「デモンタ」タグアーカイブ

熊野ツーリング 尾鷲市~熊野市

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 予定通り桜井0543発の奈良行きに乗車、奈良、加茂、亀山と乗換、6時間半の行程、松阪まで近鉄で行けば2時間10分短縮できますが、紀勢本線の列車が限られていて尾鷲に着ける時間は変わりません。
 多気駅で4回目の乗換、新宮行に乗車します(写真)。ところで今回もデモンタでの往復輪行なのですが、尾鷲までの車中でとんでもない事に気が付きます、なんとデモンタを組み立てるのに必須のアーレンキーを忘れてきたのです、前回の和歌山の帰りに横着してフレームバッグではなく輪行袋を入れる袋に入れてしまい、今回そのバッグを忘れてきたのです、スペアチューブはフレームバッグに2本入っているものの他の工具とともタイヤレバーもそちらの中です。尾鷲は結構大きな街なのでホームセンターや大型スーパーもあります、ググってみると尾鷲駅から450m程で百均のダイソーがあり、最悪1キロ歩けばホームセンターのコメリもあります。予定の九鬼や三木里まで行ってしまうと食料すら覚束無い処、車中で気が付いただけでも不幸中の幸いかと。
 1158 尾鷲駅で下車、ハンドルもひねっていますので6mmと5mmのアーレンキーが無ければ自転車の形になりませんので、駅前で組み立てどころか担いで行くしかありません、一応転がす事もできるのですがね。幸いダイソーで必要なものは揃いましたので、店の横の駐車場で組み立てて出発の準備完了です。
 尾鷲市街R42を西へ、現在は三重県ですがツヅラト峠より南は廃藩置県までは紀伊国でしたのでこの地域を東紀州と呼ぶのですが、紀北と云う呼び方もあって、紀北信用金庫とかあります。ところが和歌山県の紀の川流域も紀北と呼ぶので紛らわしい事に。
 最初スタートを予定していた九鬼までは現在のR311の八鬼山トンネルまで登るか、旧R311の県道778号中井浦九鬼線を経由しなくてはなりません。前者は延長2364mのトンネル、後者はかなり遠回りな上標高350mまで登らなくてはなりません。八鬼山トンネルの入り口までは別ルートもあるのですが、通れる保証がなく今回はこれ以上時間をロスしたくないので素直にR311を辿る事にしました。
 標高180m程、R42と別れてからは交通量も少なくなり、思ったより楽に辿り着く事ができました。なおトンネルの情報は私と同じく道路元標フリークの穴蔵(あなぞう)さんがデータベース化していて、路線名と名前が判るならほぼ全国のトンネルの坑口の写真を見る事ができます。GoogleStreetViewと云う手もありますがね。
 2400mの半分位でしょうか、ただトンネル内も九鬼側に向かってずっと登りです。ご覧の通り歩道は自転車で通れる様な幅ではありません、と云って通過するまでに追い越して云った車は数台、時間帯にもよるでしょうが。
 少し下った処で熊野灘を遠望する事が、写真右は県道778号からの合流点。
 九鬼に下ったのが1330、予定では九鬼駅到着が1212ですから少なくとも1時間のロスです、熊野市駅から桜井への最終が1827ですから、後5時間で約45キロ、輪行支度と買い物を含めてもまんざら無理な時間でもないのですが。
 三木浦漁港とリアス式海岸の深い入り江の風景に思わず足が止まります。
 賀田を過ぎて曽根トンネル(1,106m)と梶賀トンネル(1,370m)を抜けます、R311で最後に繋がった区間で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂にあたります。30数年前には車道はなくR42の矢の川(やのこ)越まで迂回しなければならないので、賀田駅から二木島駅へ1駅だけキャンプ装備を引きずって輪行した苦い想い出が。1511に尾鷲市と熊野市の境界を越えます。
 須野あたりでは植生に阻まれますが、神須ノ鼻の険しい海岸風景を時折望む事ができます(写真左)、1528には周辺では最も知られた観光スポットになる楯ヶ崎に到着(写真右)。
  今日一番の目的だった熊野市甫母に到着、R311に残る狭隘区間は相変わらずです、恐らくこの区間での拡幅はせずに、背後をトンネルで抜けるか湾に橋を架けて甫母を集落を迂回するかと。「自撮り」の準備をしてきているのですが、誤算はこの時間になると港を挟んだ漁村の家並みが陰になってしまっています。2004年は尾鷲泊で早朝に走り出していましたから。
 三脚とタイマー、せっかく準備してきていますので周辺の何ヵ所で「自撮り」にトライします。
 今回はヒップバッグにどうにか入るSLIKの三脚を持ってきましたが、風が強いと些か心許ないです。
 二木島湾を巡り、楯ヶ崎を反対側から望む処まできました。夕刻が迫ってきますが、とにかく二木島駅までは走らなくてはいけません。
 二木島駅への分岐を見落として二木島トンネルへの登りに入ってしまったのですが、まだ時間に余裕があるので、次の新鹿駅まで進む事に、2014年に供用された遊木(ゆき)トンネル(717m)を抜け、海水浴場のある新鹿の砂浜の見える処までやってきました。なおこの区間の紀勢本線の駅はいずれもR311から離れていたり、駅への道が判り難いので輪行する場合は注意が必要です。
 1725 新鹿駅に到着、まだ1時間の余裕がありますが、陽が落ちると途端に肌寒くなってきてこれから一山越えて次の駅まで行く気も、それに次の波田須駅は確か自販機もなかった停留場の様な駅なんです。新鹿駅で温かい缶コーヒーでも飲みながらのんびりと輪行支度を整える事にします。
 1838発多気行きに乗車、「18きっぷ」だけでは伊賀上野までしか帰れませんので、1,160円払って松阪から近鉄で桜井に帰ります、所要時間は4時間29分。しかし12日の「WAKAYAMA800 有田から日高へ」に続いてのとんだ忘れ物に些か慌てました、16年ぶりと云っても南紀の帰りに車窓から見ていたのですが次走るのは何時でしょうかね。本日の走行48.3キロ、往復の輪行に11時間、滞在時間6時間半、実際走っていた時間は約3時間とは。

 不便な処ですが車も少なく風光明媚な土地、サイクリングには最高のフィールドですが、尾鷲市街を出ると熊野市街まで55キロ程の行程、古道歩きの人を見かける様になったとは云え、コンビニの類は皆無、商店も見かけますがあまり当てにはできません、食堂も海水浴シーズンを除けば期待できないかと、行かれる際は準備を怠りなく、って人の事は云えませんね。


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デモンタ輪行 熊野へ行ってきます。

尾鷲市梶賀町~熊野市甫母町にて(2004年5月12日)

 紀伊半島の道はほぼ走り尽くしていると云っても、長い間走っていない道が幾つもあります。例えば海岸沿いに紀伊半島を巡るR42では三重県の尾鷲市~熊野市間や和歌山県の旧日置川町(現白浜町)~上富田町間はもう10年以上走っていません。尾鷲市と熊野市の間は熊野古道の時代からの難所で、R42は内陸側のいわゆる矢の川(やのこ)越えを、R311が海岸沿いを繋いでいるのですが、全通したのは平成になっての2000年(平成12年)、紀勢本線ですら繋がったのは1959年(昭和34年)7月でした、小学校2年から阪和線沿線で育った私は天王寺駅のコンコースに紀勢本線全通10周年の横断幕が掲げてあったのを子供心に記憶しています。
 最近では紀勢本線の大曽根浦駅(尾鷲市)以東は2015年1月に、大泊駅(熊野市)以西は2015年2月に走っていますが、この間の部分は2004年4月まで遡る事になります。なお2009年5月に旧道の矢の川峠を越えた事があります。(写真 : R311の狭隘区間 熊野市甫母町にて)
 前置きが長くなりましたが、今回はそのR311の尾鷲市と熊野市を跨ぐ区間を走る事にします、ただ奈良からでもアクセスの悪い地域で「18きっぷ」では始発に乗っても尾鷲に着くのはお昼前になります。仮に松阪まで近鉄を利用しても変わらず、紀勢本線の特急「ワイドビュー南紀」を利用しても尾鷲1045着が精一杯です。残念ながら日帰りでは走れる距離は限られてしまいます、特急料金まで出すなら1泊2日で行きたいですよね。
 帰りは「18きっぷ」だけで帰ろうとすると熊野市1605発になってしまいますので、松阪から近鉄を利用する事にします。
【往路】桜井0543→0616奈良0638→0653加茂0655→0816亀山0823→0935多気0943→1212九鬼 4,070円分乗車
【復路】熊野市1827→2054多気2104→2114松阪2142→2151伊勢中川2156→2238名張2240→2307桜井 2,310円分乗車+近鉄1,160円

 あと尾鷲から走り出すと標高差300m以上の旧R311県道778号中井浦九鬼線または八鬼山トンネル(2,364m/歩道なし)を経由しなくてはならないので今回は九鬼駅か三木里駅から走り出す事にします。九鬼スタートで45キロと云う処でしょうか。


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WAKAYAMA800 有田から日高へ

和歌山県日高郡日高町比井にて 阿尾冨士を望む

 今シーズンは早々に50ポイントパーフェクトは諦めた「WAKAYAMA800 モバイルスタンプラリー」ですが、30ポイント賞とリピーターポイントだけは押さえておこうと、「青春18きっぷ」で和歌山県は有田へ向かう事にしました。機材は先日から手を入れていたデモンタで、箕島駅から海岸沿いに通称「キララときめきロード」を御坊まで南下するプランです。
 桜井0552発、高田、五条、和歌山乗換えの和歌山線~紀勢本線経由で箕島着0838ですが、和歌山駅での乗換時間が2分、階段または地下道がある上にホームに乗換の自動改札機があって、勝手が判らないとかなり厳しいです、天王寺から阪和線経由でも到着時間は変わらなくて乗り換えに余裕があるのですが、時節柄混雑するターミナルや路線は避けたいものでして。無事に紀伊田辺行きに、輪行袋を置くスペースのある車両へ乗り込みますが、なんと平日にも拘わらず4台もの先客が、学生さんの様ですね。まあ箕島まではすぐですので立って行く事にします。
 箕島駅をスタート、まずはお昼の弁当を調達しに近くのスーパーオークワに立ち寄ります。有田川を渡り「有田みかん海道」に入ります。昨年も2月に走ったのですが、有田川河口に突き出た半島をぐるっと回ります、北西側から南側へと紀伊水道の眺望が素晴らしいのですが、標高で150m程登らなければなりません。
 北西側の展望、紀淡海峡から淡路島が望めます(写真左)。標高を稼ぎながら南側に回りこむと湯浅湾を挟んでこれから向かう白崎海岸の先端やうっすらと四国を望む事ができます(写真右)。
 みかん畑の中の急坂を下り県道20号有田湯浅線に入ります。ただ向かい風が些か強くなってきました、このコースを湯浅から南向きに走るのはほぼ初めて、やはり御坊スタートが楽だったかなと少々後悔、線路沿いに県道をショートカットする手もなくはないのですが、せっかくですので海を見ながら頑張る事にします。湯浅の街中を過ぎると「キララときめきロード」は県道23号御坊湯浅線となり、湯浅湾を巡る様に「テスティモーネ アリダ」「湯浅うまいもん蔵」「広川町立ふれあい館」とボイントをこなして由良町へ向かいます。
 広川町「稲むらの火の館」から変わって今シーズンからポイントになった「広川町立ふれあい館」、広川ビーチ駅に隣接しています。
 由良町域に入ると白崎海岸までリアス式海岸の地形が続き、県道はアップダウンを繰り返します。以前は衣奈(えな)漁港で県道23号から県道24号御坊由良線が分かれていたのですが、現在は衣奈(えな)トンネル近くまで登るルートに変わっています。通行止とかが続いていたのですが、以前のルートが通れましたので、山越えで衣奈へ越えます(写真)。この区間も現在トンネル工事が行われていました。
 衣奈から県道23号に入り海沿いの4つのトンネルと橋を経て道の駅「白崎海洋公園」へ下る手前、白崎海岸の案内板を傍に休憩場所が、地元の方の手作りのものの様です、湯浅湾に浮かぶ島々の眺めが素晴らしいのでお借りしてお昼にする事に。眺めが良いとオークワで買った198円也の弁当も価値があると云うものです。
 道の駅「白崎海洋公園」は2018年9月の台風被害で1年程閉鎖されていたのですが、現在はほぼ復旧しています、ただキャンプ施設はまだの様ですね。

 かつて軍港であった由良港を巡ります、現在は海上自衛隊由良基地があります、運が良ければ潜水艦が見られるかも。柏漁港の手前から日高町となり、小浦峠の手前まで未改良の鄙びた道が続きます。写真は方杭(かたくい)にて。
 由良町の「平佐館」日高町の「温泉館’海の里’みちしおの湯」で30ポイント達成です。
 小浦峠を越えると通称阿尾冨士を望む事ができます。かつて原発誘致に揺れた土地です。
 小浦、比井、産湯、阿尾と緩やかな海岸沿いを行きます。今回は南行きで走ってみましたが、このコースやはり北行きが正解かと、写真も何枚か自転車を海側に置いて反対向きに撮ってます。但し「有田みかん海道」は逆向きは厳しいかと。
 緩やかな峠を越えると美浜町、1523には三尾へ、移民が多かったのでアメリカ村と呼ばれているのですが、アメリカではなくカナダへの移民なのですがね。ポイントにもなっている「日の岬」まで往復する時間もあるのですが予定の30ポイントは達成したのと、距離の割には少々疲れ気味なのでここで帰途に就く事に、ここからは御坊駅が最寄りなのですが、一駅和歌山駅よりの紀伊内原駅まで走る事にします、御坊駅では普通列車は階段を渡ったホームになり、紀伊内原駅は下り列車は確実に手前のホームになります、駅前にコンビニもありますしね。ちなみ紀伊半島を巡る紀勢本線は三重県の亀山駅が起点で和歌山市駅が終点となります。
 次の下り列車まで約30分、現場でのデモンタの輪行仕度はまだ二度目なんで、落ち着いてぼちぼちやります。正直云ってロードの方が楽です、軽いしね。ただ拘りのマッドガード付きであると云う点ではヘッド抜きに分割式マッドガード仕様と比べるとはるかに楽で早いです。
 1635 和歌山行きに乗車、いつになく帰途に就いたのが早かったので普通列車の乗り継ぎでも21時過ぎには帰宅できます。走行72.3キロ、先月も伊賀上野まで71.8キロ走っていますが、このデモンタで100キロ超はちょっと厳しいかな。asuka号なんかに比べると650A×38の低圧のタイヤって事もあるし、あと気になるのはQファクターの違い、以前フロントダブルの9さんのasukaロードを借りて、午後から走れなくなった事があったっけ、次回は延陽伯号にしているSPDシューズを履いて見ようかと。そんな事を考えながら和歌山で乗り換え、実はこの時、とんでもない忘れ物をしてしまったのです。


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デモンタあれやこれや②

藤原宮跡にて

 今年の春の「18きっぷ」のシーズンはデモンタ転がして輪行三昧のつもりだったのですが、コロナウィルス騒ぎで「18きっぷ」の旅も憚られる有様。
 先月2日に伊賀上野の帰りにデモンタでの初輪行もしたのですが、デモンタならではの前後輪の連結とか慣れるまではなかなか大変です。ご覧の様にサドルバッグはハンドルと干渉する為に取り外しは簡単なものの方がと色々と物色していたのですが、よくよく考えるといわゆるフレームバッグを付けてサドルには輪行袋をぶら下げれば良いのではとの結論に。
 これは30年は前でしょうか、CYCLESMITHのフレームバッグ、殆ど使わずに死蔵していました、樹脂製のバックルとかが劣化して使えなくなっています。CYCLESMITHはヒップバッグの元祖として知られるMOUNTAINSUMITHの別ブランドで、当時はリュックにもなるサイドバッグなどユニークな製品を出していました。今で云う処のバイクパッキングのルーツだったのかも知れません。
 実はフレームバッグって前三角部分を塞いでしまう様な大きなものも結構ある様ですが、ボトルケージ等が使えなくなってしまいますし、実際に使っている人を見た事がありません、それにシルエットがどうもね。ここでは工具類とスペアチューブに鍵が入れば充分ですので。たまたまみつけたのがこれ、なんと399円、ものは試しで買ってみました。チューブが3本入る程度の容量、脚への干渉はあまり気にならならないのですが、マジックテープの端が鬱陶しいです、オーバーサイズのフレームを考慮した長さなんでしょうが、そこは少しカットしてやれば良いかと。
 ボロボロになってもう使わなくなったポンチョの収納袋、少々うす汚れてますが、お誂えむきにベルトが2本で、これならサドルループにぶら下げられます、おまけに反射テープまで。

 元々はチャンネル材を加工した様な連結金具が付いてきたのですが、かなり歪んできています、シャフト側が穴になっていないのが、ナニ銀リンカーでも買うかと思っていたら、K氏から作った残りがあるからと頂ける事に。
 なんと届いたのは立派な接続金具、工場などでエアーホースなどを繋ぐカプラを加工したものです。
 オスメスをそれぞれ前後輪の右側になる様にクイックシャフトのネジと入れ替えて取り付け写真の様に連結します。バックはできないものの転がし輪行が可能になります。またこのタイプだとクイックレリーズを緩めずに連結する事ができます。しかしデモンタ乗りの皆さんはこの他にも色々と工夫されている様でして、そこがまた愉しいのですが。


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黎明期の国産ツーリング車観賞会

(写真 : UG兄さん)

 市内のコンビニで買い物して10時少し前にはヒルホテルサンピア伊賀に到着。駐車場では到着した皆さんが運び込む自転車を囲んで既に自転車談義が始まっています。サンピアと云うのは以前は厚生年金事業振興団が運営していた施設ですが、今は地方自治体の外郭団体が運営してたりします。2015年10月の「ヴィンテージレーサー鑑賞会」以来毎年使わせて貰っていて、昨年は「イリベオーナーズミーティング」も行われました。伊賀市は2004年に上野市と周辺町村が合併した人口10万人に満たない小都市、合併して15年過ぎましたが今も伊賀上野と云った方が通じやすいかと、忍者で有名ですね。大阪と名古屋の丁度中間にあたり名阪国道のインターが近くて、大都市の施設に比べると会場代もリーズナブルかと。特別の施設がある訳でもなく、ロビーからフロントの前を通ってそのまま宴会場に運び込ませて貰ってます。まぁもっこりパンツにクリートをカチカチ云わせて闊歩する輩と比べると至って普通のいでたちの集団なんで。
 今回は50~60年代の国産ツーリング車がテーマ、正月の「新春ラン」の帰りの車の中で10台集まるかどうかなんて話も出ていて、その上日程がマッドガード付き自転車の愛好者の間では良く知られた「御前崎オフ」とバッティングしている始末。ただ蓋を開ければ参加43名に30台と大盛況で、会場代で赤字にならずに済んだと主催者は一安心、午後からのプレゼンテーションの時間が足らないとの事で16時までと1時間延長となりました。
 さて私の方はもとよりそないな年代の自転車の持ち合わせはありませんので、せめてうちで一番古いので参じようと先日やってきたばかりのデモンタ(1976年~)で走ってきたのですが、50~60年代縛りですので人と自転車で満杯の中には入れて貰えません(^_^;)
 次々と往年の名車やら曰く付きの車やらが会場に運び込まれますが、人の方も輪界の著名人が続々と。
 台数的にはさすがに東叡社が多いですが5台のアルプスが目を引きますし、関西圏とあって城東輪業のワンゲルも数台。
 自転車そのもの以外のグッズや資料も。
 純正?展示スタンド付きの片倉シルク、七宝のヘッドバッチが。
 午後のプレゼンはUG兄さんのキングスピードから。
 1961年のワンゲルを前に熱弁を奮う京都のBLKさんと、奈良の伊藤さんが高校の時に買って貰ったTOEIも還暦。
 プルベな人にもお馴染みのKさんも今日は、ある自転車との因縁話を披露。

 



 個々の自転車の解説は不勉強な私がどうのこうの云えませんので、そのうちMさんがやってくれると思います。
 私の任務は例によって集合写真、なお大きなサイズの画像は例によって「サイクリングの記録」(要認証)の方にアップしてあります。
  予定通り16時前には全てのプレゼンも終わって無事に「黎明期の国産ツーリング車観賞会」は終了。この季節ですので桜井まで自走で帰るのは厳しいので日没までに15キロばかし走って名張市域に入り近鉄美旗駅から些か手こずりながらデモンタでの初輪行で帰ってきました。

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伊賀上野へ

上津ダム(奈良県山辺郡山添村)にて

 今日は伊賀上野(三重県伊賀市)のヒルホテルサンピア伊賀で行われるUG兄さん主催の「黎明期の国産ツーリング車観賞会」に参加する為に暗いうちから自走で向かう事に。時間的に帰途は輪行になりますので、昨日ブレーキを入れ替えたばかりのデモンタで向かいます、別にロードでも延陽伯号でも構わないのですが、会が1950~60年台のマッドガード付きツーリング車がテーマですので、一応うちで一番古い(1976年~)を。
 0510桜井を出発、伊賀市までのルートは幾つかあって、往路は大和高原を経由する事が多いですが、今日は主にR25旧道を辿る事にします、概ね併行する名阪国道の騒音が鬱陶しいとはいえるのですが。まずはR165を長谷寺まで走り県道38号桜井都祁線で針へ向かいます。深夜も含め走り慣れた道で不安はありませんが、難所の初瀬ダムへの登り、この気温で汗をかきたくないので中程でさっさと諦めて押す事にします。小夫(おぶ)辺りまできてようやく明るくなり暫くで奈良市域となる旧都祁村へ、ミモザ・ガーデンの前の並松池は凍っていました。標高500m近い針インターの中のファミマで小休止、後30キロ余りですから予定の10時には余裕ですね。
 針からは自動車専用道の名阪国道を縫うように走るR25旧道を、このままでも伊賀上野へ行けるのですが、山添村勝原から上津ダムへ入ります、少し判り難い処もありますが、こちらの方が無駄な登り返しが少ないかと、上津ダムで用を済ませて下ります、県道80号奈良名張線と交差し県道181号遅瀬西波多線に入り五月橋へと下ります。
 まだ供用はされていませんが新しい五月橋はほぼ完成しています、1928年に供用された五月橋が姿を消すのは残念です。
 五月橋の手前でR25に戻り名張川を渡ると伊賀市。しかしサイクリングには最高のお天気になってきました、伊賀盆地からは三重県と滋賀県との境界になる山々と御斉(おとぎ)峠を望む事ができます。大野木橋では上野城が出迎えてくれました。桜井から4時間半あまり56キロばかり走ってサンピア伊賀に到着です、正直云ってもう少し走りたいのですが。(つづく)

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デモンタあれやこれや


 うちにやってきてから既に100キロばかり走ったデモンタですが、思う処あってせっかく新たに買ってまで付けたサブレバー仕様のブレーキ回りをセフティレバーに変更する事にしました。デモンタの場合は分解時にリアブレーキのインナーケーブルが緩むために、現在入手できるダイアコンペの復刻版セフティレバーはクイックレリーズになっていない為、ブレーキレバーの割りの入ったタイコ故に外れると結構出先では少々難儀な事になるのです。延陽伯号こと片倉シルクグロワール24に付けているのは浅麓堂のN氏から頂戴したセフティレバーはクイックレリーズになっているのです、ヘッド抜き輪行のできる延陽伯号からは同様の理由で外したくなかったのです。各々の使い道とか考えてみたら延陽伯号には元々デモンタに付いていたギドネットでも良いかもと云う結論に至ったのです。即ちデモンタと延陽伯号のブレーキを入れ替えるだけの話、最初からこうしておけばムダな買い物をせずに済んだものをと後悔しきり。まあ延陽伯号にブルホーンと云う訳にも行きませんのでダイアコンペのハンドレストを手配する事にしたのですが。

 フロントバッグの固定方法ですが、とりあえずはリクセンカールのアタッチメントを付けてありますが、リーズナブルでこやつに似合う方法がないものでしょうかね。あとサドルバッグも、前後輪を金具でジョイントする形だとハンドルに干渉するので、簡単に着脱できるものがほしい処です、加えて輪行時に余計な持ち物にならない様にフレームの何処かに固定しておく工夫も。

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ちょっと試運転に


 週間予報をみると今日明日と走っておかないと、その後は来週にかけてお天気が良くないらしい。朝からバーテープを巻き直し、メーターにタイヤ周長をセット、念のために工具類をしょって明日香村へお約束のデモンタの試運転に。
 耳成山と昆虫館の間を抜けて明日香村へ、時折陽射しもあって気温も暖かいのですが、西よりの風を強くて参ります、いつもの大官廃寺跡にて。初めて使うQCRのボトルのカラーがマッチしてます。
 この季節の平日、観光客やハイカーもまばらで静かな石舞台を経て稲渕へ、昨秋に整備された棚田を望む休憩所で小休止。
 栢森まで往復、芋ヶ峠へはまだまだです。インナー28Tは楽チンなのですが、リアディレラーのキャパ(いったい幾らなんだろう)からは厳しいのかして、インナートップが危なっかしいのが課題です。

 棚田の中の案山子ロードを登り、回廊の様な小径を走り祝戸へ下り帰途に就きました。
 本日の走行30.3キロ、今月はまだ300キロを超えたばかり。

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やってきたデモンタのその後

 暮れの「石川ポタ」の折にYさん処から嫁いできたデモンタ、ペダルさえ付ければ走れる状態だったのですが、ブルホーンからドロップハンドルに戻した処まできたのですが、フロントバッグをどう取り付けるかで行き詰っていました。
 ブレーキレバーはギドネットからノーマルなものへ、ASUKA号と同じシマノのBL-R400、サブブレーキはPROMAXがシルバーのノーマルサイズが欠品だったのでTEKTRO RL720、安いだけに雰囲気安っぽいのですが、アウターが当たる部分にゴムのブッシュが付いてたりと好感が持てます。とりあえず手持ちのリクセンカールとメーターを取り付けてみます。
 サドルとバーテープが白色なので、このままアウター類も白色で揃え様と、真新しいバーテープはYさんが両面テープを剥がして巻いてくれていたので再利用する事にしますが、巻き直す前に自宅の周りを走りながらポジションの調整。小径車を除けば700Cばかりだったのでハチサンに乗るのは何十年ぶりやろ。そうそうサドルにサドルループが付いていないのでVIVAのバッグループを探さなくてはなりませんなぁ。
 ブレーキはセンタープルのマファック2000、フロントの鳴きが酷く最悪はシュー交換かなと思いながら、30分程格闘してどうにか収まりました。

 変速系はサンツアーBL、オリジナルのサンパックではこれじゃなかったですよね。5速をカバーするためにつけられたインナーが28T。

 ランプホルダーが取り付けられているのは、先々代オーナーのSさんの時に追加されたダイナモの台座。特徴的なデモンタのジョイント部分は再塗装の際に外側までメッキ仕上げに。
  Sさんに重いよ~なんて脅かされていたのですが、クソ重たいキャンピングを転がす事を思えば想定の範囲内、低圧のハチサンタイヤもこんなものかなぁと思いつつ、とりあえずバーテープを巻いて明日は少し走ってみるかな。
 余談ですが両方にタイコの付いたブレーキインナーケーブルとか商品名が判らなかったライナーとか探せばあるんですね。

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うちにデモンタがやってきた

 昨年の暮れ、うちにデモンタが嫁いできました。デモンタと云っても今どきローディな人には馴染みがないかも知れませんが、デモンターブル(démontable)即ち分割可能な自転車なんです。まぁモールトンの様にダイアモンドフレームでない分割可能な小径車もありますが、前三角のトップチューブとダウンチューブにジョイント部分があって前後に分割できる様にした、主にランドナーなどの車種を狭義にはそう呼んでいます。メリットはマッドガードやホイールを外す事無く輪行可能なサイズにして収納できる事、まぁ「後輪外さない輪行」やってるローディには理解できない話ですが、ガード付き自転車でコンパクトな輪行を心掛け様と、ヘッド(フォーク)抜きや分割式マッドガードと工夫を重ねてきた人には、画期的な構造の車種なんです。
 写真は2015年3月の「赤穂~日生かきおこポタ」の折、赤穂駅にて、なんと5台のデモンタ(グランテックも含む)が組み立ての真っ最中の模様。
 昨年12月にそのデモンタをY氏から譲って貰える話が、元はS氏が2008年に入手したナショナルのユニパック、これ以上自転車を置いておくスペースもないので些か躊躇したものの、暮れの「石川ポタ」の折に晴れて嫁いでくる事に。(写真:乾さん)
 S氏の元で一旦700C化されたんですが、Y氏の下で再び650Aに戻りブルホーン、ギドネット化されています、ペダルさえ付ければ直ぐにも走れるのコンディションなのですが。
 ブルホーンはasuka号にもその時代があった位で抵抗はないのですが、どうもギドネットは好きになれませんの、とりあえずノーマルなハンドルにエイド(サブ)ブレーキを足したasuka号に近い構成に、あり合わせのパーツに少しパーツを買い足して、ここまでやってみたのですが、フロントバッグをどうするかとか1台増えると色々と課題が、とにかくデモンタだけに春の「18きっぷ」のシーズンにはデビューできる様にしたいですね。

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