「輪行」タグアーカイブ

週末の天気が...

今週末、14日(日)は走りに行く企画がバッテイングしていて、どちらに参加してみたものかと悩んでいたのだが、和歌山県かつらぎ町での「串柿」は昨年も行ったし、自走するにもロードのディレーラーの修理がまだ、「京都北山」はM氏が新祝園(京都府南部)まで来れば載せてあげると「悪魔の誘い」、それでも帰りの事を考えると自走はチト辛い、休日の近鉄京都線は結構混むので輪行も煩わしい。 そこに奈良市内のF氏が参加と云う事で「渡りに船」とはこの事、奈良まで片道20キロ位の自走は楽勝、という事で去年大変な目に遭ったのにも懲りず「京都北山」に参加すると云う事に...
 と云うものの週末の天気は非常に微妙に怪しい、ほぼ’雨天決行’を厭わない面子、「毒食えば皿まで」どうせ濡れるのならドロドロになるのもさして変わらないと... さて事の顛末はどうなるやら。

風邪かな...

輪行袋もたまには洗ってやらないと、洗濯。
 デジカメDIMAGE7iの調子が最近おかしいような、屋外動体で合焦後のシャッターがなかなか切れない事がある。 現象的に期待はできないが、ためしにとファームウェアのバージョンアップ(Ver1.00→1.11)。
 喉の調子がおかしいのと少し熱がある様、季節も考えずに昨夜風呂上がりにゴソゴソしていたせいかな。 明日持っていくプログラムの機能追加、こんな時はくだらないルーチンのミスで堂々巡りして捗らなかったが、どうやら後はコンパイルしてインストーラー作ってドキュメントの修正を残すだけだから、タバコを控えてトローチでも舐めて、風邪薬飲んでさっと寝ることにしよっと。

東吉野サイク

今日は東吉野村を走るサイクリングへとL氏とU氏とロードで機嫌良く芋ヶ峠へ向う途中、明日香村栢森で突然異音がしてリアディレラーのパンタグラフとプーリーケージの間で破断し走行不能。
 行きつけの自転車屋にも部品の在庫はなく自宅までアウターローで転がして帰り、クロスバイクを榛原まで輪行して佐倉峠を越え東吉野村への道をブッ飛ばします。


↑写真では何かどうなったか判らないですが。


東吉野村の「みのや食堂」で10分程遅れて無事合流、玉子丼と具だくさん豚汁を食べましたが、焼き松茸(\6,200)って誰が食べるんだろ...


今年の紅葉は駄目ですね、台風で痛めつけられたのか色付くより葉を落としている木々が...


奈良県道<15>吉野室生寺針線、東吉野村と室生村の境界となる染谷峠へと気持ちの良い道を走ります。
 とんだアクシデントがありましたが、無事後半のコースを皆さんとご一緒してきました。
 走行コース (黄線は追撃コース)
今日の走行距離 ロード25.1キロ、クロス55.1キロ 計80.2キロ


少しだけ走ってきました。

都祁村から藺生(いう)峠を経て鳥見山南西の山腹を走る「白木街道」、小さな集落を縫うように小刻みにアップダウンが繰り返される道筋、由緒はよく判らないが奈良から宇陀への最短コースとして用いられたのだろう。 地元の車しか通ることのない鄙びた道が続く。 残念なのは都祁村側で産廃処分場の中を通る事、これは興醒めである。


「白木街道」沿い萱森集落あたり、風が強いのかそれとも就農者が高齢化してちゃんとした’おだ掛け’ができないのだろうか。


久しぶりに鳥見山公園(597m)まで登った、展望台からは榛原の街並みが一望できる。 白木街道の分岐からの激坂、さすがに押してしまった。


鳥見山から榛原に下り、室生ダム湖畔を走り大野へ、前から気になっていた室生村大野の葛きり「やまが」に立ち寄る。


至って甘党の私はぜんざい(\850)を。 結構休日は賑わっている店なのだが、今日はおじさんが一人でやっていて、お味の方は値段に決して見合うものではなかった、葛きり(\1,200)が看板の店だがら葛きりを食べるべきだったのか... 今度は葛きりを食べてみようかと、しかし高い。

 雲行きが怪しくなってきたので室生口大野駅からそそくさと輪行で帰途に就いたのだが、西峠を越えると陽射しが、読み間違えたかな。 走行48.2キロ。



本日の走行62.5キロ

宮滝万葉の道から吉野山へ登る「お気楽ポタラーズ」他の一行と芋ヶ峠を越え宮滝までお見送りし、その後吉野川左岸を椿橋まで下り大淀古道から壺阪峠を越え帰ってきました。 一行は吉野山に上がって食事と温泉の予定ですが、帰宅後土砂降りの雨が続いてますが、大丈夫かな... 輪行組はともかく帰りも自走のつもりの人は?
 矢の川峠はクロスに前後キャリアサイドなしでガードなしで行こうと、今日はその組み合わせで走りましたがロードと違ってやはり重いわ、尾鷲まで自走できるかなぁ... 1年近く使い続けているロールスのサドルがいまだにしっくりこないし... タイヤを写真のミシュランシクロクロススピリット700×30Cのままで行くか、24日の尾鷲回航だけTservを履いて走り宿でタイヤ交換しようかなぁ。


矢の川峠への想い

矢の川(やのこ)峠は三重県尾鷲市と熊野市の境をなす海抜807mの峠で、現在の国道42号線の矢の川トンネルのほぼ真上に位置していて、矢の川トンネルと大又トンネル開通までは国道として、また昭和34年7月15日の国鉄紀勢本線全通までは国鉄バスの通うルートであった。
 紀伊半島の殆どの道(さすがに市街地は除いて)と峠を自転車で走ってきた私にも「矢の川峠」だけは長年の懸案であった。 奈良に住んでいるとは云え尾鷲と云うアプローチの遠さと、かつての国道とは云え熊野市側で橋が落ち廃道化してしまっている情報に躊躇せざる得なかった。 近年入手した尾鷲市の有志の方々の編纂による写真随筆集「思い出の尾鷲」に掲載された1枚の写真に、いつかは「矢の川峠」へとの想いだけはつのっていた。 世界遺産登録で脚光を浴びている熊野だが、尾鷲から熊野市にかけて海寄りの幾つかの峠を越えている熊野古道より、私にとってはこの近代の峠道の方が興味深い。
 ところが自転車ツーリング仲間の情報では、旧道となった後も何組が峠を越えていると云う話もあり、最近時々ご一緒する機会のある三重県在のakuta氏も1971年に越えているとの事であった。 話の折に「ぜひ矢の川峠に行きましょう、できれば峠でキャンプを…」、この物好き極まりないプランが急遽実現する運びとなった、それも来週9月24?25日である。 水の補給もできるかどうか判らない峠でのキャンプ、熊野市側へ越えるとすれば担ぎも考慮しなければならない、しかしまるで私のために用意してくれた様なこのプラン、この機会を逃すと二度とは巡って来ないだろう話を断る訳には行かない。


←昭和30年当時、国鉄バスの停まる矢の川峠、当時は茶屋もあり尾鷲湾から熊野灘を望む展望に10分程停車したそうである。 写真は平成9年に「思い出の尾鷲」出版委員会により出版された写真随想集「思い出の尾鷲」から転載、、尾鷲市役所へ問い合わせれば現在でも入手可能かも知れない。 かつて陸の孤島とよばれた尾鷲の戦前戦後を知る興味深い資料である。


峠の北側にはNHKのテレビ中継施設があるために尾鷲側の道路状態は左程の事はないだろうが、熊野市側に至ってはかなりの難路となる事は見えている、とにかく最小限のキャンプ装備と担げる様な支度で出掛けなければならない。 まして往復輪行はあまりに勿体ないので往路は前日に桜井から尾鷲まで自走し尾鷲泊を企んでいる。


しかし峠は現在も広場状にはなっているそうであるが、果たして展望はあるのだろうか。 植林され展望は効かなくなってしまっているかも知れないが、先の写真の撮影方向も気になってカシミールでシュミレーションしてみた。 矢の川峠からほぼ北北東に28mmの画角で描画しているが、確かに写真と合致し尾鷲湾から須賀利の日和山、その向こうに志摩半島へと続く熊野灘に面した海岸線が望めるし、八鬼山の向こうにも熊野灘が-ほぼ真南側まで望める様である。
 こうなってくると色々と欲が出てくる、富士山はもとより折角の峠のキャンプであるから日の出や熊野灘に映える月明かりなど拝めないかと… 調べてみると24日15時33分に月の出方位128゜、正中が20時34分で高度が32゜、月の入は25日1時40分方位243゜、月齢は10.5だから満月とは云えないが真っ暗な山中では結構明るいはずである。 ちなみに日の出は25日5時40分である。 なお月の出等データは「こよみのページ」によった。
 後は天気になる事を望むだけである。


今月初めて走ってきました。

走行112.6キロ、100キロ越えは7月25日以来だから久しぶりに走った云う感じ、しかし最初の初瀬ダムまで登りは30分少々と快調だったが、?都祁村?室生村上笠間?地蔵峠?三本松駅?赤目と走るが調子が出ない処か、曽爾村へ向かう頃には椿井峠への登りではヘロヘロ、どうにか曽爾村掛から御杖村と走り名張川沿いに下り、桔梗ヶ丘駅から輪行で帰途に就いた。 7?8月の不摂生が祟っている様です。
 途中で石を踏んでパンク、サイドも少し切れてしまい裏からゴム板を充てて補修。
↑県道上笠間三本松停車場線の地蔵峠を下った辺りから見下ろす。


気の効かないバックたち(其の壱)

あまりコメントの付かないうちのブログ、ツーリストにはバッグネタは受ける!?
10年以上になるだろうか相当に長い事使っている、今でははっきりしないがオーストリッチ製品の様だ。 T型の樹脂製ブラケットでサドルレールに、?型の樹脂製ブラケットとゴムバンドでピラーに取りつける様になっている。 ゴムバンドは買って間もないうちにちぎれてビニールテープで補修しているが、いまだにもっている。  左右外側にメッシュのボケットが付いているが、危なっかしくてモノは入れられない、まして口が後ろ向きである。 リフレクタ用のブラケットが付いている、当時は適応するリフレクタがあったのだろうが現在は知らない、キャットアイのベルト用ブラケットを押し込んで使えなくはないが、走っているうちに緩んでくる事があるので注意。
 スペアチューブ2本と携帯工具類程度なら充分実用になる。


ファスナーで収納力は増すが、ここまで開くとだらしないと云うか車種によってタイヤに干渉してしまう人もいるかも。

※オーストリッチ 知らない人なら誤解するだろうこの名前、自転車用バッグや輪行袋等を数多く製造販売しているアズマ産業のブランド名