市町村の変遷

こんなのをまとめてみましたので興味のある方は参考にして下さい、明治22年の市町村制施行から現在までの市町村の変遷です。
奈良県
滋賀県
大阪府
京都府 (京都市より南の郡部のみ)

※ うちのHPのLibralyからリンクしていますが、データは自宅サーバー上にありますのでサーバー停止時は参照できません。
※ PDFファイルですので閲覧には Adobe Acrobat Reader が必要です。
※ 原則2つの市町村間の境界変更は省いています。
※ 記載漏れや間違い等があればご指摘頂ければ幸いです。



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「市町村の変遷」への5件のフィードバック

  1. この前もちょっとお話ししてましたが、地名というのは興味深いものですね。
    天理市になぜ「添上高校」が存在するのかずっと疑問に思ってましたが、これでやっと理解できました。
    (^_^)今や添上郡も消滅しちゃいましたが、かつては添下郡が存在したことも・・・安堵・三郷・川西・三宅・河合・田原本・上牧・曽爾・御杖なんてのは明治時代から続く由緒ある地名だったんですね。
    いい勉強になりました。
    せめて曽爾・御杖が残ったのは賢明な判断です。
    あ?、市町村合併に反対する国会議員がいたら投票したい・・(^_^;

  2. windyさん毎度、お役に立てて良かったです。
     旧町村名は地名から消えても学校や郵便局、JRの駅名に残っている事が多いです、しかしそれも統廃合や民営化で危ないです、桜井では小夫の上之郷小が今年無くなったので郵便局だけです。
    でも明治22年の町村制で作られた町村名の命名って結構エエ加減で、歴史的な意味がないものも多いです。
     なお郡名の表示が判り難いので近々直す予定です、明治22年の市町村制から数年後に郡が大幅に統合されているのです、その時にできたのが磯城郡や南北葛城郡です。
    和歌山では東西牟婁郡の境界が変化しているのが面白いですよ、しかし串本町が最近東牟婁郡になったなんて誰も気にしていませんよね。

  3. わっ、枚方市があった。


    道路元標が全部残っているとすれば、枚方市内に10個あるってことですね。
    「蹉■村」の■には、?の文字が入ります。
    蹉?と書いてサダと読みます。

  4. 昭和3年のできた「畝傍町道路元標」が存在する例がありますから、津田町や殿山町が存在する可能性もあります。
     「蹉?」は河内国茨田郡の中振村、出口村、走谷村が明治22年に一緒になったもので、「蹉?」の名は小学校や農協支所に残っている様ですね。

  5. ほうほう、これは面白い。
    我が町内にも、旧地名の碑?みたいなものが立ってます。
    今は普通の街になってますが、昔は小さな村々に分かれていたのですな。

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