「奈良県」カテゴリーアーカイブ

今年最後の東吉野サイク

 恒例の今年最後の東吉野サイク、いつもお世話になっている東吉野村の「麦笑」「よしの庵」「月うさぎ」と宇陀の「おごぽご」にカレンダーを届けるのがミッションなのです。ちなみに昨年は12/10、一昨年は12/5でした。
 ところで東吉野サイクの定番ルートの芋ヶ峠ですが、台風の被害で10月22日から通行止となっています。状況が判らないので吉野口経由を考えていたのですが、昨夜榛原のS氏から11/26に走った人がいて二輪なら通行可能と云う情報が入ってきたので、とにかく芋ヶ峠へ向う事に。
 明日香村側では土砂が流れ込んでいたと思われる部分は撤去が済んだ様で、峠までは全く問題はありませんでしたが、吉野町側、明日香村栢森から4キロ余りの地点で路肩が崩落して四輪の通行は不可能です。工事が始まると自転車も通して貰えない様な状態ですね。
 しかし標高500m超の峠前後は雪が舞って、吉野側は霙交じりで寒かった事、些かウェアとシューズの選択を間違えてきた事、後悔しきりです。路面も最後までウェットでしたし、ゴアテックスのMTB用シューズを履いてきても良い状況でしたね。

 河原屋のローソンで温かいコーヒーで一息入れて東吉野へ急ぎます、対岸の県道を宮滝まで走り川沿いのR370を走って「オオカミ像」までプッ飛ばして50分、お陰で暖まってきました。
 「麦笑」ではカンパーニュ他を買って帰ります。
 「よしの庵」では変わりご飯とのセットを温かいお蕎麦でお願いして、今年の食べ納めですので追加で盛り一枚を頼んで満足、来週で今年の営業を終え来年3月までお休みとなるそうです。
 いつもの高見山を見上げるポイント、案の定高見山は雲の中です、昨年は青空に冠雪の高見山を見る事ができたのですが。
 標高600m超の谷尻(たんじり)まで来ると路肩に雪が残っています。「月うさぎ」も今解けたばかりとの事、番頭さんと来年のキャンプの日程をお話しして一谷峠へ。
 宇陀は寒いと云っても一谷峠を下ってくると、多少暖かい様な気もしないでもありません、芳野川沿いを走り小さな峠を越えて「おごぽご」へ、ぜんざいで温まります。女寄峠を下って「4’season」まで往復して本日の走行94.4キロ、外食以外に饅頭2個とチョコレートを補給していますから消費カロリーより摂取カロリーの方が大きかったかな。今年の走行距離累計9,764.1キロ、後236キロどうにか今年も10,000キロには届きそうです。

 

第15回あすか鍋サイク(後編)

天理市三島町

  萱生町の休憩所で皆さん思い思いの昼食の後、集合写真を撮って、再びスタートです。

 夜都伎神社の紅葉にはさすがに遅かった様です。
 石上神社へは小さな峠越えになります。山之辺の道の標識に従って行くと激坂を推す事になりますので少し迂回しますが、それでもそれなりの坂、下りは内山永久寺跡に向ってダートです。
 石上神社に到着、ここの人気者は十数匹はいるのでしょうかニワトリ達、ちょっと珍しい種類も間近で見る事ができます、 別に春日大社の鹿とか、大神神社の蛇とか所縁のあるものではないらしいのですが。さて山之辺の道はこの先も奈良まで続くのですが、今日はここまでと云うか、あまり見るべきものもないと云うか、天理市街へ入ります。
 天理教本部と天理大学の間には見事な銀杏並木があるので、ここでちょっとやらせ写真を撮ろう云う事に、南側の並木が葉を落とし始めているのが、ちょっと残念ですが。
 最初の写真は上の2枚の写真、車の写っていないものとを合成したものです。
 上ッ道を櫟本(いちのもと)まで北上し左折、ここでドタ参のM氏とはお別れ、真っ直ぐ奈良へ向かわれます。私たちは北の横大路と呼ばれる東西の道へ入ります、業平道とも呼ばれるのですが、大和川の支流高瀬川に沿ったこの区間では県道192号福住横田線となっていて、福住より東はR25旧道、横田より西もR25となり法隆寺から王寺へと繋がっています。 かつて中ッ道があっただろうルートに沿って南へ。萱生の休憩所からご一緒してくれた地元天理のK氏とは前栽でお別れ。
 迎撃に中ッ道を北上してきているT御大と合流できるタイミングかと天理市井戸堂の、山辺御縣神社へ。とにかく停まると自転車談義が始まりますのである意味世話が要りませんが、この神社は中ッ道を語る上で重要なポイントなのですよ。さてT御大はこの先の馬田池公園付近で待っているとの事です。
 PHOTO:T御大

  田原本町蔵堂で大和川を渡り、この先は中ッ道を辿り憎くなりますので、少々迂回する事に。時間調整も兼ねて最後の休憩を。T御大の新車?を囲んで自転車談義、ラーレーとは云え元国体チャンプの乗る自転車ちゃいまっせ。
 この後「あすか鍋」に加わらないdendenさんと乾さんとお別れ、とにかく出入りの多いサイクですわ。朝越えて来た天香久山、こんどは西側の山麓を越えます。落日にはちょっと遅かったのですが、畝傍山の黄昏を。

 予定通り暗くなった頃に「めんどや」に戻ってきました。

  はやま夫妻、つっちーさんご一家の到着を待って「あすか鍋」の始まりです。
 実は翌3日は齢64の私の誕生日なのですが、ある方からちょっとしたサプライズが、恥ずかしいやら照れるやら、でも気に掛けて頂き有難うございます。 「あすか鍋」次は2019年12月、もう平成じゃないのですね。

 例に拠って集合写真を含む当日の写真をうちのHPのアルバムにアップしています、[BYCICLE]→[ツーリングの記録]→[2017]と辿って下さい。1920×1280の大きなサイズもダウンロード可能です、参加者の方には再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、ログインは’2017’、パスワードは2017年の「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下黄色枠内の4桁の数字です。

 

第15回あすか鍋サイク(前編)

桜井市穴師 山之辺の道にて

 15回目を迎えた「あすか鍋サイク」、最近は隔年開催にしていますので20年の歴史が、今回は遠来の方の事も考えて初めて土曜日開催にしたのですが、意外と振るわず事前にサイク参加を表明していたのが8名(内初参加4名)でした。今回はお馴染みの芋ヶ峠~吉野川河畔~壷阪峠の周回コースが先月の台風禍で使えず、ハイカーの多い山之辺の道をコースに入れているので、あまり大人数でも大変だったのですが。

 さて当日、昨日は結構風がきつかったのですが、風もおさまり最高のお天気、集合場所の明日香村岡「めんどや」駐車場には案の定大ちゃんを筆頭に常連3名がドタ参、なんとdendenさんは富田林から自走とかで、総勢11名に。メインはマッドガード付きですが小径車3台にロード1台が加わる構成、残念なのは最近には珍しく女性がいない事、おっとややこしいのが若干1名。
 予定通り10時には「めんどや」駐車場を出発、特に案内も解説もないのですが、板蓋宮跡、入鹿の首塚、水落遺跡、大官大寺跡と車の入って来ない小径を継いで北へ、明日香村を後にします。今回は非常にややこしいコース設定ですので、引率が精一杯でなかなか写真を撮る事ができません、バックショット連発。
  本日のコースは基本的に平坦なのですが、まずはウォーミングアップに天香久山東麓の「万葉の森」を越えて貰います。
 R165を跨いで横大路へ、いわゆる竹内街道、伊勢街道(初瀬街道)に繋がる東西の道です。

 天理までのコース前半にはコンビニがないので桜井市街のスーパーに買出しに立ち寄ります。
 山之辺の道へは桜井側からですと金屋の石仏、三輪神社を経由して行くのですが、三輪神社から山越えのシングルトラックとなるので、上街道(上ッ道)を卑弥呼所縁の箸墓古墳近くまで北上し桧原神社まで迂回する事にします。
  桧原神社への参道は本日最大の激坂、頑張る人もさっさと押す人も、桧原神社からは鳥居越しに二上山を望む事ができます。
 山之辺の道の中でも景行天皇陵の手前、三輪山を望む辺りが一番長閑な風景が拡がります。好天の休日ですが思った程にはハイカーの姿は多くない様です。特に自転車の通行を禁止している訳でもなく、地元の人の生活道路でもある訳ですが、行楽シーズンともなるとハイカーが長蛇の列となる事もあります、しかしこの道でウォーキングイベントも些か迷惑な話です。
 崇神天皇陵付近、シングルトラックが続きます、歩行者の為に石畳が整備されていて少々走りにくくなりました。
 長岳寺ではたかやんさんとすれ違ったり、自転車は引退したと云っているSORAさんが自転車で待ち伏せしていたり、ここから12名に。
 中山町では乗車困難な区間が少しあります。

 予定では内山永久寺跡の休憩所でお昼にする予定でしたが、萱生町の休憩所が空いていたのでここでお昼にする事に。
(つづく)
※ 一部の写真をsetoさんからお借りしました。

 

山之辺の道と中ッ道「あすか鍋」下見サイク

 週末の「あすか鍋サイク」の下見には先週21日にも行ったのですが、部分部分では良く知った道ですが、明日香村基点で山之辺の道を天理まで北上して中ッ道に沿って戻ってくるなんて周回コースは通して走った事がないので、実際のところ所要時間の積み上げがなかなか読めません、今日は穏かな天気の一日だとの事ですので、再び下見に通して走る事にしました。
 ところで集合場所の明日香村「めんどや」駐車場ですが、奥山の三叉路から石舞台に抜けるバイパス路(県道15号桜井明日香吉野線)側から入る事ができます、車の場合は道が広いこちら側からの方が早いかと。岡寺の駐車場前から少し石舞台側に下ると「めんどや」の看板がでています。しかし「この下20m」って、200mの間違いなのか標高差の事なのか。
 駐車場はお店の3階部分の裏になります(写真左)、サイクのみの方も遠慮なく使って頂いて良いかと。なお下から来た場合は右の坂道を登る事になります。
 時間を合わせて「めんどや」前を10時に出発。板蓋宮跡、入鹿の首塚、水落遺跡を経て北へ向い、明日香村を後にします。正面に見えているのは大和三山の一つ天香久山、三山の中で一番目立ちませんが、今回の中ッ道は天香久山がキーワードになります、しかし最高のお天気ですね。
 まずはウォーミングアップがてらに少し登って貰い、天香久山の東側の万葉の森を抜けて行きます。
 R165を跨いで横大路(初瀬街道)へ入り東へ、桜井へ向います。

 

 今回のコース、前半にはコンビニの類はありませんので、桜井でスーパーに立ち寄る事もできます。

 11時過ぎには桜井町道路元標の建つ辻を左折、上街道(上ッ道) へ入ります。かつて賑わった桜井の中心市街はすっかり寂れてシャッター商店街になってしまっています。
 山之辺の道の一般的なルートは金屋の石仏から三輪神社を経て北上するのですが、三輪神社界隈が混雑するのと、桧原神社にかけては山越えのシングルトラックとなるので、上ッ道を卑弥呼所縁とされる箸墓古墳近くまで北上し、桧原神社まで迂回する事にします。
 今回のコースで一番の激坂になる桧原神社の参道をこなして境内へ、鳥居越しに二上山を望む事ができます。この辺りで11時45分前後になるかと。
 車が余裕で走れるだけの復員のあるダートを走り、折り返すように県道50号大和高田桜井線を下ります。山之辺の道を辿っていつも思うのですが。山裾を縫うように曲がりくねった道、古くからの集落を継いでいるには違いないのですが、三輪神社から石上神社までアップダウンを繰り返しながら約10キロ、約1キロ西を南北に真っ直ぐ貫く上ッ道なら平坦で楽だと思うのですがね、日本最古の道と云われる山之辺の道って、本当に今紹介されているコースで南北を結ぶ道として機能していたのでしょうかね。
 天理市域に入り景行天皇陵から崇神天皇陵と長閑な道が続きます。
 萱生町と竹之内町の間にある休憩所、この季節陽射しが暖かくて時間的にお昼にするには丁度良いのですが、誰しも考える事は同じで、休日だと結構ハイカーで混んでいます。


 13時前には夜都岐神社に到着、紅葉が見頃でした。山之辺の道これより北はハイカーも多少は少なくなるかと、石上神社に向って山越えになります。
 峠を下ると内山永久寺跡、恐らく今回はここでお昼に、テーブルとベンチが二組あってここなら遠慮なく全員が店を拡げられるかと、水道やトイレの設備はありません。逆算するとここでのタイムリミットは14時位。なお例年の様に火器は持って行きますが、サイドバックは邪魔になる様なルートですので、振る舞いぜんざいなんてのはありませんよ。
 14時過ぎには石上神社に到着。春日大社の鹿、三輪神社の蛇とか謂れのあるものではなさそうなのですが、何匹もの鶏が放し飼いにされています。今夜の「あすか鍋」の具に一羽連れて帰ります、嘘。

 天理市街へ、天理教本部と天理大の間の銀杏並木は見事です。時間の余裕があればここでヤラセ写真を撮るのも良いかも。
 

 上ッ道は天理教本部界隈で分断されている様な形になりますが、近世の上街道は西寄りのルートを辿っていたのではないかと想像しています、そのルートと合流して北へ、櫟本で北の横大路と呼ばれる東西の古道と交差します、業平道とも呼ばれるのですが、ここを右折し西へ。
 北の横大路は大和川の支流高瀬川に沿ったこの区間では県道192号福住横田線となっていますが、福住より東はR25旧道、横田より西もR25となり法隆寺から王寺へと繋がっています。

 

 県道51号天理環状線との交差点を左折し南へ、これがかつての中ッ道(橘街道)をなぞったルートになります。
 天理市喜殿町では中ッ道の遺構が発掘されていますが、現在では断片的にここに南北を結ぶ道があった事を示すものが残るだけです。
 井戸堂の山辺御縣神社は中ッ道を考える上で重要なポイントです、万葉集や行幸の史実から裏付けられます。
 田園風景の中を真っ直ぐ進む中ッ道は上ッ道や下ッ道とは少し趣が異なるのですが、この様な風景も、ただ全盛期の中ッ道は両側に側溝を持つ幅員18~28mの道だったとか。
 この付近では南東から北西に向って流れる大和川ですが、田原本町蔵堂(くらんど)で中ッ道は川縁に突き当たります、ただ大和川と斜めに交差してそのまま対岸へと道が続いているのが見て取れます。時間は15時半そろそろ陽が傾き始めます、
 蔵堂の集落を抜けて村屋神社から先は自転車ですら道を辿る事は難しくなります。ただ中ッ道の南北のラインは桜井市と田原本町や橿原市との境界として生きています。ところでこの区間でなぜ中ッ道ルートが失われたか、私の勝手な憶測ですが、大和川と寺川に挟まれたこの区域が度々水害に見舞われ、上ッ道や下ツ道と比べて里道としての必要性が少なく維持できなかったのではと思うのです。この先は耳成駅近くまでは残り時間を踏まえながら迂回ルートを選ぶ事に。ところで中ッ道を南にとると天香久山が真正面に見えるはずなのですが、現在では遮られていたものが中和幹線近くまで来てようやくその事に納得が行きます。
 三輪神社の摂社のある中ッ道と横大路との交点、この位置が藤原京の北東端とされています。
 16時半、ようやく中ッ道の南端へ、もちろん正面は天香久山、右側は藤原宮跡です。中ッ道が別名橘街道を呼ばれる様に中ッ道は天香久山の西麓を迂回し橘寺へと繋がっています。そして芋ヶ峠を経て吉野へ。

 天香久山から望む畝傍山の夕景。

 

久しぶりに鳥見山へ

 今日は行き当たりばったりで走り出し鳥見山公園へ登ってきました。鳥見山公園は桜井市と宇陀市の間にある標高734mの鳥見山の中腹にある公園です。実は桜井市外山(とび)にも同名の鳥見山がありますが、こちらは標高わずか245m、いずれも神武天皇所縁とか共通する伝承があるので、どこかでごっちゃになっているのかも知れません。
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RRCB 大和高原早朝ラン

 RRCB(Restoring and Riding Classic Bicycles)の夏の恒例行事「大和高原早朝ラン」に参加してきました。と云っても仕事の都合で針テラス(名阪国道針I.C.)7時の集合にはとても間に合わないのですが、先々週の「ヴィンテージレーサー観賞会」、先週の「奥千丈林道」とRRCBの行事に参加できなかったので、頑張ってコースを逆回りして迎撃、合流する事にしました。ところで「大和高原早朝ラン」いつごろから始まったのでしょうね、真夏の一日朝の涼しいうちに標高のある大和高原の50キロ余りのコースを駆け抜けよう云うものです。昨年は不参加でしたが最近では一昨年に参加させて貰っています。
 自宅の桜井市ではなく橿原市内の出先を出発したのが0840、初瀬街道(横大路)を東へ走り長谷寺から<38>桜井都祁線へ、一番の難関が初瀬ダムです。一行は針テラスをスタート、山田から田原と須川ダムの下流、京都府との県境近くまで北上した後、柳生経由で布目ダムまで戻って来るのですが、既に柳生だとか、これはちょっと早すぎ、エイドポイントになっている布目ダムでの冷たいスイカにはありつけそうにありません。
 10時半頃には針を通過し小倉から<127>北野吐山線へ、一行はとっくに布目ダムに到着して冷たいスイカを頬張っている様です。このままダムに向かっても途中でトンボ返りになりそうなので、コース上で一番嫌な坂である<80>奈良名張線と合流する北野口で待ち構える事にしました。ところでここからは日本の原風景とも云える素晴らしい山村風景を見下ろす事ができます。
 計算通り一行が坂を上がってきました、先頭は明日香村のチネリ怪人vivvaさんです。参加者はドタもあって私を含めると16名との事です、プログレスの三島さんの姿も。(写真右:kiyaさん)
 北野口から<127>北野吐山線を折り返します。起点の北野から下深川まで未改良区間が続きます、渓流沿いの木陰が続き真夏でも快適、<25>月瀬針線と広域農道に挟まれて通う車も殆んどありません。


 針テラスには丁度お昼前に戻ってきて「王将」へ直行です。「王将」の前にサンジェ、チネリ、デローザ、ロッシンetc.の名車が並びます。

 今日は16時から有志が再来週の鈴鹿でのチームTTの練習との事で、昼食後はそれまでの間に山辺高校の近くにある「ミモザガーデン」にスイーツに行く事になりました。並松(なんまつ)池を見下ろすデッキのある素敵なカフェです、私は「なつみかんのかきごおり」を頂きました。(写真左:ショコラさん)
 午後2時に「ミモザガーデン」を後にし集合場所の針テラスへ戻りますが、自走の私はここでお別れし帰途に就かさせて頂きましたが、来年はフル参加で。本日の走行59.8キロ。

 

 当日の写真をうちのHPの「ツーリングの記録」にアップしています。[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2017]とたどって下さい。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログインは’2017’、パスワードは「CanCan謹製卓上カレンダー 2017年版」奥付右下の数字です。以前のログイン、パスワードも現時点では使用できます。私の撮影分に関しては参加者の方は再利用して頂いて結構です。

 ショコラさんのレポートはこちら

 

ヘキサ・コレクション(奈良県)

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 まぁ道路元標に限らず昔から妙なモンを集める悪癖がありまして、ヘキサ即ち県道路線番号案内標識。暫くほってあったのですが、最近思い出した様に幾つか拾ってきましたんで、整理してみた訳です。黒い部分は欠番、グレーの部分は未収分ですが、県道であっても必ず建っていると云う訳でもなく、<12>堺大和高田線などは奈良県側は全線国道165号線と重複しているために、県道番号案内標識なんぞは建てるに建てられない訳でして、しかし経路の途中が国道と重複しているならともかくとして、起点寄り終点寄りに重複区間があるなら外してしまえばと思うのですがね。
 

20161022b.png 奈良県では100番までの地方主要道はともかく、以降の3桁県道は正式の路線番号案内標識がなく、補助標識があるのみと云う路線が結構あります。 和歌山県なんぞはさすが徳川御三家の末裔、ケチ臭い事はせずにしっかり正規の標識が建っています。 対して「三重乞食」と云われるだけあって、三重県では無駄ものは建てないと云う訳か、ガードレールにシールを貼っただけと云うのが多くて、われわれコレクターには残念なのであります。

 
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 こんな馬鹿な事を長い事やってますと、国道に格上げなんて御目出度い話ではなく、<204>下田良福寺線の様に格下げされて県道でなくなってしまったのもあって、なかなかのコレクターズアイテムに。
 
20161022d.png しょせん県道番号なんてお役所が適当に付けている様ですが、一応「道路法」に従って県告示が行なわれる訳でして、県によってはなんらかの分類も行なわれている様な。特に地方主要道を除く県道では都府県を跨ぐ場合、最近では700番台を両県が示し合わせて使用する様になっている様です。昔は同じ路線名なのに県境を跨ぐと路線番号が変わるなんて事があったのです。奈良県の場合では大阪府とは700番台、和歌山県とは730番台、京都府とは750番台、三重県とは780番台が使用されています。これはこれで道路元標ほどではありませんが、なかなか奥が深いのです。
 
 奈良、和歌山、三重の3県は紀伊半島の県道を走り潰していた頃に、和歌山県は残り10件まで迫っているのですが、地元にも拘わらず奈良県は、ちょっと紀伊半島とは云えない北部へは行ってない事と、補助標識では面白くない事もあって20数件残してしまっています。所詮はサイクリングのツマみたいなものですので、桜井と云う恵まれた環境に暮らしていると生駒くんだりまで走りに行こうと云う気がおこらないものでして。京都府や兵庫県も道路元標の宝庫でもあるので結構走り回ったのですが、その頃はヘキサ蒐集熱が冷めていたもので、殆どコレクションしてなかったのが、今から思うとちょっと残念ですが、今さら行くつもりもね。 ローディの間で人気のダムカードも、今さら県下のダム巡りするのもね。
 
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大和青垣吉野川自転車道線とは

20161022a.jpg 2月の事ですが、郡山の佐保川界隈を走っていた折に見掛けた道路工事の看板、「大和青垣吉野川自転車道線舗装工事」と聞きなれない名称の自転車道の名前があがっていたのですが…
 
20161022f.png
 最近になって奈良県の県道につぃて調べていたら6月3日付けで次の様な県告示が出ている事を知りました。内容はご覧の様に「大和青垣自転車道線」を道路法に従い認定すると云うものなのですが。自転車道であっても県道であれば、ちゃんと路線番号も付く訳でして。いわゆる「奈良自転車道」には県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線、「大和中央自転車道」には県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線は、そして「飛鳥葛城自転車道」には県道274号明日香大和高田広陵自転車道線と云う番号が振られています。奈良県では見かけませんが、和歌山県や三重県ではちゃんと路線番号案内標識いわゆるヘキサが設置されている路線もあります。
 
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 しかし前にも書きましたが奈良県では道路法に付けられた正式名称と愛称?が標識にまで混在していて、中には「ならクル」のサインまで並んでいる始末、訳の判らんと云うか誤解を招きかねない迷惑な話でもあります、閑話休題。さて話は戻って「大和青垣自転車道線」とはこの様な経緯によるものらしいのです。
 
20161022h.png しかし誰がブチ上げたのかは存じ上げませんが「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」(報道資料)に基づく「京都・奈良・和歌山における自転車を活用した広域観光活性化計画」(県PDF資料)によるものらしいのです。
 概ね奈良市から大和郡山市にかけて佐保川沿いに新たに自転車道を整備し、既存の3つの自転車道である奈良西の京斑鳩自転車道線~大和郡山田原本橿原自転車道線~明日香大和高田広陵自転車道線を継いで吉野川河畔に至ろうと云うものです。この様な自転車道の整備が、現状の自転車道の利用形態や利用状況からみて、どれ程意義のあるのものかは疑問ですが、部分的には歓迎できる点もなくはないです。奈良市街から佐保川沿いに大和川河畔に至るルートの整備プランはなかなか興味深く、現状では佐保川右岸の車道が舗装されているもののと路面状況が非常に悪い事、左岸には未舗装部分がある事、近鉄平端駅東方で近鉄天理線と橿原線に分断されてしまっている事が問題点としてあげられますが、自転車道として整備し鉄道部分をアンダーパスする点は非常に魅力的です。その他一般に公開されいる資料からは詳細なルートは判りませんが、御所市からは大阿太高原を越えて吉野川河畔に下る案は、私が帰路に良く利用しているだけに我意を得たりと。ただできれば阿田橋から南は県道<39>五條吉野線に沿うのではなく、右岸の市道を設定して貰いたかったですね。
 ちなみに「大和青垣吉野川自転車道」のネーミング、国定公園にもなっている「大和青垣」の名称ですが、春日断層より東の大和高原を意味するもので、「なるクル」の「T-1大和青垣ルート」は柳生から針方面に南下しているので異存はないのですが、大和盆地の真ん中を縦断するこの自転車道が「大和青垣」とは如何なものでしょう。なお県PDF資料の2枚目右上で「古都奈良の文化財(東大寺)」として紹介されている写真は、「ならクル」のフォトコンテストで最優秀賞を頂いた私の作品です、コラージュみたいであまり気に入った写真でもありませんが、何の連絡もなかったのですが二次使用権を譲っているだけに仕方はないものと、ただ何かで使ってくれるなら教えてねと云ってあったのですが。水戸岡さんの名前はクレジットされていても、私の名前がないのはネームバリューの差(^_^) さてこの計画は平成28年度から32年度にかけて13億4,500万円が事業費として計上されている事もお忘れなく。県がサイクリストをダシにして自分達と業者の為に、効果のない事業をまたやっているなんて云いたくないもんです。

「案山子コンテスト 2016」

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 先週に続いて明日香村稲渕で行なわれている「案山子コンテスト」を覗きに行ってきたのですが、明後日に投票を控えて作品が出揃っているのかと思っていたのですが… 先週と変わりありません、毎年素晴らしい作品で愉しまさせてくれる常連さんの出品がない様です。 それが理由ではないと思うのですが、今年は全体に今一つですね。
 
20160916b.jpg 幾つか紹介しておきますが、去年と比べると寂しいですね。 ところで彼岸花の方は一気に咲き始めています、写真としてもこちらの方が収穫があった様な。
 
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