「輪行」タグアーカイブ

北宇智のスイッチバックが廃止

そう云えばJR和歌山線北宇智駅のスイッチバックが来月には無くなるんだ(JR西日本の案内)、スイッチバックといっても木次線出雲坂根の様な大規模なものではなく、かつての関西本線中在家信号所等の様に昇降や交換のために停車する必要のある場合だけ側線に入るようにスイッチバックする構造なのだが、今の和歌山線には急行も貨物もないから全ての列車が毎回行ったり来たりする。
 たまにツーリングの帰りに輪行で利用するので余計に時間がかかるだけ今では鬱陶しいだけなのだが、SLが走っていた頃には良く写真を撮りに出かけただけに無くなるとなると寂しいものである、無くなる前に写真でも撮りに走ってこようっと。
 ところで営業キロが400m短くなるので区間によっては運賃が安くなる場合があるんだって、って今までスイッチバックで行ったり来たりする分を払っていた訳なの。


淡路島道路元標蒐集サイク

今月一杯で廃止される泉佐野と津名を結ぶ「南海淡路ライン」を利用して淡路島の’道路元標’蒐集に行ってきました。 「南海淡路ライン」が廃止されると淡路島へ渡るフェリーは明石からの「たこフェリー」だけになってしまい、四国側からも鳴門橋は自転車は渡れないのでサイクリストにとって淡路島南部は非常にアクセスしずらい地域になってしまうのです。

もちろん航送料金\700を払えば自転車もそのまま載せられるのですが、折角のPacficですから輪行状態にして乗り込みます。 それにこの時期車と一緒に外で乗船まで並ばされるのもたまりませんしねぇ(^_^;) 終夜で10便(平日)が運行されていて、泉佐野0820発の下り3便に乗りましたが車なしでの乗船は私一人でした、船内でNHK朝の連ドラ「芋だこなんきん」も見たし1時間半の船旅ものんびりして良いものです。

津名から<469>上内膳津名線で山間部へ入り’道路元標’を辿りながらR28旧道で福良まで南下、海沿いの<25>南淡西淡線を走らず、山越えルートで西淡町へ入ったので折角ここまで来て鳴門橋も見ず仕舞です。
←旧西淡町(現南あわじ市)にて、冬晴れの暖かい日ですがさすがに海沿いは風が...

 

再び内陸部に入り<66>津名五色三原線へ向かいます、田園風景の中の場違いに立派なを道路をおはあちゃんの運転する白菜を満載した運搬車???が2サイクルのエンジン音を響かせながらが...のどかなもんです(^_^)

 

FI2612665_5E.jpg藤原勝永著「兵庫県の道路元標」によると淡路島の津名郡、三原郡には15基の’大正道路元標’の現存が確認されていましたが、賀集村道路元標が撤去されていて行方知れずになっていたものの今日は8基をGETできましたが、南岸の内灘村と離島の沼島村が残ってしまったのが...車に乗らない身にはいよいよ日帰りでは行けなくなります。

「新玉亭」再びのつもりが...

天気も良さそうなので部屋に籠っていると昼になって後悔しそうなので、三重県で現存が確認されている残りの’道路元標’5基をまとめてGETしてから、W氏他が参加している’鰻の新玉亭’へ向かうalialiさん主催の「激盛、満腹ツーリング」へ追撃しようと急遽思い立ち朝一の近鉄で鈴鹿市まで輪行で向かったのだが...
 よりによって神戸町(現鈴鹿市)と亀山町の道路元標の資料を持っていくのを忘れてしまった、お陰で鈴鹿市街を1時間近くウロウロする事に、幸い石薬師村はすぐに判ったが、所在地がはっきりせず距離もある水沢(すいざわ)村は諦め小山田村に向かうつもりが道を誤って行きすぎてしまう、いっそ水沢村もと思って走った結果幸い見つける事ができ帰りに小山田村をGETして亀山市街に入るがそれなりに大きな町だけに’道路元標’を見つける事ができずに、すっかり遅くなってしまった。


←本日の収穫
上左 : 神戸(かんべ)町道路元標(三重県河芸郡)
上中 : 石薬師村道路元標(三重県鈴鹿郡)
上右 : 水沢(すいざわ)村道路元標(三重県三重郡)
下左 : 小山田村道路元標(三重県三重郡)
 かえすがえす亀山町を取りこぼしたの悔しいよ?



予定では旧河芸町まで南下し、S氏の情報によると’里程標’か’道路元標’かは判らないが保存されているという図書館をまわってから津の「新玉亭」へ追撃してから近鉄電車で帰途に就くつもりだったのが、関宿で迎撃する事になってしまった。
←津から県道10号津関線(伊勢別街道)を戻ってきたW氏一行


一行は関宿も爆走、これから加太越でデポ地の余野公園他を目指しています、とても付いては行けないので’西の追分’で停まって貰い、私はここで引き返してJR関駅から帰途に就きます(^_^;)


内5名は天五さん繋がりの初めてお目にかかる方で顔と名前が一致しません、スミマセン。 なお内2名が「新玉亭」の大盛りをたいらげたそうです(@_@)

大きな画像(1024×768)

JR関駅に着くと下り加茂行きが発車寸前、いくらPacificでもとても間に合いません、次の下りは1時間後、接続時刻を調べると上りで亀山へ戻って津へ向かい近鉄に乗る方が早く帰る事ができるので、少し運賃は高くなりますがそちらへまわる事にします。
 しかし往復輪行でPacificに跨ってのポタリングペースですが、寒さもあってか少し堪えました、まだまだ回復には時間がかかりそうですわ(;_;)


リベンジ「新春ひゃっきろぽた」未満

台風顔負けの悪天候にキャンセル続出だった昨日の「新春ひゃっきろぽた」、でも云い出しっぺのU兄氏は嵐山往復130キロを一人で走っていたのです、脱帽。
 で今日はリベンジでT御大、ら氏と3名で木津から走る事になりました。 T御大は年代不詳のCinelli、ら氏はKHSに私は借り物のPEUGEOT Pacificと云う混成部隊、嵐山往復は無理としても走れるだけ走ってギブアップしたら適当な処から輪行しようと考えて走り出しました、しかし2人の巡航速度について行くのが精一杯、ギアはトップのままです。 昨日の事を思えば随分マシだとは思うのですが、御幸橋から少しだけ追い風の恩恵は受けましたが、やはり向かい風はツラいです(^_^;)


京都八幡木津自転車道の宮前橋から少し寄り道して貰って’納所村道路元標’をGET、これが記念すべき100基目です\(^o^)/ 近畿地方で200基は達成する目処はあるのですが、それからは...
 この後、ら氏の案内でローロ伏見店へ、目に毒なものが一杯です(^_^;)
← Photo : ら


昨年に続いて桂離宮前の和菓子屋「中村軒」を襲撃、今年はお食事を頂きます、「にゅうめんセット」\1.050_
 ここでK氏から連絡が入っていた事にようやく気付き、連絡すると近くまで来ているとの事で合流、暫くすると店頭にKeroさんの姿が(^_^)


結局、嵐山までは行かずに中村軒で引き返す事にして5人で走る事に。 でもPacific で皆のペースに付いて50キロ近く走ってくるとさすがにくたびれてきました、無理は禁物なので久世橋で別れ、’上鳥羽村道路元標’をGETしてから近鉄京都線上鳥羽口駅から輪行で帰途につきました。



昨日の「新春ひゃっきろぽた」の実質的中止で今年の「走り初め」は無しかなぁと思いましたが、短い距離でしたが5人一緒に穏やかな冬の午後の自転車道を走る事ができました、今年も宜しくお願い致します(^_^)




PS : 近鉄電車が木津川を渡る手前でフト外を見ていると、堤防上の踏切で待つT御大一行の姿が。 偶然すぎて笑ってしまいましたよ。


剣峠と’餅街道’抜け駆けサイク(^o^)

昨夜急遽U兄と走りに行く話がまとまり、かねてから紅葉の頃に訪れたかった伊勢の剣峠へ行ってきました。
 度会(わたらい)町の宮リバーパークに車をデポし、伊勢市横輪から床木峠へ越え五ヶ所浦へ下り、剣峠を越えて内宮へ戻り、宮川河岸を走って度会町に戻る周回コース。
←剣峠にて、立派な峠のモニュメントがあります。


「剣峠」は伊勢市と五ヶ所浦(現南伊勢町)を結ぶ三重県道<12>伊勢南勢線にある峠で、「藤阪峠」とともに峠から海が見えるのと雰囲気の良い道が続くので昔からサイクリストには人気のある峠です。
 天気の方はもう少し晴れ間があるかと期待したのですが、降られこそしなかったものの一日どんよりと曇ったまま、まぁ幸にも剣峠から海を望む事はできましたが。


「剣峠」そのものは標高400mに満たない峠なのですが、峠を越えた辺りでは紅葉にはまだ早かったのか、まだ色付いていないモミジも残っています、でも車の少ない雰囲気の良い道が続きます。 五ヶ所浦へはサニーロードや磯部からの県道とか他のルートが今では随分良くなったので、今ではこの道を通う車は本当に少ないです。


旧道?
 僅かの距離ですが切り通しでショートカットされた県道の外側に旧道が取り残されていて路面も落葉に埋もれています。


←こう云った風景にはお尻丸出しのロードよりガード付きが似合います(^_^) でも輪行が大変なのでなかなかガード付きでの出番が...
 県道は伊勢神宮内宮そばの駐車場に抜けます、そのまま真っ直ぐ行くと国道23号線となるのですが、観光客で混雑する「おかげ横町」を押して「赤福本店」を横目に角を曲がって五十鈴川を渡り、四郷村道路元標、二軒茶屋餅、小俣町道路元標、へんば餅と廻り、かなり迷走しましたが宮川左岸を走ってデポ地の度会町に戻ってきました。
 桜井から高見越の国道166号線経由で往復それぞれ2時間程で移動できました。

道路元標は後2基で100基達成、本日の走行88.4キロ、後160キロ少し走れば今月1000キロ達成なのですが...


天気は良かったのだけど…

今日はW氏と紅葉狙いで4月に行った滋賀県甲賀市の岩尾池へ行こうと云う事に...
ただカメラポタだけでは勿体ないので、行きがけ帰りがけの駄賃に道路元標と三重県道ヘキサの蒐集をもと欲張ってみたのだが...
 往路は上野市駅(伊賀市)まで輪行、平日なので通学時間帯にかち合わないようにと下り始発の桜井0600発に乗車したのだが、何かが... フロントバックを忘れてきてしまった(@_@) 考えても仕方がないので2駅先から引き換えす事に、再び0651発に乗車しますが、案の定名張から先頭車両は満員状態、しかし先頭車両に乗っておかないと伊勢中川での1分接続をこなせないのです(^_^;)

とにかく伊賀市で「元標」をゲット、なぜか「上野町道路元標」ではなく「上野町元標」なのです、書体もユニークですし、形状も省令のものとは異なります。
 旧上野市街を離れ、旧中瀬村を探索したり、三重県道<676>寺田佐那具停車場線、<679>川東佐那具線、<673>上友田円徳院線を巡ってヘキサを探しますが三重県に多いシールヘキサすら見つける事ができません。


旧阿山町中友田で携帯に連絡が入りW氏は旧伊賀町の小杉にいるとの事、待ち合わせのタイミングだけは良かった様で、それぞれが今走っている県道が一緒になる玉滝付近で合流できそうです。

←綺麗に色付いているイチョウの木を見つけて写真を撮っているとW氏がやってきました。

実はこの後、私は内保越と云う名の未踏の峠を越えて北側から回り込んで目的の岩尾池を目指していたのですが見事に道を間違ってしまいました(^_^;) 同行のW氏は南側から行くつもりでいたので何の疑問もなく一緒に走っていたのでした。



結局引き返して登り返すのも何なので南側の槇山から<132>甲南阿山線に入って岩尾池を目指す事に、写真を撮りながらのんびりと走りますが、平日とあって車も少なくとても快バーから分割ダウンロードがされない様には設定してあるのですが、まあFTPでダウンロードする様にすれば問題は解決すると思うのですが、とりあえずファイルを上半期分と下半期分に分割してみました、お試し下さい。

道路元標探索サイク(その6)

今日は月曜日のリベンジで和歌山県文書館へ行く事に。 和歌山方面への定番コースの明日香村から重阪峠経由で国道24号へ、現五條市域の宇智村と野原村の道路元標をゲットしてから<55>橋本五條線へ、途中に阪合部村道路元標跡を示す木標があるらしいので寄ってみたが、いつのまにか撤去されてしまったのか見つける事ができなかった。 橋本橋を渡り再び右岸へ、紀陽銀行橋本支店前に保存されている橋本町道路元標をゲットしてから今日は大和街道を辿りながら和歌山へ向かうことに...

←大和街道は歴史街道の標柱が整備されていて詳しい地図がなくても結構トレースできます、しかし旧街道と云っても往時の姿をとどめている様な処はあまりありませんがネ。
 道路元標は旧街道沿いに建っている事が多いので、大谷村、名手村、狩宿村、笠田村と云った未知の処を探索しますが、そうそう見つける事はできません。


JR和歌山線高野口駅前にある木造3階建の旅館「葛城館」、高野口町も今は橋本市になってしまいましたが、かっては高野山への玄関口として賑わったのでしょうネ。


和歌山県文書(もんじょ)館は県立図書館の2階にあって、今日の目的はこれ、大正9年4月1日の和歌山県報号外和歌山県告示112号、和歌山県の道路元標を設置した場所が記載されています、と云っても大正9年の地名地番ですから話は簡単ではありません(^_^;)



文書館の後はマリーナシティへ、ちょっと南海のリゾート地の様な写真を(^o^)
海南駅から輪行して帰途に就きました、本日の走行112.4キロ、道路元標×3、和歌山県道ヘキサ×3。


道路元標探索サイク(その5)

今日は和歌山市にある’県立文書館’へ和歌山県の道路元標に関する資料(県報)を閲覧複写しに行く事を目標に、竹内峠を越え石川サイクリングロードを南下、国道170号線の旧道を縫いながら和歌山へ向かおうと画策してみたのですが... 日頃走り馴れていない道なので河内長野で道に迷ったり、アップダウンを繰り返す国道170号線になかなか距離が稼げない。
 ところで現状大阪府下で大正の道路法に拠る内務省令に従った道路元標の現存が確認できたのは’岸和田市’の1基だけで、確かに本にまでなっている奈良県や兵庫県を除けばネット上で好事家と云うかマニアによる情報に頼るしかないのですが、現時点で私の知る限り大阪府×1、和歌山県×3、岐阜県×4、滋賀県×7、三重県×11、福井県に至ってはゼロとはあまりにも差が大きすぎます、これは単に探した人がいないだけなのか、大正道路法が有名無実化してしまった以降は府県単位で積極的に撤去されてしまったのかと思ってしまいます。 国道170号線沿いにも多くの町村が存在したので一応は目星をつけて走っていたのですが。

FI2612592_2E.jpg現在の岸和田市の郊外にあった’東葛城村’はなかなか残ってそうなロケーションなので旧役場跡と思われる付近を探索してみたのだが見つからず、やはり大阪府には無いのかなぁと国道170号線旧道を流していてフト左側を見たら、ありました‘熊取村道路元標’、中央小学校の南向かい’町立勤労青少年ホーム’の北東側、文具店の駐車場に隠れてしまう位置で、写真を撮っていたら暫くして車が入ってきて、通るのが10分遅かったら見逃していたかも。 しかし目星をつけたものが見つからずに殆ど偶然に見つかるのですから’道路元標発掘’も大変ですわ(^_^;)

FI2612592_3E.jpg時間が押してきたので国道26号線も走りましたが、昔の事を思うとバイパスや阪和道の開通で自転車にも随分走り易くなった処もある様です、少々退屈してきたので旧街道にまわったら早速’丸ポスト’を見つけました。
←泉南市信達牧野にて
 流石にロンさんは履修済みでした。

淡輪付近まできて、念のために開館時間を確認しようと「和歌山県立文書館」に電話したらなんと月曜は休みでした。 で<751>木之本岬線を走破がてら猿坂峠を越えてから紀の川北岸を岩出市へ突っ走り、所在地を示す資料が曖昧でてこずってしまいすっかり暗くなってしまいましたが‘岩出町道路元標’をゲット、岩出駅から輪行で帰途に就きました。 本日の走行123.2キロ

FI2612592_4E.jpg↑猿坂峠から和歌山市街を見下ろす、なかなかの展望ですが改良された南側の斜度はは相当なものです。


道路元標探索サイク(その4)

今回は雪が積もる前に丹波丹後の道路元標をやっつけておこうと、往復輪行の予定で丹波方面へ向かう事に、桜井5:38発のJR桜井線で奈良へ、木津で学研都市線に、同志社前では始発の篠山口行きの直通快速に乗換て、これで混雑する大阪市内を座ったまま通過する事ができる。 篠山市域の元標は先月にほぼ履修済なのだが古市駅で下車し国道176号線を北上、遠回りだが先月から通行止の標識が出ていた<77>篠山山南線を使ってJR福知山線沿いに交通量の少なさそうな道で柏原方面に抜けようと企てたのだが... 「通行止」といっても自転車も通れない様なケースは稀なのでタカを括っていたのだが、2キロ程入った処でしっかりしたゲートとフェンスがあって路肩を擦り抜ける事すらできない。 すごすごと国道176号線まで引き返す事に...

今日の予定の氷上郡と朝来郡へ篠山から国道176号線で向かうには鐘ヶ坂峠を越えなければならないので敬遠したのだが、篠山側の標高差は知れていて旧道もほぼ繋がっているので意外な程快適に鐘ヶ坂トンネルにたどり着く事ができた。 その上新鐘ヶ坂トンネルが開通していて旧トンネルの交通量は皆無、こんな事ならわざわざ工事中と書いてある篠山山南線に突っ込まずに素直に国道を走れば良かったと少し後悔、日頃から交通量の少ない道や旧道を縫って走っているもので(^_^;)
 また新鐘ヶ坂トンネルの開通を期に明治期の鐘ヶ坂隧道が整備され通行できる様になっている様である、アプローチが数100mのダートなので今回は遠慮する事に。 なお全長は200m余りだが隧道内には排水路が横切っていて照明もないそうなので、ヘッドライトは必携の様である、煉瓦積みのボータルは篠山側が綺麗に残っているそうである。


氷上郡で幸世村、芦田村、佐治町、遠坂村の道路元標をGET、国道427号線で遠坂峠を越え朝来郡へ入り粟鹿村、簗瀬村、枚田村、東河村と廻り無名の峠を越え上夜久野駅へ下った時には既に15時、あわよくばと考えていた舞鶴へはとても明るいうちにたどり着くのは無理である、随分陽も短くなった事もあるが篠山を朝10時前にスタートしているのだから、まぁ仕方がないだろう。

↑上夜久野、日頃奈良や紀伊半島と風景を見慣れている目には、山の形や瓦の色とかも違っていて新鮮です。


とにかく天田郡金谷村の道路元標をGETするために夜久野から国道9号線を福知山方面に走ります、ツーリングマップルには「交通量の少ない区間」なんて書いてありますが、大型車がバンバン走る自転車にとっては最悪の道、極力旧道や走れそうな歩道をよって走りますが、正直云って二度と走りたくないです。


金谷村元標も無事にGET、福知山市街まであと少しですがお腹もすいてきたしとコンビニで買い食いしていたら、すっかり遅くなって次のポイントへ明るい内に辿り着くのは不可能だと、福知山駅まで走っても乗れる列車に変わりは無いようなので最寄りの山陰本線上川口駅から輪行で帰途に就く事に。


本日の実績 走行ルート
往復輪行所要7時間、実走行5時間、走行距離101.7キロ、
峠×2、道路元標×9で計86基、奈良県下にはまだ16基程残っているので100基達成も射程に入ったのだが、遥か下北山村とか現存が怪しそうな処も幾つかあるので...


道路元標探索サイク(その3)

今日は絶好のサイクリング日和、天五さんやMikeさんやらと色々と企画がある様なのですが、仕事の都合で奈良市近辺から離れられないので、京都府南部から奈良県北部にかけてに未収の’道路元標’と’県道ヘキサ’を漁りに行く事に... 上街道を北上、天理から筒井まで西進してから奈良から木津へ、木津川自転車道や旧街道をぬって宇治から淀、八幡と走り、本日の収穫14基(^o^)/ これで計77基になりましたが、往路自走でたどり着けそうな処だけでは100基達成には届かない様です。 京都府南部では旧国道24号線、現在の府道70号上狛城陽線沿いに未知の道路元標を探索しますが今回も見つける事はできませんでした。 ←山城町域では上狛村、高麗村、棚倉村の役場跡であった事を示す標柱がありました。 これらは昭和50年頃に山城町によって建てられたものの様です。 未収の奈良県道ヘキサは4基、実は京都府道も幾つか撮っているのですが京都、滋賀とやりだすとキリがないので...(^_^;) 八幡村道路元標をGETした後、木津川自転車道へ入り流れ橋を渡り城陽市で用事を済ませてから木津川右岸を南下、8月には工事中だった区間も通れる様になっていて山城大橋まで南下し再び左岸へ渡り玉水橋へ... これから所用で’あやめ池’近辺まで行かなくてはならないので玉水橋を渡った処で地図を確認していたら、信楽?上野ツーリングから帰りの天五さんとばったり遭遇します、これから御幸橋をまわって大阪まで帰るそうで170キロ越えにはなる様で、しかしタフですわ(^o^) 木津川自転車道を離れ祝園?山田川?登美丘と走りあやめ池へ、用事を済ませ’ちゃんこ鍋’を頂いてから帰途に、輪行袋も携行していたのですが月も明るい事ですし夜道を走って桜井へ帰り着いたのは23時前でした(^_^;) 本日の走行152.1キロ。