「自転車道」タグアーカイブ

帳尻合わせに自撮りポタ

奈良自転車道 水上池付近にて

 28日に信楽方面へ走ろうと画策していたものの、朝の寒さにめげてしまってくずくずしていると電話が… 急遽出勤それも連勤しなくてはならない事に、あわや信楽あたりから引き帰す事になっていたかも、くじけて結果オーライと云う事に。さて昨日まで月間走行実績が761キロ、天気が良ければ帳尻合わせに少し走っておこうと思っていたら「4’seasons」のパン喰いライドの集合場所が平城宮址10時と云う事で、良い距離なのでお見送りがてら出掛ける事に。平城宮址の先の水上池は来月にでも行く予定をしていたので「自撮り」の準備もして、大和川~佐保川~秋篠川に沿って走ります。写真は秋篠川べりから見える薬師寺の三重の塔。

 「4’seasons」のパン喰いライドの参加者は7名、一行は流れ橋の先のテクノパンまで往復するのだとか。

 平城宮址を後にし「みやと通りへ出ます」、特急来い!と念じたらビスタカーが。一行は歌姫街道を越えると云う事ですので、佐紀交番の前でお別れします。

 京奈和自転車道のコースになっている水上池沿いの「奈良自転車道」正式名称は奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線、色づいている木も少しあります。しかしいくつもの名称がかぶっているのはややこしいですよね、このあたりについては「奈良県の自転車道に物申す」を参照。

 「自撮り」の段取りをしていると、何と奈良の重鎮伊藤さんが、富山遠征に備えてBROOKSのデカいサドルバッグを付けて試運転中とか、いつまもお元気で何よりです。左の写真ですが水面が継いだ様に不自然に写っていますね、それにマスクしたままだし。何度かトライしている内に曇ってきました、春日山から石切峠に登るつもりでいたのですが、夕方まで持ちそうもないので奈良市街を抜けて帰途に就く事にします。

 奈良バイパスをくぐった処で京奈和自転車道ルートと離れ、ロケハンがてら先週「笠置キャンプ」の帰りにも通ったルートを行きます。京奈和自転車道ルートから東大寺方面へ行くにはこのルートがお奨めです。
 奈良公園にて、観光客もずいぶんと戻ってきた様ですね。上ッ道を天理まで南下し布留川南流沿いを走って中ッ道へ、大和川沿いに戻って15時前には桜井に帰投、本日の走行61.7キロ。

笠置キャンプ 2022(3日目)

写真 : タックさん

 3日目の朝です、昨夜も宴は遅くまで続いていた様ですが、先にテントに潜り込んでしまいました、歳のせいか最近はどうも最後までお付き合いできない様でして、?単に飲み過ぎ。ただ夜中の3時頃に雨が降りだしてきて、慌てて自転車やら放りだしてあった荷物にカバーをかけたり片付けに飛び出る事に。幸い通り雨で明るくなる頃には晴れてきました。

 ヤマタンさんは帰ってくる娘さんを迎えに行かなくてはならないと云う事で、早々に撤収して帰途に就いたのですが… ご自宅まであと5キロと云う処でとんだ悲劇が、スギノのクランクがねぇ、ご愁傷さまです。


 さて残った4人はテントやらを乾かしながらのんびりと撤収作業を、佐々木さんが積んできてくれた大きなタープとテーブルのお陰で快適に過ごす事ができました。

 遠路はるばるお見えになった佐々木さん、今日は適当にポタリングして、明日は大阪で「渡船めぐり」をしてから認定証を貰いがてら「ナニワ銀輪堂」さんへ行かれる予定、そしてその夜は今年5月に行った琵琶湖畔の「湖岸緑地 支那1」で夜営してから帰京されるとの事。粟島行きは残念でしたが、凄いバイタリティで休暇を愉しまれてますね。

 今回の参加者全員揃っての写真は叶いませんが、最後に残った4日で記念写真を。そうそう「笠置キャンプ場」はかつての水運の船着き場なんですよ。1030 私とタックさんは4サイドで、阿部さんは徒歩でJR笠置駅へ、佐々木さんは車と、それぞれ笠置キャンプ場を後にします。(写真 : 佐々木さん)

 往路とほぼ同じコースで木津へ向かいます。(写真 : タックさん)

 1132 樋門公園(三角公園)に到着し暫し休憩、往路は御幸橋経由で来られたタックさん、帰りは清滝峠を越えて帰ろうかなと云っていますので、R163までご一緒してお別れします。

 京奈和自転車道で京都奈良府県境を越えて、奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)」を奈良市街側へ越えます。ロートフィールドの前後で車と人でごったがえしてるなと思ったら、サッカーのイベントなんですね。

 観光客も戻ってきて賑わう奈良市街を抜けて上ッ道へ、順調に南下して 1353 無事に桜井の自宅に帰投。今夜勤務なので16時過ぎには出掛けられる様に荷物を降ろしてシャワーを浴びます。ここ暫く荷物を運んだだけみたいなキャンプツーリングだったのですが、今回は持って行った機材と食料をちゃんと使って飲んで食ってしまったので、なかなか有意義なキャンプツーリングでした、距離も平坦な50キロ前後でしたしね、本日の走行 46.5キロ。

 1日目 2日目 3日目 おまけ

 集合写真を含む大きなサイズの画像を順次うちのHP「サイクリングの記録」にUPしています、一部タックさん他の写真を拝借しています。なお私の写真に関して参加された方は再利用して頂いて結構です、なお認証が必要です、ログインは’2022’、パスワードは2022年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の4桁の数字です。なおスマホのSNSアプリ等からリンクをたどると401エラーが出る事がありますが、Crome等ブラウザで開いて下さい。

大隅半島キャンプツーリング2022(3日目)

鹿児島県肝属郡錦江町 神川ビーチにて


 今日も良いお天気です、真夏だと陽が登ると暑くてやってられないのですが、10月ともなるとのんびりと撤収作業を… いやちょっとのんびりし過ぎ。
 神川ビーチは桜島と開門岳の両方が見えるのも売りにしているのですが、正直云ってどっちも中途半端、特に桜島は海岸線に隠れて全容は見えません。

 神川キャンプ場を後にしたのは8時、それが立ち寄るつもりだった「神川大滝」の事はすっかり忘れていました。海岸に沿ってR269を北上するのですが、結構なアップダウンです。展望塔のある「錦江湾パノラマパーク」で一息入れていると、同じモニターツアーで来ているロードの一行が気持ちよさそうに下ってきます、暫くすると出口さんと角野さんも、さてどこまで南下するのかな。県道68号に入り昭和62年国鉄民営化と同時に廃線となった国鉄大隅線のガードの下をくぐります、塗り直されているのか廃線の鉄橋と思えませんが。(写真右) 

 大隅高須駅跡、廃線跡は「フィットネスパース」と云う自転車歩行者専用道路になっています。前回2019年には垂水市から廃線跡に沿ってここまで南下してきました。


 駅跡から廃線跡の自転車道を鹿屋市街へ向かいます。大隅半島東岸に沿う高隈山地の南端が丁度この辺りで、佐多岬へと続く肝属山地との間は半島を横断するには一番標高の低い部分になっていて、一番楽に志布志方面へ戻る事のできるルートです。なお大隅線の前身の南隅軽便鉄道は港のあった高須から大隅地域の中心地だった鹿屋の間が最初に開通しています。

 自転車歩行者専用道路と云っても利用者の殆どはランニングやウォーキングの人で、所々落ち葉に埋まっている様な部分もありますが、切り通しなど廃線跡を感じさせる道筋が続き緩やかに登って行きます、昨日鹿屋へ向かうこにたんさんにこのルートを教えたのですが、荒平天神まで行っているので「フィットネスパース」への入り口を見つけられなかったのか、反対向きに走ってしまったのか。

 標高70m程で鹿屋市郊外の住宅地と云った趣の中の大隅野里駅跡へ、残念ながらこの先は車止めが多くて自転車には走りづらいのですが、一般道が並行しています。今回は鹿屋航空基地の南西端で左折し市街へ向かいます。

 海上自衛隊鹿屋航空基地の中にある鹿屋航空基地資料館、回りに所縁の航空機が展示されてます。「CanCanさ~ん!」と呼ぶ声、どうやらこにたんさん達も来ている様です、帰りのルートをどうしようかと迷っているとか、来る時はR220だったそうですが、地元の人に聞いてもやはりR220だと云われるそうで、夕方に志布志を出るフェリーに乗らないといけないサイクリングの女性2人に尋ねられたら、それ以外に答え様がないですよね。
 私の予定はルート探索を兼ねて肝属川沿いに下り、昨日のコースと重ならない様に途中から前回しくじった廃線跡を辿るつもりだったのですが、結果的にお二人と一緒に志布志までの帰途に就く事に、クロス、キャンピング、ミニベロの珍道中。(写真 : こにたんさん)

 鹿屋航空基地は鹿屋市中心市街の西側の高台にあるので、取り敢えず鹿屋駅跡の方に下ろうとして早速ミスコース、なんと「神徳稲荷神社」の前へ、これも御導きと見学を、ガラス製の鳥居と云い、何とも面白いお稲荷さんです。

 国鉄鹿屋駅跡の鹿屋市鉄道記念館、キハ20とかつての大隅線の各駅の駅名標が並んでいます。後で知ったのですが、廃線前鹿屋駅前後はΩ状に線路が敷かれていて、今もその跡を道路で辿る事ができます。Ω状になっているのは標高を稼ぐためのものだとばかり思っていたのですが、大隅鉄道時代の鹿屋駅はスイッチバッグ状になっていて、国有化後改軌とともに折り返しをしなくてよい様に付け替えてしまったのだとか。
 鹿屋駅跡から廃線跡の自転車道を少し走り、肝属川の支流下谷川を渡った処から右岸を走るとすんなり肝属川にでる事が。とにかく志布志港に15~16時の間に戻らなくてはなりません、万が一にも乗り遅れると自腹で帰らなくてなりません、帰阪が火曜の朝になっても構わない人は明日の「さんふらわあ」でしょうが、少しでも早く帰らないといけない人には、輪行袋を手に入れて鹿児島で1泊、明日の新幹線と大変な出費になってしまいます。その上台風被害でJR日南線は一部運休で南郷以南がバス代行、でも南郷まで走って日南線で宮崎回りする位なら、都城へ走った方が得策、とにかく船に乗り遅れると大変な事になる訳です。
 さてお二人のペースも判りませんし、距離的には多少遠回りにはなりますが、昨日走った肝属川沿いと海岸よりの道を走るのが賢明かと。

 肝属川沿いに走ると広々とした風景の中、車は来ないし、信号もない快適コース、ただ途中には食事のできる処かコンビニすらありません。しかも肝属川べりは河口に近づくにつれて向かい風が強くなります、まして抵抗の大きい4サイドでは油断をすると13km/hまでスローダウン。どうにか柏原海岸まで帰ってきて暫しトイレと自販機休憩。その後昨日同様に防砂林の中の道へ、一本道なので先頭を交替して貰い牽いて貰うつもりが、途端に20km/h超、そうお二人はE-Bikeだったのです。志布志市域に入りR448からR220へ、さすがにこのまま昼飯抜きではと、夜のバイキングまでの虫養いにファミマへ突撃。

 ともあれ 1452 無事に志布志港に到着、既に何台かは戻ってきてはいるのですが、佐多岬でキャンプをしていたT君は大丈夫かな。
 さて今回の参加条件にアンケートへの記入があるのですが、前回より進歩してネットでの回答なのですが、結構なボリュームがあります。

 1548 出口さんと角野さんも無事到着(写真左)、Tさんも無事に佐多岬から帰ってきました(写真右)、しかし皆さん与えられた時間目一杯走ってますね。前回と云い余裕で志布志に帰ってきたと云うより私が心配性なのかな…

 乗り遅れる人もなく参加者全員が無事に乗船できた様です。帰りは船が変わって「さつま」で3階甲板にサイクルラックが用意されていて、ラックに掛けられないキャンピングやミニベロは柱に固定して貰う事に、フェリーではそれが当たり前の光景だったのですがね。

 昨日に比べて坂と云える様な坂はなかったですし、距離も僅かに短いのですが些か疲れました。船室に上がると速攻で風呂に入ってバイキングの夕食に。本日の走行61.2キロ。

 

※ こにたんさんこと京猫さんのブログ

プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目

「ゆめしま海道」へ (おまけの2日目)

  予讃線 伊予桜井駅にて

 今日の予定はタイトルの「ゆめしま」とは全く関係なしで、愛媛県と香川県の未修の道路元標を巡って帰途に就く予定なのですが、案の定降ったり止んだりの雨模様に、香川の分は諦めて「シクロの家」の隣の食堂「二葉」(本来は駅弁屋さん)で朝定食を頂いて、のんびりYさんにコーヒーを淹れて貰って8時過ぎにスタート。

 伊予桜井駅までの数キロ、雨雲レーダーを見て、雨雲の間隙を縫って走り出したつもりが、やっぱり降られてしまった。

 愛媛県越智郡の桜井町道路元標があるのは今治市立桜井小学校、敷地内と云っても道路から見える位置に保存?されています。この場所2016年3月に通りすぎているのですよ、2009年まで愛媛県は道路元標が全く現存しない県の一つだったのですが、現在は此処を含めて5基の現存が確認されています。この様に学校敷地内に逃げ込まれてしまう?例は多いのですが、そうなると一般人の目に触れにくくなってしまいます。道路元標が設置された時代の地方自治体としての町村は少なくとも小学校の一学級が構成できる人口規模(交通手段をも考慮)であったとする考えがあり、郵便局や駐在所も同様ではと類推できます、つまり村長さんと校長先生と局長さんと駐在さんの世界、そして昭和や平成の大合併を経た後も、旧町村名を冠した小学校、郵便局、駐在所が多く残っています。また昭和27年施行の新道路法で法的根拠がなくなり行き場を失なった道路元標が旧町村名を同じくしていた事で、それらの敷地に移された例が多いのです。大正道路元標が測距の基準であった事には違いないのですが、マイルストーンであった明治里程標とは異なり、シンボルになり得たと云うのが持論です。

 現在は無人駅となった伊予桜井駅、大正から昭和へと国鉄予讃本線が西へ向かって延伸する中で、1923年(大正12年)12月21日から翌1924年(大正13年)2月11日までの僅かの間、予讃線の終点でした。

 降ったり止んだりのお天気、10キロにも届かない僅かな距離を走っただけで伊予桜井駅から帰途に就くしかなく、のんびりと輪行支度を始め1115発の高松行きに。2両編成と思いきや、後ろの車両は回送車両、前の1両は立っている人がいてほぼ満員、おまけにトイレなし車両を延々何時間も走らせると云うアコモ化に逆行するJR四国の普通列車、特急列車の方が本数が多いので結果的に抜かされる毎に長い停車時間となっている訳ですが、お腹の弛い人に四国は「18きっぷ」輪行旅はお勧めできません。幸い新居浜辺りから座る事ができウトウトしていて暑さに眼を醒ますと、青い空に青い海!ここは何処?箕浦駅! 当初下車予定の観音寺の手前やないですか、今からでも下車して岡田村道路元標を回って桜井まで帰れるかどうかと今後の天気を調べます、鶴橋から近鉄経由ですが帰る事ができますし、お天気は16時過ぎまで大丈夫そうなので、観音寺駅下車決定。

 輪行支度を解いて13時半には再び走り出します、この辺りデモンタブルの機動力、ロードバイクでも輪行は楽ですが、ホイールを掴む事なくできますから雨天走行の後でも手を汚しません。コースは丸亀琴平観音寺自転車道いわゆる土器川自転車道をなぞるのですが、観音寺側からだと財田川沿いに遡上しR377で丸亀側に越えて土器川左岸を下る約36キロ、せっかくですので自転車道の起点(終点)を目指しましたが、何の案内もありません。とにかく地図を見ながら自転車道らしき処を走って行きます。

 金比羅五街道の一つである伊予土佐街道、現在のR377で三豊市と仲多度郡の境界伊予見峠(162m)を越えますが、自転車道として整備されてはいませんし、ただ車の多い国道をだらだらと登らされます。

 土器川近くまで下った処で、自転車道のルートから離れて岡田村道路元標へ、1119基目今回のミッションを果たす事ができました。

 飯野山(讃岐富士を見上げながら土器川べりの自転車道へ戻ります、こちら側は財田川沿いに比べると利用者はある様です。丸亀駅まで走る予定でしたが、もう少し頑張って坂出駅まで走れば乗換を1回パスできます、幸い雨雲に追い付かれる事もなく坂出駅へ。

 坂出駅では「CYCLE PIT」なる案内がありました、改札口のあるコンコースを挟んで反対側(高松側)でサイクルラックがあるだけで、おまけに空調の排気ダクトの真ん前、これは配慮されていると云う感じではありませんね。

 坂出駅1754発に乗車、もう1時間早ければ「18きっぷ」だけで桜井まで帰る事ができたのですが、スタートが遅かったので仕方ありませんね。

 岡山駅で姫路行普通まで45分待ち、山陽本線、伯備線、津山線、吉備線と旧国鉄時代の車両がまだまだ活躍しています、復活した国鉄色「やくも」ですが2024年春には381系引退と云う事で鉄ちゃんの姿が…
 22時前には大阪へと戻ってきましたが、JR、阪急、近鉄でダイヤが乱れていた影響が、ともあれ日付が変わる直前に桜井に辿りつく事が、さすがもう輪行支度を解く事はせず転がしたり担いだりしながら帰ってきました。本日の走行55.8キロ。

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

「ゆめしま海道」へ (1日目 前半)


弓削島 法王ヶ原

 今日の予定は因島に残る中庄村道路元標へ立ち寄る以外は、尾道から今治まで適当に「しまなみ海道」を走ればと行き当たりばったり、三原に着くまで何にも考えていませんでした、まぁ何度も走っている「しまなみ」ですからね。
 当初単純にR2を尾道へ戻るつもりでいたのですが、よくよく考えると目の前の三原港から因島へは航路があります。因島重井港まで自転車込みで1,290円は決して安いとは思えませんが、0620発の1便に乗れば因島西岸の重井港まで20分ほど、しかし自転車込みで20分で1,290円は高い、なんと因島土生港まで乗れば1,800円にもなります、またせとうちサイクルーズPASSの割引対象航路にもなっていない様です。

 とにかく一度は乗っておくのもと良いかと… 途中佐木島の鷺港に寄港しますが、あっという間に重井港へ。
 向島を飛ばした処で大して見処がある訳でもありませんし、時間に余裕ができたので今年3月に開通した岩城橋を含めて「ゆめしま海道」4島を走り小漕港から生口島の州江港へ渡る事を考えてみました。

 「しまなみ海道」のブルーラインの引かれた広島県道366号西浦三庄田熊線を少し尾道側へ戻り県道367号中庄重井線へ入り内陸部を走るR317へ。御調郡の中庄村道路元標はこざっぱりとした住宅地の中に残っています、通算1117基目。広島県下の道路元標は現在までに7基が確認されているのですが、今まで2007年、2009年、2015年と足を運んでいます、そうは一気に見つからないだけに大変です。
 R317を因島南岸に出ても朝の通勤時間帯で混んでいるだけですので県道120号中庄土生線の大山トンネルを抜けます、下った処の三差路を右に折れると自転車神社として有名な大山神社、そこを左折して少し登ると弓削島へ渡る家老渡(かろうと)フェリーのりばへ行く事が、結局因島は重井港から家老渡港まで内陸部を横断してしまいました。


 出港直前の家老渡港0820発に滑り込み、自転車込みで180円也、せとうちサイクルーズPASSを持っていれば160円で乗船できます、僅か数分の船の旅ですが「ゆましま海道」の佐島と生名(いきな)島の間に架かる生名橋を望む事ができます。
 弓削島の上弓削港に到着、ここはもう愛媛県です、休憩所とかがあるので小休止。弓削島の東岸を回る事も考えてみたのですが、少々険しそうなのでパス。

 2017年7月の「しまなみキャンプライド」の際にキャンプした法王ヶ原へ立ち寄ります。当時は無料のキャンプ場でしたが、現在は一部が決して安くはない有料のキャンプ場となっている以外はキャンプ禁止だとか。
 弓削大橋を渡り佐島へ。いま「ゆめしま海道」と呼ばれているのは愛媛県越智郡上島町の弓削島、佐島、生名島、岩城島の4島を弓削大橋、生名橋と今年3月に開通した岩城橋によって結ばれたルートですが、本土側とは架橋によっては繋がっていない離島です。

 
 佐島には南端までの道にブルーラインが引かれていて終点が「Uターンブルーライン」として知られる様になったのですが。
 佐島の周回コースから別れて片道3キロほど、幾つかアップダウンがありますが、思っていたより楽に着きましたが、思っていたよりしょうもなかったと云うのが正直な処です、「長磯の浜」と云う静かなビーチがあります。
 佐島西岸から見た生名橋。

 今年3月に開通した岩城橋、歩道がない上に桁上も5%の勾配が、GPSの値で56mまで登らされてます。岩城島は周囲30キロ程の島で北岸の小漕港から生口島の州江港へ、南岸の岩城港から今治港までの航路があります。
 岩城橋を渡り北岸の小漕港へ向かいます、1時間に2~3本の便が出ているのですが、1230発が出た後、この間だけ1時間待ちの1330発、お昼休みなんですねぇ。所要5分対岸の生名島が目の前、州江港に渡れば「しまなみ海道」のルート上で今治まで約40キロ、1時間待って今日はやや向かい風、それに左膝の調子がいまいちと意気消沈。初めての岩城島にせっかく来た事ですし、岩城港まで走って1620発の今治港行きで横着するのも良いかな… (後半につづく)

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

ゆるゆるCC「おふさ観音風鈴まつりサイク」

橿原市小房町「おふさ観音」

 昨日に続いて「ゆるゆるCC」の「おふさ観音風鈴サイク」に、またまた午前中だけ参加させて貰いました。なんと参加者は20名前後との事、大阪の柏原市役所に集合の後、王寺駅北口で奈良組が合流の予定。橿原のつっちーさんと下ッ道沿いの天理市庵治町の地蔵尊で合流し王寺駅までお迎えに向かいます。
 0930 合流予定ですがパンクトラブルで少し遅れてスミレちゃんが到着です。総勢19名、今風ロード、ランドナー、小径車とごっちゃまでです。この先御幸(みゆき)橋で自転車道に入るまで、普通車すら離合困難な道やら交通量の多い道がありますので、3グループに別れ、先行グループを御幸橋まで私が牽きます。
 御幸橋にて、追いつかれない様にとそれなりに飛ばしたのですが、あっと云う間に追いついてきました。
 西名阪の下で再び全員集合、今日も初参加の方がおられますので簡単に自己紹介。初参加の人でなくても「ゆるゆる」は人が多いので顔と名前、ハンドルが一致しません。なんと今日はものほんの女性がなんと5名。ここからは「飛鳥葛城自転車道」と「大和中央自転車道」を継いで大和八木まで行きますので8割方は自転車専用道です。
 田原本町富本の県道14号桜井田原本王寺線を渡る処、交通量も多いのに信号も離れていて横断歩道もないのでなかなか渡れません、どうにかして貰いたいものです。なお県道14号は概ね大和鉄道の廃線跡なんです。
 県営福祉パーク前で休憩、ここには休憩スペースやトイレ、自販機があります。右の集合写真には拡大画像はありません、参加者で必要な方は「Cycling Reports」からどうぞ(要認証)。

 中和幹線の陸橋を潜った処で自転車道と別れ、近鉄新ノ口連絡線と保線基地を跨いで上品寺の集落の中を抜けて行きます(写真は「ゆるゆる」のアルバムから引用、恐らくタックさん撮影かと。
 上品寺を抜けると近鉄大阪線の激狭アンダーパスも八木駅前も通らなくて済んだのですが、下ッ道に入りR24を渡って、ここから「おふさ観音」まで一本道と云う処でアクシデント発生、幸い大事には至らなった様です。
 下ッ道を行きます、しょっちゅう走っている道ですが、貴重なショットです(左は乾さん、右はタックさん撮影かと)。
 何はともあれ12時前に「おふさ観音」に到着、休日あって結構な人です、幸い19台もの自転車は西側のお寺のガレージの前に置かせて貰う事ができました。


 すみれちゃんと2ショット。(ゆるゆるアルバムより引用)。すみません私はここでお別れして帰途に就きました。皆さんこの後、耳成山の南側の公園でお昼にされたとか…
 この日の模様は乾さんのブログ「うっとこの自転車」へ。
 集合写真を含む大きなサイズの画像をうちのHP「サイクリングの記録」に順次UPしています、なお私の写真に関して参加された方は再利用して頂いて結構です、なお認証が必要です、ログインは’2022’、パスワードは2022年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の4桁の数字です。なおスマホのSNSアプリ等からリンクをたどると401エラーが出る事がありますが、Crome等ブラウザで開いて下さい。

軽く早朝ポタのつもりだったのですが…

   折角の連休をどこにも出掛けずに過ごしてしまったら罪悪感に苛まれて、最後の1日位はと朝5時から早朝ポタで大和高原へ向かう事に、いつもの様に初瀬ダムに取り付きます。

 ダムさえ登ってしまえば針まで緩やかな登りが続き朝の空気が心地良いです、例によって藺生町へ。昨日近畿も異例の早さで梅雨明けしてしまったとか、紫陽花も立場がないですよね。

 R25を跨いで少しR369を走り針ヶ別所から県道25号月瀬針線へ、布目川沿いの道が緩やかに下って行く快走ルートです。布目ダムで小休止。

 お馴染み邑地(おおじ)町の旧道と興(おく)ヶ原の沈下橋。

 柳生から打滝川沿いの道を笠置まで下ってきました。キャンプブーム以降敬遠している笠置キャンプ場、平日とは云え結構空いていました、この猛暑と10時前と云う時間もあるのでしょうが。丁度関西線の登りがやってくる時刻、少し待って狙ってみました。しかしこんな駅近キャンプ場も珍しいですね。 
 一旦R163に出たものの行きかう大型トラックに参って、戻って笠置街道(府県道33号)で奈良市へ越える事に。
  「大和高原真夏の早朝ラン」でお馴染みの高城酒店でアイスを買い食いして、西狭川から安郷川沿いの道に入ります。涼やかな渓谷沿いの道から県道47号に出てピークを越えると再び京都府へ、府道752号に合流した処で南に走れば再び県道33号に出て奈良市街へ下るだけなのですが、何を思ったか岩船寺から加茂へ下ります。
 岩船寺を経て加茂まで下ってきた処で天理加茂木津線の京都府側のヘキサを発見、奈良京都越境府県道の京都側にはなぜか皆目ヘキサがないのですよね。木津を経て京奈和自転車道へ、
 鹿川と山松川が合流する処の公園で暫し休憩、すでに時間は13時を回っていて、この先のルートを考えるといささか憂鬱に。木陰にいると風が心地良いのですが、ゴロんと横になれる様なベンチが日陰にはありません。
 府県境を越えて水上池へ、木陰にお誂えのベンチを見つけて暫し昼寝を決め込む事に。
 佐紀町交差点から西大寺を経由する京奈和自転車道のルートを離れて「みやと通り」を南下し三条のLAWSONに立ち寄った後R308を少し西に走り秋篠川沿いの自転車道へ戻ります。佐保川沿いに出ると日陰がありませんので3つのアンダーパスが頼りです。水分補給と休憩を重ねながら大和川べりにでて17時前に無事帰宅、午前中だけのつもりが結局は1日走っていた事に。走行107.4キロ、所要時間12時間、実走行時間は7時間16分、1/3近くは休憩していた計算、後9キロで今月500キロだったのですが、そんな余力はもうありません。殺人的な猛暑で奈良市でも36.5℃を記録したそうなんですが、風があったので救われました。

今日の遠回り通勤ポタ

大和中央自転車道(大和郡山田原本橿原自転車道線)にて

 ここ1週間程勤務が続くので今日は職員検診の後真っ直ぐ帰ろうと思っていたのですが、外へ出るとあまりに良いお天気なので少し遠回りしてみる事に、国道沿いの「すき家」で朝食を摂ってから飛鳥川沿いの自転車道を北上します。
 この自転車道「大和中央自転車道」(奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線)、あまり路面状態は良くない上にこれからの季節は路肩の草が伸びてきて藪漕ぎ状態になる事も。なお厳密には写真の田原本線の踏切は自転車道ではなくコースそのものは対岸側へ迂回さされます。標識にはアンダークロスが記載されているみたいなのですが、冠水時を問わず廃道状態です。
 途中で何本かの県道と交差していて、田原本町平野で県道112号田原本広陵線と、田原本町富本では県道14号桜井田原本王寺線と交差するのですが、信号どころか横断歩道や県道側に自転車道の存在を示す標識すらありません。県道側の信号からはそれぞれ数100m離れていて、特に後者は交通量が多くタイミングが悪いとなかなか渡らせて貰えません。
 三宅町小柳で「飛鳥葛城自転車道」(奈良県道274号明日香大和高田広陵自転車道線)から別れてきた「京奈和自転車道」と合流しますが、流石に近年整備されただけに路面は綺麗になっています。しかし自転車道の標識が無駄に増えるのはネェ、無いところには全くないのに、この辺り「奈良県の自転車道に物申す」を。
 この先川べりを快適に走らされて貰えるのと思えばわざわざ大型車の出入りする唐院工業団地の中を走らされます、これはセブイレの策略か。
 な訳ですので、強引ではなくごく自然に自転車道の標識を無視して、川べりを走り大和川に架かる太子橋南詰へ。そのまま自然に寺川べりに出て「面塚」の前を通り、お昼前には桜井に帰ってきました。本日の走行31.1キロ。来週には梅雨入りなんでしょうかね、本日はボヤきの多い小ネタでした。

遠回り通勤ポタ「献血」

  京奈和自転車道にて

 今日の遠回り通勤ポタは大和郡山まで献血に行く事に。下ッ道を北上、二階堂から県道193号筒井二階堂線で三郷橋で佐保川を渡り筒井へ。最近は成分献血で30~40分じっとしているのが辛いので全血ばかりです。

 献血後ですから充分に水分補給と休憩をとって、せっかくなので郡山市街まで北上してから佐保川べりへ。京奈和自転車道の奈良県下の区間で一番良いと云うかマトモな区間、佐保川と地蔵院川の導流堤上(写真左)と近鉄天理線と橿原線のアンダーパス区間(写真右)をを走り、高橋を渡って浄化センターを抜けてほぼ大和川沿いにのんびり走って帰ってきました。
 本日の戦利品、って割く時間だけ考えても割に合う話でもありませんが、献血のボランティア依存体質が気に入らないので、粗品の良い時を意地でも狙って行く事にしています、ティッシュ5箱なんて時はバッグ装備でね。しかしあの何の役にもたたない記念品の「盃」どうにかならないですかね。
 まぁ走る動機付けにはなる訳ですから、それはそれで本日の走行44.2キロ、14時前には無事帰宅。

遠回り通勤ポタ「結崎面塚」

磯城郡川西町結崎 寺川河畔「面塚」にて

 今朝の奈良の最低気温は-2.2℃とかなり寒かったのですが、9時前から国中の川べりの道を大和川御幸橋まで巡る事にします。飛鳥川沿いに出ておふさ観音近くから下ッ道(中街道)へ、横大路と交差する八木札の辻にて。
 近鉄橿原線を跨いで飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ、向い風が強いですが、徐々に陽射しが暖かくなってくるのが救いです。

 河合町で曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ移って大和川に架かる御幸橋で右岸へ渡ります。淀にある御幸橋は「ごかうばし」ですが此処のは「みゆきばし」、休日とあって結構ローディが行き交ってます。
 大和川右岸の堤防上の道を遡ります。対岸で大和川に曽我川が合流しています。青い橋は太子橋、大和川の蛇行が改修される前はなかった橋で、渡った辺りだけは今も安堵町域です。
 その太子橋は今月末まで補修工事で日中通行止だそうなのですが、祝日のせいか工事とかやっていませんでした。
 この付近で筋違(太子)道が大和川を渡っていたのが橋名の由来なんでしょうね。
 大和川左岸を行きますが、この先で寺川が合流してきていますので自然と寺川左岸に。桜井へはほぼ大和川左岸を走って行けるのですが、近鉄橿原線を跨ぐ踏切の前後imageで3月10日まで舗装工事で通行止になっている様で、適当な迂回路がないので、今日は寺川沿いから天理市庵治(おうじ)町へ抜けるルートを辿ってみる事にします。

 寺川左岸の道が県道197号結崎田原本線と交差する宮前橋の先に「面塚」と云う史跡があるのですが、観世能楽発祥の地だと事で「結崎面塚公園」と云うのが整備されていて、何度か来ているのですが、桜の季節に来なくては。
 川べりの快適な道が続きますが、残念ながら寺川べりの道は近鉄橿原線と京奈和自動車道で行く手を遮られてしまいます。先の宮前橋から数えて3つ目の橋で右岸に渡ります。

 寺川右岸の堤防上はダートですので住宅街の川よりの道を辿ると近鉄橿原線をどうにかくぐる事ができます。

 真っ直ぐと云う訳には行きませんが京奈和自動車道をくぐる事もでき、そのまま東へ。

 天理市庵冶町で下ッ道(中街道)に唐突に出てしまいます、角には大神宮の常夜灯があり、八王子社もあった様です。道標には年号と●●村木之本と読め、確かに山辺郡二階堂村以前の庵治村には木の本と云う字があった様です。下ッ道はともかくこの東西の道も歴史のある道の様です。庵治町でいつものルートに戻りますが、距離は殆どと云って変わらないのですが(図青線)車が少ないので重宝しそうです。R24を跨ぎ再び大和川べりに、そのまま桜井に戻っても良いのですが、海上橋を渡り東へ上ッ道(上街道)まで出る事にします。

 JR桜井線を跨いだ処でレトロな柳本駅へ。いつのまにか駅中食堂が「ビクトン」と云う妙な名前なのですが、三角縁神獣鏡の出土で知られた黒塚古墳の最寄り駅で、休日をあって結構賑わってます。店頭で売られていたロースとんかつがあまりに美味そうなんで(450円也)が1つ買う事に。
 上ッ道に戻って巻向から三輪とお昼過ぎには桜井へ、買い物を済ませて帰宅、本日の走行36.2キロ。今日まで出今月は358.9キロ、後1週間で幾ら走る事ができるでしょうかね。
 そうそうロースとんかつはお昼にカツカレーとなりました、盛り付けが雑なのはご容赦を…