実は先週火曜から風邪気味でダウンしていました。
いつもならひき始めに市販薬を飲んで1日大人しくしていると治るのですが一向に良くなりません、土曜に覚悟を決めてお医者さんへ行ってきたのですが、インフルエンザの検査ではかすかに陽性反応が、まあ軽症なのか治りかけなのか、土日と大人しくして、月曜日いつもは自転車で走って行く京都行きは電車にして養生していました。
そろそろ良くなってきたので今日もちょっと走りに、と云ってもまだまだ本調子じゃないので、大和川河畔の平坦路を汗をかかない様にのんびり行きます。
馬場尻橋~太子橋~御幸橋と走り富雄川河畔へ入り法隆寺近くまで走って折り返します。
御幸橋まで戻ってきていつもなら飛鳥葛城自転車道から大和中央自転車道を走って帰るのですが、今日はライフワークの道路元標の生存確認をしながら走ろうと、
河合村道路元標から
三宅村道路元標と走って行きます。
三宅村道路元標から次の
都村道路元標へ繋がる道は太子道(筋違道)と云って、奈良盆地を南北に走る古代の官道、上ッ道、中ッ道、下ッ道とは異なり、法隆寺から藤原京への最短コースとして斜めに走っています、これが筋違道の名前のゆわれなのです。
この旧街道に沿って街が発達した訳ですから、近代の道路元標もこの街道に沿って建っている訳です。
「ならクル」でもC-21として設定されていますが、太子道は完全な形では残ってなく、ルートが判りにくい上に大和中央自転車道が平行しているので利用者は少ない様ですね。
太子道から田原本の古い街並みに入ります。
古い商家が狭い道を挟んで並んでいます。
現在の田原本町域に残る3基の道路元標(都村、
田原本町、
多村)は喜ばしい事に他の道標等とともに再建されたりして案内板が設置され保存されています。
田原本からは下ッ道(中街道)に入り南下し橿原市へ、八木札の辻では旧旅籠が交流館として展示公開されています。
ここから東西に走る旧街道である横大路へ入り桜井への帰途に就きました。
本日の走行47.8キロ、のんびりと旧街道巡りの午後を過ごしました。
このなんとも奇妙な形をしたものが「フィンガー・カバー」なんです。 実はネットのお知り合いのきんちゃんさんが試験的に作られたもので、お願いして分けて頂きました。 「フィンガー・カバー」の名前から想像が付くかと思いますが、「シューズ・カバー」の手指版なのです。
寒い冬の朝夕やダウンヒルでは、ブレーキレバーを握る4本の指にはもろに冷たい風が当たって、感覚がなくなるまで冷たくなるのは非常に辛いものであります。 最近ではヒーター付きのグローブも出ているそうですが、毎朝夕に淀川べりを通勤ライドで走っているNちゃんのフラットバーロードにはご覧のフードが、しかしドロップハンドルには使えません。
ご覧の通り「フィンガー・カバー」はグローブの上から被せて使います、マジックテープをくるっと手首に巻きつけて止めるシンプルな方法ですから、片手をはめた後から残りの手にはめるのも簡単です。 使用前に気掛りだったのは私の様にセフティレバーやエイドレバーの類を使って上ハンを握り、フロントバッグとの隙間が狭い、そしてシフトはダブル・レバーと云う人も使えるのだろうかと云う事でした。
結果的にはマジックテープが多少邪魔になるシーンがありましたが、問題なく使用できます。 そしてなによりも実際に使用して暖かい、指の隙間に冷気が入らないだけでこれだけ違うのかと云う感覚です。 日中の暖かい時間ならグローブの中で汗ばむ位の保温性がありますから、必要がなければ外してコンパクトにしまっておけます。
まだ試作品の段階ですが、寸法的にちょっと大きいかなと云う感じ、手の甲側はもう少し長さがあった方が良いのでは、それとあとデザイン的にもうすこしお洒落になってくれないかな、と云ったところでしょうか。 まだまだ寒さの続く季節、少しは快適に自転車を愉しむ事ができそうです。
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古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。