道路元標探索サイク(続き)

京都府に入り相楽郡の’高山村道路元標’を探索しますが発見できず、月ヶ瀬口駅へ下り三重県へ向かいます。
← 明治19年に三重県が建てた’是より伊賀国’と書かれた県界標、明治19年は旧国郡が府県制へと変わって行く時代ですからまだまだ’県’や’旧国名’もごっちゃの様です。 この道は木津川北岸、サイクリストには悪名高い現在のR163と旧大和街道の間にJR関西本線とともに平行して走っていて、さしずめR163の旧道と云う処でしょうか。 なお旧大和街道には柳生藩と藤堂藩の境を示す2本の標柱が建っているそうです。


京都府南端を通って三重県へ’島ヶ原村道路元標’を探索しますが不発、せっかくだからと伊賀上野との境をなす大和街道の与右衛門坂から長坂へと、狭義の与右衛門坂は集落の中の激坂舗装路になっていますが、上野側の長田村三本松へ下る’長坂’を含めて与右衛門坂と呼ぶようです、途中には芭蕉の尻もち坂なんてのもあります。 標高も高い訳でもなく、先の’集落の中の激坂舗装路’をのぞけば斜度もしれていて云うところの’のれのれ’なんですが、先日の雨のせいか一部ぬかるんでいる処もあってKHSで突っ込んだのは失敗でした。


ドロドロになって旧長田村域に下り、’長田村道路元標’を探索しますが、またもや不発。 意気消沈して’鍵屋の辻’の木陰で休憩しながら、’わかや’か’伊賀路’でも行って飯でも食って今日はお開きにするかと思いながらも、気を取り直して伊賀神戸駅か青山町駅まで南下する事にしました。


‘猪田村’、’神戸村’と不発、でも未知の’道路元標’がそうやすやすと見つかる訳はありません。
 資料によると阿保橋南詰、近鉄大阪線やR166と旧街道との間、木津川に架かる阿保橋そのものは今も健在なのですが…
 ありました阿保村道路元標、それは非常に興味深いものでした。 三重県には大正道路法施行時に300以上の町村があった訳ですが、道路元標の現存が確認できたのはこれでやっと13基目、名賀郡でははじめてです。


走行92.2キロ、今月はもうすぐ600キロ。
本日の収穫
【286】 奈良県 添上郡 月瀬村 (現 奈良市)
【287】 三重県 名賀郡 阿保町 (現 伊賀市)

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