「鉄」カテゴリーアーカイブ

古いネガから(1971年2月11日)

信楽と水口の間、国道307号線は現在のルートとは異なり小野峠を越えていました、当時は未舗装で積雪凍結ともなるとご覧の様に。


水口行きの国鉄バスも


現在のR307はこの踏切を渡らず線路の向こう側を平行して走っています。


1日1往復も貨物列車は亀山区のC58が受け持っていました。 信楽駅には転車台なぞ無いので上りは逆向で牽引します、信楽線には33‰勾配が続くせいでしょうか名松線の様にC11を投入する事はできなかったのでしょうね。


現在は橋上駅になってしまいましたが、草津線貴生川駅です。


古いネガから(1971年2月7日)

1971年当時の国鉄信楽線信楽駅、右に写っているバスは関西線加茂駅と結んでいた国鉄バスではないかと。


当時ももちろん’陶器の町’なのですが、今の様に観光化はされてはおらず、山間の小さな終着駅でした。


 信楽駅構内


 もちろん民営化前ですが、草津駅行き直通が走っていました。 あの忌まわしい列車衝突事故はJRの臨時列車が乗り入れていたもので、以来直通運転は無い。


キハ53 4、信楽線には33‰と云う急勾配があるせいでしょうか、2エンジンの当時新鋭のキハ53が投入されていました。


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道路元標蒐集の旅(愛知編)

昨日からT御大の名古屋の事務所の引っ越しを手伝いに行ったついでに、今日は愛知県三河地方の道路元標を蒐集してきました。 自転車ではなく名古屋鉄道の「まる乗り1DAYフリーきっぷ」\3,000を利用したのですが...
名古屋→藤川 \770
藤川→本宿 \220
本宿→名電長沢 \180
名電長沢→名電赤坂 \160
名電赤坂→豊橋 \340
蒲郡→形原 \220
西浦→西尾 \440
西尾→名古屋 \770
 と普通運賃だけでは\3,100分しか乗れませんでした(^_^;) 確かに岐阜?豊橋が片道\1,780ですが、でないと元を取るのはなかなか大変です。 なお「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」と云うのがあってこちらは\3,800ですが、連続した2日になり特別車不可です。

名古屋鉄道に乗る事など滅多にないので、現役のうちに一度乗っておきたかったのですが...


「まる乗り1DAYフリーきっぷ」では特急の特別車に乗れる(但し10?16時で座席指定なし)ので、折角ですので国分?豊橋の間だけ乗ってきました。


豊橋市道路元標の帰りに豊橋市内を走る路面電車(豊橋鉄道 東田本線)には初めて乗りました、停留所に路線や運賃の案内がないので先払い運賃に戸惑いましたが、均一\150也。


本日の収穫
【386】 愛知県 額田郡 藤川村 (現 岡崎市)
【387】 愛知県 額田郡 本宿村 (現 岡崎市)
【388】 愛知県 宝飯郡 長沢村 (現 豊川市)
【389】 愛知県 宝飯郡 赤坂町 (現 豊川市)
【390】 愛知県 豊橋市
【391】 愛知県 宝飯郡 御津町 (現 豊川市)
【392】 愛知県 宝飯郡 三谷町 (現 豊川市)
【393】 愛知県 宝飯郡 蒲郡町 (現 蒲郡市)
【394】 愛知県 宝飯郡 塩津村 (現 蒲郡市)
【395】 愛知県 宝飯郡 形原村 (現 蒲郡市)
【396】 愛知県 宝飯郡 西浦村 (現 蒲郡市)
【397】 愛知県 幡豆郡 西尾町 (現 西尾市)



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古いネガから(1971年1月30日)

この頃、信楽線(現在の信楽高原鉄道)の1日1往復のSLを撮りに足繁く通っていたものです。 その行きすがら京都駅で撮ったスナップ。 現在の31番ホームでしょうか、朝の通勤時間帯に次々と山陰線の列車が到着し機関車を付け替えて引き上げて行きます。


DD54は当時、山陰線や福知山線等に投入されていた、ドイツのメーカーのエンジンと液体変速機をライセンス生産し積んだ新鋭機、40両が生産されたが、脱線転覆事故や保守コストの高さから悲運にも僅か10年余りで姿を消した。


山陰線ホームから東海道線上りホームを見ていたのでしょうか、良し悪しはともかくとしてのどかですね、当時莫大な赤字を抱えていた国鉄、でも100人を超す死者を出す事故は起こしていませんでした。


出雲市行きのサボをさげた寝台車スハネ30をはさんだ夜行列車、ブルトレ格上げ前の急行「出雲」でしょうか。


草津駅構内を通過するEH10の牽く貨物列車、草津駅って今も印象は変わっていませんね。


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大社駅

14日に訪れた旧国鉄大社駅です。 正確にはJRだった時期も少しありますが。


丸ポストは利用できません(^_^)


中へ入ると思わず息をのんでしまいます。 私の微かな記憶の現役時代と違い、ポスターや今風のものが無いのでもっと昔へタイムスリップしてしまったようです。 ホーム側改札口の開口部が塞がれているのが残念です。


ホーム側、まるで横溝映画のセットみたいです。


このレールは何処にも繋がっていませんが、駅舎だけでなく駅構内全体がD51 774とともに保存されています。 出雲大社前からバス停で4つ程JR出雲市駅寄りですが、一見の価値はあります。


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ぐるっと中国地方(3)

朝から山口県立図書館へ、山口県下の道路元標の所在情報の載った山口県報の存在は知られていましたから、見つけ出してコピーをお願いするだけです。 ついでに現存情報のある周防大島へ向かうべくゼンリン住宅地図で地番を探しだします、その間30分、図書館近くのバス停から防府行きのJRバスに、さすがにJRと云っても’青春18きっぷ’は使えずバス代\790は高いですが、大幅に予定を繰り上げる事が。


大畠駅から防長バスに乗り大島大橋を渡り周防大島へ、島と云っても今や陸続きでセプンイレブンもコメリもパチンコ屋もあります。
折り返しのバスの時刻まで約30分しかありませんが、住宅地図で確認していたのが幸いしてすぐに発見。 久賀町道路元標は地番どおりと思われる場所にしっかり立っていました、しかしバス代往復\1,300は高い。


山口で時間が短縮できたので欲をかいて広島へ、しかし時間は2時間半程しかありませんし、広島県報に道路元標に関する記載があると云う情報はありません。 とにかく一番便利な市役所前の広島市立文書館へ、しかしここにある県報は昭和21年以降だけ、広島県立文書館を教えて貰いますが、念のために問い合わせて貰うと県報があるのは広島県立図書館の方だとか、歩いて20分程掛かるそうなので、結局今回は諦めて帰途に就く事にしました。
↑広島に来ると退屈しません、元とは云え鉄ちゃんにはひろでんはたまりませんわ。


今回の収穫
【382】 島根県 八束郡 玉湯村 (現 松江市)
【383】 島根県 簸川郡 大社町 (現 出雲市)
【384】 島根県 邇摩郡 温泉津町 (現 太田市)
【385】 山口県 大島郡 久賀町 (現 周防大島町)
 いずれもネット上に先人により現存情報が掲がっているものをなぞっただけですし、島根県下の道路元標に関する情報をぜひとも見つけ出したかったのですが、残念。



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ぐるっと中国地方(2日目)

松江市内で一泊、暗いうちから一畑電鉄の始発で出雲へ移動します。 一畑電鉄は京王のお古が使われているものだと思っていたのですが、松江しんじ湖温泉駅から乗った始発電車はなんと元の南海高野線の21000系ではありませんか(写真右)、しかし思い出しましたよこの車両、窓枠からのすきま風が酷いのに、ねぇ9さん(^_^)


レトロな一畑電鉄出雲大社前駅です。
 なお一畑電鉄には有料(\300)ですが、曜日時間帯により自転車持ち込み可能になっています。



出雲大社、この反対側に大社町道路元標が。


出雲ってぜんざい発祥の地なんですかぁ...


で、’おみやげ’は...


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ぐるっと中国地方(2日目)

国鉄民営化後の1990年に廃止された大社線の終点だった大社駅、線路跡は道路になってしまいましたが、かつて夜行急行「だいせん」等の長距離列車が発着した駅舎と構内は保存され、今では重要文化財に指定されています、無人、無料です。


出雲市駅へは一畑バスで移動し、山陰本線を西へ、因美線と同じく39年ぶりですが、かつて「まつかぜ」「やくも」等の長編成のディーゼル特急が走っていたものですが、今では「スーパーまつかぜ」と’スーパー’とは名ばかり2両編成で走っています。

← これは普通列車、1両か2両のワンマン運転です。


出雲市を出て暫くすると海岸沿いを走る区間が多くなります、朝の内は少し雨模様でしたが、西に向かうにつれて冬の山陰とは思えない良い天気になってきました。 国道9号線もこの辺りまで来ると交通量もそれ程でもありません、是非自転車で来てみたいものです。
 温泉津駅で途中下車し次の列車までの33分間に大急ぎで温泉津町道路元標を探しに行きました、無事GET!!


車窓からの風景、三保三隅駅付近。 実は1970年にSLの写真を撮りに訪れた場所です。 でも海岸線は大陸からの漂着ゴミで汚い処も見られます。


益田駅で山口線に乗り換えて津和野へ、もしや未知の道路元標が残っていないかと散策しますが、そう易々とは...
 太鼓谷稲荷から見下ろす津和野、山口線を見下ろせますから「SL山口号」が走る日はマニアだらけでしょうね。

3日目に続く


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ぐるっと中国地方(1日目)

別に観光旅行だけでもなく、道路元標探索の旅だけでもないのですが、たまたまそちら方面に少し出かけなければならない所用ができて、それだけならば日帰りでも済む話なのですが、この機会にと’青春18きっぷ’の残り3日分をYahooで落札して2泊3日の旅をしてきました、自転車抜きで(^_^;)

まず1日目は山陰は松江まで、’青春18きっぷ’で普通列車を乗り継いで行くと夕方になってしまいますので、以前から乗りたかった智頭急行経由の「スーパーはくと」を姫路?鳥取間だけ利用します、もちろん’青春18きっぷ’は使えないので別に\3,930を支払う事になりますが、上郡から智頭までの区間の智頭急行そのものが’青春18きっぷ’では乗車できません。 先頭車はご覧の様に展望が、なぜか喫煙自由席の車両です。 智頭急行は国鉄智頭線として計画建設され、1994年に第三セクター鉄道として開業した、高架やトンネルを多用した新しいの路線のため現状では関西から鳥取へ一番速く行ける公共交通手段である、三セク鉄道では唯一黒字とか。
 大原までは時々日差しの入る天気だったのですが志戸坂トンネルを越えると途端に雪混じりの雨模様、さすが冬の山陰です。 智頭からJR因美線に入りますが、39年ぶりと通りました。


「スーパーはくと」は三朝温泉のある倉吉まで行くのですが、鳥取で下車し再び’青春18きっぷ’のお世話になり山陰本線で米子へ、米子からは伯備線乗り入れのために電化されていますが、ちなみに出雲市行きのワンマン電車の運転士は女性でした。
 とにかく玉造温泉駅まで行き玉湯村道路元標をGETして松江市内へ引き返します。


島根県立図書館、お目当ては道路元標の設置場所情報の記載されている島根県報なのですが...


まずは大正9年から始め、閉館まで2時間かけて大正8年から昭和2年の県報に目を通しますが、ついに見つける事はできませんでした。 今の処では島根県下には6基の現存情報がありますが、これがあるのとないのでは大違いです。
← 秋鹿村役場とありますが、かつての秋鹿村役場が所蔵していたものでしょう。

2日目に続く


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別府鉄道

昨日、Dさんと話題になった別府鉄道、「べっぷ」では無く「べふ」と読む。 現在の山陽本線土山駅と別府港、および国鉄高砂線野口駅と別府港を結んでいた合わせても10キロに満たない小私鉄、1984年2月に廃止された。 懐かしく思って1971年当時のネガを引っ張り出して何枚かスキャンしてみた。


何とのどかな、駅構内で遊ぶ子供と見守る運転手。


いずれも野口駅構内かと。


C11の牽く国鉄高砂線の貨物列車、大きなポプラの木が何本も写っているが、今も残っているのだろうか...


加古川線の何処かの駅、入換作業中のC12。 昨日行った三木線の分岐する厄神駅なのか、北条線の分岐する粟生駅の何れかだと思うのだが...


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