「奈良県」カテゴリーアーカイブ

五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

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 かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
 奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
 ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。

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奈良県の自転車道に物申す

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Photo by SORAさん

 

奈良県下、特に国中と呼ばれる奈良盆地をスポーツサイクルで走っている人なら多かれ少なかれ自転車道のお世話になっていると思います。 まぁ中には障害物の多い自転車道を避けて一般道を自動車とせめぎあいながら走る人もいるかとは思うのですが、あえて云えばそんなに使い勝手の良いものでもありません。 ところで県下には現在3つの自転車道が設定されている訳ですが…

 

 

 

20150100a.jpgその奈良県の自転車道ですが、奈良県における広域的な自転車利用ネットワーク「ならクル」をはじめ県の案内によりますと「奈良自転車道」「大和中央自転車道」「飛鳥葛城自転車道」の3つが挙げられています、ところが実際に走ってみると「奈良西の京斑鳩自転車道」「大和郡山田原本橿原自転車道」「明日香大和郡山自転車道」と云った聞きなれない名称の自転車道の標識が現れます。

 

 

20150100b.jpgこれには本名と云って良いのか「奈良自転車道」は奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線(添付図赤線)、「大和中央自転車道」は奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線(添付図青線)、「飛鳥葛城自転車道」には奈良県道274号明日香大和高田広陵自転車道線(添付図緑線)と云う道路法に従って認定された正式名称がある事に起因しているためなのですが、他所から走りに来た人が案内標識を頼りに走っていると戸惑う事でしょうし、不親切以上にかえって混乱させる案内標識なのです。

 

 

20150100c.jpgその上場所によってはこんな事も、なければ全くない自転車道の標識、ある処には異なる表記で並んでいる、無駄と云うか違う名称で予算の二重取りでもしているのかと疑われても仕方ありません。
 ところでその自転車道、実際のルート設定はどうなんでしょう、奈良公園から平城宮跡を経て法隆寺を結ぶ奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)はまぁ良しとして、大和中央自転車道(大和郡山田原本橿原自転車道線)や飛鳥葛城自転車道(明日香大和高田広陵自転車道線)は意図が理解できません。 自転車道ですから目的を決めずのんびりポタリングを愉しむ人もおれば、トレーニングにと行ったり来たりする人もいるでしょう、しかしあくまでも道なのですから、目的地を結んで行くのが本来の形でしょう。 私が見聞きする範囲では奈良県北部や大阪方面から見所の多い橿原市や明日香村、また吉野方面へのアプローチとして自転車道を利用する人の多くは、御幸橋から曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ一旦入るものの保橋で県道<36>天理王寺線を少し走り保田橋で飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ入り、橿原市今井町界隈(厳密には四条町)で再び飛鳥葛城自転車道に戻っています。 大和中央自転車道の起点の県浄化センターから保田橋にかけては盲腸の様なもので私の知る限り利用者も皆無で、また田んぼのあぜ道を舗装しただけの様な処もあります、また飛鳥葛城自転車道の大和高田市域と先の橿原市四条町付近までは高田バイパスの高架下の側道で決して走りやすいコースとは云えません。 と云う状況から利用者は自然と最良のルートを選択している訳です。 自転車道策定の段階で何故無駄のないルート設定ができなかったのでしょうか、無駄があると云う事は税金が有効に使われていないと云う事に他ならないのです、どう見ても格好さえ整えておけば良いと云ったお役所仕事が見え隠れしてきます。

20150100f.jpg予算あっての事ですから未整備区間がある事や、長期的な周辺の整備計画や開発計画もある事でしょうが、橿原市今井町付近の様にルートが判りにくいにも拘わらず案内標識が途切れてしまう箇所があると思えば(写真左)の様に無駄に標識が並んでいる箇所も少なくありません。

 

 

20150100g.jpg当然道路なんですから維持管理も必要です。 最近高度成長期に造られたトンネルや橋梁の多くが老朽化してきていて問題になっていますが、自転車道も造ってやったぞみたいな感じで後はほったらかし、維持管理する予算もないのか草ぼうぼうでほったらかしと云うケースも時々見られます。 別にこれは奈良県だけに限った事ではなく、和歌山県道<801>白浜日置川自転車道線の様に廃道寸前みたいな処もありますが、大阪府の南河内サイクルライン(いわゆる石川サイクリングロード)や京都府の嵐山八幡木津自転車道の様にちゃんと整備維持管理されている処もあります(羽束師橋以北の案内は不十分だとは思いますが)。

20150100h.jpg決して何もかもほったらかしとまでは云いません。 写真は飛鳥葛城自転車道の「おやなぎ橋」です、以前はご覧の様にクランクカーブに急坂で大きな段差、まるでこけてくれと云わんばかり、案内標識に気をとられでもしたら見事なトラップです。 もちろん現在では補修されていますが、僕の様な天の邪鬼から見れば誰か転倒して怪我でもしたから改修したのかなと想像してしまいます。 本来は自転車道として設定された時点で整備されていなければならないはずです、利用者すなわち自転車に乗る人の視点に立っていないと云う事はこう云った事でもあきらかです。

 

 

20150100d.jpg【余談】(写真左)奈良県道助命下萩線の正しい路線番号は245号である、山添村助命(ぜみょう)と都祁村(現奈良市)下深川の2ヶ所で間違いを見つけ県に報告、後日再訪した折には直されていた。 (写真右)は2009年12月14日に県道155号多武峰見瀬線が供用される前日の写真、従って多武峰方面への案内がマスキングされているが、Y字路の左方面は15号ではなく155号である。 安全や利害に関係する道路標識に対して案内標識に対して興味や注意を払うのは一部のマニアだけなのかも知れないが、故なのかこの様に自転車道の名称然りやっている事がエエ加減なのである、当然これらの訂正にはそれなりの費用がかかっただろうし、間違えた部署なり業者が費用を捻出したのだろうが、場合によっては税金が無駄に使われていたかも知れない。

年末恒例「石川ポタ」に行ってきました。

 今日は大阪の柏原市で行われる「石川ポタ」に参加してきました。 「石川ポタ」は10年以上前から続いている、毎年12月に行われる忘年サイクリングの集まりで、最初は「ランドナー補完計画」の行事だったのですが、現在は「RRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles)」が引き継いで行っています。
 私は2002年から2012年まで11年連続で参加していながら、昨年はついに途切れてしまいました。 集合場所は柏原市役所前、過去には輪行で参加した年もありましたが、今年は2サイド装備で自走します。 桜井を7時半に出発、往路は二上山を見上げながらR165に沿った旧道や間道を縫って走ります、以前は関屋から柏原ICの間も県界標の建つ旧道が使えたのですが、現在は橋が落ちているとかで通れないそうで、R165を我慢して走る事になりました。
  集合時刻は10時ですが30分前には柏原市役所前に到着、既に何人かが、毎度の顔、久しぶりの顔、年に一度「石川ポタ」だけやってくる顔。 今日は午後の降水確率が50%とかですが、今のところ良いお天気であまり寒くもありません、過去には風がビュービュー吹いて寒かった日や冷たい雨に祟られた事もありましたが、今だに中止になった事はありません。 (写真右:山口さん)
 今日の参加者はデフォルトのドタ参組?も加わって20名超、なんと云ってもガード付ツーリング車が殆んどです。

 さてそろそろ出発です、左の写真は最も重い人(私と同じく0.1t組)と最も軽い人、右の写真は乾さん処から拝借しました。
 片道10キロ程の距離ですが通称「OHCHOの森」を目指して石川沿いのサイクリングロード(南河内サイクルライン)を走ります。
 なんと云ってもサイドバック装備のツーリング車が主役です。 (写真右:乾さん)
 この距離でも途中一度の休憩をはさんで「OHCHOの森」に到着、皆さん思い思いに店を広げます、何人かは振る舞いメニューで大忙しです、たこやき、ミネストローネにガーリックパン、、ふろふき大根、カレーうどん、煮込みラーメン、私は山口さんの餅とコラボでせんざい、残せませんので皆さん食べるのが大変です。

 

 

 食事の後は恒例のビンゴゲームによるプレゼント交換です、私はネックウォーマーが当たりました。
  お腹も一杯になった事ですし、自転車談義も尽きませんが、予報にたがわず天気が少し危うくなってきました、雨雲が近づいているそうですので、少し早めに帰途に就きます。 とんでもない集団がドカドカとサイクリングロードを行きます、ぶっ飛ばしにやってきたローディの皆さんすみませんねぇ。

 14時半には柏原市役所前に帰ってきましたが、途中から雨がパラパラと降りだしてきましたので、簡単なご挨拶だけで帰途に就かさせて貰いました。 (写真:乾さん)

 

 

 帰途はR25を爆走、亀の瀬を過ぎ御幸橋から走り慣れたる大和川沿いの道を行きます、小雨が降り続いていますが、本降りにはならないので準備してきたポンチョもバックカバーも使う事もなく桜井へ帰ってきました。 三輪山の見える処まで来て小休止、ポットのコーヒーで暖まります。  
 16時半には無事に帰宅、本日の走行78.2キロでした。

吉野山~五條サイク

 

 

 五條市に寄りたいところがあったので、今日は吉野山から黒滝村、旧西吉野村、五條市と回ろうと考えてみました、距離も100キロ超になる計算なので朝7時半に出発、今月4度目の芋峠を越え上市橋を渡ります。 いつもは七曲坂をのんびり押し上げるのですが、今日は<37>桜井吉野線で登る事に。
 <37>桜井吉野線は上千本で唐突に<15>桜井明日香吉野線となります、両線の終点が何故こんな山の中にあるのか良く判りませんねぇ。 桜のシーズンには大渋滞の原因となる参陵トンネルを抜けると吉野山内です。 ここで地蔵峠で黒滝村へ入るなら、金峯神社から林道吉野槙尾線で行っても良いかなと身の程知らずの考えが。

 ところが吉野水分(みくまり)神社経由の道はとんでもない激坂、たまらず押しが入ります。 西寄りの道はもっと楽だったと記憶していたのですが、水分神社まで登ってきたところで、後250mは登らないといけない計算、まだお昼前ですがこの季節ではちょと厳しいかな、それに夕方から天気は下り坂とか、結局ここで引き返す事に。

 この季節のそれも平日の吉野山は閑散としています。 吉野大峯林道の方から下りてくると最初に目に入るのはこのお店「静亭」、「月うさぎ」繋がりでもあるのですが、昔何度か立ち寄った事があります、懐かしい写真を。 吉野山のお店はどこも自転車を置く場所が無くて不自由するのですが、ここは向いがバス停と巨大な案内板がある石垣なのが。 暖かい「葛うどん」と「葛湯」を頂きながら作戦を練り直します。

 結局、黒滝方面には向かわずに吉野山を下りる事に、写真は吉野村道路元標、現在1,019基を数える僕の道路元標フリークのスタートは此処なんです、もう8年になります。

 黒滝、西吉野へ向かわなかったのですが、吉野川左岸の<39>五條吉野線を走り五條へ、ちょっとヨシスト(地元スーパーの吉野ストアの事ね)五條店に立ち寄って大川橋を渡り新町へ、知る人ぞ知る有名店の「餅商一ツ橋」へ、今日は「揚げまん」があったので「焼き餅」と2個づつ買い込みます。 「揚げまん」は揚げたてじゃないともひとつかな、ところで今は100円です。

 R24を避けて旧街道を走り栄山寺口から再び<39>五條吉野線へ、少し走って左岸には渡らず右岸をそのまま走って行ける道へ、ここはちょっとした穴場コースなんですよ。 そのまま行くと阿田橋西詰に出ますので吉野方面へも戻れますが、真っ直ぐ<259>吉野川公園線を走り大阿太高原を越えて花吉野ニュータウンから吉野口駅へ下るのが、僕の五條から帰途の定番コースです。 今年最後の100キロ超は果たせませんでしたが、本日の走行94.7キロ、計算通り日没直後に桜井に帰ってきました。

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今年最後の東吉野サイク

 今日は曇り時々晴れの予報、東吉野へ向かおうか五条方面へ向かおうかと考えながら、明日香村から芋峠への道へ、ジョガーに抜かされつつものんびり登ります。 さすがに先週とは違い今日はウェットですが雪のない路面ですよ、峠に着いたところでポットのコーヒーで暖まります。 続きを読む 今年最後の東吉野サイク

大和三山を巡るポタ

耳成山
畝傍山
香久山
 今日の奈良は最高のお天気でした、月曜に続いてそれなりの距離を走りたかったのですが、色々と雑用がありまして、遊んでばかりもいられません。 「大和三山を巡るポタ」なんて云ってますが、所用とかで近所をぐるっと走っただけの事なんです。 しかしサイクリストとしては非常に恵まれた環境に暮らしている訳です。
本日の走行36.0キロ、AVS15.4キロ、MXS28.2キロ。

ならクルコレクション2014応募

奈良県下を自転車で巡った事のある方なら目にした事があるはずの「ならクル」。 走るところ位自分で考えて決めます、大きなお世話と個人的にはどうでもエエと思っているのですが、先日「4’season」さんに立ち寄った折に写真コンテストをやっていると云う事でチラシを頂きました、コンテストと云っても大したものでもなく「ならクルコレクション2014」と云うスタンプラリーの写真版みたいなイベントのおまけみたいなもので、賞金や豪華な賞品のつくものでもありません、まぁ運良く粗品の一つでも頂ければラッキー、な位のつもりで応募してみる事にしてみました。 条件は「ならクル」コース内の写真で、「ならクル」の案内標識と自転車を入れた写真を添付する事です。 いざ手持ち写真を調べてみると意外と少ないのですよねこれが、でもありきたりの風景写真や観光写真、まして記念写真を出すつもりは毛頭ありません。 しかし案内標識と自転車の写真などあろう訳がありません、締め切りは12月14日と云う事なので今日はその証拠写真を撮りに寒い中一回りしてきました。



 

 

 

 

 

左が証拠写真、右が応募写真です。 応募はWeb上からお決まりのアンケートに記入して写真を添付するのですが、カチンときたのは次の項目。

別にランドナーを入れろとかスポルティーフを入れろとは云いませんが、せめてMTBや’その他’の選択肢があっても良いのでは、まして必須項目です。 シティバイクってのはいわゆるママ●●●の事ですかね、クロスバイクって曖昧な分類、最近は高級パーツを身に付けたロードバイクを差別化させ高級品(高価品)大好きローディに満足心を与えるために、コストパフォーマンスの高い製品をそう呼ばせている様ですが、本来はそんな意味ではなかったはずでは。 まぁうちの十徳ナイフみたいなasuka号ですから、遠慮なくクロスバイクにチェックを入れさせて貰いましたが。 まぁ「ならナビ」への憤懣はいずれ述べさせて頂く事として、折角写真を選んで証拠写真を撮りに走ってきたのですから、応募させて頂く事にしました。
 まぁそないにムキにならんでもと思われたら、下のバナーをどれかクリックしてやって下さい。  

 

高取城跡ポタリング

今日はだいすけさん一行が高取城跡に来襲すると云う事なので、輪童さんと迎撃する事に。 題して「第一回 柿之助と走ろうオフ~高取城跡ポタリング~」ってポタなんかではない事は明白、標高500m以上ある高取城跡までのヒルクライムと芋峠までの押し担ぎの山サイなんですから。
9時半に橿原運動公園に集合、今日は山サイ確信犯ですので、asuka号のガードを外しなんちゃってクロスバイク仕様で、足元もMTB用のシューズで固めます。 ただasuka号の足回りは先日換装したばかりで邪魔臭いので28cのまま、このタイヤも交換の予定で今日が最後のお勤めです。

今日の参加者は6名、ランドナー×2台、クロス×2台、MTB×2台の混成部隊です。 まずは高取町へ入り土佐街道を走ります。




壺阪寺から壺阪峠への道を登ります、壺阪寺を見下ろせる場所からは眼下に畝傍山、背後に葛城山から二上山が見渡せますが、今日は二上山の向こうに六甲山が望めました。



壺阪峠から高取城跡へも、まだまだ登りが続きます。 今日は高取城跡へのハイカーを乗せたタクシーが何台も登って行きました。

車道は終わり、城跡へは押し担ぎ、とどめはこの階段。

ようやく城跡にたどり着き、ここでお昼に、各自コンビニ弁当を広げます。 私と輪童さんは火器持参、お湯を沸かしてカップラーメンを、最後に輪童さんがコーヒーを皆さんに振舞ってくれました。

いよいよ芋峠への縦走です、以前にも来ているのですが、二度と来るもんかと思いつつの再訪です。 なお滑落の危険のある区間もありますので、一人では来ない方が良いかと。

ようやく車が通れる幅の林道へ出てきましたが、あまり使われていない様で草ぼうぼう。

吉野大峯を見渡せる広場に。

やっとこさ芋峠へ下りてきました。

一応はまだ工事中なので車は通りません。 なお工事区間の土嚢も行者辻のゲートも撤去されていました。

輪童さんと明日香村で別れ、橿原市高殿町R165沿いにあるローディ御用達のお店「4’season」に立ち寄ってから、デポ地の橿原運動公園へ戻る皆さんとお別れして、桜井へ帰ってきました。 本日の走行距離45.2キロ。

GPSデータは輪童さんから頂きました。

例によってアルバムに写真をUPしています、大きなサイズの画像もダウンロードできます。 うちのHPから[BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2014]と辿って下さい。 なお認証が必要です、ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダー等でご確認下さい、なお昨年とは変わっています、昨年までの番号から-3です。

里山サイクのはずが…

 

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今日は初瀬ダムから都祁に登り、県道<781>都祁名張線で笠間へ、そこから深野を経て地蔵峠で三本松へ下り、伊勢本街道の海老坂峠から向渕(むこうぢ)へ抜けて、東海自然歩道で戒長寺から山部赤人の墓、榛原に下って大宇陀で行われている「宇陀松山華小路2014」を覗いて帰ってくると云う、以前良く走ったコースをまとめて走るプラン。 今朝の針の最低気温は2.2℃だったとか、寒さにくじけてぐずぐずしていて出発したのは7時半。

 

20141018e.jpg桜井から初瀬ダムまで40分、ローディの皆さんなら30分を切るでしょうが、私にこれで精一杯上等です。 県道<38>桜井都祁線を走り針の手前で<781>都祁名張線に入ります、この道は赤目から東大寺二月堂のお水取りの松明を奉納する道として知られ「都祁山の道」とも呼ばれています。 途中の三陵墓古墳で休憩を入れます、ここには写真の巨大モニュメントが建ち、四阿とトイレが整備されています。

 

 

20141018f.jpg「都祁山の道」は大和高原南端の集落を縫う様に走り旧室生村域へ入ります、室生と云っても近鉄大阪線より北側のこの地域は観光スポットもなく、ゴルフ場が幾つかある事を除けば、あまり他所から訪れる人も少ない土地で、休日でも静かなものです。 上笠間まで下ると笠間峠へ向かって登りになります。 写真は笠間峠の旧道への分岐にある「薬持ち地蔵」別名「かっけ地蔵」と云うそうです。

 

 

20141018g.jpg峠集落に入る手前の十字路で車道の峠で名張方面へ下って行く県道と別れ峠集落へ、民家の軒先に立派な「笠間峠」の石碑が建っています。




 

 

20141018h.jpg峠から深野へ、笠間峠から地蔵峠への道から何度か見下ろした事はあるのですが、今日初めて集落の中へ下りました。 深野は「日本の里100選」に選ばれた、大和高原の南端の明るい南斜面に開けた雰囲気の良い山村でそこそこの戸数があるのですが、お店や自販機の類は全く見当たりません。 今日は秋祭りの準備が行われていて神社は賑わってました。

 

 

20141018i.jpg深野の風景








 

 

20141018j.jpg深野から見下ろす室生の山々をバックに三脚を立てて自分撮りを何枚か。 三本松、赤目方面への案内があります、地蔵峠への道へ登り返すのもなんなので、祭りの準備をしている人に聞いてみると、途中地道になるけど赤目へ下って行けるとの事です。 今日は地形図は持って来なかったのですが、グーグルマップにも載っているので、これは大丈夫だろうと下りはじめたのですが。

 

 

20141018k.jpg最初はコンクリートの簡易舗装だったのですが、道はだんだん悪くなってきます、ハイキングコースとなっている様で良く踏まれてはいますので、どうにか28Cでも乗って行けなくもないといった感じです。 途中で赤目方面と三本松方面への分岐が、赤目へは行けるとは云ってましたが、三本松へ行けるとは云ってなかったなと思いつつ、赤目へ下ると遠回りでR165を走る事になるので、三本松へのルートを選ぶ事に。

 

 

20141018l.jpg道は下るにつれてますます厳しくなり階段まで、近鉄電車の音が聴こえる処まで下りてきているのですが、とどめは猪の捕獲檻に獣害防止のゲートまで、「ハイカーの皆さんへ」と云う張り紙が「開けたらちゃんと閉めてね」と云う事です。 ほうほうの体でR165まで下りてきました、少し走れば三本松駅前のローソンです、ここでお昼の弁当と飲み物を仕入れます。

 

 

20141018t.jpg三本松から阿保越伊勢街道に入り海老坂峠へ、ここから向渕へのとって置きのコースへ入ります、この道は昔地形図を見ていて見つけたのですが、車がどうにか通れる幅員のある黒線道です、現在は舗装されていますが、グーグルマップもルートラボにも載っていません。 写真を左へ下ると室生口大野へ、右へ登ってすぐの三叉路を左に入りますが、途中に幾つも分岐があるので地形図なしで通り抜けるのは難しいかも。

 

 

20141018m.jpgこの道の途中、上出地区にある私設展望台、テーブルと丸太の椅子があります。 ここでコンビニ弁当を広げます、実は火器も持ってきていたのですが、山道で消耗して時間も押してきたので、今回はパス。 さてお腹も落ち着いて、さあ出発しようとして三脚を三本松のローソンに忘れてきた事に気が付きます、結構良いお値段のお気に入りの三脚、標高差150mを慌てて引き返す事に。

 

 

20141018n.jpg三脚は無事でした。 で再び海老坂峠を登り、展望台へ戻り仕切りなおしです。 写真は向渕の風景、谷あいを県道<28>吉野室生寺針線が走っています、これから一旦下り県道を跨いで反対側の山腹へ登ります。

 

 

20141018o.jpg向渕の信号で反対側から下りてくる青いRV車、こちらへ向かって手を振っています、なんとskuramさんではありませんか、聞けば向渕にあるギャラリーへ来たとの事、若い女性が数名便乗しています、偶然とは恐ろしいもので世の中悪い事はできませんね。

 

 

20141018p.jpg初めてではないのですが、向渕から結構な登り返しで、ほぼ登り詰めた処に分岐があり、少し入るとこの山の中に竜王渕と云う大きな池があります、神社があったり駐車場や四阿が整備されていますが、今まで人を見かけた事は無く、ちょっと不気味なエリアです。

 

 

20141018q.jpg榛原戒場、いつも宇陀川河畔から見上げている額井岳(大和富士)の山腹にある集落です。






 

 

20141018r.jpg15時を回ってようやく山部赤人の墓所までやってきました。






 

 

20141018s.jpg榛原へ下り、宇陀川沿いに南下し、今日最後の目的地、大宇陀で行われている「宇陀松山華小路2014」を覗いてから、夕暮れの女寄峠を下って17時過ぎに無事帰ってきましたが、考えていた以上の激坂に参りました、それに山道でリアのガードを痛めてしまいました。 本日の走行84.0キロ。

 

※ 展望台から三本松まで引き返した往復分を省いています。