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禁煙5日目

別にタバコが20円ばかり値上げになったからと云う訳でもないのだが、たまたま買い置きを切らしてしまったのをきっかけに止めてみたら...
 しかし気分が落ち着かない事この上ない、とても仕事なんぞ手に付かないのである、忙しかったら絶対に買いに走っているのだが... もともとそんなに依存度が高い方でもない様だし、ものは試しにと我慢してみたら3日経過。
 しかしとてもとてもややこしい仕事には手に付かないので、いわゆる禁煙補助剤「ニコレット」を買って噛んでみた、効果があるのか気分的なものなのか判らないのだが吸いたい欲望は抑えられている様で5日目に突入。 しかし「ニコレット」に付いている「禁煙プログラム」によると、喫煙量が21?30本/日の場合に服用量が6?9個、それを週に1?2個減じて行くとある、仮に順調に行ったとしても12個1200円もする「ニコレット」を幾つ噛まなければならないのか、少なくとも成功しない限りはタバコ代より高く付くのである。 あまりに馬鹿馬鹿しいのでかかりつけの医者に聞いてみると、禁煙外来とかに行かないとなかなか保険での処方は手続きがややこしいらしい、我が県は「禁煙マラソン」発祥の地、某「禁煙のマドンナ」は某’ら’氏処の教授だし、某U兄氏は本来「禁煙治療」はうちの縄張りなんやけどと云っているしネェ... 環境は恵まれている(^_^;)
 さて良きにつけ悪きにつけこだわらないと云うか、臆面のない私はいつタバコの自動販売機に走る事になるか(^_^;) しかしたとえ止められてもせめて峠の1本位は折々に吸いたいなぁ...

PS:間違っても応援のコメントなんぞは付けないで下さい、至って天の邪鬼な性格なものなんで。


湯浅~御坊ルートの謎

 昨日のツーリングで父親の郷里に立ち寄った事の報告がてら実家に電話したついでに長年の疑問を聞いてみた。
 戦後暫くしてから船場で商売をしていた父親が始めて買った自動車、と云ってもマツダの3輪トラックK360だが、それに乗って父親の郷里へ帰ったのは昭和30年代後半の事で煉瓦造りの対向困難な小さなトンネルを通った事だけを幼心にも鮮明に記憶している。 ただ当時も湯浅町から郷里のある日高町には幾つかのルートがあってどのルートをとってどのトンネルが記憶に残っているのか良く判らない。
 昭和41年に現在の水越峠が開通するまでR42は津木廻りの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートで原坂峠鹿ヶ瀬隧道を越えていた、昨日越えた切貫峠由良洞隧道はもちろんあったが由良以北はあの狭い離合困難な<177>南金屋由良線で水越峠を越えていたのかと思ってしまうのだが、よくよく地図を眺めて見ると水越峠の北側へは現在のR42を挟んで<177>南金屋由良線の反対側(南側)に黒線道があり、これで谷を詰めるだけ詰めて水越峠へ取り付くコースも存在している。
 しかし電話で話しをしていると津木廻りルートは知っていたが、衣奈を経由する海沿いの話がしきりにでてくる、しかし白崎海岸の記憶がない様で、その上当時はそのルートは存在しなかったと思われる、そうなると湯浅から海沿いに南下し衣奈から衣奈隧道で山越えし由良へ入ったのだろうか... 逆に謎は深まってしまった。 由良、日高町史か古い地形図をあたって見なければ...

←原坂峠鹿ヶ瀬隧道、但し熊野古道の鹿ヶ瀬峠の位置とはかけ離れている、現在は新しい新鹿ヶ瀬トンネルが開通している。 私の記憶では由良洞隧道の方がそれらしく思えるのだが...


←現在のR42水越隧道の真上にある水越峠、しかし前後の<177>南金屋由良線には全くと云って云い程離合できる場所がなく、車の少なかった時代とは云え湯浅?由良を結ぶ主要ルートだったとはとても考えにくい。


おまけに今日も一っ走り(^o^)

 昨日はU兄氏はお仕事で日曜なら走ろうと云う事に、当初は和歌山県湯浅付近を起点に御坊にかけての山越え旧道と海沿いの道(きららときめきロード)周回を考えたのですが、2人では勿体ないので北山村デポで熊野の一の水峠と大峪峠へ行こうかと考えてみたのですが熊野方面の天候が思わしくないので、結局は当初案の湯浅?御坊周回コースへ行ってきました。
 湯浅から水越峠へみかん畑の中を走る、これでも県道<177>南金屋由良線、斜度はそれ程でもなく私でさえインナーへ落とす事なく登りきれます、路面状態は峠に近ずくにつれて落葉や小石が多くなり水溜まりもありますが、崩れた路肩や法面もマメに補修されています。 ランドナーにはぴったりの道です、でロードの私はきっちりパンクさせられてきました(^_^;)
 水越峠に続いて、由良と御坊の間の)<23>御坊湯浅線切貫峠(157m)を越えます。
 由良洞隧道、由良町側はモルタルで補修されてしまいましたが日高町側は時代を感じさせる立派な煉瓦のポータルが残っています。 先の<177>南金屋由良線と同様にR42の上を縫う様に通じているので、まるで旧R42の様に思えますが、R42が指定された当時は東よりの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートだったそうで、このコースがR42に指定された期間は無い様です。

 今では野上電鉄も有田鉄道も無くなってしまいましたが、御坊市内では紀州鉄道(旧御坊臨港鉄道)の踏切を渡ります。 さすがにもうかつてのキハ41000系統の車両ではなく、キハ17系統の車両です、江若鉄道の残党かなぁ...
 煙樹ヶ浜海岸で昼食にしてから、さすがに日の岬は遠慮しましたが通称「キララときめきロード」<24>御坊由良線?<23>御坊湯浅線と継いで海岸沿いの道を北上します。
 白崎海岸を目指します。







 由良町小引にて、執拗にアップダウンが繰り返される海岸沿いの道。

 本日のDST80.2キロ、AVS18.0キロ、昨日の今日ましてパートナーがパートナーだけにキツいかなと思いましたが、曇り気味の天気だった事もあって暑さに苦しめられる事も左程無く意外と楽に走り抜けました。 JR湯浅駅前発着でのんびりと休憩したりしていたので所要時間は8時間弱、実走時間は4時間半程です。

梅雨入り前の一っ走り(^o^)

 週末の天気が良くなったので、童仙房へ梅雨入り前の一っ走りしようと... 釣れたのはN嬢とT御大と云う最悪の面子(*_*) とにかく集合場所の和束町へと向かいます。
 今月のカレンダーでお馴染み、童仙房への登りが始まる茶畑の中の道。 童仙房でコンビニ弁当を拡げて昼食、標高が高い事もあって少し肌寒い位です。 その後は野殿から童仙房九番を経由して多羅尾へ向かいます。
 牛場越にて

 

 信楽町杉山にて、珍しく喫茶店でお茶しました。 実は朝宮の’ぜんざい’屋も気になっていたのですが(^_^;)

 

 当初、信楽で別れて柘植から青山町方面に走り輪行で帰途に就く予定でしたが、裏白峠がトンネルになったと云う事なので、一緒に裏白トンネルから自身未踏の穀池峠を越え和束へ戻る事に。

 

 穀池峠を越え<5>木津信楽線を爆走します。
←別に手を繋いでいる訳ではありません、キャンディを手渡しているのです(^_^)
 結局、加茂でN嬢と別れT御大と大仏線跡から奈良阪、上街道経由で帰る事に、DST134.1キロ、AVS19.0キロ。

 N嬢談.>私は、走行距離144km、AVE.20.5km/hでした。 CanCanさんたちと別れ際、AVE.を見ると18.9km/h。 こんな屈辱的な数字で一日を終える訳にはいかないし、第一自転車に申し訳なく、何とか家に着くまでに20.0km/h以上に持っていかないと、と思いました。 そこで信号によるSTOP&GOではとてもAVEを上げることはできないと考え、泉大橋からサイクリングロードに入り、常にAVEを意識しながら走りました。 向かい風できつかったですが、20kmほど走ったら達成できました。 ついでに御幸橋まで走り帰宅しました。

【2006年5月】

5月 4日(祝) 旧大宮町の道の駅「奥伊勢きつつき館」?奥西河内林道?藤坂峠?旧南島町
?古和峠または大紀南島林道?注連小路林道(ダート)?道の駅「奥伊勢きつつき館」…阿曽温泉
5月14日(日) 「リベンジ桧原越え」
5月28日 廃村八丁

5月20?21日 さわやか初夏キャンプ IN 小野市・鴨池キャンプ場は中止になりました。

「三重の峠」他

自転車でめぐる峠の魅力「三重の峠」庄山剛史著 風媒社
 えっまだ持ってなかったのと笑われそうだが... やっと手にする事ができた。 別に著者と面識がある訳でもないが、結論から云って「関西山越の古道」(上中下3巻 中庄屋直著 ナカニシヤ出版)とともに関西中京圏在のサイクリストは必携の書と云っても間違いない。 確かにサイクリストが書いた峠本で、紹介されている峠の殆どを越えている事もあって読んでいて面白いし、峠の歴史的背景やその峠にまつわる話を良くも調べたと感心してしまう。 著者の思い入れの深さに少し他人事とは思えない照れくささみたいなものを感じるのは同好の志の為せるものかと...


奈良大和の峠物語
 地元だけに地元書店にも置いてあったので早くから手にしていたが、「三重の峠」と比べると雲泥の差、単なるガイド本としても二流、所詮は元地方新聞社記者の浅はかな内容、買ってまで読む価値は全くない。


「こんな市名はもういらない!」 楠原祐介著 東京堂出版
 「平成の大合併」騒ぎも否応なしにほぼ一段落してしまった様だが、結果は3年前に出版されたこの本の著者の危惧した様になってしまった。 著者の云う処の「べからず集」は極端過ぎると思えなくもないが、「昭和の大合併」を過去のものととしてしか知らない私にとって、新行政区分命名が明治維新以来いかにエエ加減に行われてきたかを知るには面白い本であって、多少なりとも旧町村名にこだわる自分がまだまだ勉強不足である事を痛感させられた。 ただ著者が地理学者だけに命名そのものの問題を取り上げているので「平成の大合併」の本質的問題には残念ながら触れられていない。



「海道をゆく」日本列島3万キロ 三国隆三著 新生出版
 某有名作家のパクリの様なタイトルが戴けないが...サイクリストにとって手強い風光明媚な海沿いの道の魅力を紹介してくれています。 実はついでに紹介したら怒られそうな、私の父親の同窓生が書いた本です(^_^;)


今日は堪えました「青山高原道路」(^_^;)

週末の天気が思わしくないので参加を画策していたキャンプが中止になってしまったのだが、土曜の午後から天気が回復、殆ど未踏のいわゆる「青山高原道路」<512>青山高原公園線を完走しようと早朝から出掛けたのだが...
 行きがけの駄賃にと名張周辺の未踏区間を消化しながら青山高原の南に位置する布引峠に着いたのは10時過ぎ、既に走行距離は70キロを越えてしまっている。 困った事に名張市街を過ぎてからうらぶれた県道ばかり縫って走っているものだがらコンビニの前を一度も通らず、当てにしていた旧青山町霧生の食品店もお休みで携行食も尽きてしまった。 まあこの先あても無いのだが青山高原に行けば何かあるだろうと予定通り<755>老ヶ野古田青山線を北上する事に。


<670>城立青山線を経て大原越に登り返し青山高原保健休養地に入るがあったのは自販機だけ。 青山峠から青山高原公園線に入る急坂は標高差200m余りとタカをくくっていたが、天気に恵まれた休日とあって単車と車が多く走りづらい事この上ない。 休日に自転車でやってくる様な処ではない、その割にロードバイクが多かったが他に走る処を知らんのかと思ってしまう。 なんか馬鹿馬鹿しくなって休み休み登って「山頂小屋」に辿りi着いたのは13時前だった(^_^;) 伊勢湾を望む視界と風力発電の巨大な風車が並ぶのは見応えがあるが...
 ところで今日はW氏とN氏夫妻一行も馬野渓から登って青山高原公園線を南下してくる予定だが一行に下りて来ない、幾つも休憩所があるのでどこかですれ違ってしまったのかと思っていたら、奥山愛宕神社への分岐をすぎたほほ最高地点の休憩所で出逢えた、さすがに馬野渓からの登りは相当てこずった様である。


青山高原公園線も北側は道路が狭い事もあって交通量は少なくなって快適でしかも榊原温泉まで標高差700m余りのダウンヒル、展望は殆どないが夏ならこちら側か標高差500mの馬野渓から登る方が余程マシだろう。 なお青山高原公園線上には休憩所やトイレは幾つもあるが食堂、売店、自販機の類は一切なかった。 夏なら絶対に途中から引き返していたに違いない(^_^;)

↑間近で見ると異様な位にデカい、それに付近には航空自衛隊の無線基地とかもあって東宝特撮映画を見ている様な感覚である。


榊原温泉側に下り<28>亀山白山線を南下、ここからは折角というか予定通りと云うか雲出川周辺の県道ヘキサ蒐集に走り回る。
←<661>二本木一志線は旧初瀬街道の道筋、雲出川八景「亀の広」雲出川面に露出した岩盤の事らしいが桜並木が有名。 県道ではないが対岸に渡る普通車が通るのが精一杯の年代物の橋が面白い。


いつも近鉄電車で名古屋伊勢方面に行くときに気になっている伊勢石橋駅と川合高岡駅の間の雲出川に架かる沈下橋に行ってみた、結構車も行きかっているのだが僅かに曲がっていたり傾斜があるので正直云って「木津川流れ橋」を渡るより怖い。 ところでここも雲出川八景「石橋」だそうである。
本日の走行134.0キロ


当面のサイクリングのプラン

今、計画しているのをつらつらと...
★ 大阪府南部を横断(R170)して阪和県境の峠(雄ノ山、木ノ本、猿坂、大川)をGETしながら和歌山市北部のヘキサGET、雄ノ山峠は30数年前のダート時代に行ったきり。
★ 高野山から<180>野上清水線?<183>楠本小川線の走破と大月峠。
★ 旧下津町(海南市)付近の未踏県道の走破。
★ 紀伊田辺まで一気に走って1泊して田辺市付近の未踏区間の走破。
★ 南紀で残っている<226>紀伊有田停車場線と<40>樫野串本線の残り区間の走破と未踏の大瀬椎平林道、これで東西牟婁郡をほぼ制圧。
★ 鳥羽から<750>阿児磯部鳥羽線(アップダウンが...)を走って無料の県道船に乗って旧阿児町、旧大王町(志摩市)付近の未踏県道の走破。
★ 伊勢湾に浮かぶ答志島(三重県鳥羽市)の<759>答志桃取線の走破、もちろん船で渡らなければいけません、紀伊大島はが架かったし淡路島は別として近畿では兵庫県の家島とともに希有な路線。 でもフェリーの時刻とかを見ていると往復輪行してもこれで1日潰れてしまう。
★ 富山/雨晴海岸?能登半島を斜めに横切って外浦海岸を北上し以前行けなかった欣求峠と猿山岬。 やはり白山が冠雪している内に行かないとね。
 (ここまでは単独行ですよネ)
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☆ 和歌山県湯浅付近を起点に御坊にかけての山越え旧道と海沿いの道(きららときめきロード)周回、誰か行きませんか。
☆ 手近な処で天気の目茶苦茶良さそうな日に青山高原周辺行きたいですね。
☆ まだ見ぬ憧れの矢の川峠なんてのもありますね(^_^;)

南伊勢ツーリング

暫くご一緒できなかった(と云っても正月からですが)U兄氏と海の見える峠としてサイクリストには知られる藤坂峠をメインに南伊勢へツーリングに行ってきました。 海岸沿いのルートが険しい故に熊野古道から現在のR42に至るまで山間部を経由していて、陸の孤島の様になっていたこの地域、昨年南勢町と南島町が合併して南伊勢町となりました。 この地域へはR42側から幾つかの県道が峠越えで結ばれていて<46>南島大宮大台線の藤坂峠もそのひとつです。
 GWの混雑を避けて早朝5時に橿原市のT御大宅に5名が集合、大台大宮I.C.まで近畿道紀勢線が延伸したとは云え距離が160キロにもなる高速道路経由を避けて、R166高見峠からR422湯谷峠を経由して行程80数キロ、デポ地の旧大宮町(大紀町)の道の駅「木つつ木館」を目指します。 宇陀で農免道路を駆使して車は少ないわ信号はないわでナビの到着予定時間はみるみる早くなって6時45分には到着、所要時間は1時間40分、7時過ぎにはスタートできてしまいました。

道の駅からはR42を極力避けて旧道から大滝峡を見下ろす道(階段のある遊歩道を含む)を経由して阿曽から奥西河内林道へ入ります、奥西河内林道の旧大宮町側は「あじさいの道」として季節には見物客で賑わいますが、もちろん「あじさい」の季節には早いので閑散としています、時間の余裕もたっぷりあるので風穴や八重谷湧水を観光しながらまず最初の峠を目指します。

FI2532102_1E.jpg 結局この無名の峠道が今日一番キツかった様な気が...









FI2532102_2E.jpg峠を越え一旦標高180mまで下って<46>南島大宮大台線に入り標高519m藤坂峠へ登り返します。

←正真正銘のつづら折れが幾つも... 先頭はN嬢、おっと押しているのは誰かと思えば元国体チャンプのT御大ではありませんか、だからランドナーにしろと云ったでしょうに。


FI2532102_3E.jpgR42阿曽から1台の車にも出会う事もなく10時20分には全員が無事に藤坂峠へ到着、眼下には熊野灘が。

←U兄は42Bを履いたTOEIランドナーで参戦。





FI2532102_4E.jpg藤坂峠からは海に向かって標高差500m余りののダウンヒルですが、処々のビューポイントで写真撮影をしながら11時半頃にR260まで下った処で古和峠経由で逆回りをされたsakanoさんとバッタリ遭遇、自転車談義に華が咲きます。




FI2532145_0E.jpgR260を走っても車が多く海の見えるポイントは意外と限られているので神前浦から旧道でしょうか海よりの道へ入ります。 丁度良い処に展望ポイント、ベンチとテーブルがあり、そろそろ時刻もお昼なので弁当を拡げて食事にします。





FI2532145_1E.jpg標高150m余りの峠越えの道、今では利用する車も少ないですが、素晴らしい展望は登り坂を補ってくれます。
 方座浦へと下り、<33>南島紀勢線古和峠経由で戻るか大紀南島林道経由で戻るか悩みますが、未踏で海の見えそうな大紀南島林道から2?3キロダートがあると云う注連小路(しめこうじ)林道を行くことに、しかし新設林道だけに標高や距離といった詳しい情報がありません。

FI2532145_2E.jpg紀勢南島トンネルのあるピークは概ね450m位かと踏んでいたのですがGPSデータによると標高は388mでした。 古和峠と同じ位ですが、新設林道だけに木陰が非常に少なく夏は決して走りたくないです。

←正面の山にみえる法面までは登る必要が、それでも途中です(^_^;)


FI2532145_3E.jpg途中2度のパンクに祟られましたが、渋滞するR42の車列を横目に16:36にはデポ地に戻り車で「阿曽温泉」へ、昔あった「阿曽温泉」とは違う場所に廃校跡を利用して昨年オープン、GWにもかかわらず意外と空いていました、露天風呂こそありませんが休憩室も広く軽い食事もできます。 なお外に無料の足湯があります。


FI2532145_4E.jpg帰途、R42沿いで良さそうな「おーくら」と云うお店に入って夕食を、全員が「鰻まぶし」を注文\1,850也、最初はそのまま、次はとろろをかけて、最後はお茶漬けにして戴きます。 累積登坂標高は軽く1000mを越えていますがやはり消費カロリー以上に摂取したのかなぁ...
 帰路もR422?R166経由で桜井までは2時間程で帰ってきました。 GWで混雑と渋滞に巻き込まれた方々ご愁傷さまです。
 本日の走行、朝T御大宅までの自走約7キロを含めて76.7キロ、中3日の登板に健脚揃いの今日のメンバーではセンチュリーランよりくたびれました。

プロフィールマップ

●うちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」にも写真をアップしています。

3週連続センチュリーラン

今日は伊勢方面に向かおうか、和歌山方面に向かおうかと悩んだ末、4月の月間走行記録更新と和歌山県北部の県道ヘキサ蒐集に走ってきました。 県道走破とヘキサ蒐集のための下調べ不足で迷走してしまった事もあってか、旧野上町から海南市をまわって和歌山城に着いた時には既に133.5キロ、帰路日没までの間走れる処まで走ろうと和歌山線妙寺駅(かつらぎ町)まで走って169.8キロ、3週連続のセンチュリーランとなっていまいました。 4月の累積走行距離896.6キロで1999年以来の記録更新、後3.4キロなら次の駅まで走っておけば900キロだったのに(‘_’) しかし毎月1000キロ以上をコンスタントに走る70歳台のK氏の偉大さを身に染みて感じます。

和歌山県道ヘキサを6個GET、残りは31個なんですが既に全線完走して補助標識すら無い処もありましたから残りは僅か、地元奈良県は絶対数が少ないのににもかかわらず和歌山県を先に達成しそうです。


最近は積極的に峠漁りをしていなかったのですが今日は矢田峠、馬路峠、汐見峠と3つGET、いずれも標高の低いどうって事のない峠なのですが、いずれもルーツは熊野古道とか龍神街道とか由緒正しき峠です。 写真は汐見峠、一応海南の市街が見えますから現在の車道に切り下げられる前はちゃんと海が見えたのでしょう。


和歌山県道<138>和歌山野上線、かつて紀州徳川公が湯治に通ったと云われる龍神街道、バイパスができたのでご覧の通り、落ち葉の絨毯に緑のトンネル、でも舗装はそんなに痛んでいないのでロードで乗って走れます。


走行169.8キロ、平均18.1キロ、最高49.0キロ、走行時間9時間10分、所要時間約12時間半、私には目一杯の数字ですね(^_^;)
 久しぶりにカタギの人の休日に走ったので何組かロードの人に出逢いましたが、派手なジャージを着た人ばかりで、フロントバッグ装備なんて人には出逢いませんでした。