「道路元標」カテゴリーアーカイブ

「石川ポタ」と「第九」のダブルヘッダー (前半)

 今日は年末恒例、21回目を迎える「石川ポタ」が1週繰上げとなったため勤務明けに加えて「やまとたかだの第九」と重なってしまいました。一旦「石川ポタ」は諦めたのですが、何事もなく仮眠ができれば、集合場所の柏原市役所前には向かわずに通称「OHCHOの森」へ直行し、皆さんの作るお昼をつまみ食いして、速攻で帰れば15時開場16時開演の「やまとたかだの第九」に間に合うと踏んで準備をする事に、お配りするカレンダーだけで結構な嵩になりますので久しぶりのフロント2サイドです。

 結局の処あまり仮眠もできなかったのですが… 橿原市内の勤務先を9時前にスタート、大和高田から当麻寺門前へ。本当は尺土駅前を経由するつもりだったのですが、高田市街で道を勘違いしてまして… せっかくですので当麻寺門前に残る當麻村道路元標の現存確認を。以前は前が駐車スペースの様になっていて車にぶつけられたのか「道」から上が折れて傾いていたのですが、傾きは直されているのですが、頭部が見当たらず「路元標」しか読む事ができません「當麻村」と読めた頭部はどこへ行ったのでしょうか。

 当麻寺門前まで登って来たので竹内へハイキングコースにもなっている道を南下し竹内街道へ出ます。数100m車の多いR166を登らなくてはなりませんが、左側に見える池を過ぎた処から旧道が残っています。なお池の手前の分岐は平石峠への道ですから注意。1020には竹内峠へ、切り下げ前の道(奈良側は階段に)と県界標他が残っています。以前にも書きましたが自転車で峠らしい峠を初めて越えたのがここ、当時は堺市に暮らしていて明日香村の母方の実家へ向かう途中だったかと。

 太子町役場の前を抜けて石川に架かる河南橋で石川右岸に渡ったのが1047、河川敷の石川サイクリングロードを見下ろす事ができますが、ここ通過するのは早くても11時前、今日のメンバーと台数からするとそれより早くなる事はないのでここで待ち構える事にします。
 ところで今回は富田林市のマラソン大会とバッティングしたので日程を繰り上げたのですが、予行演習なのでしょうか何やらスタッフと思しき人や救護車と書かれた車まで出ています、自転車道はいつも通りにロードバイクとかが行きかっています。後で聞いた話では羽曳野市のマラソン大会が実際に行われていたのだとか。写真左 : タックさん。
 1102 UG兄さんと先頭に一行がやってきました。橋の上から撮影した後、追いかけて「OHCHOの森」まで1.5キロ程ですが皆さんと一緒に走る事ができました。初参加のきんなん君(右)と大怪我から復帰して、平坦路を軽くなら走れるまで回復したもりやすさん(左)。

 「OHCHOの森」に着くまでには先頭にでる事ができました。
(後半に続く)

 集合写真を含む大きなサイズの画像を順次うちのHP「サイクリングの記録」にUPしています、一部バクローさん他の写真を拝借しています。なお私の写真に関して参加された方は再利用して頂いて結構です、なお認証が必要です、ログインは’2023’、パスワードは2023年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の4桁の数字です、来年3月頃までは2022年のログインとパスワードの組み合わせも使用可能です。なおスマホのSNSアプリ等からリンクをたどると401エラーが出る事があります、Crome等ブラウザで開いて下さい。

2022年9月のまとめ

 9月の走行は455.4キロ、内訳はasuka 172.8キロ、démonta 237.9キロ、erba 44.7キロ、2022年累計は4831.0キロ。

 赤線は9月に走行した区間、青線は8月以前。

道路元標

【1117】 2022/9/9 広島県 御調郡 中庄村(現 尾道市)
【1118】 2022/9/10 愛媛県 越智郡 桜井町(現 今治市)
【1119】 2022/9/10 香川県 綾歌郡 岡田村(現 丸亀市)

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「ゆめしま海道」へ (おまけの2日目)

  予讃線 伊予桜井駅にて

 今日の予定はタイトルの「ゆめしま」とは全く関係なしで、愛媛県と香川県の未修の道路元標を巡って帰途に就く予定なのですが、案の定降ったり止んだりの雨模様に、香川の分は諦めて「シクロの家」の隣の食堂「二葉」(本来は駅弁屋さん)で朝定食を頂いて、のんびりYさんにコーヒーを淹れて貰って8時過ぎにスタート。

 伊予桜井駅までの数キロ、雨雲レーダーを見て、雨雲の間隙を縫って走り出したつもりが、やっぱり降られてしまった。

 愛媛県越智郡の桜井町道路元標があるのは今治市立桜井小学校、敷地内と云っても道路から見える位置に保存?されています。この場所2016年3月に通りすぎているのですよ、2009年まで愛媛県は道路元標が全く現存しない県の一つだったのですが、現在は此処を含めて5基の現存が確認されています。この様に学校敷地内に逃げ込まれてしまう?例は多いのですが、そうなると一般人の目に触れにくくなってしまいます。道路元標が設置された時代の地方自治体としての町村は少なくとも小学校の一学級が構成できる人口規模(交通手段をも考慮)であったとする考えがあり、郵便局や駐在所も同様ではと類推できます、つまり村長さんと校長先生と局長さんと駐在さんの世界、そして昭和や平成の大合併を経た後も、旧町村名を冠した小学校、郵便局、駐在所が多く残っています。また昭和27年施行の新道路法で法的根拠がなくなり行き場を失なった道路元標が旧町村名を同じくしていた事で、それらの敷地に移された例が多いのです。大正道路元標が測距の基準であった事には違いないのですが、マイルストーンであった明治里程標とは異なり、シンボルになり得たと云うのが持論です。

 現在は無人駅となった伊予桜井駅、大正から昭和へと国鉄予讃本線が西へ向かって延伸する中で、1923年(大正12年)12月21日から翌1924年(大正13年)2月11日までの僅かの間、予讃線の終点でした。

 降ったり止んだりのお天気、10キロにも届かない僅かな距離を走っただけで伊予桜井駅から帰途に就くしかなく、のんびりと輪行支度を始め1115発の高松行きに。2両編成と思いきや、後ろの車両は回送車両、前の1両は立っている人がいてほぼ満員、おまけにトイレなし車両を延々何時間も走らせると云うアコモ化に逆行するJR四国の普通列車、特急列車の方が本数が多いので結果的に抜かされる毎に長い停車時間となっている訳ですが、お腹の弛い人に四国は「18きっぷ」輪行旅はお勧めできません。幸い新居浜辺りから座る事ができウトウトしていて暑さに眼を醒ますと、青い空に青い海!ここは何処?箕浦駅! 当初下車予定の観音寺の手前やないですか、今からでも下車して岡田村道路元標を回って桜井まで帰れるかどうかと今後の天気を調べます、鶴橋から近鉄経由ですが帰る事ができますし、お天気は16時過ぎまで大丈夫そうなので、観音寺駅下車決定。

 輪行支度を解いて13時半には再び走り出します、この辺りデモンタブルの機動力、ロードバイクでも輪行は楽ですが、ホイールを掴む事なくできますから雨天走行の後でも手を汚しません。コースは丸亀琴平観音寺自転車道いわゆる土器川自転車道をなぞるのですが、観音寺側からだと財田川沿いに遡上しR377で丸亀側に越えて土器川左岸を下る約36キロ、せっかくですので自転車道の起点(終点)を目指しましたが、何の案内もありません。とにかく地図を見ながら自転車道らしき処を走って行きます。

 金比羅五街道の一つである伊予土佐街道、現在のR377で三豊市と仲多度郡の境界伊予見峠(162m)を越えますが、自転車道として整備されてはいませんし、ただ車の多い国道をだらだらと登らされます。

 土器川近くまで下った処で、自転車道のルートから離れて岡田村道路元標へ、1119基目今回のミッションを果たす事ができました。

 飯野山(讃岐富士を見上げながら土器川べりの自転車道へ戻ります、こちら側は財田川沿いに比べると利用者はある様です。丸亀駅まで走る予定でしたが、もう少し頑張って坂出駅まで走れば乗換を1回パスできます、幸い雨雲に追い付かれる事もなく坂出駅へ。

 坂出駅では「CYCLE PIT」なる案内がありました、改札口のあるコンコースを挟んで反対側(高松側)でサイクルラックがあるだけで、おまけに空調の排気ダクトの真ん前、これは配慮されていると云う感じではありませんね。

 坂出駅1754発に乗車、もう1時間早ければ「18きっぷ」だけで桜井まで帰る事ができたのですが、スタートが遅かったので仕方ありませんね。

 岡山駅で姫路行普通まで45分待ち、山陽本線、伯備線、津山線、吉備線と旧国鉄時代の車両がまだまだ活躍しています、復活した国鉄色「やくも」ですが2024年春には381系引退と云う事で鉄ちゃんの姿が…
 22時前には大阪へと戻ってきましたが、JR、阪急、近鉄でダイヤが乱れていた影響が、ともあれ日付が変わる直前に桜井に辿りつく事が、さすがもう輪行支度を解く事はせず転がしたり担いだりしながら帰ってきました。本日の走行55.8キロ。

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

「ゆめしま海道」へ (1日目 後半)

岩城島を後に

 小漕港を後に岩城島を反時計回りに走ります、上島町では防波堤アートなるものが行われているのですが、生名島では気付かずに通りすぎてしまい、岩城島では見つけたもの10mあるかないかのものでちょっと物足りなくて残念。

 岩城港から今治港への芸予汽船は7往復/日運航されているのですが、自転車を載せられない便があって、次に利用できるのは1620発、充分過ぎる時間があって「自撮り」の準備もあるのですが、良さげなポイントも見つけられずに14時前には岩城港に着いてしまい、こんな事なら午前中に弓削島を一周しておけば良かったなと考えつつ岩城島を一周して岩城橋まで戻ってきました。

 GoogelMapによると何やら「ゆめしま海道開通記念モニュメント」なるものがあるとの事ですので、岩城橋の下をくぐって海岸線に。

 新しく開通した岩城橋をバッグにモニュメントがありますが、上の2枚の写真の反対側から見ると草むらの中でなんとも殺風景な事になっています。ここには島を巡る県道とは別に岩城港への道が続いていますが何の案内もありません、「しまなみ」や「とびしま」の向こうをはって「ゆめしま海道」と謳っているのですから、この僅かな区間だけでも海岸に沿って自転車道と四阿くらい整備してもバチは当たらないと思いますけどね。将来的にも生口島と橋で繋がり「しまなみ」側からのアクセスが良くなったとしても、今のままでは橋と橋の間の通過されるだけの島になってしまいますよ。

 再び岩城港へ戻ってきました。岩城港務所(岩城観光センター)内には乗船券売り場に待合室、土産物売場、軽食喫茶があり、出発まで過ごす事にし「レモンポーク丼」を頂きます、青いレモンの島がキャッチフレーズに、今治の「焼豚玉子飯」をアレンジしたのでしょうか、しかしキャベツの食感がいけません。

 さて1620発今治行きがやって来ました、ベンチにカメラを置いて安直に「自撮り」を。この芸予汽船は因島土生港から生名島、弓削島、佐島、岩城島、伯方島木浦港、大島友浦港に立ち寄りながら今治港までを1時間10~20分程で結んでいます。運賃は今回の乗船した岩城港~今治港間で1.360円、自転車は区間にかかわらず一律580円ですが、現在上島町への航路へは小さな用紙に必要事項を記入して乗船券と一緒に渡すと自転車の料金が免除されます。自転車は後部デッキに載せられますが、潮を被ったりする事もありますし結構荒っぽいです、フェリーの車両甲板の様にロープで固定してくれるのかと思いきや、たまたまでしょうが倒れない様にペール缶で押さえつけられてました、なお航行中はデッキへは行けません。その割りに乗り場にはクリート付きのシューズで乗船するななんて厳しい事も書いてあります。
 港をでると凄い加速で「ゆめしま海道」を後に、2度目の「ゆめしま」辛口の内容になってしまいましたが、因島が対岸近くだけに造船所のクレーンばかりが目立って、ひなびた感では「とびしま」に及びませんし、御手洗地区の様な見処にも欠けます。今のままではリピーターが来ないでしょうね…
 と云いながら次の機会には因島東岸を走って今回取りこぼした弓削島外回りを走り、佐島の「汐見の家」にでも泊まるのも良いかなと、来春まで「かみじま応援割」をやっているそうですし。緑色は過去に赤色は今回走行コース。

2016年1月に走った大島東岸の険しい道や亀老山を見上げ来島海峡を渡るともう今治港です。港から市街を抜けて今治駅前のゲストハウス「シクロの家」へ。


 「シクロの家」に泊まるのは2016年3月以来、ムラマサ君とは2017年7月の「しまなみキャンプライド」で会っているのですが、その折は今治入りしなかったので。もちろんシャワーがあるのですが、5分程歩けば昔ながらの銭湯「宝来温泉」がありますのでそちらへ。お昼が遅かったのでコンビニでおかずやつまみを買ってきて3人で愉しいプチ宴会。

 他のお客さんもいるのですがミックスドミトリーは私1人の貸しきりでした。本日の走行62.3キロ、気になるのは明日のお天気、愛媛県越智郡の桜井町道路元標と、予讃線で観音寺まで輪行し丸亀琴平観音寺自転車道を走って香川県綾歌郡の岡田村道路元標を経て丸亀駅から帰途に就くだけなのですが…

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

「ゆめしま海道」へ (1日目 前半)


弓削島 法王ヶ原

 今日の予定は因島に残る中庄村道路元標へ立ち寄る以外は、尾道から今治まで適当に「しまなみ海道」を走ればと行き当たりばったり、三原に着くまで何にも考えていませんでした、まぁ何度も走っている「しまなみ」ですからね。
 当初単純にR2を尾道へ戻るつもりでいたのですが、よくよく考えると目の前の三原港から因島へは航路があります。因島重井港まで自転車込みで1,290円は決して安いとは思えませんが、0620発の1便に乗れば因島西岸の重井港まで20分ほど、しかし自転車込みで20分で1,290円は高い、なんと因島土生港まで乗れば1,800円にもなります、またせとうちサイクルーズPASSの割引対象航路にもなっていない様です。

 とにかく一度は乗っておくのもと良いかと… 途中佐木島の鷺港に寄港しますが、あっという間に重井港へ。
 向島を飛ばした処で大して見処がある訳でもありませんし、時間に余裕ができたので今年3月に開通した岩城橋を含めて「ゆめしま海道」4島を走り小漕港から生口島の州江港へ渡る事を考えてみました。

 「しまなみ海道」のブルーラインの引かれた広島県道366号西浦三庄田熊線を少し尾道側へ戻り県道367号中庄重井線へ入り内陸部を走るR317へ。御調郡の中庄村道路元標はこざっぱりとした住宅地の中に残っています、通算1117基目。広島県下の道路元標は現在までに7基が確認されているのですが、今まで2007年、2009年、2015年と足を運んでいます、そうは一気に見つからないだけに大変です。
 R317を因島南岸に出ても朝の通勤時間帯で混んでいるだけですので県道120号中庄土生線の大山トンネルを抜けます、下った処の三差路を右に折れると自転車神社として有名な大山神社、そこを左折して少し登ると弓削島へ渡る家老渡(かろうと)フェリーのりばへ行く事が、結局因島は重井港から家老渡港まで内陸部を横断してしまいました。


 出港直前の家老渡港0820発に滑り込み、自転車込みで180円也、せとうちサイクルーズPASSを持っていれば160円で乗船できます、僅か数分の船の旅ですが「ゆましま海道」の佐島と生名(いきな)島の間に架かる生名橋を望む事ができます。
 弓削島の上弓削港に到着、ここはもう愛媛県です、休憩所とかがあるので小休止。弓削島の東岸を回る事も考えてみたのですが、少々険しそうなのでパス。

 2017年7月の「しまなみキャンプライド」の際にキャンプした法王ヶ原へ立ち寄ります。当時は無料のキャンプ場でしたが、現在は一部が決して安くはない有料のキャンプ場となっている以外はキャンプ禁止だとか。
 弓削大橋を渡り佐島へ。いま「ゆめしま海道」と呼ばれているのは愛媛県越智郡上島町の弓削島、佐島、生名島、岩城島の4島を弓削大橋、生名橋と今年3月に開通した岩城橋によって結ばれたルートですが、本土側とは架橋によっては繋がっていない離島です。

 
 佐島には南端までの道にブルーラインが引かれていて終点が「Uターンブルーライン」として知られる様になったのですが。
 佐島の周回コースから別れて片道3キロほど、幾つかアップダウンがありますが、思っていたより楽に着きましたが、思っていたよりしょうもなかったと云うのが正直な処です、「長磯の浜」と云う静かなビーチがあります。
 佐島西岸から見た生名橋。

 今年3月に開通した岩城橋、歩道がない上に桁上も5%の勾配が、GPSの値で56mまで登らされてます。岩城島は周囲30キロ程の島で北岸の小漕港から生口島の州江港へ、南岸の岩城港から今治港までの航路があります。
 岩城橋を渡り北岸の小漕港へ向かいます、1時間に2~3本の便が出ているのですが、1230発が出た後、この間だけ1時間待ちの1330発、お昼休みなんですねぇ。所要5分対岸の生名島が目の前、州江港に渡れば「しまなみ海道」のルート上で今治まで約40キロ、1時間待って今日はやや向かい風、それに左膝の調子がいまいちと意気消沈。初めての岩城島にせっかく来た事ですし、岩城港まで走って1620発の今治港行きで横着するのも良いかな… (後半につづく)

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

芋から壷阪 真夏の遠回り通勤サイク

「高取町道路元標」高取町土佐街道にて

 朝9時にもなると既にかなり暑いのですが、頑張って「遠回り通勤サイク」へ、芋ヶ峠を越えて壷阪峠で帰ってくる、どちらかと云うと冬の定番コースなのですが、登り区間で木陰が多くて、少しは涼しいかと。家庭の事情で交通不便な処へ出かけられないのですが、このコースですと最悪でも最寄り駅まで1時間以内で行けるのですよ。
 写真は明日香村稲渕にて、撮った時には気が付かなかったのですが「案山子ロード」の毎年恒例のジャンボ案山子が既に出来上がっている様です、アップしてみると今年はお地蔵さんの様ですね。
 女綱から行者辻と走り慣れた芋ヶ峠への道を辿ります。
 1021 芋ヶ峠(497m)へ、やはり標高がある分、下界より涼しいです。

 吉野町千股から真っ直ぐ吉野川近くまで下り「和歌山街道(伊勢街道)へ。

 吉野上市郵便局の前で「上市町道路元標」の生存確認。近鉄吉野線の吉野川橋梁を望むローソンで補給の後(写真は2016年4月12日)、上市橋を渡って吉野川左岸の県道39号五條吉野線へ。
 1124 椿橋まで下り右岸に戻ります。

 奥越部から大淀古道へ「安産の滝」でたっぷりマイナスイオンを。
 壷阪峠への道。

 1216 壷阪峠(359m)、高取城址への道が分岐していますが、ずいぶん行ってませんネェ。少し下って壷坂寺と葛城山の展望。
 高取町の古い街並みは土佐街道と呼ばれます「町家の雛祭り」の時を除けば静かなものです。

 飛鳥駅まで来た処でTwitterの通知で今日の「よろづ」のサービスは「ロースとんかつ定食」だと知って、久しぶりに橿原神宮前駅西側の「よろづ」へ、millionさんも初孫ができておじいさんになりました。帰途買い物を済ませて15時過ぎに帰宅、走行49キロ、暑さと峠越えが2つあるだけに距離の割にくたびれました。

結局は GoogleMap か…


明日香村奥山 大官大寺跡にて

 昨日今日と少し暑さが和らいだのか風があったせいかクーラーを使わずに過ごせました、休みだったので早朝から少しでも走ろうかと思いはしたのですが、先日からの「道路元標DB」の改修作業でついつい夜更かしをしてしまい早起きができず、蝉がなきだす時間になるともう出掛ける気が失せてしまいます。いざ走り出すと気持ちが良いのですがネェ… 

 ところで「道路元標DB」の方ですが、「文字」「数値」「日付」と云ったデータは2/3以上整形がすんでインポートができる状況に、なにしろもともとキーのないデータベースと云える代物ではなかったのでユニークなキーがなかっただけに生成するのに結構手間が、市名はともかく町村名って結構同じものがあるのですよね、自治体コードなんてなかった時代のデータですし。その中で新たな発見があったり間違いがあったりしていて、正しい読みを調べてひらがなで打ち込んで「ヘボン式ローマ字変換ツール」で置き換えてWordpress のスラッグにする次第。

 メニューに悩んだ末、今後増える事のないだろう「地方」ー「都道府県」ー「郡」まではカテゴリーにして、必要に応じて固定ページに、「市町村」は投稿ページと云う構成に。ただメニューが… なにしろ兵庫県などは道路元標が発見がされている郡が25もあるので冗長なものになってしまいます。色々なWordpress テーマを試してみたのですが、いずれも画面からはみ出したりスクロールすらできない始末、行き詰まっていたら「MegaMenu」なんて代物のプラグインがあるのですね、今後デザインを合わせる手間はかかりますか、とにかく一件落着。
 「文字」「数値」「日付」を済ませて「画像」はWordpressのディレクトリにFTPで上げてリンクを張り直す訳ですが、ファイル名にある程度規則性があるので大方は勝手に張れると思っているのですが、問題は道路元標の位置を示していた地図。2018年頃でしょうかGoogleMapがAPIの利用に従量課金を発表時した時に逃げ出したので、以来「道路元標」では地図の表示はできなくなっています。SORAさんちの「轍」ならまだしも「道路元標」みたいなコンテンツを覗きにくる人は限られているので28,500回/月以上なんて従量課金のレベルにはとても及ばないのですが、世間は徐々にOSMに流れるでしょうし、なによりゼンリンと縁を切ったGoogleMapの質の低下を見て、もうGoogleMapはないな思っていたのです。ただOSMではWordpressで使えるプラグインがまだまだ充実しているとは云えません、表示までは問題はできるのですが編集まで考えるとなかなか、OSMも地図そのものの内容はまだまだ、マイクロソフトのBingMapsやYahoo地図もゼンリンが絡んでいるだけに魅力的ですがまだまだ環境が整っていません。結局はWordpressでカスタムフィールドを作るプラグイン「Advanced Custom Fields」がGoogleMap用に定義できるフィールドを持っていたのでGoogleMapに舞い戻ってしまう事に。ただ従来のHTMLに埋め込んであった緯度経度を折角抜き出したのに、GoogleMapに読み込ますのには難解極まりない仕様に頭を抱えています。

 そんなこんなで走れない毎日、夕方出勤前に少しだけ遠回りして明日香村経由、畝傍山の夕景を見ながら明朝こそもう少し遠回りして帰ろうかと考えていたら、朝一から4回目のワクチン接種だって、ありゃ。

久しぶりの遠回り通勤ポタ

 異例の早さの梅雨明け宣言の後、台風やら戻り梅雨やらと鬱陶しい天気が続きますね、晴れたら晴れたで「激暑」ですし。「早朝ラン」を考えた日も2度程あったのですが、起きても走り出す気力が… 従って数字が上がるのは距離ではなくて体重の方。
 明日からまた雨が続くと云う事で勤務明けの今日は貴重なお天気「今日走らんでいつ走る」、まずは腹ごしらえと云う事で西へ走り「松のや」へ、11時までの得朝限定メニューとは云えこれで490円ですからね、とんかつフリークには…

 R24を北上して高田のS先生の処に立ち寄ってから葛城川沿いの京奈和自転車道へ、ある程度はと思っていましたがここまで酷いとは、そう何度も草刈りもできないとは思いますが…
 蒸し暑さは昨日よりましな様ですが時間とともに気温が上がってきます。これ以上足を伸ばす気力もなくなってきて、川西町まで北上した処で寺川べりに出て東へ「面塚」から結崎駅の南側で近鉄と京奈和道をくぐって、庵治町でR24を跨いで大和(迫瀬)川べりにでて帰途に就きます。
 薄曇りの天気ですが大和高原や龍門山地の方には雲が沸き立ってきました、12時過ぎはに桜井へ。走行36.7キロ、摂取カロリー>消費カロリーですなぁ、やはりこの季節は「遠回り通勤ポタ」より「早朝ラン」を考えなくては。

遠回り通勤ポタ「サイクルトレインと筋違道」

 ここ暫く左膝と腰の調子が良くありません、軽い痺れと云う感じで我慢できない程でもないのですが… 自転車通勤をやめる訳には行かず、左膝は踏み込むと痛むので、踏み出しは意識して右で、坂道は控えています。先月末の「伊那路ツーリング」は2日で206キロ、今月2日の「いわっし村」は96キロと走ったので、疲れかなと最初は思っていたのですが、もう2週間になります、自分的には「伊那路」の時からサドルが低い様なと思いつつ邪魔臭くてそのまま走っていたのが原因の様な気がするのですが。腰もどちらかと云うと左だしうちのPT(理学療法士)に訊いたら神経系を疑ってみるのも、と云われると左つま先まで痺れてきた様な。来週には松阪~賢島のサイクルトレイン絡みで走りたいのと、来月GW明けに琵琶湖キャンプツーリングを計画しているのですがネェ。しかし体重が80キロを切ると事故に遭ったり故障している様な、お陰で減量プログラムが捗りません。
 さて前置きが長くなりましたが、お天気も良いので勤務明けから軽く平地を流して帰る事にします。先週乗った田原本線の期間限定サイクルトレインが今日最終日ですので、前回とは逆に西田原本から新王寺まで乗車し、いわゆる筋違道で帰ってる事にしました、まず飛鳥川沿いから下ッ道(中街道)へ。

 道路元標は旧街道沿いに残っている事が多いので、下ッ道沿いに走るとも幾つかの道路元標を見る事ができます、気が付けばの話ですが、磯城郡の多村道路元標(写真左)、田原本町道路元標(写真右、かさ上げされているのが判りますね)。

 他所者には迷路の様な田原本の街中を抜けて西田原本駅へ、1014発に乗車します。
 ところで一見他の路線と繋がっていない様に見える近鉄田原本線って、どこから車両の出し入れをしているのか。橿原線の田原本駅と田原本線の西田原本駅の北側、住宅に囲まれる様に渡り線があるんですね、朝夕に通勤通学時間帯のダイヤで田原本線内を走っている編成が増減する折に通過するみたいです。

 今日は私1人(台)かなと思っていたら3両目に御夫婦と思しき2人が、自転車利用は中間の2両目と云う事になっていたと思うのですが、あまり周知されていない様で、ただあまり徹底されると困る事もあるかも。なお新王寺駅は西田原本駅と同様に頭端式(櫛形)ホームなのですが、1線2面で昇降扉が別になるので自転車の昇降がし易いです。
 休日で賑わう駅前を避けて線路沿いを東へ。新王寺駅のある王寺駅からはJR関西本線と和歌山線と近鉄田原本線が東側へ出ているのですが、田原本線は関西本線を跨いで和歌山線との間に出ます、手前の踏切が和歌山線です。
 少し寄り道して菜の花が水面に映える大和川べりに出て昭和橋まで戻り対岸の右岸を走る事にします。北側になる右岸の道は竜田川と富雄川が合流する処で迂回するので少し遠回りになるのですがね。
 右岸を遡り馬場尻橋を渡り寺川左岸に入ります。聖徳太子が法隆寺建立の為に通ったされる筋違道(太子道とも法隆寺街道とも)は多くが失われているのですが、寺川以南三宅町から田原本町にかけてその道筋を辿る事ができます、地図を見ると東西南北に整備された道に対してこの道が斜行している事が良く判ります、それが「筋違」の謂れなのですが。

 三宅町では数少ない観光資源?なのであちこちに案内が整備されています。
 三宅町屏風の杵築神社、門前に磯城郡の三宅村道路元標が。

 田原本町域に入り筋違道は黒田駅の西側で田原本線と交差します。地形図を見ると条里制の名残りを残す奈良盆地の中で斜行する田原本線と寺川水運と筋違道には妙な共通点が見えてきます。
 京奈和自動車道と交差すると都村道路元標(田原本町宮古)が残っています、実はこの十字路の北東角から南東角に最近移転してかさ上げされています、このロケーションまですのでいつまで建っていられるのか心配しているのですが、少なくとも田原本町は道路元標の歴史的価値を認識してくれている様です。最近では住宅の一角にあった高市郡の真菅村道路元標(橿原市)が失われてしまいました。
 残念ながらこの先で筋違道はぷっつりと途切れてしまいます、適当に走ると飛鳥川沿いの自転車道に出てしまいましたので、八木札の辻を経て横大路で帰途に就きました。本日の走行38.9キロ。

伊那路ツーリング 1日目

旧塩尻峠 塩嶺御野立公園展望台より諏訪湖を望む

 今日は4つの長野県下の4つの道路元標を巡りながら飯田市まで南下します。0548 塩尻駅前をスタート、まずは県道63号松本塩尻線を北へ、もろに向い風を受けてその冷たい事、まだまだ信州は寒いです。
 片丘村(現塩尻市)の道路元標へ、これで東筑摩郡で現存が確認されている18基を完了。塩尻市街まで戻るのも何ですのでアルプス展望しののめの道」(東山山麓広域農道)に取り付いて長野自動車道沿いまで南下する事にします。確かに展望は良いのですが、長野道沿いに出てからが大変、高速に沿った一般道は時間的に車が多いわアップダウンはあるわで、これなら塩尻宿から辿った方が楽だった様な。

 0738 みどり湖PAの南側でようやく旧中仙道に(写真左上)、旧中仙道へ入ると歴史ある街道だけに、一里塚やら旧跡が点在していてついつい足が停まります。

 0825 旧塩尻峠(塩嶺峠 1,060m)に到着、峠は旧中仙道と林道塩嶺高ボッチ山線とが交差していて四つ辻になっています、岡谷市側は災害復旧工事のため「終日全面通行止」とありますが、歩行者は通行できますとのですから自転車は通れそうです。

 予定からは時間が推してしまっていますが、少し北側に行けば展望台がありますので寄り道します、展望台に登るまでもなく岡谷側の展望が開けて諏訪湖を望む事ができます、さらに展望台からは塩尻側も、ただ西側は雲がかかっていて展望はいまいち。(写真右)
 9時過ぎには旧塩尻峠を後に、しかし片丘村道路元標に立ち寄っていたとは云え、旧塩尻峠までで3時間も使ってしまったとは。写真は岡谷市街に入る直前の旧中仙道の案内。

 諏訪郡平野村道路元標は旧岡谷市役所庁舎前にあります、村と云う事で周辺町村のものを移設保存したものかと思っていたのですが、平野村は岡谷市の前身そのもので、昭和11年に平野村が市制を施行しています。大正9年の平野村の人口は松本市に次いで県で2番目で長野市、上田市を人口が上回っていたとの事。
 岡谷市川岸の大白橋へ、この先天竜川右岸は行き止まりになっていて左岸側の県道14号下諏訪辰野線を行かなければなりません。

 辰野市に入り相合橋で左岸に、東西橋で再び右岸へ。蛇行する天竜川堤の道を行きます、遠回りになっているかも知れませんが信号もなく国道や県道を走るより快適です、その上追い風に押して貰えて、箕輪町を経て伊那市へ。
 12時過ぎには伊那市街へ、コンビニでお昼を調達して沢渡駅の待合室でお昼にします。

 今日3つ目の赤穂(あかほ)村道路元標はなんと天竜川べりより標高で250m程高い駒ヶ根高原に移設保存されています。

 旧駒ヶ根市役所庁舎が駒ヶ根市郷土館として保存されています、大正時代に赤穂村役場として建てられた建物で、道路元標も一緒に麓から移設された様です。隣接する古民家(重文竹村家)と共に見学が可能ですが月曜は休館日、ただ庭先の道路元標は確認する事が可能です。

 天竜川べりまで適当に下ります、たまたま見つけた疎水沿いの道、夏なら気持ち良さそうな道です。1534 飯島町田切交差点(写真右)、あの「田切地形」の語源となった「田切」ですね。ここでは飯田線もR153も山側へ大きく迂回しています。

 最後の下伊那郡河野村道路元標は天竜川左岸に位置していますので、天王橋を渡り県道18号伊那生田飯田線へ、この県道長野県が推している「Japan Alps Cycling」に指定されている様で、天竜川べりの険しい地形の中を行きます。このルートを取る時は事前に道路状況の確認をしておいた方が良さそうです。
 17時丁度に河野村道路元標に到着、長野県の道路元標の多くは郡名が併記されているのですが、河野村は標準的な様式です。これで本日のミッションは終了、2016年8月に吉野村道路元標からスタートして1,116基目、最近では近場になくなったのでなかなか捗りませんが。近くの道の駅まで移動して今夜の宿を探します、飯田市で前回も停まった民宿?が取れたのですが、飯田市って扇状地の中に発達した町で、場所によって結構登らされます。
 市内で夕食を済ませてから宿に向かう事にしますが、無性に’とんかつ’が食べたくなったので探してみると「かつ禅」が地元で知られた店とか。

 店構えから高野山の「定(てい)」の様な洋食屋さん風なんかと思ったのですが… ロースとんかつ定食1,550円は日頃「松のや」の得朝とんかつ定食を食っている身に安くはないですが100キロ超のご褒美、さすがに地元有名店だけに結構なお味でした。本日の走行118.2キロ。

【1113】 長野府 東筑摩郡 片丘村(現 塩尻市)
【1114】 長野県 諏訪郡 平野村(現 岡谷市)
【1115】 長野県 上伊那郡 赤穂村(現 駒ヶ根市)
【1116】 長野県 下伊那郡 河野村(現 豊丘村)

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