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サイドバッグ改造中

サイドバッグは現在、オーストリッチのとモンベルのものを持っているのですが、オーストリッチS-5の方はオードックスなスタイルで上端の2つのフックとショックコード、上下左右のベルトで固定するタイプ、モンベルのものはフロント用、リア用としているものが1組づつ。 オーストリッチの方は非常に使い勝手が悪く、いつも脱着の度にキレかけていますし、モンベルの方はリクセンカール製のアダプタで固定する優れものなんですが、使っているキャリアとの相性が良くないのと、デザインが今風のMTBやクロスバイク向きなんです。 ただキャリアとバッグに規格なんてある訳でもないので、汎用性のある取り付け方法になってしまわざる得ないので、仕方がないといえば仕方ないのですが。 昨秋の「月うさぎ」はオーストリッチ今春はモンベルで出掛けたのですが、今年は2日目9日の村内周回サイクは走る予定でいるので、いかんせん現地で前後4つを脱着する事になります。 そこでちょっと勿体無い気もするのですが、モンベルからリクセンカールのアダプタを外してオーストリッチに付けてみようと云う訳です。 バッグに孔をあける事にはなりますが、ネジで固定している訳ですから、元に戻す事も可能ですし。

バッグの中には芯材が入っているのですが、キャリアへの装着具合をを現物合わせでみてみます(写真左)。 モンベルでは下部のスライダーは横方向についてますが、ここは縦方向に取り付ける事で確実に固定できそうです。

 

パニア台に取り付けてみました、オーストリッチのいまいましい上下方向の固定ベルトはこの際切ってしまいましたが、左右方向のベルトは装着は簡単ですし、バッグをキャリア枠にしっかり固定できるので利用する事にしました。

 

脱着もスムーズ、実用性の高いものができましたので、続いて残り後2つも改造する事に。 しかしリクセンカールのアダプタだけ手に入らないかなぁ、モンベルのフロント用はコンパクトでKHSのリアに丁度良いので、そちらでも使いたいし。

 

干渉とか問題がないかと、とりあえず寝袋とか空のペットボトルとか軽いものを詰め込んでテストラン。 せっかくですからスーパーまで買い物に。
 今回、オーストリッチのこのサイドバッグを触ってみて、エエ加減な製品やと云う事を再認識しました、バッグそのものの素材や防水性といった点ではモンベルの方が格段に優れています。 どこか見かけはオーソドックスやけど使い勝手や性能、品質にすぐれたもの出してくれないかなぁ…

敦賀から「しおかぜライン」へ

 キャンプ翌日、予定は何も決まっていません。 高速増殖炉「もんじゅ」を見に行こうとか(見える処までは行けないと思いますが)、旧北陸本線廃線跡とか、幾つか案がでましたが、Dさんが河野海岸道路を走った事がないそうなので、杉津まで車で移動して片道10キロ程の距離ですが、往復しようと云う事になりました。

 敦賀から海岸沿いに、越前海岸へと北上する河野海岸道路、以前は有料道路でしたが、現在は無料になって一般県道となり「しおかぜライン」と云う愛称がついています。 平行してR8が走っていますので、有料時代は通り抜ける車も少なかったのですが、無料となった今、休日とあって車は増えた様で、それに今日は季節も良いので二輪も多い事。 有料時代はは確か自転車は90円だったと記憶しています。

 対岸に敦賀半島、日本海を前に見ながら風光明媚なコースです。 余裕があればR308に入って越前岬や呼鳥門まで往復したり、三国港や東尋坊まで抜けて輪行で帰ってきても良いかと思います。 私が以前に走った時は、桜井から223キロ自走し越前海岸で宿をとりました。

 時間もありますので、写真を撮りながら行ったり来たり。 どうにか来年のカレンダーのネタにはなりそうなのも撮れた様で。

 いずれも短いですが、河野までの間に3つ程トンネルもあります。

 お昼までには往復してしまったので、敦賀の有名店?「ヨーロッパ軒」へ、市内に何軒も支店がありますが、最初に行った駅前店は駐車場も一杯で明らかに満員だったので金山店へ、こちらでも少し待たされましたが。 頼んだのは話題のソースかつ丼、3人とも1050円のセットを頼んでしまいましたが、かなりのボリュームで、女性のお昼なら「ミニ丼」がお勧め、ミニと云っても十分なサイズでした。

 食事の後、気比神社を見学して天五さんとお別れしたのですが、帰路に道の駅「あやま」に立ち寄ってみると、UG兄さん主催の「甲賀クラシックロード走行会」を終えたばかりのメンバーに遭遇。 ここから泉州岸和田へ帰るダイバーてっちゃんの車に乗り換えて帰途に就く事にしました。
 本日の走行18.6キロ、KHSとは云えなんとも自転車な2日間でした(^_^;)

敦賀「お月見キャンプ」

 D女史のお誘いで、福井県敦賀市の芭蕉ゆかりの名勝「気比の松原」で中秋の名月を愛でようと云う企画です。 参加者は5名、キャンプそのものは同市内野坂の「自然の家キャンプ場」で、予約は必要ですがテント設営は無料、市営の清潔な施設です。

 最初は気比の松原まで自転車で往復する計画だったのですが、月夜とは云え海岸から標高150mのキャンプ場まで土地勘のない道を登って帰ってくるのに恐れをなして、若干3名は軟弱にも車で往復する事に。 私は往復送迎付きだったので大きなテントでも良かったのですが、コンパクトなコールマンのアビア(右下)を持ってきた事を後悔、さすが飲んだ後に狭いテントは蒸せました、隣のDさんは朝方は寒い位だったとの事なので、酔っ払いには丁度良かったのかも知れませんが…

 正確には今年の中秋の名月は12日で、今夜は十三夜なのですが。 心配して天気も崩れる事はなく、気比の松原の松林の間から真ん丸い月が…
 月明かりの下でなぜかJAZZを聴きながら宴の始まりです、なにしろ筋金入りのJAZZファンが集まってしまったもので、Moonをタイトルに含む曲や、7月に急逝されたミムラさんの放送録音を聴きながら、kiki君の見事な包丁さばきで剣先烏賊と石垣鯛の刺身他を戴きながら夜は更けてゆきます。(photo : 大黒屋さん

 そうこうしていると2灯のライトを点した自転車が、大阪から仕事を終えた後、宴会だけのためだけにUG兄さんが乱入、敦賀駅前まで車で来られて、自転車で走って来られたとの事 ここ最近ご執心のアウトドアクッキングとご自慢のコレールのカップでのティータイムまで。

結局、宴は10時過ぎまで続き、大阪へ帰るUG兄さんを見送り、キャンプ場まで戻ってからスーパー銭湯まで往復して汗を流すと、すっかり日にちは変わってしまいました。本日の走行0.0キロ(^_^;)

道路元標蒐集の旅(’11夏 総括)

 今シーズンもしっかり利用させて頂きました「青春18きっぷ」、3回目 7,670円分、4回目 5,470円、5回目 8,410円と3日間で21,550円分、先の九州行きと合わせると41,330円分乗車。 しかし実際のダイヤで乗車して最大何円分乗れるのでしょうね。

今回は20吋小径車KHS F-20Rでの輪行で、2泊ですし荷物も極力絞ったので結構楽でした。 3日間での走行距離は151.1キロ、過去何度も100キロ以上を走ってますし、最高135キロ程走った事もありますが、疲労を考えるとやはり50キロ位が丁度良い様な気がします。 そろそろタイヤも交換しなくては。 道路元標以外は写真を撮る余裕もないはずなのに持って行った LUMIX G1の交換レンズ、やはり使わなかった、学習してないなぁ… 大体がG1持ってゆく必要があるのかと云われそうですが(^_^;)

道路元標蒐集の旅(’11夏 3日目)

 明日には仕事の予定があるので、今日中に帰らなくてはなりません。 長野から可能な範囲で道路元標を拾って帰るつもりですが、篠ノ井~中央西線で名古屋経由、篠ノ井~大糸線で糸魚川にでて北陸回り、距離的には一番遠回りになりますが直江津へ戻って北陸線経由と色々考えられます、北陸回りで富山から長い事乗っていない高山線経由で岐阜に出ると手も、さすがに高山線経由はちょっと難しい様にも思えたのですが、意外にも直江津1041に乗れば「18切符」のまま桜井へ帰る事も可能です、富山駅で1時間20分待ちと云うのはいささか勿体無い話なのですが。
 結局は一番面白そうな高山線経由を選んで、長野0614発直江津行きで妙高市の関山へ、ここから3時間20分の間に道路元標を拾いながら真っ直ぐ行けば30数キロ先の直江津まで、と云っても前半は下り基調で山越えもありませんが。 しかし信越線の長野駅始発ってなんでこんなに遅いのでしょうねえ。

 妙高山麓の関山駅で標高340m程、少し走って堰山村道路元標へ、後はR18を避けて北国街道旧道をどんどん下って行きます、新井あたりではR18に吸収され交通量が増えてしまうまでは気持ちの良い道が続きます。
 北国街道、雪国の旧街道と云うにはやや物足りない雰囲気ですが… 直江津に向かう途中には幾つか道路元標が残っているのですが、新井町道路元標は施設内保管と云う事なので時間的にも無理があるので、中郷村、三郷村、津有村と巡る事にします。
 直江津1041発に乗車すると、後は改札の外へ出る予定はありませんので、あらかじめ食料を調達しておかなくてはなりません、ところが直江津駅前や北側の旧市街にはいわゆるコンビニがありません、どうやら直江津橋東詰のセブイレが最後だった様です、理由の如何はともかく古い街並みには時々あるパターンです。 郵便配達の人に聞くと駅の自由通路を通って南側に出て、駅裏にあるのが一番近いそうで、エレベーターで自由通路へ上がり南側へ、少し探しましたが、それでも歩けば5分はかかる距離でした。 自由通路は押せば自転車も大きな顔して通れる市道です。 ベンチもあって改札前も通るので輪行仕度には最適ですが。 なおいわゆるキヨスクは駅構内にあります。

 富山1234着ですが、1時間20分も冷房の効いた待合室のないホームで待つのもなんなので、「18切符」を良い事に高岡駅まで往復する事にします。
←再び富山に戻って1354発の高山線猪谷行きに、キハ120の2連ですが結構学生で混んでいるので、高岡まで往復したせいで座れなくなってしまいました。 越中八尾で座れましたが、富山はその八尾で翌々日から始まる「おわら風の盆」一色です。
 猪谷で1508発美濃大田行きに接続しますが、待っていたのは旧国鉄色のキハ48 2両編成です。 東海色のキハ40,47は紀勢線でも御馴染みですが、塗り替えたばかりなので、マニア目当てのリバイバル塗装でしょうかね。 ところで先代のキハ23系は確かに当初この色でしたが(信楽線キハ53)、キハ40系ってオリジナルはいわゆる首都圏色と呼ばれる朱1色じゃなかったのかな。

 乗り込むとトイレ前のスペースには大きな輪行袋が3つ、こちらも大学自転車部合宿の流れの様で、平湯から高岡経由で下ってきたそうです。
←冷房が標準になる前だったからなのでしょうか、もちろん後付けのクーラ-もありますがレトロな扇風機が回ってます。

 JR西日本にも良く見られる両開きのキハ47と違って両端に片開きドアが付いて、デッキこそありませんが国鉄時代の急行用気動車の雰囲気があります。 美濃大田まで3時間半、ロングシート車両に長々と乗せられる路線の事を思えば快適です。
 美濃大田で岐阜行きに、その後は岐阜、米原、京都、奈良とJRを乗り継ぎ桜井に2310に帰り着く予定だったのですが、問題は京都と奈良で3分の乗り換えをこなさなくてはなりません、小径車、混雑時を外れている、京都駅は東側地下通路を利用する事でクリアできるつもりが、米原から京都までの新快速は2分延、大急ぎで10番ホームへ向かったものの奈良行きは目の前を定刻に発車してしまい、やむなく京都から近鉄で帰る事に、桜井には僅か3分早く着きましたが920円余計な出費をする事で、今回の「18切符」の旅は終わりました。

本日の走行46.2キロ

【968】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 関山村 (現 妙高市) 
【969】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 中郷村 (現 上越市)  
【970】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 三郷村 (現 上越市)
【971】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 津有村 (現 上越市)

道路元標蒐集の旅(’11夏 2日目)

 富山近郊ではかつて交直両用の急行型電車475系がまだまだ現役です、デッキ寄りがロングシート化され吊革がついたりしてますが、サボ入れが残っていたりして往時を偲ばせます、急行「立山」とか懐かしいなぁ…  ただ輪行袋を置くスペースがないに等しいのが残念です。 一部の車両で洗面室をつぶして荷物置き場になっているものもありますが、手すりがないので固定が難しいのが難点。 ところで北陸本線糸魚川駅、もう大糸線キハ52の姿はありませんし、あのレンガ造りの車庫も取り壊され、新幹線橋脚がそそり立っていました。
 
北陸本線名立駅で途中下車し次の列車までの46分間に1キロ程離れた名立町道路元標まで往復しますが、さすがKHSなら余裕の作業です。 直江津駅への車中で輪行袋のグループが、千葉大学サイクリング部の夏合宿の流れ組の様です、夏合宿では飛騨から天生(あもう)峠を越えて白川郷に入り、福井から金沢と走ってきたそうです。 現在部員70名程とか、大半はクロスバイクでランドナーは数える程もないとか。
 柏崎で越後線に乗り換え小島谷1059着。 ここから信濃川左岸主に三島郡の道路元標を集中的に回ります。




 本日13基目、来迎寺村道路元標、かなりの変り種ですが、里程標の様に他の元標への距離が記されています。 GARMINのGPSとスマートフォンを持ってきていますが、付近の紙の地図を用意してなかったので、結構ルートや時間をロスしてしまいました。 うまく回れば後2つ位GETできたかも知れません。
 
来迎寺駅にて、東横イン宿泊のために4時間かけて長野へ移動です。 今回は着替えを最小限にしてきたので、来迎寺駅の洗面所でシャツを水洗い、絞ってそのまま着たのですが、さすがにすぐには乾かないのは涼し過ぎでした。
 結構「18切符」での貧乏旅行を愉しんでいますが、一度位はこう云うのに乗ってみたいですわ。 普通の寝台なら結構取れるのですがね。



 落日の日本海を走ります、山陰線もいいですが、北陸線もここまでくると見どころがあります。 

 

 長野2012着、例によって東横イン、オープン直後に2泊利用した事があり、その時は折も良く花火も見える良い部屋だったのですが、今回はポイントが貯まっているので無料で利用させて貰います、ところが過去50数泊の中でも最も狭い部屋、輪行袋を入れると扉もちゃんと開けられません、外も見えないし、めちゃくちゃ作為的ですが、過去の無料利用では決してこんな待遇はありませんでした、携帯が使えなかったらキレてる処です。 しかし結構東横インのファンなのですが、この処ケチがついてます。

 

本日の走行56.8キロ

【955】 新潟県 西頚城郡 名立町 (現 上越市) 
【956】 新潟県 三島郡 桐島村 (現 長岡市) 
【957】 新潟県 三島郡 大河津村 (現 長岡市) 
【958】 新潟県 三島郡 与板町 (現 長岡市) 
【959】 新潟県 古志郡 下川西村 (現 長岡市)  
【960】 新潟県 三島郡 大津村 (現 長岡市) 
【961】 新潟県 三島郡 脇野町村 (現 長岡市)
【962】 新潟県 古志郡 福戸村 (現 長岡市)  
【963】 新潟県 三島郡 王寺川村 (現 長岡市)
【964】 新潟県 三島郡 日吉村 (現 長岡市)
【965】 新潟県 三島郡 関原村 (現 長岡市)
【966】 新潟県 三島郡 日越村 (現 長岡市) 
【967】 新潟県 三島郡 来迎寺村 (現 長岡市)

道路元標蒐集の旅(’11夏 1日目)

 さて「18きっぷ」残りの3回はどう使おうかと色々と思案、先月末からの九州4泊5日では結構予算も使ったし、asuka号の方も色々と本調子でない点もあるので、今回は久しぶりにKHSを担いで、年内の1000基達成を目指して距離より数をこなせる様なプランを方角毎に準備して、週間予報と仕事の予定を睨みながら待つ事に。 27日土曜出発で石川~新潟方面に向かう事にしたものの、土曜の予定が狂ってしまい結局は日曜出発の2泊3日になってしまいました。
 「18きっぷ」で関西から朝一に金沢方面に向かうには敦賀0650着の新快速に乗るのが丁度良いのですが、敦賀駅で金沢行きへの接続時間が3分と輪行袋を担いでの移動は至難の技、そこで1本前に乗るために奈良駅まで20キロあまりを自走する事に。
 ところがこのプランは京都、近江今津、敦賀で都合1時間半以上も待たなければならないのが、まぁ敦賀へ先回りしている訳ですから輪行袋を担いでいても確実に金沢まで座っていけるものの、結構忍耐が必要です。 近江今津駅にて、ここまで117系。
 金沢で七尾線への乗り換え時間は3分、乗換案内NEXTでは同じホームの5番から4番だったのですが、車内アナウンスで6番から5番とホーム違いで大慌て、ただ勝手知ったる金沢駅の事ですから、どうにか無事に乗り換える事ができましたが。 後で運転手に尋ねると臨時列車の運転による変更の様でした。
 七尾線は415系、ロングシート部分が撤去され、座席間隔が広くなっています。 輪行袋の置き場所は一杯あります、ただ暖房時はちょっと問題が、でも暖房入れる季節に能登へ行きませんし。

 七尾駅、JR七尾線は次の和倉温泉駅までで電化されていて特急列車は全て和倉温泉まで行きますが、普通列車はここまででここから先はのと鉄道のディーゼル車が運行されています。 18切符は和倉温泉駅まで利用できますので、目的地の能登中島駅までの乗り越し区間の切符360円を購入。
 のと鉄道はなにやら鉄な連中が多いなと思ったら、昨日今日となにかイベントが行われている様です。 途中駅ですれ違い列車を覗くとこんなツワモノが、のと鉄道っていつからサイクルトレインを導入したの?  1437ようやく能登中島駅に到着、時間の許す範囲で付近の道路元標を巡ります。

 ところで能登中島駅構内にはなんの所縁か、国鉄時代の郵便車オユ10が保存されています、確か郵政省所有の車両だったはずですが。

 

 平成の大合併で今は七尾市となってしまった旧中島町域の道路元標3基を回った後、中能登農道橋で能登島へ渡り、島内で現存が確認されている中乃島道路元標まで行きたかったのですが、標高こそ低いものの島内は結構アップダウンがあって、日没までの時間もないので今日は諦めて田鶴浜村道路元標を経て和倉温泉駅まで走る事にしました。 R249を避けて海側の道をたどって行きます。 所々狭い区間もあるので比較的車も少なく、自転車にとってはこちらが快適です。
↑七尾西湾の入り江に架かる平成橋、そう云えば海の匂いを感じながら走るのはこの夏始めてです。

本日の走行48.1キロ(奈良駅までの自走20.1キロ含)

【951】 石川県 鹿島郡 中島村 (現 七尾市)
【952】 石川県 鹿島郡 熊木村 (現 七尾市)
【953】 石川県 羽咋郡 釶打村 (現 七尾市)
【954】 石川県 鹿島郡 田鶴浜村 (現 七尾市)

2日目へ

飛鳥~今井町カメラポタ

今日はゲストを迎えて明日香ポタです。 実は4月にDさんと兵庫県の北条鉄道のレトロな法華口駅を訪れた折に知り合いになったKさんが折畳みのできる小径車に興味を持たれている云う事で、その時にも私のKHSに跨って貰ったのですが、今日は輪行時にはころがず事も可能なBD-1をT御大から拝借して、実際にそこそこの距離を走ってみてもらおうと云う事なんです。

しかし、よりにもよってこの暑い盛りにとも思いましたが、少しでもすがすがしい内にと朝7時から走り出す事にしました。
 

飛鳥川沿いの自転車道を走り、とにかく涼しい内に一番奥まで行ってみようと栢森集落へと、しかし18吋のBD-1は始めての人にとってもちょっと手怖い様です。 目的は風景や鉄道の撮影行の時の足なので、輪行時の運びやすさとコンパクトさなんですが、どうしても走行性能や操縦性とは反比例する事は否めません。 小径車マニアの方は色々と云われますが、所詮小径車は小径車その機動性を評価する以上のものでは無いと云うのが私の考えです。

栢森は明日香村のほぼ南端、芋峠へ入り口にあたる集落で、村内の周回バスも来ていますが観光客は殆ど訪れる事もない静かな処です。
栢森集落の奥に蓮が植わっている処があって覗いてみます。 開いているのも一輪ありましたが、朝露を被って開花を待つ蕾が印象的でした。

栢森を後にして稲渕へ下り、案山子ロードへ登り返します。 この後石舞台にも寄ってみましたが、この季節の明日香村って観光客もまばらなのは良いですが、カメラを担いで走ってみると一年で一番彩りのない季節だなぁと、つくづく思いました。

 少しお昼には早いのですが、橿原へ下りお馴染みの「よろづ」でお昼にして今井町へ、しかし日陰の少ない一番暑い時間的になってしまいました。 この後、八木西口駅でお別れしましたが、折畳み小径車の実用性いかがでしたでしょうか。

伊勢まで、道路元標。

 日帰り範囲で未踏の道路元標が殆んどなくなってしまったとボヤいていたら三重県伊勢市周辺で新たに5基の現存情報が、近鉄電車にKHSを担いで乗って行けば楽勝なんですが、暫く伊勢方面に走っていない事ですし、久しぶりに高見越えで向かう事にしました。

 朝4時過ぎ暗いうちに出発し、R165西峠経由で榛原に下り、朝もやの芳野川沿いに菟田野へ、今まで高見越えの場合、菟田野からは佐倉峠~木津峠と素直にR166を走っていたのですが、最近「月うさぎ」行きで走り慣れている一谷峠経由で東吉野入りする事に、距離的には3キロ程遠くなりますが、なにより車が来ないし、谷尻からは快適な林間コースです。  

 高見登山口のバス停で少し休憩、今日は旧高見峠へ登るつもりはありませんので気楽なもんです、2470mの高見トンネルを抜けると三重県、以前は飯高町だったのですが、平成の大合併で松阪市になってしまったのは、ちょっとね。  

 高見ループを下り、後は宮本まで下り基調のR166を走って行けば良いのですが、時間の余裕もあるので久しぶりに加杖坂峠から蓮ダム経由を走ってみる事にしました。 以前2003年に加杖坂峠を越えた時はSORAさんとダートの旧道を越えたのですが、今回はトンネルを。 ところでこのお地蔵さんの祠、旧道峠から移設されたとあり、帰って古い写真を見てみると、確かに祠は旧道峠にあり、トンネル脇には祠はありません、そう思うと先週のサンギリ林道と云い、自転車遊びにも年季が入ってきたもんです。  

 奥香肌湖に架かる現在の辻堂橋、このダム湖に沈んだ飯南郡森村の道路元標は辻堂橋東詰に設置した旨の記録がありますが、今も沈んでいるのでしょうかね。
 辻堂橋から先は県道<569>蓮峡線に入りますが、辻堂橋より上には廃村しかありません。
 

 蓮(はちす)ダム

 R422に入り湯谷峠へ、そろそろ暑くなってきたし湯谷トンネルで涼みながら休憩しようかと思っていたのですが、トンネルは何か工事をしていて交互通行になっていて、少し下ったいつもの不動明王の水場で一服。  

 大台宮川線を西へ、R42に出る少し手前、以前の宮川村に入り口にあたる処にあるふるさとプラザ「もみじ館」で軽く昼食、伊勢うどんを戴きます、別に専門店でもないのですが、ここの太めでしっかりしたうどんの伊勢うどんが好きです。

 三瀬谷ダム、手前が紀勢本線です。 妙な感じの風景ですが、三瀬谷ダムの堰堤の下流側200m程の処で紀勢本線が宮川を渡っています。 

 宮川右岸の県道<747>打見大台線を行きます、前後から徐々に拡幅工事が進んできていますが、木々の間から宮川を垣間見ながら、自転車にとってとても快適なコースです。

大宮町に入ったあたりで急に雲行きが怪しくなってきて、JAショップでアイスキャンデーを買ってかじりながら軒先で様子見をしていると、雷が鳴り出して本降りに、そのうちに店や自販機はもちろん、信号まで停電してしまいます、しかし良いタイミングで、濡れずにはすみました。
 ところで今日はM氏も吉野から尾鷲まで走る予定にしていたはず、雨雲レーダーによると三重県南部でもこちらと同様に相当降っている様子、実は昔、輪行で紀勢線の多気行き最終に乗り、沿線の大雨でダイヤが乱れ、そうなるとJRは乗客の多い下りと、払い戻しの発生する特急、はて貨物列車まで優先させ、私の乗る上り最終は2時間以上遅れて松阪へ、接続の近鉄に乗れなくなってしまって松阪泊まりになった事があります。 さて氏は帰ってこれたのでしょうか。

 雷雨もどうやらおさまり、雷も遠くへ行ってしまった様です、、そろそろ時間も押してくるので、ポンチョをかぶって出発、再び宮川右岸を進みます。 ところが麻加江で再び雷雨に、今度は無人精米所にもぐりこんで雨宿り、しかし二度目の雨宿りをしている内に時間は16時半に。  

 どうにか度会大橋まで下ってきたものの、2度の雨宿りが響いて、伊勢市域の4基を巡る事は諦めて玉城町に残る田丸町道路元標へ、それでも18時を回ってしまいました。
 その後、旧街道を走ったりしながら松阪へ、途中の参宮線の踏み切りでは遮断機が降りたままで大渋滞、やはりJRもおかしくなっている様です。 陽が長いとは云え19時を回り真っ暗にになってしまったので、近鉄松阪駅の2sつ手前の櫛田駅から輪行で帰途に就く事にしました。 本日の走行156.2キロ、センチュリーランに後一歩だったのですが。

【943】 三重県 度会郡 田丸町 (現 玉城町)

大庄村道路元標

 するっとKANSAI3dayの期限がきてしまったので消化しに、最初はKHSを担いで三田近辺に残している道路元標を拾いに行こうと思っていたのですが、どうも体調がすっきりにしないので、身一つで出掛ける事に。 まずは近鉄なんば線経由で阪神から神戸電鉄へ、小野まで往復してコロプラの三木地区、小野地区をGET、新開地に戻り山陽電車で高砂駅へ、先月も来ていたのですが、うっかり取りこぼしていたので、ここで高砂地区GETして兵庫県制覇です。

  阪神電車尼崎センタープール前駅で下車、大庄小学校内にある武庫郡大庄村道路元標へ、学校内に移設されていると厄介なのだが、幸いここは校門越しに外から見えてるし、歩道橋からも撮影可能で正面でなければあえて敷地内に入る必要はない。
 この後、混雑する梅田となんばを経て南海で泉南へ、尾崎駅付近でコロプラ阪南地区をGETする予定だったがWi-FiルータBF-01Bのバッテリがあがってしまった、その上充電用のエネループのミニUSBケーブルを持ってきていなくて充電不能。 せっかくここまできたので和歌山市まで行きdocomoショップで30分程充電して貰う事に。
  充電待ちの間、初めてでもないのですが和歌山市道路元標の建つ県庁前へ、もちろんかっては大正道路元標の様式に沿った和歌山市道路元標があったのでしょうが、現在はこのような近代的なモニュメントが和歌山市道路元標となっています、従ってこれは番外と云う事に。
 満タンと云う訳には行きませんが、どうにか使える程度に充電ができたので、再び南海電車で尾崎へ、阪南地区をGETしてこれで大阪府制覇。 そんなに熱が入っている訳でもないのですが、奈良県、島根県、今日の兵庫県に続いて4府県目制覇です。

【937】 兵庫県 武庫郡 大庄村 (現 尼崎市)