奈良盆地ポタ

20150121e.jpg実は先週火曜から風邪気味でダウンしていました。 いつもならひき始めに市販薬を飲んで1日大人しくしていると治るのですが一向に良くなりません、土曜に覚悟を決めてお医者さんへ行ってきたのですが、インフルエンザの検査ではかすかに陽性反応が、まあ軽症なのか治りかけなのか、土日と大人しくして、月曜日いつもは自転車で走って行く京都行きは電車にして養生していました。 そろそろ良くなってきたので今日もちょっと走りに、と云ってもまだまだ本調子じゃないので、大和川河畔の平坦路を汗をかかない様にのんびり行きます。 馬場尻橋~太子橋~御幸橋と走り富雄川河畔へ入り法隆寺近くまで走って折り返します。 20150121f.jpg御幸橋まで戻ってきていつもなら飛鳥葛城自転車道から大和中央自転車道を走って帰るのですが、今日はライフワークの道路元標の生存確認をしながら走ろうと、河合村道路元標から三宅村道路元標と走って行きます。 20150121g.jpg三宅村道路元標から次の都村道路元標へ繋がる道は太子道(筋違道)と云って、奈良盆地を南北に走る古代の官道、上ッ道、中ッ道、下ッ道とは異なり、法隆寺から藤原京への最短コースとして斜めに走っています、これが筋違道の名前のゆわれなのです。 この旧街道に沿って街が発達した訳ですから、近代の道路元標もこの街道に沿って建っている訳です。 「ならクル」でもC-21として設定されていますが、太子道は完全な形では残ってなく、ルートが判りにくい上に大和中央自転車道が平行しているので利用者は少ない様ですね。 20150121h.jpg太子道から田原本の古い街並みに入ります。 古い商家が狭い道を挟んで並んでいます。   20150121i.jpg 現在の田原本町域に残る3基の道路元標(都村、田原本町多村)は喜ばしい事に他の道標等とともに再建されたりして案内板が設置され保存されています。 20150121k.jpg田原本からは下ッ道(中街道)に入り南下し橿原市へ、八木札の辻では旧旅籠が交流館として展示公開されています。 ここから東西に走る旧街道である横大路へ入り桜井への帰途に就きました。 本日の走行47.8キロ、のんびりと旧街道巡りの午後を過ごしました。    

暖かグッズ「フィンガー・カバー」

20150121a.jpgこのなんとも奇妙な形をしたものが「フィンガー・カバー」なんです。 実はネットのお知り合いのきんちゃんさんが試験的に作られたもので、お願いして分けて頂きました。 「フィンガー・カバー」の名前から想像が付くかと思いますが、「シューズ・カバー」の手指版なのです。

20150121d.jpg寒い冬の朝夕やダウンヒルでは、ブレーキレバーを握る4本の指にはもろに冷たい風が当たって、感覚がなくなるまで冷たくなるのは非常に辛いものであります。 最近ではヒーター付きのグローブも出ているそうですが、毎朝夕に淀川べりを通勤ライドで走っているNちゃんのフラットバーロードにはご覧のフードが、しかしドロップハンドルには使えません。

 

20150121b.jpgご覧の通り「フィンガー・カバー」はグローブの上から被せて使います、マジックテープをくるっと手首に巻きつけて止めるシンプルな方法ですから、片手をはめた後から残りの手にはめるのも簡単です。 使用前に気掛りだったのは私の様にセフティレバーやエイドレバーの類を使って上ハンを握り、フロントバッグとの隙間が狭い、そしてシフトはダブル・レバーと云う人も使えるのだろうかと云う事でした。

 

 

20150121c.jpg結果的にはマジックテープが多少邪魔になるシーンがありましたが、問題なく使用できます。 そしてなによりも実際に使用して暖かい、指の隙間に冷気が入らないだけでこれだけ違うのかと云う感覚です。 日中の暖かい時間ならグローブの中で汗ばむ位の保温性がありますから、必要がなければ外してコンパクトにしまっておけます。
 まだ試作品の段階ですが、寸法的にちょっと大きいかなと云う感じ、手の甲側はもう少し長さがあった方が良いのでは、それとあとデザイン的にもうすこしお洒落になってくれないかな、と云ったところでしょうか。 まだまだ寒さの続く季節、少しは快適に自転車を愉しむ事ができそうです。

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LUMIX DMC-G2

20150120a.jpg デジカメを買い換えました、と云ってもヤフオクで中古をポチッたのですが。 2009年3月に購入し6年近く愛用と云うか酷使してきたPanasonicのLUMIX DMC-G1ですが、アイキャップが剥がれボディはもうボロボロ。 

20150120b.jpgところでカメラとして良い悪いを云うよりも、正直云ってPanasonicのカメラは好きではありません、と云いながら同じくGシリーズのGF1にコンデジまで持っているのですが。 ボディの表面処理が悪いし、ショルダ-ストラップ取付部が外れたりと、カメラ本来の機能や性能はともかく、一生使い続け様なんてカメラではありません、まあデジカメ自体がその様なものかも知れませんが、伝統のあるカメラメーカーとはモノ作りの姿勢が違うと云うか、家電製品の感覚なんですね。 それでも自分のニーズにはマッチしている事もあって使っている訳なんですが、昨年暮れくらいから調子が思わしくありません、調子が悪いと云うか色がおかしいのです。 暮れにskuram氏と話をしていた時も氏のGH1も紫色が出ないなんて事を云っていました。 LUMIXのGシリーズは今では6代目のG6ですが、別に最新機種がほしいなんて気持ちもありませんし、第一余裕もありませんし、フロントバッグの中で揺すられ、いつ自転車で転倒して壊してしまうかも知れません。 G1は2008年12月の発売ですが、バッテリの互換性のある2010年5月発売の後継のG2位が安く出ていたらと、暮れからヤフオクを物色していたのですが、G1はともかくG2は高いかなと眺めていたら年が変わると10,000円以下で出てきました、結果的に取説が欠品ですが状態の良さそうなものを送料込みで8,950円で落札しました。 アイカップの交換だけでも数千円とられるなんて話ですから、ちゃんと動けば安い買物です。 

20150120c.jpgお天気はも一つなんですが、今日はG1と両方提げて明日香村まで少し走ってきました。 一通りの動作には全く問題はありませんが。 いずれも左側がG2の画像、右側がG1の画像です、もちろん同一条件での撮影です。 原因がCCDの経年によるものだとしたらG2もいずれこうなるのかも知れませんが。 あまり出番のないGF1も一度並べて撮っておこうかな。 

20150120f.jpgここで5年も前のカメラのレビューをしても仕方ないのですが、自分にとって操作性は何より重要、基本的なスペックは同等、G2の大きな売りは兄弟機のGH1と同様の動画が撮れる様になったのと、タッチパネル操作に対応した事なんですが、両方とも私にはあまり関係なさそうです。 フォーカスモードの選択がメニューから左肩のダイヤルになった事、これは嬉しいです。 シャッタースピードや絞りの選択他に多用するダイヤルが右肩前から後へ変わった事、理屈では便利そうですが、こちらに慣れるまで時間がかかりそうです。 後こまごまと違いがある様で、マニュアルを確認しながら学習中です。

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今様ヤジロベエ

 

20150117a.jpg正月明けにこんなものポチッてました。 ライトホルダーブラケット(左)とライトアダプター(中)と右は以前から使っているLEDライトGENTOS NEXERA 903Dです。 この組み合わせで前輪ハブ軸にライトを付けようという算段です。 先日の「南紀ツーリング」の往路、真夜中に王寺駅まで20キロ回送した折に、もう少し明るいライティングがほしいなと思ったのと、「スマートフォンフォルダー」の件でKHSのハンドル回りにはスペースの余裕がない事もあっての事なんですが。

 

 

20150117b.jpg組み合わせてKHSに取り付けてみましたが、こんな感じです。 同じメーカーの製品の推奨された組み合わせではないので仕方はないのですが、LEDライトが上下方向にガタつきます、ゴムをかませて径を調整してやると多少はマシになるのですが。 このライトホルダーブラケット、本来はハンドル回りに付けるものなのでしょうが、弾力のあるプラスチックでできていて、片側はボルトナットで締め付ける様に(写真ではハブ軸側)なっているのですが、ライト側ははめ込むだけなのです、今日日中ですが20キロ程走ってきましたが、脱落する心配はなさそうです。 なお固定側とライト側の軸は90度の角度になっているのですが、これは自由に回転させる事ができます、従って径が合えばステムに取り付ける事は可能ですが、アヘッドの太いステムにはどうみても無理そうです。

 

 

20150117c.jpgハブ軸にライトを付けると云えば昔はこれでした「ヤジロベエ」、見たまんまのネーミングです。 これにナショナル製の探検ライトを取り付ける訳です。



 

 

20150117d.jpgこんな感じになります、今も探検ライトの方はお飾りでasuka号に付けていますが。 昔はこんなほの暗い明かりで走ってたんですよね、今の強力なLEDライトの事を思うと信じられません、自転車用LEDライトが出たのはいつ頃だったんでしょうね、金沢まで22時間がかりで走った2000年は当時としては最も明るいCATEYEのハロゲン球のものを何度も電池を入れ替えながら走っていましたからね。

 

 

20150117e.jpg以前から使っているのですが、ライトホルダーには(右)の様なものもあります、こちらはゴム製でハンドル側とライト側をマジックテープで締め付けて固定する様になっています、こちらはハンドル側がどうしても緩くて回ってしまいます。 この両方を足して2で割ったような商品があれば良いと思うのですが。
 ここまで書いておいて何なのですが、ハブ軸にライトを付けるのはあまり好きではありません、光軸が低すぎて、路面の凹凸や小石などの影が長く誇張されて見えるのに違和感があるのです、20吋のKHSはなおさらです。 やはり自転車のライトは可能ならばマッドガードやフロントキャリアに取り付けるのが一番ですね。

 

 

20150117f.jpg余談ですが、一緒にこんなものもポチッてます、GARMINのeTrex用のハンドルバーマウントです、(右)の様に割れてしまいました、ああまた「いいよねっと」に頼まなあかんのかと思っていたのですが、AMAZONにもあるのですね、送料分得しました。 届いた商品には「いいよねっと」のホログラムシールが貼ってあるのを見ると、さすがのAMAZONも「いいよねっと」経由なんですね、売る以上のサポートができない代理店なのにね。

地名は文化

 20年目を迎える阪神淡路大震災関連で「地震で崩壊する土地は地名でわかる!!」と云う記事がネットで流れていました、なる程ねと半分納得したり。 地震からは話がそれますが、いつもお世話になっている古民家カフェ「月うさぎ」、奈良県吉野郡は東吉野村谷尻にあるのですが、谷尻は(たんじり)と読ませます。 2007年3月の事、吉野側から走って行く途中の県道<221>小村木津線と<251>谷尻木津線には新しくそれまで無かった路線番号標識(いわゆるヘキサ)が設置されていました、谷尻集落内にも設置されていた訳ですが、表記が’Tanijiri'(たにじり)となっているではありませんか、帰宅後メールで東吉野村役場に問い合わせてみたら、正しくは「たにじり」であると一蹴されてしまいました。 地名辞典や索引の類を調べてみても東吉野村谷尻は「たんじり」、地名は文化であり歴史、然るべき検証もなしに役所がそれらを勝手に変えてしまっては困るので、それをするなら同村の小(おむら)や木津(こつ)は何故そのままなのでしょう、まして難読地名だらけの奈良県。 大阪市内では旧東区(現中央区)に対して地元意識の希薄な住民の多かった旧南区(同じく現中央区)から多くの由緒のある地名が消えてしまいました。 過疎化から多くの地名、特に字名が消えようとしています、中には忌まわしい歴史的経緯から住民自らが古い地名を捨ててしまった処もなくはないですが。 また開発によってこじゃれた地名に改変された処も少なくありません(馬見村→真美ヶ丘など)。 名は体を表すで先の記事の様に地名が地盤の弱い土地を表している場合もあるかも知れませんが、含めて地名は守るべき大切な文化遺産や歴史遺産に他ならないと思うのですがどうでしょう。

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大和川CC御一行様迎撃

20150111i.jpg今日は昨年10月に続いて「大和川CC」の皆さんが初詣を兼ね「春日大社・初詣サイク!和食&和スィーツの旅」と銘打って奈良へお見えになるので迎撃に出かけたのですが… 跨って行くのは昨年11月の「笠置山紅葉狩りサイクリング」以来のKoga-Miyataロード、昨夜のうちにエアーを規定圧目一杯にまで入れておいたのですが、天理辺りで後輪に違和感が、停まって確かめてみると後輪がちゃんと回りません、よくよく見るとビートが数センチ外れているではありませんか、これはまたもや後輪に「パンク大魔王降臨」かと(あの一応シャレになってますんで)、その時は走行距離の短さからケチって後輪だけ交換したのですが、その時前後ローテーションしたんだっけ???やはりもう1本も経年劣化か悪うなっとんたんやなと、よく見ると後輪は買ったばかりなんぼも走っていないTourerPlusの方ではありませんか(帰宅後調べると走行距離は1,200キロ)、圧を下げてビートを押し込みエアーを入れるとどうにか走れるまでは上げられます、さてどうしたものか、桜井に一旦引き上げるかとも思ったのですが、奈良までは桜井線沿いなので、最悪は最寄り駅に置いて、輪行袋と入るか入らないかはともかく28CのTourerならあるので取りに帰る手もあるしと、ぼちぼちと上街道を北上したのであります。 20150111a.jpg「大和川CC」のメンバーがいったいいつ到着するのかちょっと読めないのですが、先にお参りを済ませ春日大社の二の鳥居で待つ事にします、ここには手水があるので表参道を来ても、駐車場側から来ても通るはずです。 そのうちfacebookに法隆寺あたり?なんて書きこみがあります、自販機の暖かいココアで暖をとったり鹿をなぶったりしながら待ちますが一向にやってきません。 ちょっと遅すぎるなぁと思いだした頃に「●●さんですか」 と女性に声を掛けられます、どうやら一行は宝物館の裏から入って行った様なんです、そこで合流した参加者の女性が二の鳥居で僕を見かけたと呼びに来てくれた次第なのです。 ハンチングとニッカやなくて良かったです、ヘルメットかぶって多少はローディぽい格好でしたから。 20150111b.jpgとにかく「大和川CC」御一行様とは無事合流できて、お昼を予定している国立博物館前の釜めし屋「志津香」へ向かったのですが、奈良公園は車が渋滞、お店は行列。 一旦は並んでみたのですが1時間待ちとの事、協議の結果、他所へ行こうかとなったのですが奈良公園は大変な人出それにお昼どき、12名が入れようなんて店がある訳もありません、そこで冗談混じりに少し走って自転車乗り御用達のお店「銀座カリー」と云ったら、そこへ行こうと云う事になったのであります、 ここで「和食」は消えました。 ところで僕、昨夜カレーだったんですけど。 20150111c.jpgオーナーのYさんはどっか走りに行って不在でしたが、少し待って全員が店内に入る事ができました。 シェフの案内で自転車は少し担がなあきませんがビル横のスペースへ入れさせて貰えました、でも重いツーリング車はちょっと辛いかも。 20150111d.jpg美味しいカレーで暖まりお腹が一杯になった処で次の目的地は郡山の「慈光院」、紅一点の女性がはぐれても良い様にと場所を確認中、ほって行くなんて少なくとも僕はしませんよとか云って、後輪に爆弾を抱えてこのまま付いて行っていいの、僕。 20150111e.jpgまぁ山の中へ行く訳やあるまいし、どっち向いて押し歩いて行っても線路にブチ当たる大和盆地の中、居なくなったら遠慮せずほって行ってねと断って付いて行く事にします、まずはJR奈良駅前に出て<745>を南下。   20150111f.jpg岩井川沿いの道を走って、京奈和道の下を走り、なんやら走ってはならない橋を渡って、近鉄郡山駅横の踏切渡って。 20150111g.jpg 富雄川沿いの自転車道に入ります、しかし向かい風のキツいのには往生します。 20150111h.jpg 14時半には「慈光院」に到着、近くには片桐村道路元標が現存している事もあって、片桐氏所縁の寺院がある事を知っている位で初めて境内へと、茅葺の山門が出迎えてくれます、 ここでおうすとお菓子を頂きます、スィーツと云うか餡入り落雁ですが、拝観料込みで1,000円です。 格段の心得がある訳でもないのですが母が長年やっていた事もあって多少の作法は聞きかじっているものの、何十年も畳のない暮らしをしていて正座など1分とできないたちなので足を崩して頂く無頼です。 そんな中へ住職が見えられて、どうぞ作法にとらわれず気楽にやって下さいとの気遣いのお言葉なのですが、亭主と云え「ようこそお参りを…」云々の挨拶もなく、こちらのやり取りに割って入るのは些か失礼な話です、その後、茶、庭、堺~大阪~奈良~京都の文化についてなかなか興味深いお話を聞かせて頂いたのですが、たたみかける話法はいわゆる宗教家のまぁそれでして、今度は京都の仲間と来たらどんな展開になるのだろうと、いつもの天の邪鬼な想像を。 「慈光院」についてはググって頂ければ幾らでもでてきますが、見事な書院と刈り込みの庭園、大和盆地の遠望と一見の価値はあります、他の観光スポットから離れている事もあり、私達の様な団体と鉢合わせしなければ静かで落ち着ける場所です。 20150111j.jpg15時をまわってしまいましたので 「慈光院」を後にする事に、一行は柏原から大阪方面へ帰られるのですが、私はここで失礼して富雄川から大和川沿いのルートで帰途に就かせて貰う事にします、しかし相変わらずの風、時折のみぞれと横風にあおられながら堤防沿いの道を行きますが、大阪組はもろに風を受けながら走られているのでは。 ところで爆弾を抱えた後輪の事をすっかり忘れていました、どうにか無事に桜井へ帰り着きましたが、さてパナの Tourer どうしたものか。 本日の走行59.2キロ。

南紀ツーリング その2

20150110a.jpg一昨日に続いて「青春18きっぷ」を使って南紀へ輪行、ただ今日は亀山経由の東回りです。 桜井からですと近鉄で松阪へ出るのが距離的にも近いのですが、多気まで行けてもその先の普通列車がありません、結果的に奈良~亀山と回っても一緒なのです、2時間以上早く出る必要がありますが、そこが「18きっぷ」の「18きっぷ」たるところなんです。

20150110b.jpg奈良、加茂、亀山、多気と乗り換え紀伊長島ではなんと28分停車。 駅のトイレへ行ったり、自販機でコーヒー買ったり、ミラー相手に「自撮り」 したり、さすがに「元鉄」も時間をもてあまします。 外は最高のお天気、早く走り出したいのですが。

20150110c.jpg桜井を出て約7時間、1238ようやく目的地の大泊へ到着。 真横を紀勢道が開通していて風景が一変しています。 高速道路と1日10往復しか停まらない駅。

20150110d.jpg

「ツール・ド・紀伊」のポイントである鬼ヶ城へ立ち寄ってから熊野市へ、R42の鬼ヶ城トンネルは自転車通行禁止ですので、北側の鬼ヶ城歩道トンネルへ回ります。 こちらは旧R42の木本隧道で、現在は車両は東行き一方通行で歩道が設置されています。 土木遺産に指定されていて大正期最長の道路用煉瓦トンネル(509m)なんだそうです。 ちなみに三重県南部のR42には旧トンネルを歩行者、自転車用に供用している処が何ヶ所かあります。

20150110e.jpgR42の熊野市から新宮の間は七里御浜の海岸に沿った平坦路なんですが、向かい風がきつくって前に進みません。 道の駅「七里御浜」の手前から次の道の駅「紀宝町ウミガメ公園」を過ぎるまで山側に旧道があるので、そちらを走った方が楽です。

20150110f.jpgかつて日本で一番面積の小さく一番人口密度の高い村であった現在は紀宝町になっているが鵜殿村へ、熊野川(新宮川)が見えてきました、これを渡ると和歌山県です。

20150110g.jpg今日4つ目のポイント、新宮市の「熊野速玉神社」へ到着、あわよくば太地まで輪行し5つ目をGETできるかなと思ったのですが、ここで紀伊田辺行きの発車時刻へ15分、さすがに間に合いませんので、ゆっくりお参りをする事にします。

20150110h.jpg速玉神社の境内では「もうで餅」を売っています、なかなか美味しいのですが箱入りでフロントバッグに入れにくいので、試食だけさせて貰って「長寿いも」を購入、芋餡を皮でくるんだお菓子です。 顔見知りなんかしてバスガイドとおばちゃんの会話が面白い。

20150110i.jpg余裕かまして新宮町道路元標の生存確認へ、以前は半分程まで埋没していたのですが、最近再建された様です。 新宮駅付近にはコンビニがないのでオークワへ行って帰りの車内での食料にと「めはり寿司」を調達、後で気が付いたのですが、製造者は橋本市だったりして。

20150110j.jpg新宮駅へ着いてれ列車のの時刻を確認すると、予定の1700発の1本前の1556発多気行発車11分前、駄目元で輪行支度を済ませ地下道を通って2番乗り場へ、さすがKHS余裕で乗車できました。 乗った車両は今朝と同じキハ11の2連、同じ乗るなら旧国鉄色に塗られたキハ40系の方が良かったな、写真は紀伊長島駅で交換の下り列車。
 1本前に乗ったところで「18きっぷ」のままで桜井へ辿り着く事はできません、亀山経由では奈良が限界で、今日は走り足りないからって奈良から走って帰るのはね。 素直に松阪から1,140円払って近鉄に乗車、2150桜井駅に帰着しました。 往復輪行に13時間掛けて本日の走行1時間50分で30.4キロ、18きっぷで7,020円分乗車。  

 

南紀ツーリング

20150108m.jpgR42 道の駅「イノブータンランドすさみ」前にて

 

20150108a.jpg云う訳で「18きっぷ」を使って天王寺廻りで南紀を目指します。 王寺駅0436発の関西本線始発に乗車するために真夜中3時過ぎに桜井を出発します。 距離的には最短ではありませんが、車が少なくて走りなれた大和川沿いのコースをとります、堤防沿いの道で路肩の白線が途切れていたりするので夜走るのは人にはお勧めできませんが、コースは熟知していますし、過去にも何度か夜中に走っています。 今夜は月明かりが明るく路面を照らしてくれています。 21.4キロ、予定通り1時間少しで王寺駅に到着。

 

 

20150108b.jpg天王寺、和歌山と乗り換えて紀伊田辺0839着。 こう云った18きっぷと輪行を駆使してポイントを巡るのは1000基を越す道路元標巡りでノウハウがあります、ジョルダンの乗換案内NEXTとウェイポイントを登録したGARMINは欠かせません。 乗換案内NEXTも決してお行儀が良くないのでガラケー時代と能力不足の先代スマホでは多少苦労させられましたが。

 

 

20150108c.jpg

最初の目的地は熊野古道中辺路の稲葉根王子、付近は過去何度も通っていますが、ここ訪れるのは初めてです。 スマホのナビ機能とGARMINを併用しながらやってきました、古いGARMINに較べて格段の進歩がありますね、音声ガイドも素晴らしい。

 

 

 

20150108d.jpg富田川に架かる幾つかの沈下橋のひとつ畑山橋、富田川沿いのこの辺りを走る時は左岸の<220>岩田保呂線を走る事が多かったのですが、最近はR311もバイパスができて自転車も走りやすくなりましたが、右岸の堤防道路を行きます。 ただ岩田橋を過ぎた処からとんでもない行き止まりの道へ入り込んでしまって、撤退を余儀なくされました。

 

20150108e.jpg朝来(あっそ)駅へ、ここは中辺路への出入口にあたるので今まで何度も輪行で利用しています、近くのローソンで補給してから駅へ。



 

 

20150108f.jpg何度もブログで紹介していますが、KHSの輪行支度はあっと云う間です、できるだけコンパクトにしたいので、ハンドルを抜いてシートポストも下げていますが。 輪行袋はオーストリッチのちび輪を使っています、ちょっとキツくて、2本のベルトの1つが締められません、キャリアが付いていないのならいけるのかな、基本バッグ等は極力身に付けたくないのでこの手のキャリアとバッグは必需品なんです。

 

 

20150108g.jpg後から考えると走っても良かった様な気もするのですが、紀伊日置駅までの3駅輪行しました。 椿から日置川まで<801>白浜日置川自転車道線と云う道があるにはあるのですが、これがとんでもない道でして。 今回のテーマ「ツール・ド・紀伊」稲葉根王寺に続いて道の駅「志原海岸」で今日2ヶ所目のポイントGETです。

 

 

20150108h.jpg観光地の多い南紀の中では知名度は低いのですが、道の駅「志原海岸」から日置川河口にかけて美しい砂浜が続きます、先に挙げた<801>白浜日置川自転車道線もこの区間だけはお奨めできます、2006年9月

 

20150108i.jpg現在は白浜町の一部となってしまった日置川町、日置川の街並みは南紀には珍しい佇まいです、漁港のそれとは違う。 調べてみると古くは日置川上流からの木材集積の地として栄えたらしいのです、紀勢本線の駅からも離れ、国道はバイパスが出きて通る車も人少ない、全く観光化されていない静かな街並みです。

 

 

20150108j.jpg日置川から次のすさみ町へは平成9年にバイパスとなる日置川道路の開通で従来の岬廻りのルートは県道<243>日置川すさみ線となりました、少し登って行かなければなりませんが、先の日置川の街を見下ろす事ができます、豊かな日置川の河口にできた砂州の上に発展した街だと云う事が良く判ります。

 

 

20150108k.jpg

 

その県道は通う車もなく、国道の喧騒をよそに釣り人の路上駐車だけが目立つ静かな岬まわりの道です、2006年9月。 この後3つ目のポイント道の駅「イノブータンランドすさみ」へ、次のポイントである道の駅「くしもと橋杭岩」へは後30キロ程の行程です、帰りの輪行の時間を考えると微妙な時間、初めてではありませんが海岸沿いのアップダウンの繰り返されるルート、工事で交互通行とかも幾つかあって所要時間が読めません。

 

20150108n.jpg午後からは晴れてきて、さすがに暖かいとは云えませんが明るい陽射しが心地良く、追い風に押されている事もあって快調に走ります。 近畿道の工事でダンプこそ多いのですが、この季節は観光のバスや車が少ないので快適です。 串本町に入る頃には海の向こうに本州最南端潮岬が見えてきました、自転車で紀伊半島を巡った人には感動の風景ですよね。

 

 

20150108o.jpg15時半には余裕で串本の街に入りコンビニで補給を済ませ橋杭岩へ、本日の予定終了です。

 

 

20150108p.jpg串本駅へは戻らず、距離的にも近い次の紀伊姫駅へ向かいます。 トイレも付近に自販機すらない殺風景な無人駅ですが、階段のない待合とホーム、輪行には好都合です。 1644発紀伊田辺行きで帰途に就きました。 ここまでの走行距離98.9キロ、真っ直ぐ家に帰れませんねぇ。

 

 

20150108q.jpg紀伊田辺、御坊、和歌山、天王寺、王寺とタイトな乗換をこなし帰ってきましたが、桜井までは行かず一駅手前の香久山駅で下車、ここから走って帰る事にします。 と云っても距離は知れていますし、紀伊姫駅同様に階段が無いに等しい駅なのでかえって楽かも知れません。 と云う訳で本日の走行101.7キロ、微妙な帳尻合わせですが松の内に2度目の100キロ超え、昨年9月以来のKHSでの100キロ超えとなりました。 「18きっぷ」は8,090円分乗車、後1回分ありますので1日おいて再び南紀へ向かいます。

 

「ツール・ド・紀伊」今から参戦します

20150107b.jpgご存知の方も多いと思いますが、奈良県が中心になって和歌山、三重の3県で開催している「ツール・ド・紀伊」、名前は大層なんですがスマホを使ったスタンプラリーやフォトコンテストなんです。 スタンプラリーなんか面白そうなんですが、いかんせん昨年暮まで使っていたスマホ REGZA Phone T01-C のタコなGPS機能ではチェックポイントの取得がうまくできませんので諦め、フォトコンへの応募でお茶をにごしていました(フェイスブックをお使いでしたら応援よろしく)。 ところが暮れにスマホを最新機種に買い換えたのと「ツール・ド・紀伊」の実施期間が3月16日まで延長されたので、にわかにやる気が湧いてきました。 ロングライド志向のツーリング派としては自力で走って行きたいところなのですが、さりとてこの季節に走って行くのもね、そこで多少開催の趣旨には外れるかも知れませんが、南紀は輪行で行ってみようかと。 それに内陸部の幾つかのポイントが、かねてから計画している色川村道路元標履修ツーリングのコースと微妙に重なっています。

 

20150107a.jpg そうなると動きは早いです、1月10日までが有効期限の今冬の「青春18きっぷ」を早速ヤフオクで探します、残り日数が少ないのですが期限が週末にあたるせいなのか、やや高めな落札相場にとまどい幾つか競り負けながらも、振込費用がかからない出品者の送料込残2回分を3,881円で落札し、今日後3日の有効期限を残して無事に手元に届きました。 と云う訳で明日から南紀」へ行きます。