今日の目的は’月瀬村道路元標’、一昨年奈良市と合併されるまでの月ケ瀬村役場の前に現存している情報がありますので楽勝です。
まずは初瀬ダムから大和高原へ登ります。
都祁から<127>北野吐山線を北上します、平行して立派な広域農道が走っているので、こちらは通り抜ける車もなく、特に下深川から北は渓谷沿いで涼しく、自転車にとっては快適この上ないルートです。
<80>奈良名張線に入り大塩から<214>月瀬三ヶ谷線を下るつもりでしたが、ひとつ手前の桃香野へ下る黒線道に入ってみました。
激坂度はエエ勝負ですが雰囲気はやはり<214>月瀬三ヶ谷線の方が良いかなと思っていると眼下に月ヶ瀬渓谷が…
Mさんのブログでも話題になっていましたが、この季節の花と云えば何と云っても…ですね、これくらい真っ赤なのも新鮮です。
‘月瀬村道路元標’は情報通りの場所に鎮座していました。
‘月ヶ瀬(つきがせ)村’では無く’月瀬(つきせ)村’で、公式には昭和42年に現在の月ヶ瀬村に改称されましたが、JR関西線の駅は昔から’月ヶ瀬口’ですね。
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阿保(あお)は初瀬街道(阿保越伊勢街道)の宿場町として知られ、大正9年に町制、昭和30年に種生、矢持、上津と合併し青山町となった。 平成16年に上野市他と合併し伊賀市となり、名賀郡は消滅した。 道路元標は大正9年4月1日三重県告示第151号によると阿保橋南詰とあり、現在も阿保橋南詰に建っているが、現存していると云う情報は少なくともネット上には今までなかった。
興味深いのは正面に’道路元標’ではなく「阿保町元標」とあり書体も道路元標としてはユニークである、隣町だった阿山郡上野町の書体と同じで、同様に向かって左側面に「三重県名賀郡阿保町」、右側面に「三重県」と彫られている。 だだ塔頂の形状が省令に沿った形でどちらかと云うと度会郡の小俣町や四郷村に近い。
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古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。