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再び熊野シーサイドツーリング

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 先々週17日に行ったばかりなのですが、尾鷲市と熊野市を海岸沿いに結ぶR311を再び走る事に。素晴らしいロケーションと紀伊半島を巡る交通網が最後に繋がった難所に魅力を感じた何人かが集う事になり、ガイド役を仰せつかり、先日16年ぶりに走った私は期せずして1週間余りで再訪する事になってしまいました。ただ天気予報は二転三転、コロナ騒ぎでモチベーションの上がらない中も、前々日夜になって当日は午後から晴れとの予報にGOサインが。
 先日は往路6時間以上もかけて「青春18きっぷ」輪行でしたが、今回は助手席に乗って楽チン、桜井からR169~R309~R42経由で尾鷲市の九鬼駅まで2時間20分足らず、道中の下北山村では満開間近の見事な桜並木に、思いがけなく車中からお花見を満喫。
 当初は尾鷲から一駅熊野市寄りの大曽根浦駅前に集合だったのですが、雨雲のきれるの待っていると遅くなるのと駐車スペースが微妙なので、最初の山越えを端折って更に一駅熊野市寄りの九鬼駅前に集合する事にし、6名が集まりました、全員がマッドガード付き。九鬼から紀勢本線なら三木里、賀田、二木島、新鹿、波田須、大泊、熊野市と7駅、営業キロで23.2キロをほぼ海岸沿いをなぞるR311では50キロ程の行程になります、なお帰途は短時間ですが輪行でデポ地の九鬼駅に戻るプランです。
 幸い8時半には雨もほぼ落ち着き熊野市に向かってスタートします。この先熊野市まで集落毎にアップダウンが繰り返される行程、ただ当初の予定の大曽根浦~九鬼間を除けば最大標高150mにも届かないのですが。
 雨雲がとれないので少し雨宿りしたりしながら、三木浦~三木里~古江~賀田~曽根と賀田湾を巡ります。先日の晴れた眺めを見て貰えなくてちょっと残念。
 曽根では立派な破風を持った建物が、今は郷土資料館となっていますが、元は小学校の建物の様です。開放されていませんが外側を見学していると少し晴れ間が出てきました。
 曽根を出るとR311が最後に開通(2001年11月)した区間になる訳で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂の区間に相当しますが、3キロ程東側に迂回して位置になっています。現在では曽根(1,106m)、梶賀(1,370m)、須野(197.5m)の3つのトンネルで結ばれていますが、私が始めて訪れた1995年8月は現在の曽根トンネルの岬寄りの梶賀第1トンネルを抜けて梶賀漁港でR311は終わっていました。当初は梶賀漁港を橋で跨ぎ2つのトンネル(梶賀第2、第3?)で須野トンネル側に繋がる計画の様でしたが、結果的には梶賀漁港の背後を通る形で曽根梶賀バイパスが作られ現在のR311となっています、図は手元にある最も古い昭和62年の1/25000地形図ですが、須野トンネル(1981年)の建設がもっと遅ければ、R311のルートは更に西寄りになっていたのかも知れません。
 旧道トンネルとなってしまった梶賀第1トンネルですが、地図では更に岬よりに道が見えます、今回皆で走れば怖くないとばかりにゲートをくぐって突っ込んでみます。(写真 : UG兄さん)

 現在は林道と云う事で、海側に路肩が崩れていたりと車では危険な状態ですが、幅員もそれなりにありガードレールや白線も残っていて、暫く進むと熊野灘の展望が開けます。
 驚いたのはR311の国道標識が、このルートはR311旧々道だったのです。R311が国道認定されたのが1970年、梶賀第1トンネルが完成したのが1985年ですから、15年間、梶賀漁港への唯一の陸路は国道だったのです。
 かつて国道だった事が信じられないような漁港の中の通路を抜けて登って行くと曽根トンネルと梶賀トンネルの間の橋をくぐり現在のR311に戻ります。なおここまでの経緯はヨッキれんさんの「道路レポート 国道311号旧道 梶賀の計画変更ルート」に詳しくあります。
 曽根トンネルを行きます、1台の車もやってきませんでした。(写真 : UG兄さん)
 須野トンネルを抜けると熊野市域、12時前には楯ヶ崎の展望台に到着。ただ楯ヶ崎そのものは反対側にあって死角になるので見る事はできません、往復1時間半の遊歩道か遊覧船を利用する必要があります。
 甫母漁港を望む処まで下りてきました、お天気も良くなり近くの防波堤で持参のお弁当とかでお昼にする事にします。沿線は海水浴シーズンでもなければ外食できる処はあてにできません。
 甫母漁港からまえださんが撮ってくれた写真(左)、対岸の山腹には山桜が。
 二木島湾を巡り荒阪、二木島と2つのトンネルを抜けます。
 新鹿の美しい砂浜が見えてきました。
  新鹿にて、先日は時間切れでここから帰途に就いたのですが、今日は余裕、新鹿の海水浴場を望む四阿にて、ofはやまさんが持ってきたジェットボイルでお湯を沸かしてコーヒータイム。

 新鹿を過ぎるとR311はやや内陸側に入りますが、波田須では素晴らしい展望が、眼下を紀勢本線が走っています、ここは徐福伝説の地でもあります。
 大吹峠を下ると大泊、対岸は名勝鬼ヶ城です。なおR311はここからR42との併用区間となります。

 鬼ヶ城見物の後、R42の旧トンネルになる鬼ヶ城歩道トンネル(旧木本隧道、歩道トンネルと云いながら実は東行一方通行で車も通ります。)を抜けて熊野市街へ、1525に熊野市駅前に到着、九鬼へ戻る普通列車は1605、1652、1827、1605に乗ろうとそそくさと輪行支度を始めますが、今日はヘッド抜き輪行のasuka号、リアは分割式に交換して出てきましたが、2台のデモンタには適いません、ちょっと段取りを間違えてまえださんに負けてしまいました。熊野市駅は上り普通列車は跨線橋を渡って2番ホーム、特急も停まる駅にしてはエレベーターもありません。僅か37分間の鉄旅で九鬼駅1642着、エンジン音を響かせて出て行くディーゼルカーを一同で見送り、今日のツーリングを終えました(写真右 : UG兄さん)。本日の走行52.3キロ。


熊野ツーリング 尾鷲市~熊野市

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 予定通り桜井0543発の奈良行きに乗車、奈良、加茂、亀山と乗換、6時間半の行程、松阪まで近鉄で行けば2時間10分短縮できますが、紀勢本線の列車が限られていて尾鷲に着ける時間は変わりません。
 多気駅で4回目の乗換、新宮行に乗車します(写真)。ところで今回もデモンタでの往復輪行なのですが、尾鷲までの車中でとんでもない事に気が付きます、なんとデモンタを組み立てるのに必須のアーレンキーを忘れてきたのです、前回の和歌山の帰りに横着してフレームバッグではなく輪行袋を入れる袋に入れてしまい、今回そのバッグを忘れてきたのです、スペアチューブはフレームバッグに2本入っているものの他の工具とともタイヤレバーもそちらの中です。尾鷲は結構大きな街なのでホームセンターや大型スーパーもあります、ググってみると尾鷲駅から450m程で百均のダイソーがあり、最悪1キロ歩けばホームセンターのコメリもあります。予定の九鬼や三木里まで行ってしまうと食料すら覚束無い処、車中で気が付いただけでも不幸中の幸いかと。
 1158 尾鷲駅で下車、ハンドルもひねっていますので6mmと5mmのアーレンキーが無ければ自転車の形になりませんので、駅前で組み立てどころか担いで行くしかありません、一応転がす事もできるのですがね。幸いダイソーで必要なものは揃いましたので、店の横の駐車場で組み立てて出発の準備完了です。
 尾鷲市街R42を西へ、現在は三重県ですがツヅラト峠より南は廃藩置県までは紀伊国でしたのでこの地域を東紀州と呼ぶのですが、紀北と云う呼び方もあって、紀北信用金庫とかあります。ところが和歌山県の紀の川流域も紀北と呼ぶので紛らわしい事に。
 最初スタートを予定していた九鬼までは現在のR311の八鬼山トンネルまで登るか、旧R311の県道778号中井浦九鬼線を経由しなくてはなりません。前者は延長2364mのトンネル、後者はかなり遠回りな上標高350mまで登らなくてはなりません。八鬼山トンネルの入り口までは別ルートもあるのですが、通れる保証がなく今回はこれ以上時間をロスしたくないので素直にR311を辿る事にしました。
 標高180m程、R42と別れてからは交通量も少なくなり、思ったより楽に辿り着く事ができました。なおトンネルの情報は私と同じく道路元標フリークの穴蔵(あなぞう)さんがデータベース化していて、路線名と名前が判るならほぼ全国のトンネルの坑口の写真を見る事ができます。GoogleStreetViewと云う手もありますがね。
 2400mの半分位でしょうか、ただトンネル内も九鬼側に向かってずっと登りです。ご覧の通り歩道は自転車で通れる様な幅ではありません、と云って通過するまでに追い越して云った車は数台、時間帯にもよるでしょうが。
 少し下った処で熊野灘を遠望する事が、写真右は県道778号からの合流点。
 九鬼に下ったのが1330、予定では九鬼駅到着が1212ですから少なくとも1時間のロスです、熊野市駅から桜井への最終が1827ですから、後5時間で約45キロ、輪行支度と買い物を含めてもまんざら無理な時間でもないのですが。
 三木浦漁港とリアス式海岸の深い入り江の風景に思わず足が止まります。
 賀田を過ぎて曽根トンネル(1,106m)と梶賀トンネル(1,370m)を抜けます、R311で最後に繋がった区間で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂にあたります。30数年前には車道はなくR42の矢の川(やのこ)越まで迂回しなければならないので、賀田駅から二木島駅へ1駅だけキャンプ装備を引きずって輪行した苦い想い出が。1511に尾鷲市と熊野市の境界を越えます。
 須野あたりでは植生に阻まれますが、神須ノ鼻の険しい海岸風景を時折望む事ができます(写真左)、1528には周辺では最も知られた観光スポットになる楯ヶ崎に到着(写真右)。
  今日一番の目的だった熊野市甫母に到着、R311に残る狭隘区間は相変わらずです、恐らくこの区間での拡幅はせずに、背後をトンネルで抜けるか湾に橋を架けて甫母を集落を迂回するかと。「自撮り」の準備をしてきているのですが、誤算はこの時間になると港を挟んだ漁村の家並みが陰になってしまっています。2004年は尾鷲泊で早朝に走り出していましたから。
 三脚とタイマー、せっかく準備してきていますので周辺の何ヵ所で「自撮り」にトライします。
 今回はヒップバッグにどうにか入るSLIKの三脚を持ってきましたが、風が強いと些か心許ないです。
 二木島湾を巡り、楯ヶ崎を反対側から望む処まできました。夕刻が迫ってきますが、とにかく二木島駅までは走らなくてはいけません。
 二木島駅への分岐を見落として二木島トンネルへの登りに入ってしまったのですが、まだ時間に余裕があるので、次の新鹿駅まで進む事に、2014年に供用された遊木(ゆき)トンネル(717m)を抜け、海水浴場のある新鹿の砂浜の見える処までやってきました。なおこの区間の紀勢本線の駅はいずれもR311から離れていたり、駅への道が判り難いので輪行する場合は注意が必要です。
 1725 新鹿駅に到着、まだ1時間の余裕がありますが、陽が落ちると途端に肌寒くなってきてこれから一山越えて次の駅まで行く気も、それに次の波田須駅は確か自販機もなかった停留場の様な駅なんです。新鹿駅で温かい缶コーヒーでも飲みながらのんびりと輪行支度を整える事にします。
 1838発多気行きに乗車、「18きっぷ」だけでは伊賀上野までしか帰れませんので、1,160円払って松阪から近鉄で桜井に帰ります、所要時間は4時間29分。しかし12日の「WAKAYAMA800 有田から日高へ」に続いてのとんだ忘れ物に些か慌てました、16年ぶりと云っても南紀の帰りに車窓から見ていたのですが次走るのは何時でしょうかね。本日の走行48.3キロ、往復の輪行に11時間、滞在時間6時間半、実際走っていた時間は約3時間とは。

 不便な処ですが車も少なく風光明媚な土地、サイクリングには最高のフィールドですが、尾鷲市街を出ると熊野市街まで55キロ程の行程、古道歩きの人を見かける様になったとは云え、コンビニの類は皆無、商店も見かけますがあまり当てにはできません、食堂も海水浴シーズンを除けば期待できないかと、行かれる際は準備を怠りなく、って人の事は云えませんね。


デモンタ輪行 熊野へ行ってきます。

尾鷲市梶賀町~熊野市甫母町にて(2004年5月12日)

 紀伊半島の道はほぼ走り尽くしていると云っても、長い間走っていない道が幾つもあります。例えば海岸沿いに紀伊半島を巡るR42では三重県の尾鷲市~熊野市間や和歌山県の旧日置川町(現白浜町)~上富田町間はもう10年以上走っていません。尾鷲市と熊野市の間は熊野古道の時代からの難所で、R42は内陸側のいわゆる矢の川(やのこ)越えを、R311が海岸沿いを繋いでいるのですが、全通したのは平成になっての2000年(平成12年)、紀勢本線ですら繋がったのは1959年(昭和34年)7月でした、小学校2年から阪和線沿線で育った私は天王寺駅のコンコースに紀勢本線全通10周年の横断幕が掲げてあったのを子供心に記憶しています。
 最近では紀勢本線の大曽根浦駅(尾鷲市)以東は2015年1月に、大泊駅(熊野市)以西は2015年2月に走っていますが、この間の部分は2004年4月まで遡る事になります。なお2009年5月に旧道の矢の川峠を越えた事があります。(写真 : R311の狭隘区間 熊野市甫母町にて)
 前置きが長くなりましたが、今回はそのR311の尾鷲市と熊野市を跨ぐ区間を走る事にします、ただ奈良からでもアクセスの悪い地域で「18きっぷ」では始発に乗っても尾鷲に着くのはお昼前になります。仮に松阪まで近鉄を利用しても変わらず、紀勢本線の特急「ワイドビュー南紀」を利用しても尾鷲1045着が精一杯です。残念ながら日帰りでは走れる距離は限られてしまいます、特急料金まで出すなら1泊2日で行きたいですよね。
 帰りは「18きっぷ」だけで帰ろうとすると熊野市1605発になってしまいますので、松阪から近鉄を利用する事にします。
【往路】桜井0543→0616奈良0638→0653加茂0655→0816亀山0823→0935多気0943→1212九鬼 4,070円分乗車
【復路】熊野市1827→2054多気2104→2114松阪2142→2151伊勢中川2156→2238名張2240→2307桜井 2,310円分乗車+近鉄1,160円

 あと尾鷲から走り出すと標高差300m以上の旧R311県道778号中井浦九鬼線または八鬼山トンネル(2,364m/歩道なし)を経由しなくてはならないので今回は九鬼駅か三木里駅から走り出す事にします。九鬼スタートで45キロと云う処でしょうか。


WAKAYAMA800 有田から日高へ

和歌山県日高郡日高町比井にて 阿尾冨士を望む

 今シーズンは早々に50ポイントパーフェクトは諦めた「WAKAYAMA800 モバイルスタンプラリー」ですが、30ポイント賞とリピーターポイントだけは押さえておこうと、「青春18きっぷ」で和歌山県は有田へ向かう事にしました。機材は先日から手を入れていたデモンタで、箕島駅から海岸沿いに通称「キララときめきロード」を御坊まで南下するプランです。
 桜井0552発、高田、五条、和歌山乗換えの和歌山線~紀勢本線経由で箕島着0838ですが、和歌山駅での乗換時間が2分、階段または地下道がある上にホームに乗換の自動改札機があって、勝手が判らないとかなり厳しいです、天王寺から阪和線経由でも到着時間は変わらなくて乗り換えに余裕があるのですが、時節柄混雑するターミナルや路線は避けたいものでして。無事に紀伊田辺行きに、輪行袋を置くスペースのある車両へ乗り込みますが、なんと平日にも拘わらず4台もの先客が、学生さんの様ですね。まあ箕島まではすぐですので立って行く事にします。
 箕島駅をスタート、まずはお昼の弁当を調達しに近くのスーパーオークワに立ち寄ります。有田川を渡り「有田みかん海道」に入ります。昨年も2月に走ったのですが、有田川河口に突き出た半島をぐるっと回ります、北西側から南側へと紀伊水道の眺望が素晴らしいのですが、標高で150m程登らなければなりません。
 北西側の展望、紀淡海峡から淡路島が望めます(写真左)。標高を稼ぎながら南側に回りこむと湯浅湾を挟んでこれから向かう白崎海岸の先端やうっすらと四国を望む事ができます(写真右)。
 みかん畑の中の急坂を下り県道20号有田湯浅線に入ります。ただ向かい風が些か強くなってきました、このコースを湯浅から南向きに走るのはほぼ初めて、やはり御坊スタートが楽だったかなと少々後悔、線路沿いに県道をショートカットする手もなくはないのですが、せっかくですので海を見ながら頑張る事にします。湯浅の街中を過ぎると「キララときめきロード」は県道23号御坊湯浅線となり、湯浅湾を巡る様に「テスティモーネ アリダ」「湯浅うまいもん蔵」「広川町立ふれあい館」とボイントをこなして由良町へ向かいます。
 広川町「稲むらの火の館」から変わって今シーズンからポイントになった「広川町立ふれあい館」、広川ビーチ駅に隣接しています。
 由良町域に入ると白崎海岸までリアス式海岸の地形が続き、県道はアップダウンを繰り返します。以前は衣奈(えな)漁港で県道23号から県道24号御坊由良線が分かれていたのですが、現在は衣奈(えな)トンネル近くまで登るルートに変わっています。通行止とかが続いていたのですが、以前のルートが通れましたので、山越えで衣奈へ越えます(写真)。この区間も現在トンネル工事が行われていました。
 衣奈から県道23号に入り海沿いの4つのトンネルと橋を経て道の駅「白崎海洋公園」へ下る手前、白崎海岸の案内板を傍に休憩場所が、地元の方の手作りのものの様です、湯浅湾に浮かぶ島々の眺めが素晴らしいのでお借りしてお昼にする事に。眺めが良いとオークワで買った198円也の弁当も価値があると云うものです。
 道の駅「白崎海洋公園」は2018年9月の台風被害で1年程閉鎖されていたのですが、現在はほぼ復旧しています、ただキャンプ施設はまだの様ですね。

 かつて軍港であった由良港を巡ります、現在は海上自衛隊由良基地があります、運が良ければ潜水艦が見られるかも。柏漁港の手前から日高町となり、小浦峠の手前まで未改良の鄙びた道が続きます。写真は方杭(かたくい)にて。
 由良町の「平佐館」日高町の「温泉館’海の里’みちしおの湯」で30ポイント達成です。
 小浦峠を越えると通称阿尾冨士を望む事ができます。かつて原発誘致に揺れた土地です。
 小浦、比井、産湯、阿尾と緩やかな海岸沿いを行きます。今回は南行きで走ってみましたが、このコースやはり北行きが正解かと、写真も何枚か自転車を海側に置いて反対向きに撮ってます。但し「有田みかん海道」は逆向きは厳しいかと。
 緩やかな峠を越えると美浜町、1523には三尾へ、移民が多かったのでアメリカ村と呼ばれているのですが、アメリカではなくカナダへの移民なのですがね。ポイントにもなっている「日の岬」まで往復する時間もあるのですが予定の30ポイントは達成したのと、距離の割には少々疲れ気味なのでここで帰途に就く事に、ここからは御坊駅が最寄りなのですが、一駅和歌山駅よりの紀伊内原駅まで走る事にします、御坊駅では普通列車は階段を渡ったホームになり、紀伊内原駅は下り列車は確実に手前のホームになります、駅前にコンビニもありますしね。ちなみ紀伊半島を巡る紀勢本線は三重県の亀山駅が起点で和歌山市駅が終点となります。
 次の下り列車まで約30分、現場でのデモンタの輪行仕度はまだ二度目なんで、落ち着いてぼちぼちやります。正直云ってロードの方が楽です、軽いしね。ただ拘りのマッドガード付きであると云う点ではヘッド抜きに分割式マッドガード仕様と比べるとはるかに楽で早いです。
 1635 和歌山行きに乗車、いつになく帰途に就いたのが早かったので普通列車の乗り継ぎでも21時過ぎには帰宅できます。走行72.3キロ、先月も伊賀上野まで71.8キロ走っていますが、このデモンタで100キロ超はちょっと厳しいかな。asuka号なんかに比べると650A×38の低圧のタイヤって事もあるし、あと気になるのはQファクターの違い、以前フロントダブルの9さんのasukaロードを借りて、午後から走れなくなった事があったっけ、次回は延陽伯号にしているSPDシューズを履いて見ようかと。そんな事を考えながら和歌山で乗り換え、実はこの時、とんでもない忘れ物をしてしまったのです。


自転車人生10個目の輪行袋

左から2代目、5代目、6代目、8代目、9代目、10代目

 暮れにやってきたデモンタ用に筒型タイプの輪行袋を新調しました。なんと自転車人生10個目の輪行袋になってしまいました。マルトのRINKO BAG ZDですが探してみるとモノタロウが一番安かったのですが、箱が傷んでいると云う訳あり品で送料込み3,300円で手に入れる事ができました、しかし箱入りの輪行袋って初めてですわ。
 9代目なんと1970~80年代でしょうかSS印ヤングマン輪行袋、非常に状態の良い新品を今年の正月にTさんから頂きました。このサイズの輪行袋、asuka号をヘッド抜き輪行ができる様に改造してから、私も今の処は使い道がないのですが、輪行袋より収納袋が簡易サドルバッグに使えそう。
 8代目は2018年10月の「紀伊半島ツーリング」の折に輪行袋を忘れていって、紀伊田辺で買い求めたオーストリッチの巾着タイプのL-100、それまで使っていた同じくオーストリッチのemu(左から3番目)の縫製があまりに酷くてファスナーの縫い付け部分が次々とほつれてきてファスナーに噛みこむので、輪行の度に買い替え様と思っていた矢先でした。しかしこのemu、同じカラーを使っている人がFacebookにいて、やはりほつれてきているそうでロット不良でしょうね、昨今の中国製品の方がずっとマシと思える品質ですね、収納袋の底も抜けてしまいました。おかげで今はL-100が主力になっています。
 実は2015年に「自転車人生6個目の輪行袋」なる記事を書いたのですが、実はオーストリッチの紫色の前に青色のものを使っていたので、その時点で7個目だった計算に。
 写真は1991年8月に紀勢本線賀田駅にて、R311の全通前で賀田~二木島駅間の一駅だけ輪行した思い出が、輪行には手回り品切符が要った時代ですが、車掌さんに料金だけ払った記憶が。
 さてデモンタ用の筒型輪行袋、本来は小径車用の様ですが、650Aのデモンタもすっぽり被さります。3本のコードで縛る様にできていますが、ファスナーもマチもないのでミシンさえあれば誰でも作れそうな気もしますけど。自転車の一部が出ている輪行は駄目だなんて野暮は云わないでね。


南紀ツーリング

 信州から帰ってきて中2日「18きっぷ」の残り期間と週間天気予報を見据えると、今日の晴れマークは落とせません、日帰りで南紀を目指すか北陸を目指すか… 始発の時間を考えて未明に奈良まで自走してまでの北陸行きも大変なので、大阪鶴橋まで近鉄を利用した上で南紀へ向かう事にしました。もちろん「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」絡みなのですが、パーフェクトに届かなかった昨年度の雪辱で今年度も挑戦しているものの、正直な感想としては、昨年と同じポイントだとコース取りが去年とあまり変わらなくなるので、新鮮味がないと云うか面白みがないのですよね、新しく加わったポイントも幾つかあるので、今日はその内の2つを軸に回ってみる事にしてみました。旧日置川町の「えびね温泉」とすさみ町最奥の「佐本渓谷」ここ暫くご無沙汰してますが、紀伊半島のディープな処です。
 近鉄で大阪鶴橋へ出て、天王寺0645発の快速湯浅行きに乗車、3番線からの発車で前4両は関空行きなので注意。和歌山~湯浅間で10数分後ろを走っている紀伊田辺行きに乗り換えます、でも湯浅まで行くと折り返しでホームが変わっちゃうかも、いつも海南で乗り換えます。春まで117系のスジだったのですが、ワンマン対応ロングシートの227系投入で姿を消してしまいました。117系も名車だったと思うけど、ロングシートはともかく綺麗で乗り心地も良くなって輪行袋を置くスペースも充分。紀伊田辺着が0951、この先へは「18きっぷ」の使える普通列車は50分待たなくてはなりません、それだと串本にはお昼過ぎ、南紀は遠いのです。
 駅降りてすぐの「田辺市観光センター」で輪行支度を解きます、サイクルラックはこう云う時にも便利。市内のコンビニで携行食を調達して熊野街道を縫って旧上富田町(現白浜町)域へ越えます。 県道36号上富田すさみ線に入り、生馬橋西詰でR311と交差して富田川を渡ります。
標高で168mまで登って卒塔婆トンネルへ、結構古いトンネルですが、旧トンネルもあったのですが今はどうなんでしょう、それぞれ2回ずつは抜けているかと。なお現在工事で片側交互通行になっています。
 玉伝口の三叉路で県道37号日置川大塔線と合流します「えびね温泉」へは右へ下ります。
 渓流沿いの心地良い道を走り日置川右岸に出ます。
 宇津木で左岸に渡り県道36号とはお別れ、自転車は進行方向とは反対向いています。
 立派過ぎる二級河川です、対岸に八草の滝を望む事ができます。
 久木橋で再び右岸に渡りますが、未開通の県道213号白浜久木線への分岐が、と云っても少し先に久木トンネルが抜けたばかりで工事中です。

 

 対岸に向平キャンプ場が見えます。
 今日2つ目のポイント「えびね温泉」。
 良い時間なので併設の食堂で丼を頂きます、ここのお水は温泉水なので注意。

 


 日置川の蛇行部分を見下ろす、古座川とはまた違った趣きです。
 3つ目のポイント「志原海岸」へ、R42を抜ければ早いのですが、せっかくですのでブルーラインの引かれた県道801号白浜日置川自転車道へ。なおR42を走れば白浜~串本間で唯一のコンビニ(LOWSON)があります。
  次のすさみ町へはR42の日置トンネル(612.6m)と朝来トンネル(918m)他を抜けなくてはならないのですが、旧R42の県道243号日置川すさみ線があり、岬周りの険しい道ですが、太平洋を望む風光明媚なルートなので時間があればお勧めです。紀勢道がすさみ南まで伸びたので、R42もずいぶんと走りやすくなりましたが。
 すさみ町の街中を抜けて県道38号すさみ古座線へ、以前は周参見七川古座線と呼ばれ、山あいの集落を縫って行くのですが、司馬遼太郎の「街道をゆく」にも取り上げられた古座街道そのものなのです。今ではR42と紀勢本線か通う海岸線ですが、大辺路は波が道をさらう厳しいルートだったかと、古座街道はその迂回路としつて機能していたのでしょうね。
 2004年に曲利トンネルが供用されているのですが敢えて旧道へ、結構荒れています。
 せっかくですので小河内の手前にある「雫の滝」に立ち寄ります、階段を150段ばかり下りなければならないのでロード用のビンディングシューズでは厳しいかと、なお手前に「琴の滝」と云うのもありますが、県道から1キロ程入らないといけないのでいまだに行った事がありません。
 獅子目トンネル(605m)を抜けると昭和30年まで佐本村と呼ばれた地域、今日4つ目のポイント「佐本渓谷(佐本公衆トイレ)」を目指してから海岸線を下ろうと、帰りのスジを調べると、輪行支度の時間を考えると「18きっぷ」で帰るにはここで引き返したとしても、かなり厳しい時間になっています、些かのんびりし過ぎたかな。串本を1835に出る「くろしお36号」には充分乗れるのですが「18きっぷ」を無駄にして5,000円以上使って帰るのもね、明日は昼過ぎにでも帰れば余裕なので、何度か使っている太地の「小さな宿Nieche」が取れればそれで良しと。
 今日4つ目のポイント「佐本渓谷(佐本公衆トイレ)」公衆トイレがWAKAYAMA800モバイルスタンプラリーのポイントなのも何ですが、清潔に維持されています。ここ佐本は古座川の支流佐本川の上流域なのですが、その佐本川に沿った県道224号佐本深谷三尾川線は直線距離で1.5キロばかしを残して車道未開通のままなのです、自転車で二度ばかり突破しているのですが、ロードでは乗れない区間もながいので、今日は安全策をとって一山越える事にします。「Nicehe」も無事に予約できて一安心、この先約45キロ、せっかくですのでポイントを2つ拾いながら走る事にします。
 洞谷隧道(309m)を抜けると古座川町添野川。
 湯の花橋を渡るとR371。
 一枚岩、3月にも来たばかりですが。
 古座川に沿って快走、雨に祟られた信州の鬱憤晴らし、今日はミンミンゼミ、ツクツクボウシ、そしてヒグラシの鳴き声につつまれながら夏の終わりを満喫する事ができました。
 古座川町役場の前から2キロ程入った「虫喰岩」、ここも春に通ったのですが新たにポイントに加わりました。このまま県道227号田原古座線で地蔵峠を越えればR42の田原までショートカットできるのですが、日帰りの予定が泊りになって買い物とかもしたいので古座川の町へ戻ります。
  スーパーオークワで買い物の後「イワシの目」の前を通りますので、暗くなったR42を走るより立ち寄ってから「18きっぷ」も使える事ですし、古座駅から太地駅まで4駅輪行するのも良いかなと思ったのですが、残念ながら閉まっていました。
 すっかり暗くなったR42をひた走り1940 無事に「Nieche」に到着、国道沿いで駅近くですが太地の街からは離れていているので、周辺にコンビニがないとか不便な点もありますが、清潔でリーズナブルな宿です。自転車はJAZZの流れるダイニングに入れさせて貰えます。本日の走行123.2キロ。

リベンジ「あらぎ(蘭)島」

和歌山県有田郡有田川町 あらぎ(蘭)島にて

 一昨々日リタイヤの憂き目を見たツーリング「あらぎ島はDNF(*_*)」、帰りの輪行の車中で手配しておいたタイヤが届いたので早速交換、このパナのクローザー、昨年7月から使い始めましたが、安いもののそれまで使っていた同社のツアラーに比べて決して耐パンク性能は良いと云えない様で、今年3月にも「WAKAYAMA800 2度目の南紀へ」の折にダメージが酷くて交換したばかり、私の様に平気で悪路に踏み込む人間にはお勧めではないかと。ただ後輪はまだ1,000キロ程しか走っていないので、今回はもう一回りのつもりでローテーションしてクローザーを使う事にしました。
 とにかく一昨々日と同じコースを走るつもりで4時にはスタート、吉野口駅前から重阪(へいさか)峠を越えるいつものルートで五條市街へ、オークワで補給の後は「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」のポイントになっているJR隅田駅に立ち寄ります、既に履修済なのですがリピート賞と云うのがあって72時間以上の間隔を置いてポイントを取得できます。仮設橋になっている恋野橋を渡り紀の川南岸の県道へ。一昨々日は南海高野線学文路駅から輪行しているのですが、新車になったケーブルカーにも乗った訳ですから輪行する言い訳材料がありませんし、高野山のポイントは履修済ですから「あらぎ島」へ行くならわざわざ高野山まで登る必要も無い訳で、ならば久しぶりに西高野街道の市峠を越えようと、それに「丹生都比売(にゅうつひめ)神社」のある天野経由もできなくもない訳です。学文路も九度山を通過して大門口大橋南詰からR480に入る事に、ところが平日の7時台とあって車の多い事と云ったら…
 市峠は標高414m、天野を経由するならさらに100m程登らなくてはなりませんが、車に迫られながら走るなら、のどかな天野を経由してポイントを獲得した方が、それにトンネルができている様で少し切り下げられているはずです。車の来ない長閑な坂を登って標高475m程で天野トンネル(515m)に到着、2001年には開通していた様で、トンネルを抜けると天空の隠れ里「天野」です。
 貴志川の支流真国川の上流、標高400m台の盆地が拡がります。
 2月にも来たばかりなのですがまずはポイントになっている「丹生都比売神社」へ、冬季は凍結や積雪で危険からなのでしょうが太鼓橋は渡れなかったのですが。
 「丹生都比売神社」鳥居脇に設置されているサイクルラックは神社建築の千木(ちぎ)を模したものなのですが、ホリゾンタルフレームには苦しいです、シートピラーの出ている長さが短いと掛けられません。
 真国川沿いに下り梨子ノ木峠の下の志賀高野トンネル(1,070m)を抜け貴志川に沿って少し下ると紀美野町、「たまゆらの里」(ポイントのサイクルラックとプレートが判り難くなっているので注意、ニモさんの「自転車で小さな旅」参照)を経て地蔵峠(814m)へ向かいますが、こちらも花園美里トンネル(2,018m)が2005年から供用されていて標高500m前後で有田川上流の旧花園村へ越える事ができます。しかしこの20年に紀伊半島にどれだけのトンネルができたのやら、延長1.000m以上だけでも十指に余りますね。なお旧道の地蔵峠は旧清水町方面へのショートカット路があるので健在の様です。
 旧花園村には今シーズンからポイントに追加された「はなぞの温泉 花園の里」があるのですが、昔村役場のあった梁瀬を見下ろす標高差50m以上の高台にありますので、国道から頑張って登らなくてはなりません。
 旧花園村(現かつらぎ町)から有田川沿いに渓流風景や田園風景が繰り返されるR480を下ります、この区間は平成5年に県道有田高野線が昇格したものなのですが、同じくR370に昇格した県道海南高野線と錯綜していて判り難いです。
 旧清水町に入ったのが11時過ぎ、「道の駅 しみず」に立ち寄り、木陰のベンチを借りて九度山で調達しておいたコンビニ弁当でお昼にする事にします。ここの道の駅は木曜日が定休日なので無人なのですが、トイレや自販機は利用する事はできます。
  「あらぎ島」へは丁度12時に到着、既に棚田の何面かが田植えを終えています、この季節に来るのは始めてですが、水を張ったばかり田植え前に来たかったですね。案内板には四季の「あらぎ島」が紹介(写真右)されていますが、自転車で雪景色の季節は難しいですね。
 「道の駅 あらぎの里」に立ち寄って一息入れながら後半のコースを検討します。このまま有田川に沿って下れば旧金屋町から有田市に出て紀勢本線の適当な駅から輪行で帰途に就けるのですが、まだ「18きっぷ」のシーズンでもありませんし、再び貴志川側に越えて紀ノ川べりに出るのがお安く帰れるコースになります。県道19号美里龍神線で由緒ある龍神街道の遠井辻峠(669m)を越えるのも良いですが、せっかくなら生石高原のポイントを回っておきたい処。少し判りにくいですがR480から県道19号への分岐(写真左)、少し登ると橋を渡って三叉路に突き当たります(写真右)、右はそのまま遠井辻峠向かいますが、左は県道180号野上清水線となり札立峠(602m)を越えます、昔は三田生石口停車場線と云われたのですが野上電鉄登山口駅があった時代の話になりますね。堂鳴海山(869.6m)と飯盛山(803m)の南斜面に点在する集落を結んでいるのですが、部分的にかなりの私好みの狭隘路があります。生石高原へは更に登らなくてはなりませんのが、遠井辻峠より札立峠の方が標高が低い事を理由にここは左へ進む事にします。
 県道180号は山腹を走るので緩やかなアップダウンを繰り返しながら標高を上げて行きますが、交通量は皆無と云って過言ではありません、少なくとも通して走る車はないでしょう。

 最後は二川ダム湖畔の楠本橋から強引に谷あいを登って来る立派な町道を見下ろしながら、合流する手前まではご覧の様な道が。
 何年ぶりでしょうか札立峠に到着、南側から登るのは初めてです。なお峠にはトイレと自販機があります。
 ここから稜線沿いに西へ県道184号生石公園線が分岐していますが、ポイントの「山の家 おいし」までは標高差200m、ここまで来たのですから推してでも行かない訳には。平日故に交通量も少ないので急坂部分は蛇行しながらえっちらおっちら登って云ると、上から軽の営業車が「cancanさ~ん」と声が、偶然にも云えなんとニモさんが、30ポイント賞のホテルの話とか暫し歓談を。

 「山の家 おいし」へは県道から更に登る必要がありますが、標高800m超のポイントに到着です。
 ここ生石高原にすすきの名所で展望の素晴らしいキャンプ場もあるのですが、ここまでキャンピングで登って来るのはねぇ…
 さて今日の目的は一応達成、札立峠へ戻り北側へ下るのが一番楽なのですが、せっかくですのでそのまま県道184号を生石ヶ峰(870m)南麓を巡るように下り、R424のピーク(397m 黒沢峠とか黒沢越と呼ぶ人もいる様ですが)の少し南側へ登り返すコースを取る事にします。
 R424で再び海南市側へ越えます、今日の登りらしい登りはここで終わりです。
 貴志川べりまで下り、せっかくですのでタマ駅長(現在はニタマ)んちへ立ち寄ります。WAKAYAMA800は山岳ポイント2ヶ所を別にしてこれで13ヶ所となりました。
 貴志川沿いの自転車道から紀の川沿いへと入ります。このまま走って帰ると200キロ超、ただ暗くなってからの自転車道は危ないのと、週末のキャンプのGOサインが出そうなので適当な処で今日のツーリングへ終える事にします。
 JR和歌山線の時刻を見ると笠田駅1924発桜井線直通の奈良行きがあるので朝通った大門口橋南詰まで走り紀の川を渡ります。次の大谷駅から妙寺駅まで行けば運賃が140円安くて駅で輪行袋を担いで階段を登らなくて済む事と云う事まで気が回らなかったのは… 本日の走行175.3キロ、久しぶりのセンチュリーランとなりましたが。

 

「あらぎ島」はDNF(*_*)

 和歌山県有田郡有田川町 あらぎ(蘭)島 2004年7月(左上)、2004年10月(右上)、2014年4月(左下)、2014年8月(右下)。
 有田川上流の蛇行部分の棚田風景が知られる「あらぎ島」、四季折々の変化が美しく過去何度も行っているのですが、田圃に水が入った田植え前後にはまだ一度も行った事がなかったのです、高野山へのケーブルカーが新車になったと云う話も耳にしたので、南海高野線の学文路(かむろ)か九度山駅まで自走し、高野山まで輪行して走り出せば「あらぎ島」の後に余力で久しぶりに龍神街道の遠井辻峠でも越えて帰ってこれるかなと企んでみたのですが。
 学文路駅まで約40キロ、高野山への始発電車が0546ですから、明るくなるのが早いこの少し早く出ても良かったのですが、0415にスタートして五條のオークワで買い物をしてから、紀の川左岸へ入り橋本橋からサイクリングロードを走り一旦一般道に戻れば学文路駅は直ぐ、次の九度山駅まで走っても運賃は変わりません、0630着。さすがに0639発は間に合いませんので0701発に乗車する事に。なお桜井から輪行してもこのスジには乗車できず、最早でもこの1本後になってしまいます。
 山岳路線だけに駅名標はプロフィールマップがデザインされていて標高が記載されています。最近は頑張って自走する機会が多くて、輪行するのは2015年8月の「高野~野迫川避暑サイク」以来。学文路0701発はなんば発4両編成のいわゆる新ズームカー、大阪から一番早く来れるスジです。ズームカーと云えば私の世代ではこいつなんですが、大井川鉄道で健在一畑電鉄へ譲渡されたものは廃車されたとか。
 0734極楽橋駅着、0738発のケーブルカーに乗り換えます、今年3月に置き換わったスイス製のモダンな車両に乗車。上の高野山駅のホーム階段の傾斜が輪行袋を担いでは怖い位にきついので、いつもは極楽橋駅で先頭まで登っていたのですが、2015年に後寄りにエレベーターが設置されて随分楽になりました、こちらも初乗車。最大傾斜が500パーミルを越えるだけに最後尾に乗るとなかなかスリルがあります。
 高野山駅で輪行支度を解きますが、涼しい処か寒い位、地元の人も今日は寒いと云ったましたが、レギンス丈のものをはいてきて大正解。Facebookに書き込みとしていてすっかり時間をくってしまいスタートは8時半過ぎ。
 今日は大門から旧花園村へ向かう町道なのか林道なのか昔からのルートを走りますが、「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」のチェックポイントがありますので一旦高野山内まで往復します。
 再び大門へ戻り、三叉路を南へR480に入り、少し走ると「高野町防災ヘリポート」と示された道があります。旧花園村へはどちらからでも行けるのですが、右が昔からある道で「高野七口」の一つ「龍神道」にあたる由緒のある道です、旧R371と合流して久木経由の新しい道と比べて距離が短く登り返しがないので、自転車なら楽に早く行く事ができます。
 幾つか分岐がありますが、(写真左)の分岐を除けば間違う事はないかと、右へ下ると湯川へ下ってしまいます、左は荒れていますが稜線沿いの1~1.5車線路が旧花園村へ、今では山仕事の車以外は通う事も少ないかして、木っ端の散乱したご覧の様な道が続きます。 緩やかに登っているのですが快調に走っていると突然「パスッ」と云う音がして紛れもなく前輪がパンク、少し推して広くなっている処でチューブ交換をしてエアーを入れ始めますと、なんと向かって左サイドが1cm以上縦に切れてチューブの圧で膨らんできているではありませんか、絵に描いた様なサイドカットです。このまま圧をかけても中のチューブが風船の様にでてくるだけですので、タイヤの裏側から手持ちのゴム板を当てがってチューブを入れ直します、水研ぎペーパーとかでも間に合いますが、ナイフとかが有れば勿体無いですがパンクしたチューブを使う手もありますが「お札が使えるよ」なんてツワモノもいますが、メーターやライトのブラケットにスペーサーのゴム板を外して使う手もあります。要するに強度があってしなやかに板状のものであれば良い訳です。
 とにかくチューブが出てこない様に蓋はできたのですが、裂けているだけに圧を上げると拡がってバーストする危険性があります、リム打ちしない程度まで圧を上げる事ができればどうにか走れるのですが、予定ではこの先公共交通機関のない山間部を100キロ近く走るのはかなり無理があります。日頃「ツーリングにDNF(Do Not Finish)なし」なんてエラそうな事を云ってますが、いくら考えても高野山駅まで数キロを引き返すしか選択肢はなさそうです。
 ギャップさえ気をつけて走ればどうにか乗れる様ですが、このまま走って帰る訳にもいかないので何処かで輪行する事になるのですが、高野山駅に戻るのも芸がないので、大門の手前からR480とは異なる昔はなかった花坂へ下る道を行く事に。初めて走る道なのです貴志川最上流の鳴子谷へ下って行く道がなかなか心地良いです。
 道は花坂と矢立の三叉路の間に出ますので、矢立へ少し登り返してR370(旧高野山道路)をそろりそろりと下ります、ここまで来るとほぼ南海高野線と平行しているので、最悪は少し歩けば駅まで行く事ができます。
 結局は道の駅「柿の郷くどやま」でWAKAYAMA800のリピーターポイントをGETとして、紀の川を渡ってJR和歌山線の高野口駅まで無事に走り抜ける事ができました、写真左は高野口駅前の旅館「葛城館」木造三階建、既に営業も公開もされていませんが登録有形文化財に指定されています、高野山参詣や大和街道の宿として賑わったのでしょうね。ところでパンクの後30キロ近く走った訳ですが、案の定裂け目は開いてきている様です(写真右)。
 日中の時間帯は概ね和歌山~奈良間が桜井線経由で直通運転されていますので、桜井まで乗り換えなしで帰る事ができます、この水色の105系もまもなく見納めですね。朝オークワで買っておいた弁当を広げながら電車を上り電車を待ちます、鳴子谷の渓流を見ながら食べても良かったのですが、爆弾抱えて走っている途中ではね。
 1350 やってきた上り電車は春から順次投入されている227系、今まで和歌山線で輪行の度に最悪の乗り心地に閉口していたのですが、新車は良いですね。本日の走行79.4キロ、さて近々にも「あらぎ島」のリベンジを考えなくては。