3月5日、南紀古座川で始まった今年の桜巡り、「18きっぷ」遠征続きで行けなかった吉野山、最後の桜を求めて奥千本へ行ってきました。
車の少ないうちに吉野山へ上がってしまおうと、5時50分に桜井を出発し明日香村から芋峠へ。 上市町道路元標で足を止めただけで、上市橋を渡り県道37号で一気に吉野山へ。
竹林院から吉野大峯林道側を走り3時間余りで金峯神社の鳥居の処まで登ってきました。 シャトルバスが何度も往復してきていてまだ9時だと云うのに結構観光客が上がってきています。
自転車のままできるだけ奥千本近くまで行けないかと、吉野大峯林道をさらに登り青根ヶ峯の登り口まで来て、奥駈道(左)へ入ってみたのですが、やはり担ぎが必須の様で、せっかく登ってきたのですが引き返す事に、やはり最後の駐車スペースに置いて金峯神社の裏側へ登って行くのが一番良さそうです。
ぐずぐずしていると金峯神社はすっかり観光客でごったがえしています。 ここから奥千本へは一周20分位の遊歩道が設定されているのですが、昨日の雨で結構ぬかるんでいます。 西行庵まで歩き暫しここで写真を撮りながら過ごします、写真はこちらで。
吉野水分神社を経て上千本まで下りてきました。 時間が経って下へ行く程観光客が多くなると云う感じです、でも休日の事を思えば。 上千本も散り始めていて、ここから見下ろす中千本は既に花を散らせてしまっています。 やはり中千本が満開の頃にここへ上ってくるのが一番でしょうね。
観光客の間をすりぬけながら勝手神社前の馴染みの「静亭」まで下りてきました。 葛うどんと柿の葉寿司のセットを頂きまったり過ごします。 お腹が膨れると寝不足と奥駈道での押し歩きの疲れがどっと出てきました。
勝手神社から下は車は通れなくなってますし、吉野山の混雑を避けて県道257号を才谷へ下り、秋野隧道から椿橋へ、いつもの定番コースで壺阪峠を越えて高取町へ、高取町道路元標で「自撮り」をしてから帰途に就きました。 本日の走行82.7キロ、なんと平均速度は13キロでした。
ところで今日は幾つかニューアイテムがあったのですが… LUMIX G VARIO 1:4-5.8/14-140、自由雲台、ミノウラのペダルスタンド付き携帯工具、コーナンの2WAYステンレスボトル、機会があればまたインプレッションを。

山口から帰ってきた時点で「青春18きっぷ」は後1回分残ってしまったが、有効期限の最終日10日のお天気は思わしくない。 10日に中央線薮原まで輪行して境峠を越えて奈川村道路元標を経て奈川渡ダムを経て松本泊、11日は塩尻市と岡谷市に残る現表を回って飯田泊、12日は三州街道を元標を巡りながら岡崎まで走り抜ける2泊3日280キロのプランを暖めていたのだが、どう考えてもお天気は味方はしてくれそうにない、いよいよ消化試合の「乗り鉄」の旅かと考えた挙句、天気の一番マシそうな金沢方面へとりこぼしている元標目当てに出掛ける事にした。

せっかくの「18きっぷ」だから能登半島まで行ってみたいところだが、さすがに戻ってこれないので金沢駅から歩いて10数分の石川郡は戸板村道路元標に向かう事に、しかし目標の戸板小学校が見つからない、GoogelMapをよくよく見てみると、そこにあるのは全くの更地、この都会のど真ん中で廃校でもあるまいと、丁度昼時なので近くのラーメン屋に入ってネットで情報収集すると、どうやら移転したらしい。 さらに10数分雨の中を歩いて行かなければならない様である。 さらにググっていると戸板公民館のブログに旧の戸板小学校内にあった道路元標の記事が、公民館の方が近いしそちらへ移転している可能性も無きにしも非ずなので、念のために小学校跡地を一回りした後に公民館を訪ねてみる事に。 いままでも現存情報がありながら現地に行くと見当たらない事は何度かあった、昨年も愛知県碧海郡の棚尾村道路元標がそうだったが、その時はその後に知多半島を回る予定だったので深追いできなかったが、案の定あとでネットで調べるとすぐ近くに移設保存されている事がわかり悔しい思いをしてしまった。 とにかく今回は時間の許す範囲で追っかけてみる事に。
戸板公民館は写真のような立派な建物。 戸板と云う地名が先程から気になって仕方がなかったが、よくよく考えるとあのアイ・オー・データ機器のある場所だったとは。 公民館には女性の職員だけがおられてブログの記事を書いただろう館長も主事も不在との事、元標の所在についてもこの公民館も近く移転するとの事で、ここへ持ち込まれている事はないだろうとの事であった。

結局は新しい小学校を訪れる事になるのだが、女性職員なのか先生なのかは所在については知らないとの事、幸い出てこられた校長先生とお話する機会を得たが、二宮金次郎像はこちらへ移設したが、道路元標に関しては知らないとの事、やはり公民館の館長が詳しいのでそちらへ尋ねてみるのが良いだろうとの返事だった。 公民館へは後日メールで問い合わせみる事にし戸板を後にした。
石川郡にはあと1基、額(ぬか)村道路元標が残っている、JRで西金沢まで行き、北陸鉄道石川線で乙丸駅へ、幸いこちらは歩いて10分程額束神社の境内と云うか道路に面した場所に現存していた。
【1034】 2015/04/10 石川県 石川郡 額村(現 金沢市)
まだ「しまなみ~とびしま」のブログ更新が済んでいないので前後してしまいますが、旬の話題と云う事で先に更新させて貰います。
昨日からの陽気に奈良盆地の桜は一気に咲き始めてきましたが、お天気は明日から下り坂との予報、花散らしの雨になってしまいそうです、桜を求めて走るなら今日しかないと飛び出しました。 明日香村から芋峠、津風呂湖畔、吉野山と考えていたのですが、朝出遅れた上に明日香村までですっかり時間をとってしまい、それに吉野方面の桜はまだこれからの様でしたので、明日香村でじっくりと腰を据えて「自撮り」をする事にしました。
自宅から500mと離れていない桜並木なんですが。

明日香村橘寺
母方の実家からすぐの場所、小さい頃犬の散歩で良く来ました、実は入山料を取る様になってからは境内へ入った事がなかったりして。
平日とは云え観光地の明日香村、結構な人出でなかなか観光客やハイカーを写り込まないようにするのは至難の業、実はこの写真は下の2枚の写真の合成なんです。
石舞台近くにて、弁当を拡げるハイカーが撤収するまで待つこと数十分。
この後自転車乗りご用達の
食事処「よろづ」まで走ってお昼に。 「轍MAP」の作者でもある旧知の
K氏と落ち合って情報交換他。
いつもオヤジのお尻ばかりですみません。 特典映像をば、女性サイクリストが増えたのは華やかで良い事ですねぇ。
本日の走行43.9キロ、今月1,200キロ超え。
元来の天の邪鬼な性格で「びわいち」「あわいち」「しまなみ」ってのはご遠慮申し上げているのですが、今回なぜか「しまなみ海道」おまけに「とびしま海道」も回ってきました。 基本的に遠征ツーリングはまず初めに「道路元標」ありきなんですが、島根県、広島県、愛媛県に一つずつ残ってしまった道路元標を回ろうと云うかねてよりのプラン、出雲市まで輪行して島根県飯石郡飯南町の赤名村道路元標から三次市を経て、広島県神石高原町の神石郡油木村道路元標、尾道から「しまなみ海道」を経由して愛媛県西条市の周桑郡多賀村村道路元標を巡ってこようと云うもの。 ただ出雲市まで1日がかりで行き一泊するのも勿体無い話なので、今回は後の2基を回る2泊3日のコースに帰途「とびしま海道」を経由して本土に戻り、呉線のどこかの駅から輪行で帰途に就くプランを考えてみたのです。
平日ですので大阪を通勤時間帯に輪行支度で通らないで済む様にと、そして少しでも早く走り出したいのでJR王寺駅まで20キロ余りを未明の大和川河畔を自走します、既に今年3回目ですが、やはり闇夜は暗いです、ただ土地勘のない福山でナイトランになりそうなので
ヘッドライトを2灯に強化してきたので安心感が違います。 ガード付きのasuka号、出きる事なら往路輪行はしたくはないのですが、慎重に輪行支度を済ませます、何か手落ちがあると走れずにスゴスゴ引き返してくる事になりかねませんからね。
王寺0436→0511新今宮0512→0529
大阪0534→0640
西明石0641→0715
姫路0731→1049
新見と絶妙の乗り継ぎで新見駅着、実はこの接続「乗換案内NEXT」では大阪0558→0728姫路となってしまい選択されません、大阪0534発の緩行線の普通に乗る事で加古川仕立ての播州赤穂行きに接続していて、特に18きっぷのシーズンに混雑する岡山方面行きへ姫路へ先回りできるのです、お陰で輪行袋の置き場所も確保できて新見まで座って行く事ができました。 1049新見着、早速準備を始めます、しかし最高のお天気ですね。
新見スタートにしたのはこれより先の接続が悪い事と、中国地方山間部の鄙びた道を走ってみたかった事と、小さな峠を越えて久しぶりに布原の元信号所を見下ろす道を走ってみたかった事なのですが、かつて谷あいの信号所を見渡せた道も植生に覆われて、通過する列車をどうにか垣間見る事ができる程度になってしまいました。
備中神代駅にやってきました、列車で通る事は何度かありましたが、駅前は40年以上ぶりです。 ここは映画「八つ墓村」あの「祟りじゃ~」が流行語になった1977年版のロケ地でもあります、萩原健一演ずる主人公が八つ墓村へ向かうシーンですね
。 残念ながら当時の木造駅舎は取り壊されてしまいましたが車寄せの屋根だけが残されています。
備中神代駅で伯備線と別れた芸備線沿いのR182を走ります、R182は改良が済んでいますし中国自動車道が並行して走っていますので山深い雰囲気は無くなってしまいましたが、芸備線の方は1日6往復と云う超ローカル、その貴重な列車を市岡駅で待ち構えてみました。
東城の手前の野馳(のち)駅、開業当時の駅舎が現存しています。 この後道の駅「遊YOUさろん東城」で遅めのお昼の休憩をして、再びR182を福山に向かって南下します。
東城からは油木村道路元標の残る神石高原町まで登らなければならないのですが、暫くは川沿いの下り基調の道を快適に走り、その後このループ橋で高度を稼ぎます、ループ橋と云っても島根県境のおろちループ程の規模のものでもありません。
少し探しましたが油木村道路元標を確認、一列に「神石郡油木村道路元標」と記されています、どうも広島県は様式がまちまちな様です、とにかく現時点で現存が確認されている広島県下の6基の道路元標は全て履修できました。 今日の予定はこれで終了、今夜の宿は少しでも尾道に近づいておこうと福山と尾道の中間の松永駅近くのビジホを確保しました。
この後R182には福山に向かって下り基調だと思いきや神石高原町内では結構なアップダウンが繰り返されます、これには結構堪えました、結局福山市内に入り小さなピークを一つ越えてから一気に獲得標高を吐き出してしまいます、遥かに瀬戸内海を見える様になってからの下りの長い事、交通量も市街に近づくに従って多くなり、福山市街に入る頃にはすっかり暗くなってしまいました。 土地勘もない事もあって松永へ向かっては少し遠回りをしてしまった様ですし、旧街道の山陽道を走ったりしたので、これなら無理せず福山で宿をとるべきだったかと。 とにかく予定の20時には松永駅前に到着、本日の走行、王寺駅までの自走を含めて124.5キロ。

赤穂市福浦海岸にて
今日はsyokoraさん主催の「かきおこポタ」へ参加してきました。 と云っても僕は牡蠣は駄目なんですけどね。
播州赤穂駅1000集合、大阪0800発の新快速に乗るお約束なのですが、このスジは敦賀始発で相生で岡山行きに接続していて、18きっぷのシーズンは混みますので、未明から王寺まで自走して先乗りする事にしました。 赤穂周辺の道路元標は既に履修済なのですが、生存確認に一巡します、尾崎村道路元標には写真のような案内板が設置されていました、こう云った形で道路元標が認知されるのは喜ばしい事です。
播州赤穂駅に着くと車でお見えのnoricさんが既に到着、電車が到着すると輪行を担いだおじさん達が続々と降りてきます。 今日は東叡とナショナルのデモンタがそれぞれ2台にグランテックと云う、みなさん往復輪行を意識した選択です。 すみません僕は場違いのKHSです、実はasuka号今度はフロントのガードを壊してしまいました。
さて総勢12名、準備を済ませてR250を日生(ひなせ)に向かうのですが、今日は今風ロードに跨った女性が3名、おじさん達には嬉しいサプライズです。
もちろんやさしいおじさま達であります。
R250をひた走り福浦峠で岡山県に入ります。
11時過ぎにはかきおこの店「福来(ふくろう)」に到着、人気店らしいので入れるかどうか心配していたのですが、時間も少し早めだったのが幸いしてか全員すぐに座れました。
ほぼみなさんが「かきおこ」を注文、すみません僕は「イカモダン」です。
「かきおこ」の後は、日生漁協の魚市場「五味の市」へ立ち寄ってから、海岸沿いの道を赤穂へ戻ります。
赤穂御崎の神社前にて。 近くのケーキ屋さん「SANPOU」でケーキを買い込んで福浦の海岸でコーヒータイムとします。
福浦海岸の遊歩道を行きます。 幸いここまでお天気は持ってくれたのですが少し雨が降ってきました、この後は坂越(さこし)を回って帰途に就く予定だったのですが、福浦海岸でのコーヒータイムを最後に赤穂市街へ戻る事に、赤穂城で記念撮影した後、播州赤穂駅前で解散と云う事になり、輪行組6名は1706発の新快速まで駅構内のパン屋さんでお茶の後帰途に就きました。
「青春18きっぷ」5,610円分乗車、5回分を半月で使い切ってしまいました。 夏のシーズンは暑いだけなので今の季節に行きたいところが他にも一杯あるのですがねぇ。
「かきおこポタ」の写真をアルバムにアップしました。 うちのHPから[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい。 なおご覧になるには認証が必要です。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号の下4桁です、「CanCan謹製カレンダー」の奥付に記載があります(一昨年とは変わってます)。 なおオリジナルではありませんが1920×1280サイズの画像もダウンロードできます。

奈良県下北山村 池原ダムにて
懸案だったR169経由で北山村から蟻越峠をへて川湯温泉で1泊、県道44~45号で那智勝浦町へ越える1泊2日のツーリングへ、「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーを兼ねて行ってきました。

早朝5時半に桜井を出発、吉野側への最短ルート<37>桜井吉野線へ入ります、2003年の新鹿路トンネルの開通以来、車が増えたのであまり使わないのですが、今日は150キロ余りの長丁場、先を急いでこのルートをとります、いつも忘れ物はないかなと復唱しながらスタートするのですが、多武峰への坂を登り出してから用意しておいた菓子パンを忘れて来た事に気が付きます、R169は吉野町を出るとコンビニの類は熊野市五郷までありません、ここまで登って引き返す気にもならず、まぁ菓子パン程度なら下北山村池原で買えるでしょう。 飯盛塚の集落を過ぎたあたり、右側の資材置場でしきりに犬が吠えています、ちゃんと繋いであれば良いのになぁと思っていると、1匹が道路へ飛び出してきました、かなんやっちゃなと思っていた処へ対向車が、ドンと鈍い音が。 車は立ち去り、犬も資材置場の中を走って行きました、その後無事なのかどうかは知る由もなく、防犯のためでしょうか放し飼いにしていて、こちらの落ち度はなにもない処か、対向車が慌ててハンドルを切ったりしようものなら、こちらが巻き添えを食っていたかも知れません。 そして全長2,000m超の新鹿路トンネル、吉野側へ向かって下り基調なのは良いのですが、トンネルの中で追い越しをかけてくる馬鹿な対向車が、今日はスタート早々ロクでもない事が続き、先が思いやられます。 予定では津風呂湖畔の県道を行くつもりだったのですが、車はあまり通らないとは云えブラインドカーブの多い道を避けて、今日は三茶屋経由でR370に入る事にしました。

入野(しおの)峠を下り、国栖から<262>国栖大滝線でR169へ入ります。 大滝ダム、道の駅「杉の湯川上」で一息入れながら柏木へ。 大峯登山の宿場として賑わった集落です、レトロな「朝日館」は今も営業しています。

標高で400mを過ぎるあたりから少し雪が舞ってきました。 大迫ダムを過ぎ、かすかに伯母峯ループ橋の見える処までやってきました。

2003年に供用されたR169伯母谷道路は、伯母谷、栗の木、滝の脇、一ヶ山、大獄の5つのトンネルと伯母谷ループ橋で構成されています。 旧道の事を思うと斜度が平均化されたので走りやすくはなってますが、車が結構なスピードで走ってきますので、自転車にとってあまり気持の良いものではありません。
伯母谷ループ橋、雪の合間に陽射しが。

R169の最高地点、新伯母峰トンネル(1,964m)に到着、R168の新天辻隧道と同様、新とは名ばかりの結構古いトンネルなので路肩も狭く、自転車にとっては最悪です。 この季節ですから行楽の車こそ少ないのですが、結構大型車がやってきます。

新しく供用された和佐又トンネルを初めて通り道の駅「吉野路上北山」へ到着、菓子パンを買ってストーブの前でぼっこりします。
池原ダムへ立ち寄ってから一旦池原へ下ってR169を離れR425を登り返します、このままR169を走った方が楽なのですが、下北山村道路元標の生存確認に迂回します、この登り返しのキツい事と云ったら、今日のコースで一番つらかった様な。 登りきった処にある明神池、なにやら七不思議のある池だそうです。 池神社にここまでの無事に感謝してお参りを。
道路元標の残る下北山村役場を経て不動トンネルを越えるといよいよ日本唯一飛び地の村和歌山県東牟婁郡北山村です。 悠々と北山川が流れている様に見えますが、ここは小森ダムのダム湖です。 なかなかの
「自撮り」ポイントなのですが、今回は
巨大輪行袋にサドルバッグを占領されてしまい、ポンチョか三脚かの二択になってしまい三脚は諦める事に、スタンド程度の小型の三脚では高さが稼げず諦めました。
北山村の道の駅「おくとろ」が「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントとなっています、無事28地点目をGET! ここで平日にもかかわらず1台のロードが、お話をしていると新宮の方で、奇遇にも2012年4月の
「月うさぎキャンプ」に来られていたどらちゃんさんのお知り合いの方でした、世間が狭いのか、どらちゃんの顔が広いのか。
北山村から先のR169はずいぶんと久しぶりです。 観光筏流しやカヌーのラフティングで有名な北山峡です。
小松トンネルから奥瀞道路で再び奈良県へ、小松、有蔵、東野トンネルと橋で構成される新しい道路です、バイパス路の様に思えますが、この区間には昔から車の通れる道がなく北山村は他県を大きく迂回しなければ和歌山県の他の市町村へ入る事ができませんでした。 奥瀞道路の開通で距離こそ短くなりましたが、村全体が飛び地ゆえ今なお奈良県か三重県を通らないと和歌山へは行けません。 写真下中が新しく供用された奥瀞トンネルで初めて通ります、右側に旧道の田戸隋道が見えています。 トンネルをでると直ぐに工事現場となり旧道を下ります。
奥瀞道路は今なお工事中で大型車の通行困難な蟻越峠がR169現道として健在です。

現在のR169を貫く様に奥瀞道路の工事が行われています。
十津川村竹筒でR311と合流し再び和歌山県に入り、16時40分宮井大橋を渡ってR168へ。
R168を北上し熊野本宮大社で29地点目のスタンプポイントへ、今日の予定終了です。 R168も五條市の五條病院前のサークルKを最後に終点の新宮市街までコンビニの類は一切ありません、元の本宮町域(現在は新宮市)にヤマザキストアが2軒ありますが、朝8時頃から夜7時頃までの営業で、食事のできる店も早い時間に閉まってしまいますのでご注意を。 明日も補給のあてがはっきりしませんので本宮大社の前のヤマザキストアで補給を済ませておきます。
今夜の宿は川湯温泉「まつや」、3回目になります。 温泉地に珍しいシングルルームのあるビジホ風のホテルで、本館にあたる「みどりや」の露天風呂や予約をすれば食事もできます。 主に熊野古道歩きのハイカーが利用している様です。 1台だった事もあるのでしょうが自転車はロビーに入れさせて貰えました。 川湯温泉ではこの季節、大塔川の河原を利用した「千人風呂」が有名ですが、水着を忘れてきましたし、150キロ越えの疲れもあるので「まつや」内の温泉で済ませ明日に備えて早々に休む事にしました。
本日の走行153.1キロ。 しかし判っていた事ですが、始めての通る3つを含めてトンネルだらけのコースでした、主な処だけでも挙げてみると、新鹿路(2466m)、大滝(722m)、高原(495m)、伯母谷(445m)、栗の木(1297m)、滝の脇(207m)、一ヶ山(440m)、大獄(1030m)、新伯母峰(1964m)、和佐又(900m)、不動(2038m)小松(734m)、有蔵(306m)、東野(1389m)、四滝(1212m)、東敷屋(1380m)、二ツ石(798m)と17キロを超えて全行程の1割以上がトンネルだった事が。
(2日目へ)

いつもの事ですが暗いうちに目を醒ますと外は雨の気配、今日は午前中に中頚城郡の8つの道路元標を巡る予定にしているのですが、このまま雨がやまなければ単なる乗り鉄の旅で終わってしまいます、雨雲レーダーの予測を見ながら暫く様子を見る事にします。
どうやらお天気は快方に向かう様で、少し雨もおさまってきたので6時過ぎに宿を出発し、既に2008年に履修済ですが直江津町道路元標へ立ち寄ります。
春日村道路元標です、道路元標は追分地蔵の建つ三叉路に並んで建っています、ここは加賀、奥州、北国街道と旧街道の集まる由緒ある場所です。
履修済みの津有村道路元標を経て高士村道路元標へ向かう道すがらレトロ風の建物が、「前島記念館」とあります、あの1円切手の前島密かな。 やはり前島密、出生地だそうで郵政博物館別館となっています、今は開館時間中ではないのですが、こうやってサイクリング中に偶然見つけた史跡とかに気軽に立ち寄って見学して行ける時間のゆとりがほしいです、目的地をこなして行く様なサイクリングをやっている様ではまだまだあきまへん。 何枚か写真を撮って、先を急ぎます。
高士村道路元標を経て櫛池村道路元標へ、今日は基本的に頚城平野の中をの平坦路を巡る予定なのですが、昨日の上早川村の様に少し谷あいに入った場所もあり、ここでは標高189mまで登る事に。 ここの道路元標は有形文化財に指定されている様で、「旧櫛池村役場前に設置されていた。 測量技術の開発されなかった時代の市町村を代表する『元標』で貴重なものである。 」と記した案内が並んで建っています。 記載の内容はともかく、こう云った形で「道路元標」が認知されているのは嬉しいものです。
次の牧村道路元標までは直線距離では2キロ程の位置なのですが、一つ北側の谷筋になり、山越えの道は積雪期通行止となっています、即ち除雪してませんよとの事です、つまりこれだけの雪が積もっている訳です。 登ってきた道を下る事に、しかし下りの寒い事と云ったら。
一度平野部に戻って再び登りへ、道路元標は元の牧村役場、現在の上越市牧区総合事務所前に保存されているとの事なのですが。 懸念していた事が、念のために穴蔵さんと国道901号さんのサイトで確認してみますが、どうやらのこの雪の中に間違いなさどうです、さすがにこれでは手の出しようがありません。
意気消沈してすごすご再び登ってきた道を下る事に、ところでお天気の方ですが雨こそ止んだものの、ときおり霙の様なものが襲ってきます。 写真は北国の冬の光景ですね、なかなかの「自撮り」ポイントなのですが三脚は小型のスタンド程度のものを持ってきているだけなので、どこか高さの稼げるところがあればと思っていたのですが、チャンスはありませんでした。
道路元標の位置情報はGPSに登録してあるのですが、上杉村道路元標、ちかくまで来ているのですが回りをウロウロしている様で、なかなか見つけられません。 もしやあそこに見える二宮金次郎像の前にあるのは!? 資料を確認すると間違いなさそうです、小学校の中庭の様なのですが、柵とかはありませんしどちらから回っても雪の中を行くしかなさそうですので、強行突破です。 さすがにスパッツまでは用意していませんでしたが、替えのニッカホースもありますし、案の定50cm位は埋まってしまいました。
10時55分、今日6つ目の美守村道路元標までやってきました。 次の大瀁村道路元標まで6キロ程の距離なのですが、帰りの時間が迫ってきました、直江津駅1312発の北陸本線経由にするか、名古屋から近鉄利用になりますが1311発で長野~松本経由にするか、いずれにしてもパンクとかアクシデントを考えるとこれ以上足を伸ばすのは難しいので直江津方面へ向かう事にします。 それに大瀁村道路元標近くには今は無き頚城鉄道の車両などが保存されている処もあるとか、次の機会の愉しみとします。
市街のイトーヨーカドーで食料を調達して直江津駅へ、昨日と同じルートも何なので、長野経由をとる事にします。 しかし駅構内は鉄どもでごった返しています、高級デジイチを首からぶら提げ、手には三脚、中には脚立まで用意しているつわものも、ホームや車内を走り回り、視線がおかしい、概ね格好がダサい、一目瞭然です。 それにつけ込んでJRも商売上手で「ありがとう信越線」なる全席指定の臨時列車まで運転する始末。
長野までは座れましたが長野~松本間は座れず、写真は姨捨駅から望む善光寺平、上越と比べると雪は少ない様です。 ところで日本三大車窓って後2つはどこだっけ? 疑問があればすぐにググれる便利な世の中になったものです、「狩勝峠」と「矢岳越え」だそうです、納得。
中津川駅でのホーム違い4分の乗換えをこなしな名古屋駅へ、ここで下りる階段を間違えるととんでもない遠回りになりますので、広小路口側へ下りて近鉄との連絡口へ、14分と時間の余裕はあったのですが、3分台で伊勢中川行き急行へ、座れはしませんでしたが輪行袋の置き場所も確保、まだ2回乗り換え2時40分もありますが、近鉄電車に乗り込んだら帰ってきたも同然。 23時11分桜井駅到着、1泊2日で輪行23時間、走行105キロ、道路元標蒐集の旅から無事帰宅しました。 支出13,843円、翌日に所用があって無理でしたが1泊2日はちょっと勿体無いなかったかと、でも最後の金沢~直江津~長野間に乗る事ができて良い思い出になりました。
本日の走行60.8キロ。 18きっぷで5,620円分乗車。
【1023】 新潟県 中頚城郡 春日村 (現 上越市)
【1024】 新潟県 中頚城郡 高士村 (現 上越市)
【1025】 新潟県 中頚城郡 櫛池村 (現 上越市)
【1026】 新潟県 中頚城郡 上杉村 (現 上越市)
【1027】 新潟県 中頚城郡 美守村 (現 上越市)
太地町森浦にて
今年は紀伊半島再認識の年にしようかと考えていたら、期せずして「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのお陰で既に今年4度目の南紀ツーリングとなってまいました。 3月1日から始まった「青春18きっぷ」の春のシーズン、1日あたり2,370円で普通列車乗り放題の「18きっぷ」ですが、紀伊半島を巡る紀勢本線は乗ったまま一周するのが精一杯で、わが街桜井を始発に乗っても新宮や串本に到着するのはお昼を回ってしまいます、マトモに行くととても自転車で走る余裕などないエリアですが、今日は古座川町の「月の瀬温泉ぼたん荘」と太地町の「くじらの博物館」をまわります。
近鉄で大阪鶴橋まで出ても良いのですが、今回も未明の大和川河畔を王寺駅まで走りスタートする事にします。 4時過ぎに桜井を出発、真っ暗な堤防上の道ですからそうは飛ばせません、所要1時間15分。 DST 21.02km、AVS 17.6km/h、MXS 24.4km/h、TM 1:11:34
新今宮、和歌山で乗り継いで紀伊田辺で49分待ち、紀伊田辺以南は0755から1044まで3時間近くも列車がありません、車両も17系からロングシートの113系へ。 ここでは新大阪0733発の「くろしお1号」に抜かされます、嫌でも特急に乗れとの計らいですが、その「くろしお1号」ですら串本到着は1102になります、昔は夜行もあって早朝から走り出せたのですがねぇ。
2駅手前の串本で25分停車の後、1249にようやく古座駅に到着です、串本から走っていても変わらない様な。
さすがに南紀、暖かいなぁと思っていら、既に桜が。
清流古座川沿いに入るとご覧の風景が、決して時間の余裕がある訳ではないのですが、写真を撮っていたりしてなかなか前に進みません。
気持ちよく走っていたら、この橋は??? 1キロ程「ぼたん荘」を行きすぎてしまい慌てて引き返す事に、とにかく無事26地点目をGET!
予定では<227>田原古座線を走り地蔵峠を越えショートカットするつもりでいたのですが、あまりに天気が良くて気持が良いのでR42を走り、昔2度ばかり行った荒船海岸へ寄り道する事に、ちょっと頑張って走ればなんとか行けるでしょう。
荒船海岸、入り口に国民宿舎があったりするのですが、ここはちょっとした穴場です。
R42に戻り少し走ってから下里村道路元標へ立ち寄り、太地町への<239>太地港下里線へ入り、27地点目のポイント「くじらの博物館」へ、これでスタンプラリーは残すところ3地点となりました。 ところで太地町には昔どういう経緯か知りませんが奈良交通が運行する路線バスが走っていました、車体横の鹿のエンブレムが鯨だったりして、信じられないでしょう。
R42沿いのコンビニに立ち寄り食料を調達して、余裕で太地駅へ、1700発の最終に乗り遅れるとどうしようもなくなるのでパンク修理が出来るだけの余裕は持って走っておかなくてはなりませんし、輪行支度を済ませて駅のホームでまったり過ごすのも良いものです。
帰りはさすがに「18きっぷ」のままでは桜井へはとてもたどり着けませんので、松阪から近鉄を利用して帰る事になりますが、6時間がかりで桜井に無事帰投、トンボ帰りで走行時間は2時間にもなりませんが、春を感じさせるとても気持ちの良いショートツーリングでした。 王寺駅までの自走を含めて本日の走行59.2キロ。 18きっぷで7,450円分乗車。
古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。