明日香ご案内ポタ

 今日は神戸から満棒さんが三輪山登山に来られると云う事で、下山後明日香村を少しご案内する事に。 三輪神社の御神体である三輪山は入山は制限されていて、狭井神社で許可と入山料を払って、指定されたルートで山頂までの往復が許されてます。 桜井に10数年居ながら、展望もないと云う話なのであえて行く事もないだろうと、私自身は登った事はありません。 下山する頃を見計らって、お昼に三輪神社近くの適当なお店でにゅーめんでも頂こうかと思っていたのですが、連絡があったのが下山後だったので、桜井駅まで来て貰い、そのまま明日香村へ行く事になりました。

 大官廃寺跡から水落遺跡といつものルートを抜け飛鳥寺裏の曽我入鹿の首塚まで、付近では遺跡の発掘説明会が、明日香村は母方所縁の土地ですし、桜井も箸墓古墳とかがあって、考古学ファンには魅力的な処なんでしょうか、私はトンとそちら方面に興味はないのです。

 

 

お昼はにゅうめんを頂こうと云う事になっていたので、御馴染み明日香村岡の「めんどや」へ、何と店の前は自転車だらけ、観光客のレンタサイクルに加えて、来週のヒルクライムに試走の人達でしょうか。 店内も上に団体が入る様で大わらわ、「あすか鍋」の話どころでは。 店の親爺に「一体何人連れて来たんや」と云われる始末、スポーツサイクルに乗ってのん、みんなうちの身内ちゃうわ!!  とにかく具沢山にゅうめんと柿の葉寿司とわらび餅のセットを注文。

昨日に続いて輪童さんから連絡があり「めんどや」で合流して案山子ロードへ、あちこちに来週の「明日香ヒルクライム」の交通規制を知らせる立看板が。

稲渕の棚田も、案山子コンテストの時の賑わいはなく今が一番殺風景な季節、火器を持ってきていたのでベンチでコーヒーブレイク。 この後、橘寺まで出てきた処でkiki君のツィートを捕捉、輪童さんと二手に別れて石舞台で挟み撃ちに、やっと4人が揃いました。

 輪童さんと別れた後、飛鳥川沿いの自転車道を走り、輪行で帰る満棒さんを大和八木駅まで送り、自走のkiki君を昨日行ったばかりの大和川御幸橋まで案内して、昨日とは逆回りに大和川に沿って帰ってきました。 本日の走行53.5キロ。

2012年版CanCan謹製卓上カレンダー完成

毎年暮に、かれこれもう10年以上にわたって、その年に自転車遊びでご一緒して皆さんへのお礼にとお配りしている卓上カレンダー、2012年版が完成しました。 主に「あすか鍋サイク」や「石川ポタ」の折にでもお配りする予定で鋭意生産中です、お楽しみに。
 2012年版は2,12月にskuram氏、表紙裏表紙になべちゃんとまえださんの写真をお借りしました。
 また写真の被写体になってしまった方と年間ご一緒ベスト10の方には別にプレミアムバージョンをお渡しいたします。

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峠の上のそば屋へ

 なべちゃんから女寄峠の「韃靼そば」を食べ、「月うさぎ」へやってきた山羊を見に行こうと云うリクエストがあり、喜んでお供させていただく事に。 しかしいずれのコースにせよわが町桜井を通る訳なのですが、女寄峠のそば屋へ行くわけですから、女寄を登る以外の選択肢はない訳で、桜井から一緒に走り出そうものなら、かつて乗鞍入賞経験のある彼女についてゆける訳がありませんので、卑怯にも峠直前の女寄交差点で待ち合わせる事にします。 ただ東吉野村の「月うさぎ」まで行く時間はありませんので、大宇陀を経て大峠で戻る事に。

 当然、私の事ですから粟原集落の中の旧道を行ける処まで行き、R166の下をくぐって回り込めば、登坂車線の始まる直前に出て、女寄トンネル手前の信号まで残り1キロ足らずです。 それでも中女寄のバス停で一息入れさせて貰います。 しかし今日は最高のお天気ですわ。

 女寄の信号を榛原側と云うか旧道側へ入ってR166を見下ろす土手の上で待つ事にしますが、どうやら途中で道を間違えた様な内容のメールが届いたので、到着までは結構時間がかかりそうですが、日差しがポカポカと暖くて快適です。 好天の休日とあって何組かツーリングとおぼしき自転車が通って行きます、この時間にしては珍しく下りの3人組も。

 遠路枚方からなべちゃん到着。 残念ながら交差点で車が錯綜するので、この場所からはなかなか上手いタイミングには写真が撮れません。

 ところで「韃靼そば」の会津屋さん、「よろづ」のmillonさんによると東吉野から、大宇陀、此処と移ってきていて、そう云えば東吉野のお店は入った事はありませんが、何度も前を通っていました。 現在の場所は確か以前「楡」と云う名の喫茶店で、お姉ちゃんが一人でやっていたのですが、店の前に自転車単車嫌いの犬が放し飼いにされていて、お店はともかく自転車乗りには悪名高い店で、国道まで出張って追いかけてくるので側溝に落ちた人もいるとかいないとか、なお現在は黒い仔猫がいます。

 肝心の苦そばを使っているだろう「韃靼そば」は予約制で、普通のざるとおろしそばだけ、暖かいつゆそばの類はありません。 お値段も大中小、量にかかわらず1,000円均一、特大だけ別料金。 2番目の中サイズを頂きましたが、先にそばがきが出てきたので女子には多かった様な。 Yahooや食べログで高評価のお店ですが、見た目はかなりワイルド、私は決してそば通ではないのでエラそうな事はよう言いませんが、美味しかったですよ。

 今日の目的は他にまだ決まっていないカレンダーの写真の穴を埋める事だったのですが、そばで時間も食ってしまい、その上今日はNCTCの総会で夜には京都市内へ行かなくてはならないとの事で、写真を撮りつつも駆け足?で宇陀市を走り抜けます。 写真は火曜日にもSORAさんと走った、新しく舗装された宇陀川沿いの道で、後ろの急坂を登る訳ではありません。 今「おごぽご」の対岸も工事中なので、完成すれば、車の多い国道を走らずに榛原から大宇陀まで行けます。

 大宇陀の古い街並みで写真を撮ってから宮奥ダムを経て大峠トンネルまで登ります。
 大峠トンネルを越えて一気に八井内まで下ります、紅葉の多武峰を越えて飛鳥経由で帰る事も考えたのですが、やはり時間が足らないので桜井へ下り大和川沿いに帰途に就いて貰う事にします。 一昨年に明日香村への県道<155>多武峰見瀬線が開通したので、この時期の紅葉見物の混雑、たいぶマシになった様ですが、やはり桜井からの県道<37>桜井吉野線はあちこちで渋滞していました。 なべちゃんを大和川御幸橋まで送り、携帯に着信のあった輪童さんへ電話を、鉄人児玉さんと加茂屋さんがご一緒でどうやら明日香で迎撃を企んでいた様です、「よろづ」で晩御飯をご一緒する事になり、今度は飛鳥川沿いの自転車道を南下して橿原神宮を目指します。

「よろづ」での晩御飯の後、加茂屋さんを近鉄大和八木駅までお送りして帰途に、本日の走行78.9キロ也。

 

 

久しぶりのカメラポタ

 仕事の方が一段落ついたので天気の良さそうな平日に走ろうかと企んでいて、先月末に雨の中行った伊勢本街道へでもとD女史を誘ったのですが、見事にふられたので久しぶりに鳥見山へ向う事にして、その後は榛原に下って「おごぽご」~宮奥~大峠~多武峰~と考えてみました。 一人でもつまらないのでTwitterでSORAさんに声を掛けておいたのですが。

 旧都祁村の三陵墓古墳に10時と云う事にしておき、初瀬ダムから小夫と針へ向ういつものコースを登って行きます、標高400mを越えるだけに結構冷えてきます。 三陵墓古墳は地元の幼稚園の遠足? 賑やかな事です、10時丁度にはSORAさんは現れませんがTwitterによると既に福住を通過していますから、まもなく現れるでしょう。

 SORAさん到着、少し桜井側に戻り白木街道へ入ります。 白木街道の詳しい由緒は判らないのですが、都祁から榛原へと鳥見山の中腹を西側から南側へとアップダウンを繰り返しながら幾つかの集落を継いでいます。 地元の車しか通らないご覧の様な1.5斜線路です。

 鳥見山公園は鳥見山の南腹、標高600mあたりにあってちょっとマイナーな紅葉の名所になってます。

 今日は久しぶりにバーナーとコッフェルを積んできました、冬はやはりカレーヌードルです。 ここにはテーブルやベンチも整備されているので、以前みんなで「きりたんぽ鍋」なんかもやりましたね、ただ水道は飲料に使えないので、積んでくる必要がありますが、

 一時間程写真を撮って榛原へ下ります、中腹から上に新しい道ができていましたね。 元南都銀行の建物の前に榛原町道路元標が建っていますが、この辻は伊勢本街道と阿保越伊勢街道の分岐でもあります。 「左あをご江みち」「右いせ本かい道」の道標もあります。 (写真:SORAさん)

 宇陀川沿いの道を野依の「おごぽご」へ向います、宇陀川の右岸路もカラー舗装され自転車にぴったりのコースになりました、後ろに見えるのは大和富士とも呼ばれる額井岳。 しかし「おごぽご」は休み、他に行く処もないし宮奥から大峠を越える余力もないので、素直に女寄峠を下り宇陀ヶ辻でSORAさんと別れ、えらく早く帰ってきました、走行約52キロ、SORAさんお付き合い有難うございました。

道路元標は回る

先日、再建を確認したばかりの奈良県橿原市の今井町道路元標、その時はケータイのカメラしたなかったので、大和高田への所要の途中立ち寄ってみました。 なんと回りに支柱が建てられ鎖が邪魔に、おかげでケータイで撮った写真が貴重になってしまいました。 ところが良く見ると「今井町道路元標」の文字が…

 

なんと西を向いていたものが北向きに建て直されています、それなりの重量の石柱で地下には80cm程が埋っていますから、ご苦労な事ですが、わざわざ建て直したこの向きになんらかの根拠があるのでしょうか。  

2009年春まで「今井町~」の面を北東に向けて埋っており、写真は道路側から「奈良縣」と彫られた面を写しています。 ただ上田倖弘著「道路元標を尋ねて」によると、過去蘇武橋は三度流されているそうで、元標も2009年の時点で大正時代の位置や向きとは異なっている可能性が大きい様です。

 なお元奈良県報号外(大正9年4月1日発行)に拠ると「奈良県高市郡今井村大字今井蘇武橋西詰」とありますが、設置当時の道路状況を調べてみるのも面白そうです。

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串柿は鬼門

 11月13日は輪童さん主催の恒例「串柿ポタ」の予定、ポタとは名ばかりの激坂ばかりのコース、あまり気乗りもしてなかったのですが。 前日の土曜日に「よろづ」でお昼を戴いた後T御大の御宅へ、怪しげなプロジェクトが進行しているのですが、私のasukaの調子の良くないリアメカを交換して貰っていると、極端にリムが振ってきています、ここまで問題なく走ってきたのに….

写真ではかなりずれてしまっていますが、スポークでテンションがかかってますから、クラックが入っているくらいでは走ってられるもんです、気がついていなかったとは恐ろしいもんです。 埃をかぶったままになっていたディ-プリムのホイールに交換して、帰途輪行に備えてガードを外して、出撃準備を。

まぁ朝起きる事ができたら「串柿ポタ」に参加してみようかと、軽く考えてたら目が醒めるもんです。 集合はJR和歌山線高野口駅9時ですから6時半がタイムリミットでしょう、6時10分に出発し明日香村から吉野口駅、重阪峠を目指す事にします。 ところが明日香村甘橿丘の手前まで来た処で財布とスペアチュープを忘れてきた事に気がつきます。 おサイフケータイがあればコンビニで食料は調達できるし、集合場所の高野口駅まで行けばどうにかなるかとは思いましたが、昨日のハブ破損とどうやら「串柿」方面は方角が悪いとのお告げの様で、途中でパンクでもしてパッチ当てでもしてたらまず間に合いませんので、諦めて引き返し、今日は方角をかえて出直す事にしました。

結局「猫カレンダー」の残り15部を「月うさぎ」に届ける事にして、9時過ぎに多武峰から大峠ルートへ、11時開店になった大宇陀のアナンダへ立ち寄るにも早いなと思いながら写真を撮りながら宮奥へ下り、田原のパン工房「のら」へ向う事にします。 こちらも11時頃からなんですが、関戸峠を越え<135>宇太三茶屋線を登り返して「のら」へ着いたのは11時に10分前、尋ねると焼きあがるまで後25分との事、表でのんびり日向ぼっこしながら待つことにします。 そうこうしていると何台か車でお客さんがやってきて、焼きあがるのを待ってます。 2個買ってサドルバッグに押し込みます、焼いている数からするとあっと云う間に売り切れなんでしょうね。  

「のら」のある宇陀市田原は吉野側に少し下った処なので、<219>佐倉大宇陀線で一旦佐倉峠へ登りR166を北へ少し下ると、宇賀志から芳野側へ越える道がある様なので探索がてらは入ってみます、2つのピークがあって北側の小さなピークをトンネルで越えます。 ここを通れば松井橋の信号をショートカットできますが、短いものの結構な坂もあるので自転車では時間的には短縮できない様ですね。 でも文殊峠と組み合わせると面白いので、次回の「月うさぎキャンプ」に組み込むのも良いかも。

お腹がすいてきたので缶コーヒーを買って岩端の公園で1個戴く事に、火器一式持ってきても良かったなぁ。

 

一谷峠を越えて12時半「月うさぎ」到着、コーヒーをお願いして残りの1個… 腹持ちの良い「のら」のパン、そうは2個目は入りません半分齧って持ち帰る事に。  

日差しが入ると外でもポカポカと暖かく、あの騒がしい犬どもはゴロゴロと… 「月うさぎ」は「SAVVY」に紹介された事もあって休日は予約でお忙しい様で、猫たちは接客で忙しそうで、ももたろう店長は挨拶にも現れず。

そうそう新しくやってきた山羊の家族、おとうさんのペーターです、油断してると頭でお尻をツンツンしてきます。  しかし山羊の食欲は… まわりは見事に草刈りされてました、雪が積もる冬が心配です。 

 

明るい内に女寄を下りてきて、本日の走行79.5キロ。

今井町道路元標

道路今日は軽く大和川から飛鳥川沿いと回り「よろづ」でお昼にでもしようと、自転車道を橿原市今井町まで南下してくると、街並み整備で長らく倒置されブルーシートをかけられたままになっていた今井町道路元標がちゃんと再建されてました。 奈良県高市郡の今井町道路元標は飛鳥川に架かる蘇武橋の西詰、すなわち今井町の古い町並みの入り口にあたる場所に長年、「今」の字かろうじて読める、いわば生き埋め状態で残っていたのですが、道路工事で2009年春に掘り起こされ放置されていました。 今井町は明治44年の町村施行時から「町」だったのですが、なぜか道路元標設置に関する大正時代の県報には「今井村」と記されていて、長らく謎だったのです。 現物は間違いなく「今井町」でした、「村」だったら大笑いだったのですが。 まだ道路元標のまわりは更地のままですが、この位置だとどうなるのでしょうね、歩道なのか花壇なのか、なお「今井町道路元標」と記された面が道路に向いて建てられていて、裏面に「奈良縣」とあります。 まぁ安住の地を与えられので良しとしましょう。

スズカ8時間エンデューロ

 鈴鹿サーキットで行われた「8時間エンデューロ」に昨年秋に続いて参加する「関西クラシックレーサーズ」の応援に行ってきました。 一応広報部長と云う名の写真係でして、一緒に走ろうと云う気は毛頭ありませんが、今回は揃いのチームジャージを作ると云う事で、私もお願いして一着。 着替えて記念写真に収まってきました。

 朝7時半に桜井線櫟本駅で大黒屋さんの車に拾って貰い満棒さんと3人で鈴鹿へ向います、心配だったお天気ですが、現地でもスタートする頃には止んで、お昼前にはコースの路面も乾きだしてきました。 私は2時間ほどホームストレートを登り切った処にへたりこんで写真を撮ってましたが、今年は揃いのジャージを目印にラップを計算しながら、皆さんの走っている処を一通り抑える事ができました。 写真の方は例によって、うちのHPの「ツーリングの記録」の方に既にアップしてあります(要認証)。
 成績は8時間ロード535チーム中がっつりAチーム(5名)が119位(48周 Avs34.8km/h)、まったりBチーム(4名)が287位(43周 Avs30.9km/h)と云う事です。

 エンデューロと云え、毎年色々と趣向のある参加者がギャラリーを愉しまさせてくれます、今年は天気のせいもあって少し寂しかったかも。 その中、何と云っても私たちの間で話題だったのが彼、最初はフロント2サイドだったのですが、4サイドになり、銀マットが載せられ、最後は鍋と、だんだん荷物が増えてくるという仕掛けです。 リザルトを見ると1人じゃなかった様ですが43周してます。
 そして締めは鈴鹿「みさきや」で全く反省のない反省会です。 来年はレディースを加えて3チームになるとか….

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