルに干渉するので、簡単に着脱できるものがほしい処です、加えて輪行時に余計な持ち物にならない様にフレームの何処かに固定しておく工夫も。

ちょっと試運転に


 週間予報をみると今日明日と走っておかないと、その後は来週にかけてお天気が良くないらしい。朝からバーテープを巻き直し、メーターにタイヤ周長をセット、念のために工具類をしょって明日香村へお約束のデモンタの試運転に。
 耳成山と昆虫館の間を抜けて明日香村へ、時折陽射しもあって気温も暖かいのですが、西よりの風を強くて参ります、いつもの大官廃寺跡にて。初めて使うQCRのボトルのカラーがマッチしてます。
 この季節の平日、観光客やハイカーもまばらで静かな石舞台を経て稲渕へ、昨秋に整備された棚田を望む休憩所で小休止。
 栢森まで往復、芋ヶ峠へはまだまだです。インナー28Tは楽チンなのですが、リアディレラーのキャパ(いったい幾らなんだろう)からは厳しいのかして、インナートップが危なっかしいのが課題です。

 棚田の中の案山子ロードを登り、回廊の様な小径を走り祝戸へ下り帰途に就きました。
 本日の走行30.3キロ、今月はまだ300キロを超えたばかり。

やってきたデモンタのその後

 暮れの「石川ポタ」の折にYさん処から嫁いできたデモンタ、ペダルさえ付ければ走れる状態だったのですが、ブルホーンからドロップハンドルに戻した処まできたのですが、フロントバッグをどう取り付けるかで行き詰っていました。
 ブレーキレバーはギドネットからノーマルなものへ、ASUKA号と同じシマノのBL-R400、サブブレーキはPROMAXがシルバーのノーマルサイズが欠品だったのでTEKTRO RL720、安いだけに雰囲気安っぽいのですが、アウターが当たる部分にゴムのブッシュが付いてたりと好感が持てます。とりあえず手持ちのリクセンカールとメーターを取り付けてみます。
 サドルとバーテープが白色なので、このままアウター類も白色で揃え様と、真新しいバーテープはYさんが両面テープを剥がして巻いてくれていたので再利用する事にしますが、巻き直す前に自宅の周りを走りながらポジションの調整。小径車を除けば700Cばかりだったのでハチサンに乗るのは何十年ぶりやろ。そうそうサドルにサドルループが付いていないのでVIVAのバッグループを探さなくてはなりませんなぁ。
 ブレーキはセンタープルのマファック2000、フロントの鳴きが酷く最悪はシュー交換かなと思いながら、30分程格闘してどうにか収まりました。

 変速系はサンツアーBL、オリジナルのサンパックではこれじゃなかったですよね。5速をカバーするためにつけられたインナーが28T。

 ランプホルダーが取り付けられているのは、先々代オーナーのSさんの時に追加されたダイナモの台座。特徴的なデモンタのジョイント部分は再塗装の際に外側までメッキ仕上げに。
  Sさんに重いよ~なんて脅かされていたのですが、クソ重たいキャンピングを転がす事を思えば想定の範囲内、低圧のハチサンタイヤもこんなものかなぁと思いつつ、とりあえずバーテープを巻いて明日は少し走ってみるかな。
 余談ですが両方にタイコの付いたブレーキインナーケーブルとか商品名が判らなかったライナーとか探せばあるんですね。

うちにデモンタがやってきた

 昨年の暮れ、うちにデモンタが嫁いできました。デモンタと云っても今どきローディな人には馴染みがないかも知れませんが、デモンターブル(démontable)即ち分割可能な自転車なんです。まぁモールトンの様にダイアモンドフレームでない分割可能な小径車もありますが、前三角のトップチューブとダウンチューブにジョイント部分があって前後に分割できる様にした、主にランドナーなどの車種を狭義にはそう呼んでいます。メリットはマッドガードやホイールを外す事無く輪行可能なサイズにして収納できる事、まぁ「後輪外さない輪行」やってるローディには理解できない話ですが、ガード付き自転車でコンパクトな輪行を心掛け様と、ヘッド(フォーク)抜きや分割式マッドガードと工夫を重ねてきた人には、画期的な構造の車種なんです。
 写真は2015年3月の「赤穂~日生かきおこポタ」の折、赤穂駅にて、なんと5台のデモンタ(グランテックも含む)が組み立ての真っ最中の模様。
 昨年12月にそのデモンタをY氏から譲って貰える話が、元はS氏が2008年に入手したナショナルのユニパック、これ以上自転車を置いておくスペースもないので些か躊躇したものの、暮れの「石川ポタ」の折に晴れて嫁いでくる事に。(写真:乾さん)
 S氏の元で一旦700C化されたんですが、Y氏の下で再び650Aに戻りブルホーン、ギドネット化されています、ペダルさえ付ければ直ぐにも走れるのコンディションなのですが。
 ブルホーンはasuka号にもその時代があった位で抵抗はないのですが、どうもギドネットは好きになれませんの、とりあえずノーマルなハンドルにエイド(サブ)ブレーキを足したasuka号に近い構成に、あり合わせのパーツに少しパーツを買い足して、ここまでやってみたのですが、フロントバッグをどうするかとか1台増えると色々と課題が、とにかくデモンタだけに春の「18きっぷ」のシーズンにはデビューできる様にしたいですね。